第一試合 4.座学
「つぅ~~、まだケツが痛えや」
教室、半袖の作業着を脱いでランニングシャツ姿になった健吾が、体を投げ出すようにして席につく。
「俺もだ。くそっ、あのツヨコワ女王め、覚えてろよな」
譲二もパイプ椅子を引いて背後の会議室用長机にもたれかかった。「何だその異名」と大輝がつっこむ。
ツヨコワ女王の原型は、空手だか柔道で、強くて美人な選手をテレビ局がツヨカワ女子と呼称していたことがあったというものだ。園田美紗担当教官はどちらかといえば美人で、更にいえば性格も可愛いなんて生易しいものではないため、ツヨカワならぬツヨコワの方がふさわしいだろう。
「というかな……」
一列前で長机に突っ伏していたウルフカットヘアーが動いた。幸進だった。恨みがましく見上げてくる。
「おまえ達サボりやがって……。連帯で俺達まで罰をくらうってわかってるだろ」
「悪い……。長距離走はいつも自主練に近い形式だったから大丈夫だろうと思ったんだが、まさか園田教官がストップウォッチでちゃんとタイムを計りながら待ち構えているとは」
「そういう問題かっ!」
幸進が跳ね起きる。猫科のような目が更につり上がっていた。
「そうだぜ。あれのせいで休憩時間が潰れて、俺ら着替えもできなかったんだかんな。どこに行ってたんだよー?」
健吾も軽い口調でだが、不平を言ってくる。
「海を見渡せるところへちょっとな」
「あー、あそこ雰囲気いいよな。この間も士官の二人が肩を並べてたわー」
椅子を傾かせながら窓を見やる健吾。窓の外にはグラウンドと、その向こうの雑木林が見えていた。
「逢瀬かよ、クソッ、公私混同しやがって。誰と誰だ」と譲二は長机を叩く真似をする。
「んー。確か、吉出教官と中迎教官だったぜ」
吉出秀人中尉は角刈りに上がり眉のずんぐりした体躯の士官だ。あと元柔道家。
中迎克裕准尉はやや柔和な顔で、あごひげを少し生やしている。こちらも元柔道家。……?
「なんだ、ただの師弟二人か……」
大方、柔道談義でもしていたんだろうと譲二は気が抜けてしまう。大輝も頬杖を崩すようにずっこけていた。
額に手を当てて呆れつつも、幸進は追及を緩めない。
「あのな、F班のリーダーとしてもっとちゃんとやってくれよ……。ただでさえ俺達の素行は教官に目をつけられてるんだ。このままいくと、訓練期間の延長もあながち冗談ではなくなってくるぜ」
「うげっ」と譲二は呻く。この、試合前の最後の追い込みレベルに毎日がハードな訓練と閉鎖的な生活を更に数ヶ月、課されるのはごめんだった。
「早く一人前の格闘兵になってUFC軍と戦うために、俺達はここで新兵訓練を受けているんだろ」
幸進の言っていることは正しかった。一刻も早く正規兵になって戦場というリングに上がり、一人でも多くの魔改造兵を倒すことが、リングスの特殊格闘兵に求められている任務だ。
「敦もつきあわなくたっていいんだからな。というより、もっと走って体力をつけないと」
そう諭されかけて、敦は慌てて口を開く。
「ち、違うんだよ。譲二と大輝は、気分が悪くなった僕にちょっと休もうと言ってくれて……。だから、走れなかったのは僕のせいなんだ。ごめん」
「……はぁっ? え?」
幸進は、キックボクシングの試合で判定にもつれこんだけど勝ったと思っていたら相手にポイントが入ったときみたいな、驚きの顔をしていた。譲二はどうにも決まりが悪くなって、そっぽを向く。
「あー、そういうことだったのかー」
健吾が場にそぐわない明るい顔でぽんと手のひらを叩いた。「まあ、園田教官はわかってたみたいだけどな」と大輝。
「そんなら、みんなで園田教官に怒られたりするぐらい、いいって。なー、幸進」
「あ、ああ……」
戸が開く音。譲二達は慌てて起立する。
四期生からは密かにドラゴン教官と呼ばれている辰野道雄大尉が、引き戸の上に挟んであったプロティン粉用のシェイカーを目も向けずに打ち払いながら、入ってきた。
教室の一角から、わあお、という歓声や嘆息にも似た声が上がる。道雄は虎のような目つきで一瞥し、「くだらないことをするな」と一喝して、教壇に教科書を置いた。
この時間はジークンドーの講義だ。
リングス基地は普通の新兵訓練施設ではない。
ズッファのUFC軍の生体兵器、なぜか銃火器が効かないとされる敵に対抗するため、専用の格闘術、悪く言えば殺人術を学ぶ特殊な軍隊式総合格闘技の訓練学校となっている。実践を伴った対魔改造兵研究施設といってもよい。
兵科に関しても、射撃の技術や兵器の知識よりマーシャルアーツに重きが置かれ、空手・ボクシング・キックボクシング・ムエタイ・柔道・レスリング・柔術などを体系的に学び、近接格闘術及び総合格闘技に昇華させるカリキュラムとなっている。
その一つであるジークンドーは総合格闘技の始源ともいわれる武術及び拳法で、敵を瞬時に打倒するという闘法に特化した攻防一体の武術を本領としている。その指南役である辰野道雄は、なんと魔改造兵を数人倒したことのある猛者なのだ。
痩躯ながら無駄の一切ない引き締まった筋肉を纏っていて、年齢もまだ三十代前半のため、一線を退いてなお軍最強の武闘家と名高い。
四期生にとってもドラゴンはヒーローであり、憧れだった。敦なんかはわかりやすく、瞳をキラキラと輝かせている。
ジークンドーが内包する思想の復習がなされていく。道雄教官の説明が静かな熱を帯びてきた頃合いで、譲二は後ろから幸進に耳打ちする。
「幸進。すまなかった」
「……もういいって。ったく、早く言えよな」
振り向かずに小声でそう返してくる幸進。その口調から、既に険がなくなっているのがわかった。
譲二は教壇から射抜かれる視線を感じて、姿勢を正す。講義は、応用実践へと移る前に、ドラゴンから「いいか、実戦では頭で考えすぎるな。心が感じるままに戦うんだ」というお決まりのフレーズが発せられていた。




