第一試合 3.潜伏生活
しかし、世間的には脱走兵の汚名を着せられているため、四ツ谷が最近まで塞ぎ込んでいたのは無理もない。やむをえなかったとはいえ、彼の人生を台無しにして流転させてしまった。
今度、もしも彼に会うようなことがあったらそのときは、詫びの一つぐらいは入れておいた方がいいだろう。譲二はそう念頭に置く。
鏡花が肩掛けバッグの中から、百円均一ショップで見かけそうな、小物入れ用と思われるジッパー付きクリアケースを出す。何かと思えば、メッシュ柄を透かして硬貨や紙幣が見えたので、その小ぶりなクリアケースを財布代わりにしているのだとわかった。
ジッパーを開けて、中に入っているお金の額を数える鏡花。それに譲二は声をかける。
「ここは俺が出すよ。なんなら追加で注文してもいいぞ」
「は? あんたに奢られる筋合いはないし。……あんただって、お金そんなに持ってないでしょ」
痛いところを突かれる。譲二も鏡花も脱走兵の身分で、お金があるはずもなかった。
練習の合間に日雇いのバイトをして、その日当から次の逃走費用やジム会費等の積み立て分を除外したのちに、余りを生活費に充てて、食いつないでいるのが実状だ。
譲二は穂尾の駐屯地で事務官から説明された給与制度の内容を思い出す。特殊格闘兵の大半は銀行など金融機関の口座を持っていなかったため、在任中は経理部でまとめて給料を管理し、任期が明けたら一部を手渡しして残りは新設の口座に振り込むという話だった。
軍隊からの脱走が判明した時点でそれらも凍結されたのだと思うと、口惜しい気持ちは勿論ある。しかし、よく考えてみれば特殊格闘兵、特にその中でも何も知らされずに強化措置を受けた兵士に任期明けなどありえず、最初から踏み倒されていたようなものだと諦めるしかない。
「鏡花は、今はシェアハウス系のアパートの一室に居候しているんだっけか?」
「ええ。居住者がワーキングウーマンらしくて、長期出張することになってその間、不在にする部屋の家賃や光熱費がもったいないからと格安で貸してくれたって」
詳しくは知らないけど、と続ける鏡花。潜伏先の決定等は邦彦ら解放軍が全部やってくれたため、元々の居住者とどういった関係性があって、どのような交渉がなされたのか譲二や鏡花側は知らないのだ。
「とはいえ、他の同居人はいるんだろ。その……シェアハウスで生活するのってどんな気分なんだ?」
「今更でしょ。正道館大学の穂尾キャンパスでも、兵舎で共同生活してたじゃない」
それもそうか、と譲二は思い至る。穂尾に駐屯するプライド軍の小隊に所属していたとき、下士官未満の兵士は兵舎で、男女に分かれた数人のグループで雑魚寝風にマットレスを敷いていたものだ。
更にいえば、新兵訓練時代のリングス基地でも、やはり班ごとに、男女別の寮部屋で集団生活をしていた。譲二はその前も孤児院で育ってきたため、他の子と複数名で寝食を共にするのが常で日常茶飯事だった。
シェアハウスでの生活も、根っこはそれらとそんなに変わらないのかもしれない。
「……まあ、個室がある分、プライベートが守られてより快適に過ごせてはいるわよ。今どきの子、っていうのかしら? はべたべたと詮索してこないし」
鏡花がそう付け足してくる。今どきの子というのには、成人前後の俺らも含まれるだろうに、と譲二は苦笑した。
「でも、服とか日用品も貸してくれるから、金欠の身としてはとても助かっているわね」
「いいやつらじゃないか、同居人」
沼井鏡花はエキゾチック系といえばよいのか、目鼻立ちがしっかりしている。迷彩服なんかより似合う洋服もたくさんありそうだ。
同居人達の手によって着せ替えショーがなされている彼女を思い描いてみる。なぜか、妄想の中での鏡花は疲れ果てた表情でうんざりしていた。
「お待たせしました。ご注文は以上でよかったですか?」
鏡花の注文分の皿が運ばれてくる。焼うどんを頼んだようで、青のりと紅しょうがの色合いがおいしそうだった。
店員が伝票をテーブルに置いて、厨房へと戻っていく。いただきますと手を合わせようとして、そこで、譲二はこちらをじっと見つめてくる鏡花の視線に気づく。
「何だよ。食おうぜ。一口欲しいんだったら分けてやるから」
そう言ってやったのだが、どうやら違ったらしい。彼女の眉間にしわが寄る。
「……あんたね。服装ぐらい褒めたらどうなの?」
「えっ?」
事ここに至ってようやく、譲二は鏡花の身なりをまじまじと見つめる。服装はノルディック柄が洒落ててもちろん似合っているのだが、よく見れば顔も薄っすらと化粧している。
(……あっ)
さっき言ってた、同居人が服とか日用品も貸してくれる、ってそういう意味かと譲二は気づく。これは何かしら褒めないとまずい。
成年を迎える子供達を祝う行事の日を数ヶ月後に控えた日々。毎日の何でもないことの積み重ねが、少年少女達の青春を彩っていく。小さなことも、大きなことも、それらの全てが、彼らにとっての世界。