第二試合 3.ラントレーニング
日が昇り、晴れ渡った青空の下、譲二達はジム近くの河川の土手でラントレーニングをしていた。
「次、階段上り、始め!」
詠美トレーナーの合図で、譲二は堤防の斜面に設えられているコンクリート製の階段を上っていく。もう十回以上やっているので、足が上がらなくなってきた。
最上段を上りきって土手の天端に到達し、膝に手をつく。「休まない! ジョグしながら下りる!」と詠美の激が飛んでくる。
譲二は体を起こして、荒く息をつきながら、今しがた上ってきたばかりの階段の、手すりを挟んだ反対側を下りていく。その間に次の合図が発せられて、空太が階段を駆け上がった。
「譲二。最初のタイムから一秒近く落ちてきてる。苦しいだろうけどがんばって」
下まで下りると、二個のストップウォッチをそれぞれ手にしている寧々がそう声をかけてくる。譲二は息も絶え絶えに、頷いて了解を示した。
見上げると、今度は詠美自身が階段を駆け上がっていた。自分もトレーニングに参加する形式の指導手法のようだ。
ブルームーンジムの午前練習はこのとおり、晴れの日は土手で走り込み、と相場が決まっていた。なお、小雨決行である。
まずウォーミングアップにジョギングをして、マーカーコーンやラダーを使ったステップトレーニングを行う。次に、腕立て伏せや腹筋もしくは反復横跳びをしてからのダッシュ走やカニ走り。そしてジグザグターンや斜面上り等というふうに、徐々に強度と負荷が上げられていくドリルとなっている。
階段トレーニングがやっと終わり、休憩を言い渡される。しかし、格闘技の試合におけるラウンド間のインターバルを見据えてか休み時間は短めに設定されているため、呼吸が整う前に次のメニューが宣言された。
「高速スクワットを五十回してから、中腰で坂道を、寧々ちゃんの乗った自転車を押していくぞ。始め!」
譲二はスクワット後に、自転車のリアキャリアをつかんで押し、よろよろと坂道を上っていく。自転車の前かごにはミネラルウォーターのペットボトルやダンベルが放り込まれている。
「全然進んでないんだけど。ファイトー」
振り返ってほっぺを膨らませる寧々。彼女の両手がハンドルと共に、ブレーキレバーを思いっきり握っているのが見えていた。悪魔の所業である。
スクワット及び自転車押しを五回ほど繰り返したのちに、ようやく、午前練習のメニューが全消化と相成った。譲二はふらふらと土手の、アスファルトで敷き詰められた舗装路に倒れ込む。
「おつかれさま。はい、水」
寧々が上から覗き込んできた。トレーニング補助のためにヘアゴムで一つ結びにしてある巻き髪が、肩から胸元へと垂らされている。
腕に抱えたペットボトルの一本を取り出して、ネックの部分をつまむようにして持ち、ほら受け取ってというふうに揺らしてくる。
「サンキュ……」
譲二は大の字になったまま、ペットボトルを受け取る。蓋を開けようとしたところで、寧々がそれをたしなめてくる。
「横になって飲んだら気管に入っちゃうよ。ちゃんと起きて」
わかっているのだが、もう手以外、動かせなかった。水分補給するのはしばらく後にしよう、と諦めてばったりと腕を投げ出す。
「……もう、しょうがないなぁ」
「……え? ……あっ」
譲二は頭を引き起こされて、座り込んでいた寧々に膝枕されていた。さらりと流れ落ちる髪の毛と共に、慈母のような微笑が降ってくる。
にこりと微笑む寧々の頭上、雲一つない青空が写真のように切り取られていた。太陽は彼女の後頭部に覆い隠されている。
なんというか、格闘技大会の広告や宣伝用のフォトみたいに、完璧なスチールだった。
寧々の後ろ、離れたところからにやにやと見下ろしている光次郎会長と、けっと舌打ちする空太が見えていた。急速に気恥ずかしさを覚えてしまう。
「あ、ありがとう。大丈夫だ。自分で起きるから……」
「ほう、膝枕か。青春してるな~! ちょうどいい、私も一度やってみたかったんだ。少し代わってくれないか!」
寧々の膝枕を辞退しようと肘をついていた譲二は、詠美のそんな言葉に「あ、はい、どうぞ」と体をどける。そうして空いたスペースに、彼女は寝転ぶのかと思いきや。
「……はい?」
またしても譲二は膝枕されていた。今度は詠美に。
燦々《さんさん》と輝く陽光と共に、なぜか得意満面な笑みが降ってきた。何を勝ち誇っているのか譲二にはさっぱりわからないが、息を呑みそうになるほどの美人顔だった。
無造作にねじったふうの束感を出しているミディアムヘアが陽射しを受けて、淡く発光していた。左右に垂れ落ちるボリューミーな前髪の間から、太眉ときりっとした瞳がこちらを覗き込んでいる。
寧々と比べると太腿が硬く、大腿四頭筋が盛り上がっているために、高さが合わず首が痛くなってくる。手で頭を撫でられて固定されているために、これからココナッツ・クラッシュでもくらうのだろうか、という怯えや恐れが役得感を上回っていた。
ココナッツ・クラッシュというのはプロレスの技で、相手の頭を自身の腿や膝に押し当てたまま、足を高く上げてから勢いよく地面に接地させた衝撃と反動によってダメージを与えるというものだ。南の島の先住民が、ろくな道具がないときにヤシの実を割るための動作に似ているという。
「ふむん、これが膝枕というやつか! なるほど、不思議な感覚だ。何かのトレーニングに応用できるかもしれないな!」
妙齢の女性に膝枕されているというのに、情緒もへったくれもなかった。詠美の背後で、寧々が苦笑している。
身じろぎも難しそうだと悟った譲二は遠い目をして、青空を切り裂くようにして飛んでいる飛行機を見つめた。
遅れて練習に参加していた美濃部育大が斜面を上ってくる。上半身裸だった。汗をかいたから上着を脱いだのだろうが、ちょっと寒くないのかなと見てて思う。
「むっ!?」
飛行音が聞こえたのだろうか、美濃部が空を見上げた。機影を認めると、突然、肩に担いでいた服やタオルを放り投げて、それの飛んでいく方向へと走っていく。
今度は飛行機と競争するつもりのようだ。あの人は、自分の可能性を信じすぎている。というか、疲れてないのかよ……。なんてタフなんだ。




