第九試合 1.ローラー
事件というのは、ありふれた何でもない日に起きるものだ、とわかっていたはずだった。そう、梅雨期の合間に晴天が顔を覗かせていた、この日こそに。
しかし、繰り返される日々の中で一時もそれを忘れることなく、今日がその日かもしれないと毎日、神経を張り巡らせ続けるなんていったい、誰にできるというのだろうか。
晴れ間となったこの日、松浦譲二はまたもや、己の手からこぼれ落ちるものとの対峙を迫られることになる。
MMAのワンデイトーナメントに出場したからといってもそんなことは関係なく、本分は侵略軍から穂尾地域を専守防衛する軍人であることに変わりはない。
よって、一ヶ月弱の休養と待機業務を経て松浦譲二はF分隊へと復帰し、瀬々英里奈分隊長らと共に再び偵察任務に就いていた。
もっとも、今回の場所はUFC軍との接敵が見込まれている穂尾諸島ではない。内陸寄りの沿岸部、正道館大学よりも北の、疎開勧告が出されて無人地帯となっている郊外の住宅地を譲二達は歩いている。
正道館グランプリに出場した選手が所属する分隊は、穂尾諸島の監視任務当番が一時的に解かれることが事前に定められていたためだ。そうして、通常は一般兵らが担当している、周辺のゴーストタウンのローラー捜査に回されているのだった。
当然、ヴァレリア・シウバとマリナ・ルアらのG分隊と、仁村智也が所属するC分隊も一緒である。ローラー捜査なのだからそうだといえばそうなのだが、ちょっとした大所帯だ。
ちなみに、C分隊の一員はあの四ツ谷勉三だった。サインしてきた紙を譲二が破り捨てて以来なので、とても気まずい。
(あと、準決勝戦でバチバチにやり合ったのが尾を引いているのか、智也とマリナの間も何となく微妙なんだよなぁ……)
譲二は場の空気に耐えかねて、前を歩いていたヴァレリアに話しかける。
「よう、ヴァレリア。試合では狡すっからいことばかりして悪かったな」
「ん……? ああ。いや、勝負だから気にすんなし」
サイドポニーを揺らして振り向いた少女は、意に介してないふうにそんなことを言った。てっきり悪態をつかれるものと思っていた譲二は肩透かしをくらう。
「そ、そうか。それならいいんだが……。マリナのやつ、後頭部のダメージは問題なかったか?」
「大丈夫大丈夫。試合の後の精密検査で異常ナシだったよ。だからこうしてマリナも任務に参加しているんだし」
ヴァレリアとの会話の中に名前が出てきたからか、マリナがちらっとこちらを見てくるのが譲二にはわかった。
「むしろ、あたし達よりもあんたの方が重傷だったんじゃん。おかしいよね、キャハハハッ!」
あいにく、そのからかいには笑えなかった。G分隊の強化兵コンビの異能が強力だったことの証左に、譲二の腕は筋肉が挫滅して数日もの間、腫れ上がり、肋骨にも数本ヒビが入っていたのだ。
「まあ、お大事にね。次はそんなんじゃ済まさないから~。キャハッ」
「もっと、容赦なく踏み潰す……」
(どこを!?)
ヴァレリアの屈託のないリベンジ宣言とマリナの不穏極まりない呟きに、譲二は思わず距離をとりたくなってしまう。再度まみえるようなことになるのはもうごめんだった。
「……渚っ。こいつらそんなに悪いヤツじゃないのかもっ!」
やりとりを聞いていた千賀雅紀が首を回し、彼女らにわからないように日鶴語で、そんなことを言い放つ。なわけないだろ、と譲二は心の中でつっこんだ。
「いやないから。格闘技あるあるギャップだからそれ」
有働渚の代わりに沼井鏡花がばっさり否定する。オラオラ系や悪童タイプの選手が試合後に相手をリスペクトする言動をしたら「こいつ実はいいやつかも」ってなってしまう、あの現象と一緒だ。
「もう少しで開始地点に着くわ。私語はほどほどにしなさい」
後ろから英里奈のたしなめる声。
「了解です、隊長」と返事しながら、町並みを見渡す。
主のいなくなった一戸建ての家。土が乾ききって雑草も伸びっぱなしの畑。錆びかけの遊具が寂しそうな小さい公園。商店のシャッターが下りていて閑散とした通り。
略奪などの目的で不埒者が不法侵入していないか、それらを一軒一軒確認して、不審者がいれば捕えて拘束するというのが、このゴーストタウン・ローラー作業の内容だ。有り体にいえば、警察のパトロールに近い役回りとなる。
ただの犯罪者ならまだいいのだが、反国家活動者つまりスパイや、上陸監視の網の目をすり抜けた侵略軍の兵士が潜伏していたらとてもまずいことになりかねない。なので、後方とはいえ重要な任務の一つだ。
とはいえ、穂尾諸島への斥候任務と比べれば危険度は格段に下がるため、空気がどこか緩い感じになってしまうのもむべなるかな、ではあった。
「よし、ここら辺でいいだろう。おまえら、止まれ」
C分隊隊長の藤間和貫が号令をかけた。がらんどうとなった築年数の古そうな鉄骨造アパート、その塀の陰に面々が集合する。
「周囲を警戒しながら、そのまま聞いてくれ。これより、この区画のローラーを開始する」
地図を広げて各分隊に割り振った小区画を指し示し、実際の方角も確認しながら、ブリーフィングを仕切る藤間。負傷が癒えて数日前から現場へ戻っているという近郷巽己も、G分隊の隊長として、隣で聞き入っている。
事前確認が終わって散開、という段で譲二は英里奈に肩を叩かれた。次いで、吊り下げていた小銃を指差される。
「万が一のことだけど、もし不審者がいて抵抗してきたとしても発砲は極力、避けること。いいわね? できる限り、素手で無力化してちょうだい」
「はい、わかっています」
民間人への発砲は、理由がどうあれ、世間体が悪くなる。また、流れ弾で人様の家財を損壊でもさせてしまったら、弁償が発生して、経理部から苦言を呈されてしまう。
よっぽどの事態なら別だが、せっかく特殊格闘兵が数人いるのだ。彼らに素手での制圧を任せれば滅多なことは起きないだろう、というのは譲二も同感であった。
「では、さっさと始めよう。くれぐれも気を引き締めてな」
藤間の合図で、ローラー作業が開始された。分隊毎に分かれて、手前の家屋から一つずつ確認していく。
敷地に足跡などの痕跡がないか目視をし、建物はコンクリートマイクで物音の有無を拾う。施錠されてなかったら中にも立ち入って、人が潜んでいた形跡があるかどうかを見て回る。
異常なければ、次の一軒へ移動。昔ながらの家屋で、縁側があった。縁側から居間を覗き込んでみるが、人影などはなし。
「ふう。……まったく、誰もこんなところになんて来やしないわよ」
鏡花が息をついた。やはり、彼女もどこか気が抜けている。
それも仕方のないことかもしれない。この数ヶ月間、このローラー作戦に不埒者が引っかかったという報告は一つも上がっていないのだ。
都市部からここ郊外住宅地につながる舗装路は残らず封鎖され、主要道路には検問所が設置されていて、軍や政府関係の車両しか通行できないようになっている。仮に封鎖地点から徒歩で来ようとしても、山間の起伏に阻まれて、数日はかかる距離だ。
「まあ、住民に一時立ち退きをお願いしている立場上、不在となった住宅の警備を担うのは筋だからね。手は抜けないよ」
渚の言うとおりだった。疎開してもらった住民の不満や残していった家財への不安を和らげるため、こういったことを定期的にしているというのが理由の一つでもある。
今度の家屋には納屋があった。戸を引いて開け、ライトで照らす。
干からびた農作物や、埃を被った農耕道具が並べられている。ネズミぐらいはいるかもしれないが、人が隠れられそうなところはない。
「この調子なら、日が暮れるまでには余裕で終わるかなっ」
頭の後ろで手を組んで、軽口をたたく雅紀。
譲二は空を見上げた。今の時刻は昼過ぎ。太陽は真上を通りすぎて、薄雲の向こうで少しけぶっている。
「そうね。日が落ちて暗くなったら、電気も通ってないし、捜索は困難になってしまうわ。その前に切り上げたいわね。さあ、次に行ってちょうだい」
英里奈が移動を促す。表情は柔らかなれど、時々、周囲をルックアップするなど警戒を怠っていない。
並んでいた宅地からやや離れたところにある、店舗型の家屋を確認する。金属が擦れる不快な音を聞きながらシャッターを開けて、内部に入った。
「……ちょっと臭うわね」
鏡花が鼻を押さえて、後ずさる。譲二はわずかに鼓動を早めた。
「……お弁当屋さん。兼、仕出し店のようね」
手で口元を覆いながら、地図を確認する英里奈。それで、場の緊張感は風船がしぼむみたいに霧散した。
なるほど、よく見ればレジカウンターとガラスのショーケースがあり、プラスチックのトレイが散乱している。奥には、調理場へと通じているのだと思われるドアがあった。
臭いの原因は食材の腐臭だろう、と譲二は見当がつく。ローラーの当番が生ごみとなりうるものを見かけたら収集しているはずだが、それでも器具や容器にこびりついた臭いが残っているらしい。
「そういえば、トーナメントのときに支給された弁当、なんというか質素だったよなっ」
雅紀がそんなことを言い、そうだっけ、と譲二は思い出そうとする。幕の内弁当的な梅干しが乗った白米と、種類が少ない具材の詰め合わせの記憶がおぼろげに浮かぶ。
試合前は緊張がやばかったし、試合の後もダメージが深くてすぐに兵舎直帰となったので、結局、その弁当には手をつけてないのだ。
五つ目の建物は、二階建ての和風アパートだった。何とか荘という名前がついてそうな風情がある。
「穂尾キャンパスの学生とかが下宿していたのかな」
階段を上りながら渚が言った。それに鏡花が応じる。
「さあ。いずれにしても、大学なんて私達には縁遠い話よね」
「オレ、この戦争が終わったら、バイトをして金を溜めて通信大学を受験しようかと考えているんだ……。バカだけど資格勉強をして、介護施設などで働くのも悪くないかもと思ってなっ」
雅紀が死亡フラグを立ててしまうようなことを言って、冗談だと三人で笑い合う。譲二はとても一緒になって笑えなかった。
英里奈もわずかに視線をさまよわせたのち、あくまでも自然に目を逸らしている。なんとか鉄の女の面目躍如といったところか。
特殊格闘兵に未来はない。捨て駒のように最前線で酷使され、副作用による自壊や廃人のリスクもあり、生存率は極めて低いとされている。
よしんば無事に戦争終結を迎えられたとしても、帰る家はなく、待っている家族もいない。それどころか、機密保持のために廃棄処分される可能性が高い。
彼らはそれを知らされてない。子供達は何も知らずに、大人の命を受けて前線へ行き、国のために殉死していくのだ。死人に口なし。墓標も花もなし。




