第五試合 1.洗濯日和
洗濯日和と言ってよい快晴だった。
春の陽だまりは柔らかで暖かく、小さなあくびと共に吸い込んだ空気からは、草花の香りがしていた。
沼井鏡花は白いシーツのしわを引っぱって伸ばし、それから物干し用につるされた長紐にかけていく。落ちないようにと洗濯ばさみで留めてから、腰に手を当てて「ふうっ」と息を吐いた。
シーツは兵舎に設えられている寝具用のもので、時々こうして、当番制で洗濯をして干すことになっている。一枚仕立ての大布のため、部屋の人数分となると、結構な手間ではあった。
見渡してみれば同様に、この陽気を逃してなるものかと、当番の隊員達が洗濯物を干しているのが見てとれる。白いシーツがどん帳のように重なって並んでいる様は、不思議な景色だった。
風にあおられて、開け放った窓のカーテンのように、何十枚もののシーツがはためていく。鏡花は暴れる髪の毛を手で押さえながら、それらの光景に心までもが洗われていくのを感じていた。
と、シーツの隙間に、構内の中木による並木道が見えた。一個小隊ほどの人数の歩兵がまばらに、列をなして歩いている。
遠目に確認した限りでは、どの兵士も、構内では見かけたことのない顔だった。装備品も、鏡花達が支給されているものとは微妙に異なっている。
(……ああ、配置換えでここに補充されるやつらね)
鏡花は合点がいく。瀬々英里奈隊長の話によれば、兵力バランスの一環で、北部に配属されていた分隊のいくつかが、各地及びこちらへ移ってくるということだった。それが、あの歩兵達なのだろう。
長距離輸送による疲労も多分にあるかもしれない。が、試合に惨敗した挙句に主催団体から契約解除を言い渡された選手のように、肉体的摩耗と虚脱感が滲み出ている足どりを見て、UFC軍との戦闘で火雲列島が修羅の地と化しているという噂には一定の信憑性がありそうだ、と鏡花は思った。
よく見れば、腕を三角巾で吊っている者や、ガーゼ眼帯をかけた兵士もいる。火雲列島に渦巻いている戦火の激烈さが予想されるというものである。
そのように歩兵達を目で追っていたら、思いがけず意外な姿を見つけた。
松浦譲二だ。
譲二は補充兵と雑談をしているふうだった。鏡花にしてみれば、違和感しかない取り合わせといえる。
厳格な上下関係や徹底した全体主義がまかり通る軍隊の中で、彼は不良軍人よろしく斜に構えて、特定の誰かとはつるまずに我が道を歩いている印象だった。
同じ分隊の有働渚や千賀雅紀でさえ、譲二と友誼でつながっているとは言いがたい。鏡花に至っては論外だ。
そんな彼が次々にと歩兵に話しかけて、こともあろうに時々、談笑もしていた。
これまでの素行から考えられないことだが、補充兵の中に旧縁の人間でもいたのだろうか。
つながりといえば、鏡花と譲二は同じ新兵訓練場の出らしい。三十名ほど所属していたという同期生の中に彼もいたそうなのだが、鏡花は思い出せなかった。
まあ、訓練兵時代も今と変わらずあの調子でつっぱっていたのだろう、と想像する。ならば、自分と特に接点がなかったことにも頷ける。
それはいい。問題ではない。
最初はそうでもなかったのだが日を追うごとに、今となっては、鏡花は譲二の態度や振る舞いに嫌悪にも近い反感を抱いていた。
軍務に無関心で、英里奈隊長の手を焼かせてばかり。その上、強化兵とは距離を置きたいのがありありと伝わってきて、所属するF分隊の特殊格闘兵達に深く関わろうとしない。
特に苛つかせられているのが、同期だという鏡花を意識して殊更に避けている点だった。
なぜ? わからない。そもそも、新兵訓練のときなんておぼろげにしか覚えていないし、ここに配属されてからだって決定的な衝突があったわけでもない。
こっちには心当たりがないのに、向こうから一方的に忌避されている。その不公平感や据わりの悪さがますます気に入らない。
「あー、もうっ。イライラする」
鏡花は頭をかきながら、そう吐き捨てる。髪の毛が乱れてしまった。
もうよそう。あんなやつのことで朝からむかついてたら気分がもったいない。視線を切り、洗濯カゴの中からシーツを取り出して物干しを再開しようとした。
「まあ、今は雌伏のときなんじゃないかな。彼も」
という返しがあって、鏡花は手を止めて首を回す。物干し台の陰で、尻についた草と土を払いながら有働渚が腰を上げているところだった。
いたんなら声をかけてよ、とは思ったものの、それより。
「……どういう意味?」
「いや、適当に言ったようなものだから、そんなマジトーンで食いつかれると少し困るよ」
そう言って口元を緩める顔を見て、鏡花ははぁ、と嘆息した。彼は少し、人のいいところがある。
「雌伏って、来たるべき決戦のために耐えて力をつけておくみたいな意味でしょ。当てはまらないわよ。だって、アイツは」
舌を出して、できるだけさも馬鹿にしたふうに言ってやる。
「ミット打ちやボクシングスパーでいつも微妙に手を抜いているし。グラップリングでは少しでも技がかかったら、こっちがびっくりするぐらい即座にタップするんだから。あまつさえ実戦に出たがらないときたら、真面目にやってないにもほどがあるじゃない」
「譲二はただの格闘兵なんだから、さすがに魔改造兵との実戦はね。瀬々隊長もそこはわかっていて、俺達から先に試合順を割り振っているだけだと思うよ」
実戦云々は言いがかりでしかないのなんてわかっている。鏡花は口をとがらせた。
「練習に関しては鏡花の言うとおりなんだけど、どこか不真面目具合が中途半端だなって感じもするんだよね」
地面に落ちていた洗濯ばさみを拾って、差し出してくる渚。鏡花はそれをすぐには受け取らずに、続きの言葉を待った。
「完全に無気力というわけではなくて、侵略兵に対する闘争心は持ち合わせているみたいだよ。朽方曹長のところへ、個人的に合気道を習いに行っているんだって。知ってた?」
「朽方曹長に? 合気道を?」
鏡花は二重に驚く。朽方曜一郎は古参の叩き上げ兵で、“達人”とも呼ばれているレジェンドだ。
強化措置は施されておらず全盛期も過ぎているが、その実力は折り紙つきと言われている。残念ながら、鏡花は曹長の実戦を見たことがないのだが。
多少、歳はいっているけれども長身で均整のとれた体つきをしていて、何より武闘家然とした長髪がかっこいい。
しかし同時に、なぜに合気道? という疑問もわく。
合気道は朽方曜一郎が操るから強力無比なのであって、一般的に総合格闘技のバックボーンには向かないと鏡花は思っている。それどころかレスリング技などとの併用や共存が難しく、バランスを崩してしまわないだろうか。
また、譲二を見ていてもそれほど器用には思えないため、習熟や熟練にもとてつもなく時間がかかりそうだ。
「彼はどうもつかみどころがないね。俺達に対してもあまり心を開いてないし、何を考えているのやら」
と呟いて、F分隊のサブリーダーはシーツのカーテン越しに眺める。そう言いながらも、その横顔に深刻さの影は見られない。
「彼は軍の上層部だとか、軍そのもの……ひいてはこの戦争を嫌っているんだろうな、という気はするんだけれども。それ以上のことはわからないな」
絡まった髪の毛を手ですきながら、鏡花も再び並木道の方を見やった。
鏡花と渚の間で渦中の人扱いをされている当の本人は、未だに補充兵と話し込んでいる。何をあんなに立ち入って話すことがあるのだろう。
真っ白なシーツに青黒い染みが落ちて、滲みが広がっていくように、仄暗い思いに囚われていく。
(……だから何だというのよ。軍人として総合格闘技を真剣にやってなくて、日鶴人として国に奉じる気概もなく、ふらふらしているってことでしょ。認められないということに変わりはないんだから。あんなヤツ、男なんかじゃない)
一陣の風が吹く。風は再度シーツのどん帳をたなびかせて、その白さで鏡花の翳っていく形相を隠していった。
受け取り損ねた洗濯ばさみがカゴの中に放り込まれた音がした。




