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第四試合 1.武道館

 まだその姿形を見せてはいないものの、昇りくる朝日によって空が明るさを取り戻そうとしている。


 そんな早朝の時間帯、正道館せいどうかん大学の武道館で待機中の末石留依すえいしるいは退屈していた。


「あー、暇だ暇だ。総合格闘技の大会で試合の順番が来るのを待っている、メインイベンターかセミファイナルの選手の気分だよ」


 留依はパイプ椅子に座っている姿勢のまま、顔を横に向けて長机に突っ伏す。そして、足を交互に前後へぶらぶらさせた。


 会議室用と思われる長机の四方の脚にはキャスターが付いてて、ロックがかかっていなかった。なので、彼女のその所作で机が少し滑って動いてしまう。


「ちょっと。末石先生、机を揺らさないでもらえますか」


 所員が、机上に並べようとしていた医療用器具を手で抑えながら、文句を言ってくる。


「なんだと。部下のくせに生意気な。私は残念なことに人間ができてないから、格闘技界隈や軍社会でまだ横行しているであろうパワーハラスメントを行使しようっと。うりうり」


 その苦言に反感を覚えた留依は長机の端をつかんで、意図的に、ガタガタともっと揺らした。整然と置かれていた書類がばさばさと落ちる。


「ああああ、やめてください」


 所員はかがんで、落ちて散らばった紙を集めようとする。


「もう。先生は子供ですか」


「聞き捨てならないな。成人式は数年前に済ませているし、どこから見ても大人の女性でしょうが。格闘技の選手でいえば一番調子に乗る年齢さね」


 留依は見下ろすように立ち上がり、胸を張った。ついでに、顎を反らして、眼鏡の眉間部分のブリッジを中指でくいっと上げる。


 うなじのやや上で一本に束ねて垂らしてある黒髪と眼鏡が知的な印象を与えている整った顔立ちはともかく、白衣の下のその胸は、大人の女性というにはやや小ぶりだったが。


 そう、末石留依はコート型の白衣を羽織っていた。彼女達は、この正道館大学に駐屯しているプライド軍の医官という扱いの、研究員なのだ。


 軍医の職務は、有り体にいえば、負傷兵の治療である。ゆえに、留依達は待っていた。


 占領軍を威嚇いかくして侵攻を押しとどめるという任務を請け負って前日未明に発った、F分隊とG分隊の面々が戻ってくるのを。


「しかし、遅いですね。……もしかして……あっ、すみません」


 予定時刻よりもF分隊とG分隊の帰還が遅れている。そのことについて所員の一人が縁起でもないことを言いかけ、口をつぐんだ。


「いや、その可能性は低いと思うよ。G分隊にはヴァレリアちゃんとマリナがいるんだし。F分隊も一応、副隊長以下の全員が特殊格闘兵なんだから」


 留依は長机に尻をもたれさせながら、そう返す。机がまた後ろに動いて、先の所員が目だけで見咎めてきたが、無視した。


 ヴァレリア・シウバとマリナ・ルアの強化兵としての力量は言わずもがなだ。レベル3に達している稀有けうなチート兵士。


 彼女らと対峙することになった者は己の不運をなげき、とても難しい闘いになることを覚悟するだろう。全滅という最悪の事態は起こりえないはずだ。


 前者に関しては、どうしようもなくワガママで、気に入らないことがあると相手を痛めつけすぎてしまうなどといった、精神面での未成熟さも併せて指摘されている。だが、それが何だというのだろう。


 留依としては、そのような報告はさして気にならなかった。どうでもいいと言い換えた方がよいのかもしれない。


 そういった攻撃性も戦闘力に付加されるものだ。そう考えれば、何の問題があろうか。


 イノキ・ゲノム・ウィルスの実地研究員でもある末石留依は、その肩書きどおりに研究者らしく、人工ウィルスの活動性や改造兵としてのパラメータにしか興味がなかった。


「F分隊には有働くんと沼井さん、……あとは千賀くんだっけ?」


 書類をつまんで目の前に掲げながら、留依はF分隊の特殊格闘兵を思い出そうとする。


「松浦譲二もですね。強化兵の適性はありませんでしたが」


 と、所員が後の一人を教えてくれる。留依の口からついぞ出てこなかった格闘兵の名前を。


「松浦? 知らないなぁ……」


 腕を組んで、首をかしげる。強化兵でないのなら彼女の眼中にはない。その何者にもなれなかった少年兵が印象に残らないのも、仕方のないことではあった。


 F分隊の他の隊員についても、強化兵だということで名前や大まかなファイトスタイルなどは記憶に留めているのだけれど、ヴァレリアらのように突出しているわけではない彼らに、留依はあまり惹かれるものを感じていない。


(有働くんは優秀と言っても差しつかえないんだけど、早熟っていえばいいのかな……。千賀くんは未だに自分でも特性がわからないみたいだから論外だし。沼井さんは技術やセンスがあるというより、執念が凄いってだけな気もするのがねぇ)


 有働渚や沼井鏡花は、ここ駐屯地に所属している強化兵の中では悪くない技量を有しているかもしれない。けれども、遅かれ早かれ、大化けする前に戦死して入れ替えが必要になると留依は思っている。


 とはいえ、収集したデータや解析の結果は後進の兵士の更なる改造に有用だ。想定値ほど伸びずとも、彼らが価値あるモルモットであることに変わりはない。


 彼らは戦場のシトロンだ。実が熟れ切らずに枝から落ちようとも、次代のための肥料となり、土を豊潤なものにしていってくれる。


 己は国の勝利のために、IGウィルスの研究に全力を尽くすのみ。それが末石留依の行動原理だった。


「帰ってきたみたいだね」


 留依は体を起こした。兵員輸送トラックとわかる、重厚なタイヤの走行音が聞こえてきたのだ。


 二人の所員が引手を左右に引いて、構内舗装路に面している側の扉を開け放つ。春風というには涼やかな朝の空気が入ってきて、留依は外を覗き込みながら、白衣の襟を寄せた。


 ほどなくして兵員輸送トラックが全身を見せた。完全に停車する直前に、後ろの荷台から帰還兵の数人が降り立つ。


「撃たれているわ。まずは近郷こんごう准尉を診てちょうだい。ストレッチャーを!」


 F分隊の隊長、瀬々英里奈(せぜえりな)がそう報告してくる。


 後ろを覗き込むと、隊員達に両側からかつがれているような形で、近郷巽己(たつみ)が降ろされていた。その頭は糸の切れた人形のようにうなだれていて、意識を失っているか、朦朧もうろうとしているか判然としなかった。


 留依は両手を胸の高さまで上げて、答える。


「瀬々少尉。誠に申し訳ないのですが、私の専門は一般兵ではありませぬ。ささ、あちらへ」


 横に移動して場所を空け、近郷がストレッチャーに乗せられて運ばれていくのを見送る。彼も格闘兵なのだが、ガーゼや包帯の具合からして、白兵戦ではなく銃撃による負傷のようだ。


 戦争のシビアさをまざまざと見せつけられる光景ではあったが、共感能力にやや欠けるところのある彼女には、「ヤバそうだなー」という程度の感慨しか湧かなかった。


 振り返ると、ヴァレリア・シウバとマリナ・ルアのチート兵コンビも輸送トラックから降りて、こちらへ向かってくるのが見えた。


「ヴァレリアちゃーん、マーリーナ」


 留依は腕を広げて二人を迎える。後者が引き気味のジト目で歩を緩めるのがわかったが、気にしない。


「センセイ、ただいまでーす」


 ヴァレリアの方は無邪気に手を振ってくる。それに合わせてサイドポニーも一緒に揺れているのが可愛かった。


「二人ともおつかれさま。無事そうで何より。体、どこかおかしなところはないかい?」


「全然。あたし達よりも捕虜の心配をした方がいいかも~」


 やや自慢げに、少女兵は親指でくいっと後ろを指し示す。タンカで運ばれようとしている数名のK1軍強化兵からは、ダメージの深さが見てとれた。 


 まだ息がある内にいじくり回して、K1軍のモンスター化路線ウィルスがどんなものか確認及び記録しとかないと。留依はそんな不穏当なことを考えつつ、ヴァレリアににっこりと微笑む。


「今回もパフォーマンス・オブ・ザ・ナイトだったみたいだね。さすがはヴァレリアちゃんです」


 パフォーマンス・オブ・ザ・ナイトというのは、合衆国のMMA興行で、その夜に最も優れたパフォーマンスを発揮したとされる選手に贈られていた賞の呼称だ。その大層な目録には、一年は遊んで暮らせるという賞金が付いてくるらしい。


 こっちは実際にご褒美を用意しているわけではないが、ヴァレリアはそれに相当する活躍をしたという賛辞の一種である。


 ヴァレリアは照れも、日鶴ひづる人特有の謙遜もせず、「いえーい」とピースを形作った右手を眉の上で斜めに傾けた。ギャル風のそんな仕草も似合っている。


 自分も真似してどこかでやってみようかしらと留依は密かに思ったが、想像してみると痛々しそうな気がしたので、誰もいないときにフィットネスルームのパネルミラーでセルフチェックしてみようと心に決める。もし、あまりの羞恥しゅうちに耐えきれず奇声を発して転げ回りたくなっても、フィットネスルームならマットがあって痛くないだろう。


「それでも一戦交えたわけだし、決まりだから、念のためにってことで視診や触診させてね」


 留依はそう言って、マリナの上着を脱がせにかかろうとした。


「ちょっ。こんなところで……」


 マリナは男の目があるからと、恥ずかしがって抵抗する。衝立ついたてがあるし、アンダーシャツまで脱がせるわけではないから大丈夫、と説得する。


 本当のところ、留依はどうしても診察をしたいというわけではなかった。戦闘服やアンダーユニフォームにくっつけてあるGPSデバイスを回収するために、こんな一芝居を打っているのだ。


 グローバル・ポジショニング・システム、というのがGPSの正式名称だ。軍事用に打ち上げた人工衛星から送信される信号や電波によって、時刻や受信機の位置が割り出せるという画期的な衛星測位システムである。


 GPSデバイスというのはその受信機を指し、小型のウェアラブル端末として、主に戦闘服のズボンのエッジ部分に装着されている。当然、兵士達にはデバイスの存在は知らされていない。


 内蔵のGPSで戦闘における移動距離やスピードなどが測定でき、それらのみならず動きの強度、心拍数や消費エネルギーまでも算出できるソフトウェアが組み込まれている。


 そのようにして多角的に測定されたデータを解析し、格闘兵のパフォーマンスとコンディションを管理するのが、この機器の表向きの導入目的といえよう。


 マリナのそれが故障しているとわかったので、秘密裏に回収と交換をしなければならないのだ。


 と、「近郷准尉、息をしていません!」「人工呼吸器を!」という所員達の慌ただしい声が聞こえてきた。


 留依は「ごめん、待ってて」とマリナの上着脱がせを中断し、ヘルプに向かう。一般兵は担当外とはいえ、重患ともなれば話は別だ。


 それに、近郷巽己はG分隊をまとめ上げている隊長で、ヴァレリアとマリナのお守り役でもある。分隊長をすげ替えなければならないようなことになって、二人のモチベーションやコントロールに影響があっては面倒なことこの上ない。


 ストレッチャーに寝かされているG分隊の隊長は人工呼吸器をあてがわれ、心臓マッサージが施されるところだった。どうやら事は切羽せっぱ詰まっているようだ。


 留依は英里奈に話しかける。「近郷准尉の背嚢はいのうはありますか?」


「えっ?」と意図をつかみかねている彼女に、「早く持ってきてくださいませ」と続ける。


 差し出されたリュックサックを受け取り、留依はしゃがみ込んで中を探る。すぐに、少林寺拳法の道衣を見つけることができた。


「何をするつもりなの?」と覗き込んで言う英里奈に、「こうするんですよ、っと」と道着を手に持って立ち上がる。


 そして、近郷の人工呼吸器を外して、おもむろにその青色の生地を嗅がせる。


「何しているんですか!」と所員達から非難が噴出する。が、留依は聞き流した。


 ほどなくして、すんすん、と匂いを嗅ぐような浅い呼吸音が連続的に聞こえてきた。戸惑いの入り混じった歓声が上がる。英里奈の「いや、おかしいでしょ」というつっこみも。


 留依にはわかっていた。藍染めの袴の匂いや、道場の畳の匂いが好きだという人種がこの世にいるのだということを。近郷もその一人であることを。


「さあ、輸血と銃創の縫合を急いでー」とてきぱき指示をすると、留依はポケットに手を入れて、白衣をひるがえしながら背を向ける(決まった……)。


 しかし、この方がよりかっこいいだろうと目を瞑っていたために、人がいることに気づかず顔をぶつけてしまう。「あたっ」


 鼻筋をさすりつつ目を開ける。兵士が「すみませ……」と言いかけながら振り返ってくるのがわかった。


 ベリーショート風の硬質な髪に、がっちりした顎のライン。意志の強さを示すかのような眉に反して、無気力っぷりを隠せてない目元。


 眼前に立っている帰還兵に、留依はどことなく見覚えがあった。のだが、どうにも名前は思い出せない。


 今のは自分が悪かったから謝ってもらう必要はない。けれど、彼の口から続きや次の言葉が発せられることはなく、留依はその途切れ方が妙に気になった。


 更に、視線までもが留依の胸の辺りに縫い留められているかのように動かず(え、おっぱいを凝視されてる?)、「な、何?」と首を傾げる。


 そこで、目と鼻の先の兵士が嫌そうに見ているのは、胸なんかではなくて、白衣の方だということに気づいた。


「あっ。もしかして、カレーうどんの染みとか付いてる?」


 軍医兼研究員は白衣を引っぱりながらあちこち確認する。特に血以外の染みは付いてなかった。


 けれども、彼は白衣から顔を上げず、視線も表情も険しさを増していく。それは、どこか激憤をこらえているようにも見えて。留依は思わず気圧される。


譲二じょうじ、そんなところに突っ立っていると通れないよ」


 白衣に嫌悪感を露わにしていた少年兵は肩を叩かれて、はっとしたように、それまで身にまとっていた雰囲気を霧散させた。


 肩を叩いたのは、F分隊の有働渚ゆうどうなぎさだった。やや疲れの色が浮かんでいたものの、冗談めかして微笑んでいる。


「そうだぞ、どけよっ。おまえに乱暴されてテニスボール並みに腫れているかもしれないあそこを診てもらわないといけないんだからなっ」


 渚の隣に同じ分隊の千賀雅紀せんがまさき。なぜか内股気味になっているが、怪我でもしたのだろうか。


 譲二と呼ばれた兵士は、わずかに肩をすくめる仕草をした。そして、こちらを一瞥いちべつしてから、体の向きを変えて、行ってしまう。


 その後ろ姿を眺めながら、留依は口をすぼめて、軽く息を吐き出した。


「彼は何かねぇ、軍医にトラウマでもあるのかね。ブログのコメント欄で誹謗中傷してくるアンチにブロック設定をした格闘家みたいに、心を閉ざしている感じなんだが」


「知りませんよ」と、丸椅子に座った沼井鏡花ぬまいきょうか氷嚢ひょうのうを顔面にあてがいながら、言い捨てる。


「うわっ。その顔、どうしたの。ジョシカクでは、男性に比べて筋力が劣るがゆえに打撃戦でなかなか倒れなくて、でも被弾数は積み重なっていき、なまじKOされるよりもダメージが溜まりやすかったっていう説があるけれど、そのとおりかもしれないなー」


 留依は鏡花の怪我具合を観察しながら、「これは酷い」というように口に手を当てる。KOというのはノックアウトの略称だ。


 鏡花のこめかみに青筋が立っていた。が、デリカシーといったものを持っていない軍医には知る由もないのだった。

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