第二試合 2.ジムメンバー
ぴんぽーん、と軽快な呼び鈴を鳴らす音がした。譲二と共同作業で食器を洗っていた空太は顔を上げる。
「たぶん寧々《ねね》さんだな。もうこんな時間か」
手についた水をキッチンタオルで雑に拭き取って、廊下に飛び出る。「開けてー」という声が聞こえてきた。
土間に下りてサンダルを履き、裏口の戸を開けてやる。ダンボール箱を持って両手が塞がっている麦林寧々の姿が見えた。
「これマジで重い。手伝って。早く」
空太は寧々からダンボール箱を受け取る。ミネラルウォーターのペットボトルが数本入りのもので、彼女のような一般の女性には確かに重荷だろう。
「寧々さん、いつもありがとうございます」
礼を言って、空太は引っ越し業者のように、ペットボトル入りの箱を譲二に引き渡した。譲二が廊下の端に箱を積んでいく。
寧々はスーパーマーケットに寄ってミネラルウォーターの箱買いをし、それを自転車のリアキャリアに括りつけて運んできてくれるのだ。近場のコンビニエンスストアでも買えることは買えるのだが、数本セットの方が安価なので経済的にありがたい。
「来るついでだし」
重量物の運搬で疲れたであろう両手をぶんぶん振る寧々。
麦林寧々は、ジムの会長の姪にあたる。春から専門学校への進学を目指している、花の女子高生だ。髪を茶色に染めていることもあって若干、ギャル感が入っている。
時々こうして空太達の世話を焼いてくれたり、ジムの雑用的なことまでやってのけたりする。スタッフを雇う余裕がないジムの人手的な意味でとても助かっており、女神と評しても差し支えなかった。
あと、秋の味覚を食べすぎちゃったからと、最近はダイエット目的で、ジムのエクササイズトレーニングにも少し参加している。個人的には、どこが太ったんだろう? と空太は疑問に思うのだが。
と、車道に面している表の方から、車両が段差に乗り上げて停車したような音が聞こえてくる。
「今度は剣崎さんだ。譲二、ジムの方の扉を開錠してくれ」
「オーケー、わかった」
再度サンダルをつっかけて、寧々と一緒に表へと回り込む。一台分しかない駐車場のスペースに、白い小型トラックが停まっていた。
「やあ、おはよう! いい天気だな」
剣崎詠美が小型トラックの運転席から降りてきた。太い眉が凛々《りり》しく、溢れんばかりの笑顔が太陽にも負けず劣らず眩しい。
「剣崎さん、おはようございます。毎度お世話になります、よろしくお願いします」
空太はそう挨拶した。ジムの扉を開け放って表に出てきた譲二もぺこり、と会釈する。
詠美はそれらにうむ、と頷き、「寧々ちゃん、今日も可愛いな~!」と寧々に抱きついてよしよしと頬ずりした。「ちょ、やめて詠美さん。髪が乱れちゃうから」と若干イヤそうな寧々。
この美丈夫かと見まごう女傑は、ジムが契約している個人トレーナーだ。主にフィジカルトレーニングを見てくれている。彼女自身も女性にしては大柄かつ筋肉質で、上腕二頭筋、いわゆる力こぶが凄い。
「実はさっき、運転している道すがら、歩道をジョギングしている美濃部さんを見かけたんだよ。声をかけようとしたら、線路を電車が走ってきてね。その電車と競争したくなったのか全速力で逆走していったよ。ははははは」
だから美濃部さんはもうちょっと遅れて来ると思う、と付け加える詠美。
空太は両の手のひらを開いて見せながら、溜め息をついた。あの人はいい歳して子供か。寧々も苦笑している。
「じゃあ、後は会長だけですかね。まだ来ていないので、すみませんが、中で待っていてください」
集まっているメンバーを見渡して、空太は人数を指折り数えた。午前練習に参加するジム生は空太と譲二と、後からやってくるであろう美濃部の計三人の予定だ。加えて、コーチの会長とトレーナーの詠美、補助役として寧々も同行してくれることになっている。
「……おっ、その必要はなさそうだよ。噂すれば何とやらだ」
詠美が手でひさしを作って、道路の先を眺める。空太も見やると、のんびりとした速度で、スクーターが走ってきていた。
それに乗っている人物がこちらの面々に気づいて、手を上げる。ヘルメットとゴーグルで顔の上半分が隠れているが、ジム会長の寺越光次郎だとわかった。
「寺越会長、おはようございます。先日も言いましたが、ここ、段差があるので気をつけてください……ダメですってば、いったん停まってください! あっ危ない!」
光次郎は減速しながらも停止せずに、左折してブルームーンジムの敷地へ進入を試みた。空太の制止は今朝も届かず、スクーターの前輪は歩道の段差に接触して、それ以上進めなくなってしまう。
暴れだした後輪に光次郎が慌てて、バランスをとるべく地面に足を下ろそうとした。しかし、無情にもスクーターは傾いでいき、投げ出された運転者は歩道を転がる。
「会長! 大丈夫ですか!」
空太は駆け寄った。ちなみに他の人達は、スクーターが不安定になった瞬間に、キックボクシング選手同士のクリンチを引き剥がして試合再開の合図をする審判のような俊敏さで、その場を離れている。
「あ痛たたた……こ、腰が……」
腰と臀部辺りを押さえて呻く光次郎。ライダースジャケットで厚着していたのが幸いしてか、軽傷で済んだようだ。
「だから言ったじゃないですか。ジムの前の車道と歩道の境目、鉄製の段差スロープが盗まれて無くなっているので、二輪車のタイヤで乗り越えようとするのは無謀ですって」
「だって……みんな見ているし、颯爽と駐車した方がハードボイルド感あっていいじゃん」
「スクーターなのでそこまでですし、こんなことばかりやっていると膝や股関節も更に悪化しますよ。いいんですか?」
「ぐむう……」
口ごもる会長を見て、空太は少し言いすぎてしまったかなと反省する。その間に譲二がスクーターを引き起こして、エンジンを切り、駐輪場まで押していった。
ブルームーンジムの会長である寺越光次郎は五十路を迎え、長年のプロレス活動で特に股関節にガタが来ている。プロレス外ではもっと体を大事にしてほしい、というのが空太の偽らざる思いだった。
光次郎会長は、空太が小さかったときに父に連れられて観戦して以来、ずっと憧れのプロレスラーである。そのため、中学校を卒業してすぐに、このジムの門を叩いたといっても過言ではない。
全盛期と比べるとさすがに身体能力や難度の高い技の衰えは否めず、直近の一年は試合のオファーもほとんど来ていないという。けれど、まだまだ第一線で活躍できるはずで、尾を引きかねない怪我には気をつけてもらわなければならなかった。
詠美が「寺越さん、おはようございます!」と満開の笑顔で挨拶している。それに相好を崩して、立ち上がる光次郎。
「よーし、全員いるな? では土手へ移動して、午前練のラントレーニングといこうか」
「美濃部さんがまだですけど」と呟きつつ、空太は譲二が戸締まりをするのを確認した。さあ、今日も過酷な練習が始まる。




