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第八試合 9.踏みつけくノ一

「青コーナー、“踏みつけくノ一”、マリナ・ルゥアァッ!」


 そのコールに、ウォームアップの足踏みをしていたマリナは両拳を天に突き上げる。髪が頭のてっぺんで一つにまとめられてお団子ヘアになっていた。


 彼女の所作を盗み見て余力を推し計り、譲二は溜め息をつく。突き上げた際に露わとなった脇にそこはかとないエロさを感じる余裕もない。


「赤コーナー、“朽方道場の若鷹”、松浦譲二ィッ!」


 呼ばれて、ぞんざいに右腕を上げる。まだ腕に乳酸が溜まっている感じがして、持ち上げるのが少ししんどい。


 コール役の高場伸久防衛大臣が、今日の仕事はあらかた終わったとでもいうように満足気な表情で、ロープを跨いでリングから降りていた。


 譲二はリングの中央へと歩く。決勝戦のレフェリーも綿田豊寛だった。


 綿田が、マリナにちょっと待つようにとハンドサインをしてから、譲二に向き直る。


「ヘイ、ユー。もうロープをつかんだらダメだよ! 今度ロープづかみしたら即レッドカードだからね! わかった!? オーケー?」


 スキンヘッドの巨漢の圧に譲二は頷くしかない。


 厳しく注意されることは想定していた。この試合ではロープワークは使えない、と念頭に置く。


「ステイユアコーナー!」と促されて、自身のコーナーへと下がる。


 ゴングの金属音が耳朶じだを打ち、綿田の「ファイッ!」という掛け声が鼓膜を震わせる。MMA披露演習のワンデイトーナメント最終試合、正道館GPの決勝戦が始まった。


 マリナはすばやく前進して、しかしブレーキをかけ、慎重に間合いを測る。ヴァレリアのように一気呵成いっきかせいといくわけではなく、冷静沈着。


(油断はしてくれないか。慢心も取り払われたようで、やりにくいな……)


 譲二は、トーナメントへの出場選手の中でヴァレリア・シウバが一番、怖かった。なんたって彼女は、この基地に所属する特殊格闘兵らの絶対王者だからだ。


 だが、マリナ・ルアに対してもまた、同じくらいかそれ以上に恐ろしく思っている。もしかしたら、この妹分はヴァレリアを凌ぐ実力を持っているのではないか、と。


 姉貴分を立てるために一歩引いているだけで、実は、基地最強はマリナなのではないか。そんな疑念を振り払えずにいたが、今日ようやく、その真偽がわかる。


 マリナが左足でローキックを蹴ってきた。一試合目のダメージが残っている影響で後ろに下がるのが遅れた譲二は、腿を上げてガードする。


 衝撃と鈍痛に歯を噛みしめる。マリナの蹴り足が接地する前に、軸足の方が跳んでいた。


「……え? あっ」


 彼女のやろうとしていることに気づき、譲二は慌てて腕でブロックを作る。間髪入れずに、宙を舞いながらのハイキックが、ガード越しに左側頭部でぜた。


 ――二段蹴り! 先に蹴った足を下ろす際の引く力を反動に利用し、逆の足で蹴りを放つ技だ。


 手練れが使えば、交互ではなくほぼ同時に、下段蹴りと上段蹴りが出てくるという。マリナはそこまでではなかったが、虚をつかれるには充分だった。


「が、はっ……!」


 譲二はぐらつく。が、無理なモーションで蹴ったマリナも着地後に、体が流れていた。


 大技の後には、隙ができる。


 この期に及んでも疲労感が拭い切れない四肢にむちを打って、譲二はそのがら空きの腰にタックルを見舞った。しかし、即座に立て直したマリナに受け止められる。


(くっ……、やはり重い……! ならば……!)


 踏ん張られている方向とは逆の方へ横投げを敢行する。中途半端な投げになってしまい、相撲でいう同体に近い形で二人ともマットに倒れ込んだ。


 マリナは片手をついてうつ伏せに倒れていたが、彼女の腰をクラッチしていた譲二は受け身が取れずにマットで頭を打ってしまう。


 頭が朦朧もうろうとする中でなんとか起き上がろうとした瞬間、眼前にサッカーボールキックが迫っていた。両腕を上げてクロスガードで受けるも、吹っ飛ばされる。


 マットに背中を叩きつけられて、その衝撃で息が吸えなくなる。体内の酸素の循環が一時的に止まり、身体もすぐには動かせなくなってしまう。


「潰されて死ね」


 見上げると、底冷えするような形相でマリナが右足を上げていた。譲二は肌があわ立つのを感じる。


 恐怖の踏みつけ、発動。全身の筋肉を総動員して、寝返りを打つようにかわす。


 凄まじい打音と地響きと共に、さっきまで譲二が寝転がっていた位置のキャンバスマットが一瞬、陥没かんぼつした。それに言葉を失いながらも、立ち上がる。


(マジかよ……! ヴァレリアの膝もそうだったが、揃いも揃って、人間技じゃねえ……!)


 譲二は、医務室の中継テレビで見ていた準決勝戦の第二試合、マリナ対智也の潰し合いを思い出す。


 智也はよくやっていた。序盤は押していたのだ。スタンドで優位に立ち、マリナの組みつきを防いで、試合の流れを掌握していたといっていい。


 しかし、顔面へのフットスタンプ一発に沈んでしまった。意識を飛ばされてしまい、追撃の踏みつけをしようとするマリナをレフェリーが制止したのだ。


(……そのせいで、智也との日鶴人対決はパァ。談合を持ちかけておいて抜け駆けする計画もご破算だ)


 譲二はマリナのパンチぶん回しをクリンチでしのいだ。互いに両手を差し合って、四つに組む。


 マリナ・ルアの異能は、踏みつけに関連するもので間違いない。


 踏みつけというのは審判に止められやすいフェイバリットの一つではあるが、彼女のそれは現に相手を続行不可能にしている。通常のものよりも被害が甚大なのだ。


 種は、腿や臀部でんぶの筋肉量増加による速度及び威力の向上と、体幹の強さといったところか。


 いずれにせよ、寝かされて踏みつけをくらったら、即座に勝負ありとなってしまう。それは何としてでも回避しなければならない。


 四つ組みの体勢から、マリナが腰を引いて、ボディへの膝蹴りを突き上げてきた。譲二も同じく膝を突き刺すが、更に返されて肋骨の激痛に呻く。


 ヴァレリアの妹分だけあって、膝蹴りも非凡。その上、オープンな打撃が主体だった膝小娘とは異なり、組みにも上手うまさを見せていて、オールラウンダー寄りという印象だ。


(さすがに……一日二試合は、キツいぜ……)


 腹を突き上げられるたびに、削れていく体力と比例するように、気力が萎えつつあるのを譲二は感じていた。これはまずい。弱気になっていく兆候だ。


 試合への集中や高揚でごまかして気づかないふりをしていた一試合目のダメージが、意識の表面に上ってくる。勝負を投げてしまいたくなる欲望に駆られる。


 その散漫さが伝わってしまったのか、マリナに急に足を掛けられて後ろに倒され、マウントポジションを許してしまう。譲二は下からクリンチするように、お団子ヘアの頭を抱え込んだ。


「キモイ。離れろ」


 マリナはそんなののしりと共に、腹に肘を何発か落とす。徹底したボディへの攻撃。


 確実に当たる部位へ着実にダメージを積み重ねていくという、ヴァレリアの直情的な戦い方とは対極的な試合運び。だが、


(強え……。こうも手堅く来られちゃあ、つけ入る隙が見当たらない……)


 抱え込みから脱出したマリナが立ち上がり、回り込んでサッカーボールキックしようとする。譲二はそれを辛うじて足でブロックした。


 わずかな膠着こうちゃく。機を見て起き上がるタイミングを模索していると、突然、マリナが短い助走をつけて高くジャンプしてきた。


「なっ……!」


 両足でのフットスタンプ! さながら、獲物を捕らえんと急降下してくる猛禽もうきん類の鉤爪の如しだ。


 今からよけるのは間に合わない。一か八か、譲二は左右の足を蹴り上げた。


 互いの足が交錯し、空中を舞う踏みつけくノ一のバランスをどうにか崩すことに成功する。しかし、踏みつけとも着地ともとれない足裏が顔をかすった。


 着地が流れたマリナは頭と肩からロープに突っ込みそうになり、思わずその内の一本をつかむ。場外の第二審判が、彼女が転落しないようにと手を伸ばしかけた。


 状況的にやむなしとして綿田レフェリーも注意はしなかったが、すぐに離すようにと、マリナの手を軽く叩き落とす。


 その間に譲二は起き上がっていたのだけれど、平衡感覚に支障をきたしてまっすぐ立てなかった。先のかすめたシングルフットスタンプが効いてしまったようだ。


(あーあ、こりゃダメだ……。まあ、仕方ないか……ヴァレリアとの一戦でもう限界だったしな……)


 マリナのフックパンチにけ反らされて、ボディへの膝蹴りに体を浮かせてしまう。再び、弱気が鎌首をもたげていた。


 もはや趨勢は一方的なものになっている。姉貴分の敵討ちの気迫に押されて、譲二は半ばサンドバッグと化していた。


 少女の連撃は止まない。コーナーに釘付けにされて、綿田がストップのタイミングを窺っているのが見える。


 苦しまぎれの力の乗ってないパンチはくうを切った。そのままリング中央へとたたらを踏む。


 向き直ろうとした譲二は、マリナのロングアッパーに顎を跳ね上げられる。血しぶきと共に、マウスピースがスローモーションで飛んでいくのがわかった。


 悲鳴じみた呼びかけを耳にした気がした。無防備になった顔面へ痛烈なハイキックが炸裂する。


(あ……。ここまでか……。もう、いいだろう……。よくやったよ。倒れよう……)


 骨が砕ける感触。一度、明滅した後にブラックアウトする視界。譲二は意識を手放した。

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