第八試合 11.大技
聞こえていた。譲二は体が勝手に動くのを感じていた。
すばやく腕と掌底でマリナの下腹部に当身をくらわせ、同時に、合気道の要領で、片足立ちとなっている軸足を手で引っかけるようにして払う。
フットスタンプの初動に入っていたことも裏目に出て、耐え切れずに、後方へと倒れていく踏みつけくノ一。その腕が泳いだ。
マリナは思わずロープに手を伸ばしかけ、だが躊躇した。試合前のレフェリーチェックで「今度ロープをつかんだら、即レッドカード」と厳重注意されていたのを思い出したのだろう、と譲二は推測する。
先の両足踏みつけ後にロープをつかんでしまい、綿田レフェリーにその手をはたかれたというのもあるかもしれない。どちらにせよ、彼女もロープづかみができないことは計算の内だ。
ふいに、新兵訓練時代の、リングス基地で行われた歩兵演習の模擬戦での強化兵との白兵戦がよぎる。とても高くついたが、あの勉強代を絶対に無駄にはしない。
(あのときと違ってここは林の中じゃない。リングの上だ。れっきとしたルールがあるんだよ。あのクソピアス跡女にはしてやられたけどなぁ……、ここでは何かをつかむなんてことはさせねえよ!)
今度こそ回避あたわず、テイクダウンに成功する。
お団子ヘアのこめかみに鉄槌を打ち落としたが、その腕を絡め取られていることに譲二は気づいた。下からの腕ひしぎ十字固めか!
「ヴァレリア姉と同じ目にあわせてやる……!」
マリナはそう吐き捨てて、腕を引っぱってくる。譲二は伸ばされまいと、自分の右手と左手でシェイクハンドするようにクラッチを作った。
しかし、首や肩に足をかけられ、剛力で押しやられて仰け反らされてしまう。このままでは逆にこちらが倒されかねないため、譲二は中腰の姿勢で立つ。
両手を腕ひしぎ固め封じに使っているためにがら空きになった顔面や頭部に、下からの蹴り上げや踵落としが乱れ打ちされる。だが、ヴァレリア戦でも痛めつけられて、首から上の痛覚はとうに麻痺していた。
鼻血や瞼の裂傷からの血などがぼたぼたとマリナの腹に落ちる。それでも、命綱の手は放さなかった。
マリナがなぜそこまで、という表情を浮かべる。
おまえらにはわからないだろうな、と譲二は胸中で答えた。取り返しのつかない過去の中で誓ったことなんだよ、と。
渚と雅紀、軽蔑しているはずの鏡花までもが、こんなはみ出し者のためにセコンドについて、声をからして助言をしてくれた。失われたと思っていたものが、支えてくれている。資格がないことに変わりはないけれど……応えたいという気持ちも湧き上がるんだ。
そして、朽方流合気道を使わせていただいているからには、それにも泥を塗るわけにはいかない。師匠はとても強くて、習う動機が不純な弟子にも優しく、かっこよくて尊敬できる大人で、自分もああなりたいと思ったから……。
蹴り上げを額で受けつつ、その合気道の中から腕ひしぎの返し技を探し出そうとしたとき。譲二の脳裏に、曜一郎の言葉がよみがえった。
『おまえにはこんな老兵の真似事など似合わんよ。おまえらしく戦え』
はっとして、譲二は見下ろす。マリナがこちらの手首をしっかりホールドしているのが見えた。
(師匠。……そうかもしれませんね。やはり、俺にはこっちが合っているみたいです)
譲二はひとりごちて、ニヤリと笑む。彼女が訝るのがわかった。
「顎を引いて、歯を食いしばってろ。行、くぜ」
気合いを入れて、腕十字をかけられている腕を持ち上げる。体が浮き、驚愕に顔色を染めるマリナ。
「う、おお、おおお」
大技の予感に観客がざわつくのが聞こえる。とくとご覧あれ、踏みつけやサッカーボールキックにも劣らないフェイバリットのお出ましだ。
譲二はもはや完全に立ち上がっていた。両腕を天高く突き上げるような姿勢で。
天井に設置されている照明からのまばゆい光が目に入り、一瞬、世界が白く染まる。
ああ……、渚の言っていた勝利の女神様とやらは、こんな光の中にいるのかもしれないな。譲二はふと、そんなことを思った。
逆向きに肩車しているような体位で持ち上げられたマリナは、通常ならばリング上では経験しえない高度に、パニックになっていた。手を離そうとするが、させまいとつかみ返す。
後方にふらつきかけるが、譲二はなんとか持ち直した。そして、振り子の反動のように前傾していく上体に勢いをつけて、両腕と共にマリナを振り下ろす。
「俺、は! もう二度と、おまえらには負けないと、誓ったんだぁあああーーーーー!」
「な、にぃィィ~~~!」
流星群のように、照明の光が後方に向かって流れていくのがかいま見えた。
落下の運動エネルギーに速度と二人分の体重を乗せて、マリナを背中からマットに叩きつける! パワーボムやスラムとも呼ばれる、〈バスター〉だ。
「ぐは、あっ……!」
身体を折り畳まれて潰されるくノ一。プロレス系バトルものの少年漫画で極め落とし型のフィニッシュホールドが決まったときのオノマトペを彷彿させる、衝撃音が譲二の体に伝播していた。
追撃をするんだ。なぜか酩酊する頭で譲二はそう考えて、手を放し、オーバーハンド気味に腕を振りかぶる。
肘(というか前腕部)を落とすつもりだった。けれど、それはできなかった。なぜなら――
譲二は横合いから誰かにしがみつかれていた。埒外の攻撃に反応できずもろにくらって、その大きな体に押し潰される。
混乱する思考の中で、押し倒してきたのは綿田レフェリーだと認識する。ということは。
マリナを見る。彼女は失神していた。
バスターの衝撃で? と譲二は思いつつ、鈍い痛みに我慢できず、己の額に手をやる。血が出ていた。
合点がいく。バスターの際に、事故のような形で頭突きをかましてしまったのだと。それで、マリナはこちらの頭突きとキャンバスマットに頭をサンドイッチされてしまったわけか。
不可抗力とはいえ頭突きは反則に違いなく、結果として後頭部の強打という危険極まりない攻撃になってしまった。申し訳ないことをした、と譲二は心の中で詫びる。
後ろめたいがしかし、バレないためにこの後だけは堂々と振る舞う必要があった。コーナーポストにでも登って勝者のアピールをしておこうかと考えて、立ち上がろうとする。
途端に、歓声が爆発した。予期しなかった譲二は「うおっ」と驚く。
「何なんだ、おまえは~~!?」「戦い方はどうあれ、よくやった!」「まさか、ヴァレリアとマリナを二タテするとは……!」「日鶴ゥ万歳!」「根性、見せてもらったぞォーーー!」
会場を模した体育館は興奮のるつぼと化している。ぱちぱちと拍手も広がっていた。
一試合目はブーイングしていたくせに手のひらを返しやがって、現金なやつらだと口の端をつり上げる。
「譲二~~~っ! マジか、この野郎っ。本当にやりやがった……!」
リングに上がった雅紀が、興奮冷めやらぬままに、背中を押してきた。譲二はまた倒れそうになる。
文句を言おうとして振り向いたら、今度は鏡花が抱きついてきた。汗まみれな上に血も垂れてきているのでやめた方が、と制するが離れてくれない。
「……鏡花。こんな俺に発破をかけてくれて、ありがとう」
胸の中で鏡花はぶんぶんとかぶりを振った。植物のつるのような曲線美をたたえていた髪の毛に汗が移ろい、少し湿ってしまう。
やっと鏡花を引き剥がした譲二は、次に智也と、胸の高さで手を打ちつけるように握手する。わずかに恥じるような笑みを見せた彼は、「……いつか必ず、おまえと」とだけ呟く。
譲二は、少し離れたところで渚が立ち止まっていることに気がついた。
「渚っ、おまえも来いよ。優勝だぜっ。オレらのチームの大勝利だ!」
はしゃぐ雅紀の軽口にも渚は動かず、手で顔を覆う。そのただならぬ様子に、譲二は「……渚?」と呼びかける。
「ど、どうしたの、渚? 具合でも悪いの?」
鏡花が心配して駆け寄る。渚は「ははっ……」と空笑いして、すぐに口を一文字に結ぶ。
「……違うよ……。感動してるんだって……」
覆った手の隙間から見える眉間はぎゅっと寄せられて、閉じられている目の睫毛は汗以外の何かで濡れていた。つられてか、鏡花も再び泣き始める。
譲二はそんな渚の首に手を回した。肩を組む。まるで旧友のように――




