第八試合 12.人間の可能性
末石留依は白衣のポケットに両の手を突っ込んだまま、首を傾けていた。後ろで一本に結んでいる髪の毛先が肩にかかる。
眼鏡のレンズを通して、リングの上を見やる。G分隊の隊長である近郷巽己が、体育座りで落ち込んでいるマリナの肩に手を置いて、「よくがんばったな。連戦、キツかったろうに偉いぞ」と労っていた。
近郷は一ヶ月ほど前の斥候で負傷をしている身だ。そのときの銃創はまだ完全には塞がってなく、安静にしてなければいけないのだが、部下達の試合を見に来ていたようだ。
律儀というべきか。だからこそ、ヴァレリアとマリナに少なからず懐かれているのかもしれない、と留依はぼんやり考える。
傍らには、目元に泣き腫らした跡が残っているヴァレリアもいた。いつもの活発さをなくしてしょげているものの、妹分を慰めている。
留依は疑問に思っていた。なぜ、彼女達が負けてしまうようなことがあるのだろう。
ヴァレリアとマリナは、この駐屯基地の中でも一、二を争う戦闘力を有している強化兵だ。闘争本能に優れ、残忍で加減を知らず、異能も凶悪な部類、と出来がいい。
しかし、結果として、超人改造されてない素の格闘兵に後れをとってしまった。油断や不覚、という程度では覆せない実力差が横たわっていたはずなのに。
(解せないなぁ……)
留依は口をとがらせる。直情的だったり精神面の未熟さがあったのかもしれないが、そんなに決闘に影響するものなのだろうか。
「何やら納得いかない顔をしているな、末石よ」
声をかけられて、首を向ける。長身痩躯が横に並び立った。
白髪の混じった長髪に、勇ましそうな目元や顎の輪郭。朽方曜一郎だった。
「朽方曹長……。何の用ですか」
素っ気なくそう返す。そんなに接点があるわけではなく、心安く会話をするほどの関係でもない。
留依は何となく彼が苦手だった。性格の不一致というやつとは違う。
合気道という魔術の類としか言いようのない武技を操って、イノキ・ゲノム・ウィルスに頼らずとも、戦場にその名を轟かせているレジェンド。理屈や法則を超越するその強さが、科学や理論といったフィールドで研究をしている人種には到底理解できず、得体のしれないものとして映るのだ。
よって、留依がこの伝説級の男を避けようとするのは無理からぬことであった。曜一郎の方がどう思っているかは知らないが、仕事上のつきあいという程度だろう。
「首を傾げている後ろ姿が見えたものでな。この結果が腑に落ちないかね?」
「……うーん。まあ、そうですね……」
すっとぼけようとして、けれども思い至り、留依は話に乗ることにする。ただの格闘兵でありながら魔改造兵と互角以上に渡り合っているこの男なら、先の疑問に対する答えを持っているのかもしれない。
「レベル3の強化兵はおよそ百人力、といわれているのはご存知かと思います。そんなチート兵と正対して二連勝を収めるというのは、現実的には不可能です。なのに、あの少年はどうして……」
「そうだなぁ……」と曜一郎は腕を組む
答えの半分はわかっている。いかなチート兵といえども、耐久性に特化した異能でもない限り、急所の装甲は人並みとそう変わらないのだ。そこを狙われたというだけの話。
知りたいのは、松浦譲二とかいう、持たざる少年がそれを遂行してみせた理由だった。超人改造兵のパワーを凌駕する何か、そんなものがありえるというのか。
「あれだな。人間の可能性、というやつだ」
「人間の……可能性……?」
留依は隣の横顔を見つめながら、思わず反芻する。期待に反して、スピリチュアル的なものが返ってきた。
何だそれは。意味はわかる。しかし、
「それを言ったら、強化兵側も同条件になりますけど。同じ人間だし」
「ちょっと違うぞ。ボンバイエ・モードというのはある日に突然、外から付与される歪みの力だ。そういった、修行や鍛練の積み重ねが存在しないものは得てして、たやすく瓦解する砂上の楼閣でしかない」
IGウィルスは力というより、増幅装置に近い。無から身体能力や異能を生み出すわけではない。そのアスリートが培ってきた筋力や瞬発力、持久性などを高次元にブーストするものだ。
門外漢に説明しても詮無いことなので、留依は訂正するつもりはない。が、人工ウィルスによって得た力はたやすく崩れ落ちる、という言い分には同意できなかった。
「それは精神論でしょう。お言葉ですが、類人猿にホモ・サピエンスが超えられますか。素人の喧嘩自慢が格闘技団体ランカーに正面きって勝てますか。強化兵にとって、ただの格闘兵は路上の喧嘩自慢以下なんですよ」
「格闘家として反論しづらい例えを出すのはやめろ。まったく……」
困ったように渋面を作る曜一郎。それを見て留依は幾らか留飲を下げる。
目の前のこの男のように、特殊でない格闘兵の中には強者も稀にいることを否定するつもりはない。しかし、チート兵の圧倒的なパワーの前では徒人の格闘技など児戯に等しい、というのが偽らざる感想だ。
「精神論だというのは否定できないがね。これまでに何体かと手を合わせてきた感想にすぎないからな。まあ、力量差に関しては専門家であるおまえの言うとおりなんだろう」
とはいえ、ヴァレリアとマリナが敗北した事実は動かしようがない。据わりが悪い感覚。
留依は知らずに親指の爪を噛んでいた。科学者の悪癖で、あるはずの答えが出ないものに対して、解を追究したくなってしまう。
「……もし、発症や寿命等のリスクなくイノキ・ゲノム・ウィルスを体内で活性化させられるとしたら、投与を志願しますか?」
「いいや、受けないね」
即答だった。留依は意外に思う。
「どうしてですか?」
純粋に最強を目指すなら、どんな手を使ってでもいいのではないか? 生存の確率を引き上げたいというのは生物の防衛本能のはず。
「さっきも言ったように、ボンバイエ・モードなんて所詮、仮初めの力だ。そんなものに価値はない。自分が日々、積み重ねてきた鍛練や費やしてきた努力の結晶にこそ、真の強さは宿る」
本当に価値があるのは、外から与えられたお仕着せのものではなく、己の中で創り上げて血肉となった純然たるものなのだと、合気道の下士官は胸を張る。
「人は改造なんかされなくても強くなれる。信念さえあれば人間に不可能はない。今しがた、あの少年が証明したとおりだ」
曜一郎が手を動かして指し示す。リング上の少年少女達は頭上のライトに照らされて、やけに眩しく見えていた。
あたかも、望んだ未来が実現すると信じて疑わない十代の輝きが可視化されているかのように。留依は、何か大切なことを思い出しそうな幻覚に襲われていた。
「……朽方曹長はロマンチストなんですか」
「おい、せっかくかっこいいことを言ったつもりなのに茶化すな。……格闘家なんて、大半が夢想家だろう」
研究者は、自分とはあまりにも違う世界で生きている特殊格闘兵達を眺める。帰る家がなく、明日をもしれない少年少女達。
だとしても、彼らは今日を懸命に生き、大義のために前線に立っている。それは現実主義とロマンチズムのどちらといえるのか。
高場防衛相がリングに上がって、優勝者の両肩をつかみ、「おまえ、男だ!」とほっぺを引っぱたいたところだった。「俺、ビンタされキャラとして定着している!?」という譲二の悲鳴。
「……人間の可能性。人間の底力、か……」
留依は自嘲する。人間賛歌に傾倒する気なんてない。今更、そんな資格があるはずもない。が……
もし、仮に兵力では劣勢でも、IGウィルスに頼らずともこの国を守れる武力が確かにあるのだとしたら。
……自分のしてきたことは何だったのか、ということになる。いたずらに、若い命を桜の花びらのように散らせて。
「いやはや……。自分のしていることが突然、薄汚くなった気分だよ……」
ポケットから手を出して、見下ろす。何も汚れてはいなかったが、血の匂いがべっとりとついているような気がしていた。
いずれにせよ、自分は間違いなく地獄行きだな、と留依はやはり無感情でそう思う。




