第一試合 3.グラウンド
松浦譲二、市原大輝、沖山敦、宮前健吾、東条幸進の五人は気をつけの姿勢でグラウンドに一列に並んでいた。
彼らの前には、担当教官の園田美紗少尉がさながら金剛像のような威圧感で仁王立ちをしていた。シンプルなゴム紐で括ったポニーテールが後頭部で揺れている。
目元の鋭さと二の腕についたしなやかな筋肉は、彼女が現役の兵士だということを雄弁に示していた。
後ろにはガオグラウ・ノラシンゲーン伍長が控えている。ガオグラウ教官は頭にカラフルなねじりはちまきにも似たモンコンを、両拳にはキックボクシング用グローブを着けていて、日焼けした肉体に試合用トランクス一枚という出で立ちでウォーミングアップをしている。譲二は嫌な予感しかしなかった。
「F班リーダー、松浦!」と美紗。
「はい!」
譲二は宙を見つめたまま返事をした。
美紗が怒りの顔を近づけてくる。なまじ美人なために迫力が増していた。
格闘技の記者会見などのフェイスオフで、パフォーマンスではなく本物の怒気を発している選手の如き形相だった。タイミング良く止めに入ってくれるはずのスタッフはどこ?
「答えろ。島を一周してきたタイムがなぜ、課したペースを超過している?」
「規定の体重までにあと数百グラム届かなかったので、更に走ってきました」
「戦場に階級制度というものはなく、等しく無差別級だ。よって減量も必要ない。むしろ、きさまらはもっと筋肉をつけないと、体重差で勝負にすらならないぞ。もっとまともな嘘をつけ」
格闘兵にはライトヘビー級以上がごろごろいる。重量換算すると百キログラム近く。譲二達はその下のミドル級にも満たなかった。
「そ、そんなっ……、フェザー級での契約と聞いていたのに……」
「うるさいっ! 選手ファーストでない理不尽なプロモーターの話に仕立て上げようとするな!」
とうとうぶち切れられて、譲二は黙らざるをえなかった。後ろで組んでいる手に汗がにじむ。
「沖山!」
次に名を呼ばれた敦がびくっと首をすくめた。
「はっ、はい! ええと、あの……」
「敦は自分らと一緒に走っていただけです。先頭は俺でした」
「勝手に発言するな。きさまには聞いてない」
美紗は譲二の方をまったく見ずに言い、敦に再び問う。
「沖山。何かあるか?」
「は、はい。僕が……」
「最後の数十グラムがどうしても落ちなかったため、サウナに入っていたんです。そしたらちょっと脱水症状っぽくなって……」
大輝が口を挟んだ。俺の冗談を引っぱるのかよ、と譲二は冷や汗をかく。
「だから黙れ! 繰り返しになるが階級の概念がないから減量は不要だし、基地以外に何もないこの島のどこでサウナ施設が営業しているというんだ! もういい!」
美紗はポニーテールを揺らして大輝にまくしたてた。それから嘆息したのちに、すぐに、きっ、とまなじりをつり上げた。
「きさまらはまだ未成年で予備兵扱いとはいえ、一応は軍人なんだぞ。自覚があるのか!」
「はい!」「はい!」「は、はい……!」
「格闘兵に最も必要なものは何をおいても体力と足腰だ。全ての格闘術の燃料となるのがスタミナであり、足腰はあらゆる技や仕掛けの土台となる。打撃に耐えて衝撃を吸収してくれるのだって、組みや寝技を凌げるかどうかも、それらがものをいうんだぞ! 走り込みをサボったきさまらは長期戦でガス欠になる。そうなったら、相手とお見合いをして体力を回復するまで待ってもらうのか? 大型選手同士のグダグダな試合のように!」
スタミナのない巨漢選手同士のお見合いだってえもいわれぬおもしろさがあって好きだけどな、と譲二はその光景を想像する。本質はそこじゃないとわかっているので、口には出さない。
「とにかく、基礎の練習であるラントレーニングを怠るとは言語道断だ! 松浦、返事は!」
「ラントレをサボってすみませんでした!」
「それではガオグラウ伍長、この三人に懲罰としてケツキックを頼む」
ガオグラウが「OKダヨ!」と前に出てきた。彼がこの場にいた理由を理解して、譲二は絶望する。
ムエタイ実技教官のキックはリングス随一の威力を誇る。そして一切の加減を知らない。訓練兵に対する効果的な罰の一つとして恐れられ、スクワットなどで尻が筋肉痛のときにくらうと悶絶ものという触れ込みだった。
「チョット待ッテ、大事ナコト忘レテタ」
(おい、ケツキックの前に祈りを捧げる必要あるのかよ! 軽い感じでお願いします! 園田教官も手を合わせてないで! 俺らの方にお慈悲を!)
「ジャ、イクヨー」
美紗にモンコンを預けたガオグラウが左斜め後ろに立ち、右足を引いて構える。約束された激痛へのテンカウント開始。
もはや無駄な抵抗とわかっていたが、譲二は思わず尻に力を入れてしまう。閉じた口の中で歯もくいしばった。
いつ来るともしれない恐怖に腰が浮き、情けない姿勢になってしまう。
「松浦! ちゃんと背筋を伸ばせ!」
「は、はい!」
美紗の怒声に、反射的にびしっと背筋を伸ばす。その直後だった。
「オーエイッ‼」
「あひぃ!」
容赦ないムエタイキックに尻が爆ぜた。
伝聞以上の衝撃と威力だった。譲二はとても立っていられず、手をわななかせながら、がっくりと膝を落とす。
「し、尻が……」
「大丈夫、元カラ割レテイルヨ」と、ガオグラウの的外れなフォロー。
痛覚に支配された意識の遠くで、譲二はまた鞭のような打音を聞く。
「ぐうっ!」
大輝が数歩、前に歩いていってから手と肘を地についた。譲二と違って二枚目な声の上げ方だった。
「んっ!」
敦も崩れ落ちる。こっちは可愛い悲鳴だった。
「う…うぅっ」という敦の涙混じりの苦悶に、美紗が「くっ……!」と罪悪感によろめく。
が、すぐに鋼の精神力で振り払うことに成功したようだ。彼女は、「すまないな。協力感謝する」とガオグラウを労う。
「イイヨ。コレ結構オモシロイ。マタ蹴ラセテホシイネ」
ケツキックの死神はそんなことを言いながら、彼の母国の代名詞にもなっている微笑みを見せてくる(勘弁してください、あれをまたくらったら脱糞確実っす……)。
「松浦、市原、沖山! さっさと立て!」
美紗の怒号に、三人はケツを押さえながらよろよろと立ち上がる。
「処罰はこれだけじゃないぞ。班のペナルティとして、腕立て伏せと腹筋と背筋を各百回だ! 宮前と東条も、連帯責任で一緒にやれ」
「はいっ!」「はい!」
同じF班の宮前健吾と東条幸進の敬礼を確認して、美紗は手を叩く。
「よし、訓練の日々は有限だ! まずは腕立て伏せ百回、準備!」
譲二達は慌てて手をつく。手のひらにグラウンドの乾燥した土の感触がした。
「始め!」
「一! 二!」
「声が小さい!」
美紗の叱責が飛ぶ。譲二は火の玉門下生とも呼ばれる、ハードなトレーニングを課してくることで有名なとある総合格闘技ジムの練習生になった気分で、半ばヤケクソ気味に声を張り上げた。
「四! 五! 六!」




