第六試合 2.更衣室
そのとき、廊下の奥で物音がして、何か物が倒れる音まで反響してきた。渚は智也と共に首をそちらへ向ける。
穏当とはいえない声も聞こえてくる。複数人が揉め事を起こしかけているような、そんな声色だった。
気になったらしい智也が足早に歩いていき、渚もつられてついていく形になる。
諍いの物音や空気は更衣室から漏れ聞こえていた。この更衣室は確か、トーナメント当日、出場選手の控室の一つとしてあてがわれる予定の部屋だ。
だから、担当を割り振られた兵士が掃除をしているはずだが……。
「な、何なんですか~~?」という、動揺が内包された震え声。
渚が中を覗くと、熱帯雨林国などの外国籍兵士数人が壁際で誰かを取り囲んでいた。皆、ガラの悪そうな連中に見えるが、その認識で間違ってなさそうだ。
更衣室ということもあって、空手や柔道などの部活で起きているいじめの現場のような光景だ。実際、それに近い状況だろう。
囲まれて怯え切っている人物を確認して、渚は手で額を押さえたくなる思いがした。
(また、四ツ谷さんか……)
極度のビビりらしく、非番のときまで被っている歩兵用ヘルメット。つるが曲がってて耳にかかってないために、いつも傾き気味のメガネ。四十代というが、それ以上に老けて見える神経質そうな顔。
ここ正道館大学の駐屯基地ではある意味で有名な一般兵、四ツ谷勉三だった。
外国人兵集団の先頭にいたヴァレリア・シウバが「とぼけてんじゃないよ。おじさーん」と凄む。それだけで四ツ谷は「ひぃ」と震え上がる。
彼女の隣では、マリナ・ルアが凍てついた目で見下ろしていた。
「何、勝手に人のことをスケッチしてんのさ」
ヴァレリアが指差した先、四ツ谷の脇にはスケッチブックが抱えられていた。彼は民間からの志願兵で、本職は画家という珍妙な経歴だということを渚は思い出していた。
「こ、これはそのですね。運動部の更衣室というのはめったに入れない、貴重な屋内風景ですから。この内覧チャンスにスケッチしておこうと……」
枯れ木のような脚に、ヴァレリアのローキックが放たれた。哀れな画家の口から「ホロウェイ!」という悲鳴が漏れる。
「御託はいいから見せなって」
スケッチブックがひったくられる。オヤジ狩りに遭っているようにも見える四ツ谷は、「あっ……」という情けない声しか出せなかった。
紙をぺらりとめくったヴァレリアは、ドン引きといった目をスケッチブックの持ち主に向ける。
「……ねえ。やっぱり、更衣室だけじゃなくって、掃除をしていたあたしとマリナも描かれているんだけど……何これ」
スケッチブックが開かれて、更衣室の風景画が掲げられた。渚は目をこらす。
確かに、鉛筆で粗く描かれた背景の中に、人物とおぼしき輪郭が並んで見える。しかし……。
立っていたのは劇画調の渋さMAXの面長に、筋肉お化けのようなムキムキマッチョの女二人だった。当然、本人達とは似ても似つかない。
サイドポニーといった髪型がどうにか視認できるくらいだ(というか女なの? バストの盛り上がり具合が胸筋としか思えないんだけど)。
「はい……。お二方の特徴や、内からにじみ出る生物としての強さを上手く描き出すことができたのではないかと自負しているのですが、どうでしょうか?」
「ふざけてるの!? バカなの? 死ぬの!?」
今度は四ツ谷の腿に膝蹴りが炸裂していた。「ウィテカー!」と痛そうな悲鳴が上がる。
「叫び声が気持ち悪い……。なんで往年の格闘家の名前っぽくなってるの」
マリナが嫌悪感を示して、ヘルメット越しに四ツ谷の頭を鉄槌の形で叩く。やはり「パッキャオ!」という反射声。
「まったく。こんなの描いている暇があるんなら、トレーニングしなっての。元から格闘技の素養も適性も足りてない劣等民族のくせしてさ」
壁ドンをするヴァレリア。小悪魔な後輩みたいに微笑を浮かべているが、目は笑っておらず、少女漫画的な雰囲気はまったくない。そもそも、壁ドンをする側とされる側の性別が逆である。
「大方、絵を描くだけでは飯が食えなくなって志願してきたんだろうけど……戦争なめんなよ。あんたみたいなヤツらをお守りしなきゃいけないあたし達の身にもなったら?」
そこまで言われては四ツ谷も顔を俯けるしかない。周囲の外国籍兵士らが揶揄するように失笑していた。
「日鶴人はフィジカル的に、我々の国や合衆国などの民族よりも弱い……。更には、格闘技をする上での環境面や文化方面でも後れをとっている」
マリナが駄目を押し、ヴァレリアが「その上、超人改造されてない一般兵士ときたら足手まといでしかないんだよね」と引き継ぐ。
渚は止めに入るべきだと思った。智也と目が合い、小さく頷く。
「除隊を申請してさっさと帰りなよ。軍隊訓練よりも、朝の公園で太極拳の体操をしている中高年の一団に混ざって、変なポーズをとってる方が似合うと思うからさ。キャハハッ!」
追随するかのように、複数の嘲笑が更衣室内を伝播していく。
踏み込もうとした渚は、直前で後ろから肩をつかまれて、そのまま横に突き飛ばされるのを感じた。入れ替わるように誰かが更衣室の中に入っていく。
なんと松浦譲二だった。背中越しでもわかるほどに、全身から怒気を発している。
次々に振り向いた外国人兵らが、それに気圧されてか、道を開けるのが見えた。そうして譲二は四ツ谷とヴァレリアの間に割って入り、後者と正対する形になる。
「あ? 文句でもあんのかよ?」とヴァレリアが不機嫌も露わに見返す。渚は空気の温度が下がるのを感じた。
「俺はこういうのが嫌いなんだよ」
四ツ谷をかばうようにして佇立する譲二。彼が指しているのは、この状況――要するにいじめのことだろう。
「異民族とか強化兵じゃないとか関係ないだろ。誰だって平和や国のために戦っている」
渚は信じられない思いだった。あの不良軍人が愛国心めいたものを口にし、無謀といえなくもない志願に理解を示して、「さっきの言葉は取り消せ」とぶち切れている。
ヴァレリアも唖然とした顔をしたものの、すぐに口を弧の形に歪めて「何しゃかりきになってんのさ」と言い返す。
「本当のことでしょ。民間からの一般人なんて、意識も、性根も、覚悟も、責任感も、何もかもが足りてない連中ばかりじゃん」
「そんなことはない。おまえが知らないだけだ」
譲二は即座に反論していた。その後ろで四ツ谷が驚きと戸惑いの表情を浮かべている。
「こいつらにはこいつらなりの矜持があって、ともすれば俺ら以上の覚悟と決意を持って来ているやつもいるんだ。仲間意識と連帯感だって備わっている。ちゃんと見てやれよ。おまえらの方が勝手に決めつけて線引きをしているんじゃないのか?」
「くさいことを……」
マリナが呆れて嘆息する。興醒めといったふうだった。
「だから何だってんの? 仮にそうだとしても結局は弱いってことに変わりはないでしょーが。戦場では弱ければ死ぬんだし」
売り言葉を続けるヴァレリアに、譲二は憐れむように言う。
「おまえはわかってないんだな。格闘技ファンの悪しき癖みたく、単純な勝敗や勝率がイコール強さだと思い込んで、それにのみ価値があると視野狭窄になっているぜ」
挑発するように彼女の鼻先に何度も指を差して、こけにするかの如く吐き捨てた。
「致命的にズレているんだよ。おまえのその紛い物の力に価値はない。価値など、まったくないんだ!」
ヴァレリアの殺気が膨れ上がり、空間がぐにゃり、と歪むのがわかった。一触即発、というレベルを越えている。渚は智也と共に部屋の中に押し入った。
智也が譲二を羽交い絞めにして、「よせ、譲二」と落ち着かせる。渚も彼の前に立って、肩に手を置く。
「外国籍の兵士と問題を起こしてしまったら、数え役満だよ」
「……ここでも他国の奴らは上級扱いか」
眼前の凶暴女から目を逸らさないまま、気に入らなさそうに呟く譲二。それでも、体から発する憤怒の気迫が軽減されたのが伝わってきて、渚はわずかに安堵する。
それもつかの間、「三下が調子に乗んなよ」と悪態が投げかけられる。振り向くと、ヴァレリアが相も変わらず闖入者を睨めつけていた。
「あそこまで言ったんなら証明してくれるんだよね? ちょっとこの後、相手になりなよ。ガチスパーやろうじゃん」
ガチスパーとは、ガチンコのスパーリングの略称だ。ヘッドギアやレガースなしで、喧嘩さながらの熱量で殴り合う実戦形式の練習試合。
グローブは練習用の厚いオンスのままのことが多いが、それでも脳や体にダメージが蓄積するため、一部ではあまり推奨されていない。
「それで、イキってきた雑魚兵をボコってみたというタイトルで動画配信サイトに上げて、おまえの自尊心を満たす手伝いをしろってか? やだね」
即答する譲二。自主撮影の動画をインターネットで配信している格闘家にも流れ弾が行きそうだな、と渚は場違いなことを思った。
「……逃げるつもり? 口だけ?」
マリナが退路を塞ぐかのように、小さく足を広げた。
「まさか。フェアな舞台でならやってやらないこともない、って言っているんだよ。ちょうど、おあつらえ向きの大会が今度あるだろ」
譲二がくいっと顎で後ろを示した先、コンクリートの壁にそれは貼られていた。政府視察における披露演習の一環として開催されるMMAのワンデイトーナメント、その告知文書が。
渚はその意味を理解して、体中に稲妻が走るかのような衝撃を受けた。智也も目を剥いている。
「後一人、出場選手が足りないんだってな。俺がエントリーして、衆人環視の中でおまえのそのひん曲がった心根を叩き直してやるよ」
「……マジか」
さしもののヴァレリアも、驚愕と引き気味なのが半々といった顔を見せている。
それもそうだろう。だって、松浦譲二は強化されてない、ただの格闘兵なのだから。どうあがいても敵うわけがない。
「男に二言はねえ。パンピーでも、ボンバイエ・モードなんかに頼らなくたって、武道を世に広めた日鶴人としての矜持と根性を見せてやらあ」
だというのに、目の前の同僚はそんなことまで言ってのけている。一瞬だけ、渚は彼の口を塞ぎたくなるような衝動に駆られた。
「へえ……」と呟いたヴァレリアの口元からは、完全に笑みが消えていた。狩りモードの猫のように、目が据わっている。もはや、小競り合いやプロレスなどで済ませられる領域を過ぎていた。
試合前の煽りや因縁としては充分だろうとばかりに、譲二は「どけよ」と周囲の兵士達を押しのけて、更衣室を出ていこうとする。
渚は慌てて、「お、おい」と後を追った。智也が四ツ谷についてくるように促す。
「……よく言った。踏み潰してやる」
すれ違いざまにマリナがそう耳打ちしてくる。が、譲二は意に介さない。
廊下には、騒ぎを聞きつけてか、日鶴兵が複数人集まっていた。雅紀と沼井鏡花もいる。瀬々英里奈を含めた士官クラスは目下、見当たらないのが幸いだった。
なおも歩みを止めない一匹狼の背中に、渚は嘆息しつつ、「譲二」と呼びかける。
「いきなりどうしたのさ。……トーナメントに出るだなんて、どういう心境の変化?」
案の定、鏡花と雅紀が驚きの表情を見せた。譲二を両側から挟み込むように並んで歩き、矢継ぎ早に質問をしようとする。
「えー、マジで? やらないって言ってたじゃん」
「どういうことだよっ。オレの伝説の第一章をパクるつもりかっ」
唾を飛ばしそうな勢いで肩をつかんで引き寄せようとする雅紀に対して、「うるせえな……」と譲二はうざそうな態度を隠さなかった。
「あ、あの……」と、背後から遠慮気味に声が上がる。騒動の発端となった人物なのに、その後のいざこざでほとんど存在を忘れられていた四ツ谷勉三だった。
聞こえているに違いないが、譲二の歩幅と速度はほとんど変わらない。
仲裁の仕方はどうあれ、あの孤立無援の状況にあったのを譲二がかばってくれたのは紛れもない事実だ。四ツ谷にしてみれば言葉にしたい感謝の気持ちがあるのだろう、と渚は思った。
思ったのだが……。メガネを直しながら四ツ谷が言ったのは、予想の斜め下を行くものだった。
「あなた、私のファンなんですか?」
「はあ!?」
さすがの譲二も立ち止まって振り返る。キックボクシングの試合の判定で勝ったと思っていたら、相手にポイントが入ったときの「やばいだろ!」的な表情をしていた。
「いや~、こんな遠方の軍隊の中にまで私の熱心なファンがいるとは。自分の絵の才覚がとても恐ろしいですねえ~」
額の汗を拭って、元画家はそうひとりごちる。壮大な誤解がなされていた。
渚は譲二の横顔を盗み見る。一切の光が消えていたその目元からは感情を読み取るのが難しかった。
「あ、さっきはありがとうございました。お礼にというわけではないですが、サインを差しあげますので待っててください」
場の空気にまったく気づかないポンコツおじさんは、脇に抱えていたスケッチブックを開いてさらさらとミミズ書きをする。
「はい、どうぞ。家宝にしてくれてかまわないですよ~」
サインらしき謎の曲線が何重にも描かれた紙が渡される。なぜか皆、一様に固唾を呑んでそれを見守っていた。これから起きるであろう悲劇に備えるかのように。
受け取った譲二は間を置いて笑顔さえ見せてから、「どいつもこいつも大概にしろおおぉぉ!」とその紙を真っ二つに引き裂いた。
「ギャアアーーーーッ!」と廊下に響き渡る、勘違い自惚れおじさんの金切り声……。




