第一試合 7.寮部屋
リングス基地に常勤している軍人は隊舎に詰めているが、訓練兵は付属の寮で生活をすることになっている。
寮では班毎に五~六人用の部屋が割り振られ、間取りは共有スペースに寝室が三つくっついているという簡素なものだった。寝室は四畳半の広さで、二段ベッドが備え付けられている。
譲二は部屋のドアを開け、共有スペースを通って寝室に入る。カーテンの開いた窓から、傾いた日の光が射し込んでいた。
寝室を一緒に使っている大輝はまだ個別訓練から戻ってきていない。
外気とはまた違うむわっとした熱気に譲二は上着を脱ぎ、ベッドに放り投げた。敷き布団の上には他にも肌着や靴下が散乱している。
そろそろ洗濯に持っていかないとな、と思ったが、とりあえずシャワーを浴びることにする。寮の一角に簡易シャワールームがあるのだ。
隊舎の方には大浴場もあるのだが、訓練兵が利用できる曜日と時間帯はローテーション制で限られている。
シャワールームには石鹸とシャンプーが置かれているが、譲二は短髪なこともあって石鹸だけで間に合わせることが多い。リンスやコンディショナーという洒落たものはないため、譲二の髪の毛は常に硬質気味で、前髪がベリーショート気味に立っていた。
替えのTシャツとバスタオルを引っつかみ、譲二は寝室を出る。と、隣の寝室の引き戸がわずかに開いていて、敦の背中が見えていた。
机に向かって、何やら手を動かしている。座学のレポートを書いているのだろう、と譲二は思った。
数週間前から、敦は週末にこの島へ通ってくるようになった。今では、学校が夏休みに入ったからとかで、ずっとここに残って譲二達四期生と訓練生活を共にしている。
敦は不登校だった時期があり、学校の授業、特に体育の出席日数が足りないらしい。それで、体を動かす課外活動と社会奉仕をすることで出席及び単位の埋め合わせをすることになり、夏季休暇を利用してこの島へ来ている。
そして、四人しかいなかった譲二達F班に、彼が晴れて迎え入れられたというわけだ。
もうちょっと体力をつけて丈夫になってほしいという両親の意向でリングスの新兵訓練を選んだそうなのだが、エクササイズやフィットネス感覚で格闘訓練兵に帯同して同等のトレーニングを受けるというのは、いささかハードルが高すぎたのではと譲二は思っている。
それでも、最初は実技の何もかもについてこられなかった敦は、今では時々鼻声になりながらもなんとか人並みにはこなせるようになっていた。未だに、ヘルメットを被った姿は相変わらず似合わず、格闘の構えをとる様はもっと不釣り合いだったが。
譲二は彼が戦場で敵兵と戦うイメージがまったく湧かない。おそらく、これからも。
しばらくしたら、両親が迎えに来て敦は暖かな家へ、自分の本当の人生へと帰ることになっている。母の手料理、父に教えてもらう狩り、テレビゲーム、インターネット、同じ趣味の友達。
すぐに譲二達のことも日常に流されて忘れるに違いない。それがいい、と譲二は思っている。
敦のようなやつまでがわざわざ進んでリングに上がる必要はないのだ。果たし合いの真似事をするのは、自分らのようなあぶれ者の役目だ。
と、敦の着ているパーカーのフード部分の中に、丸めたティッシュやガムくず、砂が入っているのが見えた。
またか、と譲二は胸中で舌打ちする。午後の個別訓練になると時々、こうだ。
班でつるめる午前の間は問題ない。しかし、午後は各人の得手不得手に合わせて、班ではなく個々にグループが作られ、補習的な実技やトレーニングが組まれるカリキュラムになっている。
そこで譲二達は、敦と別行動になってしまうことが多いのだ。
敦は、一部の連中からちょっかいや嫌がらせの標的にされていた。
彼は他の訓練生とは何もかもが違う。志願してここへ来たわけではなく、全課程の履修義務もなく、夏休みが終わる前には平和な世界へと戻っていく。
戦場で背中を守ってくれるわけではない奴がなぜここにいる、と連中は気に入らないのだ。
敦は週に一回ぐらいの頻度で、両親宛ての手紙を書いている。よほど基地での生活をつらいと感じているのだろう、と譲二は思った。過酷な新兵訓練に、陰険ないじめ。ホームシックになるのも仕方がない。
譲二は、敦が独りでいるときに時折見せる、哀しげな光をたたえた眼差しが気になっていた。中性的な顔立ちと相まって、翳のある、儚げな印象を与える眼差しが……。
切り揃えられた前髪の奥にある、黒目がちの瞳は虚空を見て何を想っているのか。
敦にフードのことを教えてやろうと、譲二が引き戸を開けようとしたときだった。
「おい、敦。やられてっぞ」
敦と相部屋の幸進が、パーカーフードの中を覗き込んでいた。
「えっ、ホント?」と振り向こうとする敦だが、「動くな。取ってやるから」と幸進が制した。
幸進がフードを裏返して、紙くずや砂をゴミ箱に移す。その間、敦は時々、首を回しつつもされるがままだった。
「あーあ、ガムがこびりついてやがる。すぐに水洗いした方がいいかもしれないぜ」
「うん、わかった。ありがとう」
「まったく、あいつら。他にやることがないのかね」
大げさに肩をすくめて両手を開く幸進。遠回しに、気にするなと言っているのだ。それが伝わっているのかどうか、敦は愛想笑いのような微笑を返した。
「敦も、やられたらすぐに気づけよな。……ん、宿題か?」
敦の手元に気づく幸進。「そうだよ。これは外国語のリーディング」と敦がノートを見せる。
「その訳、間違ってんぞ。こんなのも知らないのかよ。いいか、こう書くんだよ……」
幸進は何だかんだ言いながらも敦の世話を焼いている。口はぶっきらぼうだが根は良いやつなのだ。正義感が強く、教練の態度も真面目で、譲二はどうして幸進がリーダーではないのか不思議なほどだった。
そんな幸進と敦を同室にした教官や事務官はわかっている、と譲二は思う。幸進がついていれば敦は脱落しないはずだ。
幸進や譲二だけでなく、大輝も健吾も、敦が少しでも楽しく基地生活を過ごしてくれたらと思っている。だって、この五人でF班なのだから。
二人のやりとりを見守っていた譲二は頬を緩め、その場を離れようとする。
「譲二。どうした? そんなところに突っ立ってて」
と、個別訓練が終わって帰ってきたらしい大輝が歩いてきた。帯でくるんだ空手着を肩につるして、片手をポケットに入れている。
譲二は「しーっ」と人差し指を唇に当て、戸の隙間を指し示した。大輝が不思議に思いながら、首を伸ばして覗き込む。
そして、大輝は譲二と目を合わせて、やはり表情を綻ばせたのだった。




