第六試合 1.会場設営
政府視察を数日後に控えたこの日、正道館大学の体育館にて、有働渚達は会場設営にかり出されていた。
披露演習の一環であるMMAのワンデイトーナメントの準備としてキャンバスマットを設置したり、照明の光度調整をしたりしていく。結構な重労働だ。
正方形となるリングの一角のコーナーポストに、緩衝材を詰めたクッションバッグを括りつけて、渚は一息ついた。
クッションバッグの裏側から四本のロープが直角になるように左右に伸びていて、それぞれ隣接されているコーナーポストへとつながっている。
渚はそのロープを押し込んだり揺さぶったりしてみて、強度と張りを確認する。申し分なしだった。
これで疑似檻の完成だ。当日は四人の戦士がこの中に入れられて、力比べや技を競い合うことになる。
総合格闘技の試合場がボクシングやキックボクシングと同じ正方形で、かつ古風に数本のロープで包囲されている。そういったリングは、世界広しといえども日鶴ぐらいだと渚は聞いていた。そのリングの四方を見回す。
海外でのMMAの試合場には、文字どおり檻のように金網が使われ、多角形を描くように囲われるのが主流となっていた。それらの金網の闘技場はケージと呼ばれる。
日鶴で商業的に発展していった総合格闘技の起源はプロレスといってよいだろう。その源流に敬意を払っているからこそのロープと正方形リング、ともいえる。武道においても伝統を重んじる日鶴らしい、と言われればそうかもしれない。
確かに、観客はロープ越しの方が決闘を見やすい。テレビ局としてもビデオカメラを、俯瞰ばかりでなく、どの角度からでも自在に映すことができる。
金網ではそうはいかず、観客はどうしても網目越しに観戦することになる。中継においても、グラップリングの攻防を下から撮る場合は、金網ではなく人にピントが合うように腐心しなければならない。
また、お茶の間に映像を届けるにも、金網は一般人に牢獄を連想させ、アンダーグラウンド感を与えてしまう。結果、総合格闘技の世間一般への浸透に弊害が生じる。
しかし、正方形リングにもデメリットはある。金網と違ってロープの上下間の隙間が大きいため、選手の体の一部がリングの外に出やすくなるのだ。
押し込んでいる側からすると、打撃を当てたい、もしくは技をかけるべき的が遠ざかってしまう。更には、攻撃のために振り回す腕や脚がロープに阻まれてしまって、互いにやりにくくなる。
そのために、日鶴の総合格闘技の試合では、ロープ際の立ちレスリングについて審判が中央で再開するように指示したり、寝技ポジションの選手達を中央寄りに移動させたりすることが頻発していたらしい。
当然、ファンの間でも、競技が一時中断してしまうそれらの措置について賛否が分かれていたそうだ。
(今回の試合で、このロープによるトラブルや膠着が起きなければいいんだけどね……)
渚は心の中でそう考えて、ロープを跨ぐ。ステップ階段はまだ設置されていなかったので、段差を飛び降りるようにしてリングから降りた。
会場を見回す。と、千賀雅紀が、軽快だけれどもちょっとズレた掛け声と共に、変な踊りをしながらパイプ椅子を並べているのが見えた。
試合場に近接しているところには長机も設営されていて、小ぎれいなテーブルクロスがかけられている。防衛省のお偉方のためのVIP席だ。
政府の役人が視察しに来られるのだから、陰惨な印象をもたらしかねない金網ではなく、比較的健全といえるロープを採用したのかもしれない。と、渚はちらっとリングを振り返った。
視線を戻すと、こちらに気がついた雅紀が「おーいっ」と手を振ってきた。そして、おもむろに、一昔のプロ格闘家が試合の入場時にやりそうなダンスを始める。
渚はあいまいに笑いつつ、「真面目にやれよ」と返す。
選手が入場からリングインするまでの通路、俗にいう花道になる予定の、パイプ椅子が置かれてないスペースを逆方向に歩き、通用口のドアを開けて廊下へと出る。
廊下の掲示板には、各種施設の掃除当番表と混ざって、ワンデイトーナメントに関する連絡文書が貼られていた。
ふと、渚は歩みを止めて、その紙に書かれていた出場予定の選手を見やる。
まず目に入った名前は、G分隊の強化兵、ヴァレリア・シウバとマリナ・ルアだった。やはりという納得と、驚愕が混在する。
(志願するだろうとは見越していたけれど……。どちらか一人、率直にいえば好戦的なヴァレリアが代表して出ると思ったのに、マリナもとはね)
ワンデイトーナメントには四名の選手がエントリーされて、準決勝戦が二試合と、それらの勝者同士による決勝の一試合が行われる。
ヴァレリアとマリナは同門に等しい間柄のため、いきなり組まれることはないだろう。だが、トーナメントゆえに、互いに勝ち進めば嫌でも相まみえることになる。
もしかしたら、妹分のマリナが勝ちを譲るのかもしれない。あるいは、共食いも辞さず、ということか。見上げた闘争心だった。
通常、総合格闘技やキックボクシングで、同じジムの仲間と試合が組まれることはありえない。トーナメントなどの形式だと当たる可能性があるが、それを忌避したがる選手がほとんどだ。
(……まあ、最強を目指すと公言しているくせに、そういうふうに仲間意識を持ち出して仲良しこよしをアピールされても、って矛盾を感じるファンはいたかもしれないよね)
口元が皮肉気に歪みかけるのを感じ、渚は刺々しくなってきた思考を振り払った。
共食い上等コンビ以外に出場する選手の名前を読む。……仁村智也。
へえ、これも意外な人選だな、と顎に手をやる。そのタイミングで、「よう、渚」と後ろから声をかけられた。
振り向く。旧態の軍人然とした七分刈りの短髪に、怜悧な意志の強さを感じさせる三白眼。渚と同じ特殊格闘兵の仁村智也だった。
渚は「やあ、久しぶり。智也」と気さくに挨拶する。
智也は頷いて、「お互いにまだ健勝なようで何よりだ」とわずかに口角を上げる。
それには同感だった。ここでは、昨日会って話をしていたやつが、明日になったら墓の下にいる、というのはめずらしくもない。
彼と行き合ったのは丁度よかった。「これに出るんだ?」と渚は連絡文書を指差す。
「ああ。不本意だが」と返ってきた。
「どうしてまた?」と続けて尋ねる。興味本位も多分にあった。
「当初はうちの分隊のやつが推薦されていたんだが……一昨日、起き抜けにぎっくり腰になってしまってな。それで、穴埋めにと俺に回ってきたわけだ」
ショートノーティスだがやむをえない、と智也は腕を組んだ。
なるほど、と渚は思った。元来、彼はこういった披露演習のような場で力を誇示するタイプではない。だからこそ出場することを不思議がったものだが、そういった事情があるならば致し方ない。
しかし、おもしろくなってきた。智也の実力なら、ヴァレリアやマリナにも肉薄できる。
目の前の憮然としている男のストライキング能力には定評があり、テイクダウンディフェンスもかなりのものを持っている。有利な体重差を考えれば、勝負論は十分にあった。
彼が言うようにショートノーティス、つまり準備期間の短さはネックだが、減量があるわけじゃないしそこら辺は大丈夫だろう。互いに対戦相手の研究ができる環境でもない。
「いいね。応援コードは仁村智也で入力しておいて、応援するよ」
そう言って肩を叩くと、「他人事だと思って、よく言う」としかめっ面をされる。
応援コードというのは勿論、冗談だ。かつての総合格闘技の興行で、オンライン観戦のチケットを買うときに入力ができたもので、出場する選手個々にコードが設定されている。
贔屓の格闘家のコードを入力すれば、支払ったチケット代の一部が、その人のファイトマネーに分配されるという仕組みになっていた。この画期的なシステムはファンにも好意的に受け入れられていたという。
「でも、エントリーは四人と聞いているんだけど、もう一人の名前がどこにも見当たらないね」
渚は連絡文書を再度見やって、首を傾げる。何度読んでも、ヴァレリアとマリナ、智也の三名しか載っていないのだ。
「凶暴な女子兵コンビのエントリーが明らかになってから、志願の手が上がらなくなったらしい」
智也の直截的な物言いに、そういうことかと苦笑した。
賢明ではある。半端な実力の者が出ても、戦慄の膝と恐怖の踏みつけへの人身御供にしかならないのは間違いない。
「現場視察まで日がないのに、まだ枠に空きがあるって、どうするつもりなんだろう」
「さあ。ただ言えるのは、スクランブル気味の出場となるそいつには同情を禁じえないということだ」
そう言い捨てて、智也は短く瞑目する。
渚は連絡文書を特に目当てもなく流し読みしつつ、考えた。そういえば、雅紀がこれへの登録を希望をしていたなと。
よもや、彼のところにお鉢が回ってくるなんてことはないと思うが。もしそうなったら、瀬々隊長が固辞してくれるだろう。




