第八試合 10.セコンド
セコンドの渚は、タオルを投げるオーバースロー動作の途中で固まっていた。
決勝戦の前に、英里奈隊長が密かに言付けてきた言葉を思い出す。『もう勝ち目はないと思ったら、松浦くんが深刻なダメージをこうむる前に、タオルを投げなさい』
そう言った分隊長の表情から感情は読み取れなかった。先の試合での激勝も、彼女の鉄の心を溶かすまでには至らなかったのかもしれない。
渚はそのとおりにタオルを投げようとしたのだが……。布地を握り締めた手のひらに爪が痛いほどくい込む。
歯を食いしばりすぎて顎の奥が痺れているが、それ以上に、眼前の光景に胸を貫かれていた。
致命的なアッパーカットとハイキックをくらってなお、――譲二は倒れていなかった。
上体が波打って一歩、後退したが、それだけだった。腫れ上がった目蓋の下で光は消えておらず、意識もしっかりしていて、変わらず愚直に敵手を見据えている。
投擲しかけていた腕と手を震わせる渚の隣で、同じくセコンドの鏡花が両手で口元を覆って涙ぐんでいた。
明らかに止めに入ろうとしていた綿田レフェリーはその戦士の如き眼光に圧倒され、己の職務も忘れて、動きを停止していた。スキンヘッドを汗が一筋、伝っている。
マリナはハイキックを打ち終わった姿勢のまま、呆気にとられていた。なぜ今ので倒れないんだ、こいつは不沈艦かと信じられないものを見るかのように戸惑っている。
(彼はこの一撃を知っている……!)
渚は確信していた。譲二が強化兵や魔改造兵から必殺の一撃をくらうのは、これが初めてではないことを。過去にもあったのだと。
この駐屯基地に配属されてからではない。それ以前のどこかで、彼はチート兵と一戦を交えたことがあるのだ。
だから、耐えられる。彼にとっては既知の一撃でしかないのだから――!
憤慨と焦燥が相半ばするような形相でマリナが再度、進撃する。ガードの上から殴りに殴られて、譲二の上半身がピンポン球のように左右に弾かれる。
これ以上はさすがに無理か、と綿田がストップの準備をする。そのときだった。
足をふらつかせながらも、譲二は来い来いと手招きするように両手を動かしていた。それを挑発と認め、頭に血を上らせるマリナ。
(譲二! おまえってやつは!)
渚はタオルを握っていた手と腕を下ろした。そして、声のあらん限りに叫ぶ。
「譲二! よく見ろ! 相手は大振りになっているぞ!」
それが聞こえたのか聞こえてないのか、譲二は手を出す。襲いかかるフックパンチに先んじての、コンパクトなワンツー。
力のこもってないジャブとストレートがマリナの顔面をすばやく、正確に突き刺す。一瞬、効いたふうなそぶりを見せるマリナ。
「この……っ!」
返す刃でフックを振るおうとするマリナに、譲二の低空タックルが炸裂していた。打ち合いに応じると見せかけての、完璧なタイミングで。
しかし、マリナは倒されず、ロープにもたれるようにして踏ん張る。既に満身創痍の譲二はほぼ四つん這いで、どうにか彼女の片足をつかんでいた。
渚は背筋が冷える感覚に襲われた。絶好の踏みつけポジション。その予想のとおりに、踏みつけくノ一はロープによりかかりながら、つかまれてない方の足を上げる。
急いで譲二に知らせるべく、口を開きかけた矢先。別の大声が割り込んだ。
「恐れるんじゃないッ、この臆病者! 踏みつけの瞬間、マリナはどうしても片足で立たざるをえないのよ! ピンチはチャンスなんだから!」
鏡花が吼えていた。




