第六試合 2.縁側
表の車道の方で(織枝の、というより福祉事務所がリースしていると思われる)車が発進する音を聞き届けてから、そろそろ中に戻ろうかと思ったとき。
そのタイミングで、麦林寧々が縁側に姿を現していた。掃き出し窓を開けて顔を出してくる。間の悪いやっちゃ、と譲二は密かに思う。
「寧々、会長ならついさっき行っちゃったところだぞ。すれ違わなかったか?」
「……ううん。でも別にいいよ」
ともすれば淡白ともいえるその返答に、譲二は胸中で首を傾げた。
そういえば、寧々は寺越光次郎の実妹の子で、姪にあたるのだ。彼女の母親も健在のため、光次郎会長は完全に身寄りがいないわけではないということになる。
社会福祉相談員が注視している生活リスクの内、独り身であるという点は、会長には当てはめなくともよさそうだった。何かあったときに、親族が近くにいるというのは心強い。
譲二は考えた。いつか、寧々の母もジムに顔を出してくるなどして会うことがあるかもしれない。
どんな人なのだろうか。娘である寧々の感じから、母親も元ギャルな方向性で想像しがちなのだが案外、普通の人だったりして。
「……ねえ。そんなに見つめられたらさすがに照れちゃうんだけど」
見返してくる寧々。ちなみに、照れているそぶりはまったくなかった。
「いや、すまない。寧々が大人になったらどんなふうなんだろうな、って思ってて」
「なんで子供を見る親みたいな目線なのよ。ウケる。ほぼ同年代でしょ、私ら」
寧々がけらけら笑う。
「譲二ってさ、時々、言動がじじむさいところあるよね。精神年齢が実年齢よりも上っていうか」
その指摘に譲二は内心で少しへこむものの、同世代でも価値観などにギャップが生じて若年層についていけてないところがあるのもまた事実だった。一年と数ヶ月、軍隊生活をしてて外界から隔離されていた弊害なのかもしれない。
はた、と思い出す。最前線の軍隊生活ではローテーションで休養日があてがわれていたため、曜日の概念が希薄になってくるのだが、そういえば今日は平日だ。
「そういえば、寧々は今日、学校はどうした? サボりはよくないぞ」
「だから、そういうところだよ。まあいいけどね」
笑い半分、呆れ半分といったところの寧々。そう言われてもな、と譲二は頭をかく。
親に学費を出してもらっているのだから、学校にはちゃんと行くべきだろう。やむにやまれぬ事情があるんだったらその限りではないが。
「今は文化祭シーズン。受験生の学年は準備もそこそこに済ませて、ホームルームなどの時間は自習ってことで、自宅学習もしていいことになってるの」
譲二は縁側に腰を下ろして、「文化祭の準備か」と膝を打った。
「もうそんな時期なんだな。寧々のクラスは文化祭で何をやるんだ?」
「ラウンドガール喫茶店だよ」
「へえ、ラウンドガール喫茶店か。……うん? ……ラウンドガール?」
ラウンドガールというのは、ボクシングやキックボクシング等の試合で、各ラウンドのインターバル時にリングへ上がり、次のラウンド数を示したボードを観客に見えるように掲げて、四方を歩いて回る女性のことだ。譲二はてっきり、ラウンドガールの“ラウンド”には、リングを一周していることもダブルミーニングされているのかと思い込んでいたが、そんなことはないらしい。
格闘技は見る側にも緊張を強いるために、試合一辺倒だと観客は疲れてしまうのだが、その中でラウンドガールの存在は息抜きというか一種の清涼剤のようなものになっている。勝負事ゆえに選手同士や審判が険しい顔をしがちなのは仕方のないことなのだけれども、対照的ともいえるラウンドガールの笑顔やポージング、手振りなどが会場の空気を和やかなものにしてくれることがある。
掲げるボードにはスポンサーになっていただいている企業の社名ロゴも印刷されているのが一般的で、彼女達には広告塔としての役割も期待されているということになる。レーシングカーの大会で見かけるレースクイーンのようなものだ。
そんなラウンドガールの喫茶店とはいったい、どういうことなのだろうか。
「うん。飲み物の注文が入ったら、給仕役と一緒にテーブルへ行って、1の数字が描かれたボードを掲げて、お客さんのまわりを闊歩するの。二杯目は2の数字のボード。意味わかんないよね~」
「なん……だと……」
「会計時のお釣りもラウンドガールが手渡しするし、退室の際にはラウンドガールと並んでの記念フォトもあるってさ」
近年の格闘技の興行では、ラウンドガールが勝利者へのトロフィー贈呈や、写真撮影のエスコートまでも担うことが多く見られるようになってきている。彼女達は、ともすれば男臭くなりそうな格闘技に華を添える重要な配役といえた。
「あ、衣装はきわどいものじゃないからね。布面積の多いメイド服みたいな、ウェイトレスの制服でやるよ」
近頃はビキニなどの水着やセパレートタイプのボディコンというように過激な衣装ばかりだが、ラウンドガールの歴史を辿っていくと、元々はフォーマルな服装で行われていたとされている。なので、ウエイトレス制服も遠からず正解といえるだろう。
「フッ……これは奇異なことを……。最近の高校の風紀はどうなっているのやら」
「言葉遣いがおかしいし……。本音は?」
「めちゃくちゃ行きたいでござる」
「なんか恥ずかしくなってきたからダメ。それよりも……」
寧々が膝をつき、スクールバッグの中をがさごそと漁る。譲二はスニーカーを脱いで足を引っ込め、掃き出し窓を閉めた。
「また合衆国言語、教えてくれる? ほら、長文問題のここ、訳してみても前後とうまくつながらなくてさ」
と、参考書を開いて見せてくる。任せろとばかりに譲二は頷く。
新兵訓練や駐屯任務でみっちり教え込まれたので、日常会話レベルまでなら合衆国言語はお手のものだ。駐留合衆国軍の兵士と業務連絡等をする機会は往々にしてあり、実践方面も問題ない。なんなら、熱帯雨林国の言語に通じる西洋圏言語もある程度は身についている。
「これが解けたらラウガ喫茶店に行ってもいいか?」
「必死すぎじゃん。ウケるんだけれど」
指差している箇所の文章について、訳というか、時系列的なニュアンスを教えてやる。ふむふむ、とノートを開く寧々。
「譲二ってさ、もしかして合衆国からのスパイだったりするの?」
シャープペンシルの芯を打ち出してノートに書き込みながら、寧々がそんなことを口にした。軽い口調のため、冗談だとすぐにわかる。
譲二は意図的にニヤリと口の端をつりあげる。
「どうしてそう思う?」
真偽のほどは定かではないが、日鶴は諜報活動を防止する法制度や体制があまり整っておらず、他国にとっては比較的、スパイ行為がし放題の地ともいわれている。仮に工作員などを捕まえたとしても、寄るべき法的根拠がなく、重刑を科せることができないそうなのだ。
陸軍の憲兵が、やや越権的に、その辺りの直接的な取り締まりや処罰を代行している面もあることにはある。それでも、国家におけるスパイ抑止力としては、世界の中では弱い部類に入っている。
「だって、合衆国言語会話の問題はまあまあ読めるくせに、世間一般から少しずれているところがあるじゃん。あと、住み込むにしたってもうちょっと服や物があってもいいのに、ほとんど持ってきてないしさ」
「なるほどな。だが、神に誓ってそれはないよ」
他国では、大使館や通信社の人間に諜報活動をさせているところもある。外交官という名目で情報収集をしたり、就労を理由に滞在しつつ工作を行っている外国人労働者と比べれば、譲二の地位や職業は貧相にすぎるといっていい。
それに、譲二はれっきとした日鶴人である。例え社会から不利益を被っていたとしても、生まれ育った国に仇なすような精神は今のところ持ち合わせてない。
「だよねー。譲二って直情的そうだし、脳筋っぽいからスパイは無理か」
「おい、その脳筋に勉強を習っているのは誰だ」
言い返すと、寧々がぺろっと舌を出してきた。




