第一試合 2.リングス基地
盛夏の太陽がリングス基地のヘリポートをじりじりと焼いていた。海からの風は湿気を多分に含んでいる。
ヘリコプターから降りたダリア・ヘンダーソンは、慣性で回り続けているプロペラが巻き起こす風に軍服のスカートを押さえながら、感慨に浸っていた。
(……ここの夏も二回目か)
夏季略服にタイトスカートを履いたセミロングの女性が近づいてきて、敬礼をする。
「ヘンダーソン中尉、お帰りなさいませ」
事務官の絹内蘭子だった。ダリアの秘書兼通訳もしてくれている。
「ご指示のとおりに召集をかけておきました。会議室へご案内します」
「早々にすまないわね、助かるわ」
ダリアは蘭子と並んで歩く。
前方に見える研究所の外壁やガラスが陽光を照り返していて、銀色にけぶっていた。逆に山々の緑は濃く、小さい雲の影が斜面を上っている。
ここ羽稲島は、日鶴が所有する領地で、片翼地帯の遠洋に浮かぶ直径十数キロメートルの弧島となる。島の外形が翼から抜け落ちた羽根の形に似ているというのが、島名の由来だ。
なぜ羽根なのかというと、日鶴本土が翼を広げている鳥(キジというらしい)の形状をしているためだった。列島や諸島という形でトサカや尾部まである。
朝日に照らされる日鶴の大地はさしずめ鳳凰だ、という空軍パイロットの話もある。なんともロマンチックではないか、とダリアは思った。
日鶴の気候は温暖で四季があり、米という穀物を中心に農業が伝統的に盛んで、海に囲まれているため水産も著しい。
近年は工業分野の発展がめざましく、沿岸部では埋立地にも工場が建ち並び、連日稼働している。
このようにバランスのとれた産業構造を有する日鶴だが、外交の方面は芳しくないといってよかった。駐留合衆国軍に起因することなので、それに所属する軍人としてダリアは心苦しく思っている。
棟内に入って廊下を歩きながら、ダリアは蘭子に尋ねる。
「不在にしている間、問題はなかった?」
「確認印を押していただきたい書類がグローブミットの厚さほどあります。デスクの上に置きましたので、よろしくお願いします」
「うげー」
「そうげんなりされると思いましたので、あまり絵心に自信はないのですが、合気道のマスター対暴漢三名の路上戦のパラパラ漫画を描いておきました。最後まで読むとマスターの合気が全員に炸裂しますよ。楽しみながら押印くださいませ」
「あら、楽しそう…ってダメでしょ! 後で消しなさいよ」
と言いながらも、ダリアはちょっと読んでみたい気持ちに駆られていた。だって、合気道を体験した部下が一様に「あれは魔術の類です。そうとしか思えません」と口を揃えるため、気になっているのだ。
「先日、園田美紗少尉が基地に着任されました。F班と空手の指導を担当してもらっています」
そうだった、とダリアは思い出す。実技教官が足りなくて、待機兵の中に格闘技の経験者がいたらリングス基地に回してほしいと日鶴軍に頼んだのだ。
「あと、冷蔵庫にお入れになっていたエナジーバーですが、賞味期限が切れそうでしたので、私がいただきました」
「そう。……んっ?」
「最近のエナジーバーは美味ですね。私はナッツ味よりもプレーンの方が好みですが」
「……まあ捨てるのももったいないから食べていいけど、あなたの嗜好なんて知ったこっちゃないわよ」
「そちらはどうでしたか?」
蘭子はさらりと話を変えてきた。ダリアは苦心しながらも、どうにかナッツのエナジーバーへの未練を断ち切る。
「……うん、どうやら戦局は思わしくないみたい。やっぱりズッファのUFC軍は強いわね」
ダリアの母国である自由主義の合衆国は、日鶴と締結している安全保障条約に基づき、日鶴国内に駐留する合衆国軍を派遣してきた。
しかし、近年、その駐留合衆国軍が日鶴軍と緊密になって合衆国軍の本隊を脅かしかねないほどの軍事力をつけ始めたため、パワーバランスを懸念した国防省が軍縮を指示。それに日鶴の防衛省が反発して、駐留合衆国軍も日鶴軍の支援を宣言してしまったのだ。
事態を重く見た国防省は、兄弟殺しを避けるべく、民間軍事会社のズッファに駐留合衆国軍への制裁と解体を依頼し、ズッファは日鶴へ軍隊を送り込むことになる。……というのが、現在進行形で続いているこの戦争の、開戦の経緯だった。
「こちらのK1軍やプライド軍の特殊格闘兵は、UFC軍の生体兵器――魔改造兵には敵わないということですか」
侵攻してきたズッファの軍隊との戦闘は、UFC軍と呼称されている奴らが最前線に出現してから、劣勢を強いられることになる。
便宜上、魔改造兵やチート兵と呼んでいるそいつらは、魔人のごとき身体能力を有していて、銃火器による攻撃が効果的ではないという特性を備えていた。
遭遇した部隊がことごとく打撃を受け、危機を認識した日鶴軍と駐留合衆国軍は、対改造兵戦闘の理論と実践を研究する機関を組織し、チート兵に対抗する格闘兵を育成する兵計画――〈やれんのかプロジェクト〉を発足。
日鶴の領土にいくつか施設が建てられることになり、その内一つがここ、リングス基地なのだった。
「どうかしら。立ち技主体のK1軍が相性悪いのは確かだろうけど、同じ闘法のはずのプライド軍は単に練度の差があるということなのか、何とも言えないわね」
K1軍やプライド軍というのは、日鶴軍と駐留合衆国軍の陸軍で組織した歩兵集団の名称だ。大多数が格闘兵で構成されていて、UFC兵に対抗するのは主に彼らである。
キックボクシングをベースとして打撃に特化した兵士を集めているのがK1軍で、プライド軍はMMA――ミックスド・マーシャル・アーツ(日鶴語で言うなら総合格闘技)に精通している兵士の集団になる。
「いずれにしても、特殊格闘兵の再投入を要求されたわ」
「このような時期にとは……。それほどまでに事態は逼迫しているのですか」
「残念だけど、そういうことになるわね」
ダリアは葉巻の箱を取り出して一本くわえ、スーツのポケットをまさぐった。すぐに、ライターがないのだということを思い出す。
「ライター持ってるかしら? どこかで無くしてしまったみたいなのよ」
「吸わない私が携帯しているわけないでしょう。後で、か……森本に一つ譲ってもらったらどうですか」
ジト目を向けてくる蘭子。元々切れ長の目をしているため、きつく見える。機嫌も急に悪くなっていた。
……嫌いなら彼女のことは口に出さなきゃいいのに。と思いながら、ダリアは諦めて、くわえた葉巻を箱の中に戻す。
「それより、聞きました。……数日前にK1軍のレベッカ・サップが位置をロストしたというのは、本当なのですか」
「もう知れ渡っているの? ……ええ」
ダリアが認めると、蘭子は視線を正面に戻した。姿勢はぴんと伸びたままで、歩く速度も変わらない。
「何だか、ローカルで無敗だったMMAの選手がメジャー大会に出た途端、負けてしまうのを目の当たりにしたファンの気分です」
「私もよ。あれはK1軍の最高傑作だったから、なおさらだわ。そう簡単にやられはしないと思ってた。でも……」
ダリアは眉根を寄せる。
「今はMMAの、ミックスド・マーシャル・アーツの黎明期。まだ見ぬ強者も多い。どんなに絶対王者であろうとも、いつまでも常勝無敗ではいられないわ」
「……かの人獣なら無双してくれるのでは、とどこかで期待していた自分がいたことに驚いています。軍人の身上で希望的観測は褒められたものではないというのに」
蘭子の常に目を瞑っているかのような表情からダリアはいつも胸の内を読めなかったのだが、今は落胆しているらしいとわかった。
「無理もないわ。圧倒的なパワーだったし」
そう、“力こそパワー”を体現するのがレベッカ・サップという格闘兵だった。彼女に身も心も砕かれた兵士は枚挙にいとまがない。
よもや、そんな駐留合衆国軍の切り札を失うことになるとは。K1軍ひいてはプライド軍の士気低下が懸念されるし、今後の戦局にも暗雲が垂れこめてくるというものだ。
ダリアが会議室のドアを開けると、十数名の先客が見えた。リングス基地の所長や副所長などの佐官達に加えて、基地に隣接している研究所の上職者も集まっている。
視線を移すと、蘭子がいつとはなしに傍らを離れて、下座の方へと歩いていくところだった。
蘭子は意識的に氷の空気を纏い、壁にもたれて立っていた白衣の女性の前を通り過ぎる。女性は横目で彼女を一瞥だけして小さく嘆息する。
……水と油ねえ、と日鶴語の慣用句を思い出しつつ、ダリアは上座側の椅子に腰を下ろした。
そして、新兵訓練の顧問やアドバイザー的な役回りを求められて駐留合衆国軍から出向を受けているダリアは、口の前で手を組み、厳かに話を始める。
「猶予はあまりないようです。所長、四期生の編入前倒しの承認を。スケジュールとトレーニングプログラムを見直して、ペースを上げる必要があります。メディカルチェックも念入りに。期限はあと一ヶ月強、つまり夏の終わりまでには全員を前線へ送れるように、アジャストしていってください」
これは駐留合衆国軍と民間軍事会社ズッファ、どちらかの生存を賭けた戦いだ。例え、ズッファの背後にあるのが祖国であろうとも、闘争の火蓋が切られた以上は、容赦しないと決めている。
同郷だからと、マネジメントしてくれている代理人が一緒なのでといって、潰し合いを拒否するような軟弱な精神は格闘兵に不要。なぜなら、格闘家という生き物は究極、たった一人しか手にすることのできない“地上最強”の称号を目指している個人主義者だからだ。
ダリア自身も、最強という引力に引かれている一格闘兵だった。ゆえに、母国の掲げている自由主義の思想に従い、ファイティングポーズを下ろすといった選択肢は持ち合わせてないのだ。
それは、皮肉にも、合衆国政府や国防省の信念に共通するものといってよかった。同じ穴のむじな、というやつだ。




