第三試合 1.印国の毒蛇
格闘兵ではない兵士、つまり一般兵の中には、MMAを「ミリタリー・マーシャル・アーツ」と誤読してしまう人が結構いるらしい。
主流というか正しい名称は「ミックスド・マーシャル・アーツ」で、総合格闘技という意訳で使われる。
戦場における戦闘で駆使される近接格闘術、という意味でのミリタリー・マーシャル・アーツは語感的にありそうで、文法的にもおかしくはない。のだが、それならば源流の名称となるマーシャルアーツでよく、わざわざミリタリーを冠する必要はない。
マーシャルアーツには短剣や銃剣などの白兵戦も含まれ、ルール無用の外敵を想定して、やや何でもありの内容となっている。
この源流の複合名詞だが、世間に浸透しているかというと、CQCという略称で有名なクローズ・クォーターズ・コンバットもあり、半々だろうか。
しかし、松浦譲二達、最前線で至近距離の戦闘を経験する格闘兵にとっては、マーシャルアーツの方が断然、しっくりくるのもまた事実だった。
CQCは、どこか遠い世界の、テレビゲームの操作名称のように響いてくるのだ。そう、ごく普通の家庭にいる少年が好んでやる、アクションゲームのような……。
譲二は小銃のグリップを握る手に力が入りすぎているのに気がついた。誰にも気取られないように、握っている部分をそっとずらす。
「こんの、野郎~~~~ッ」
土埃や砂が付いて更にくすんだ色をしているウェーブの髪が乱れ、口の端に血を滲ませている沼井鏡花が毒づいていた。
「落ち着きなさい! 頭に血が上っていては、ますます相手の思うつぼよ!」
瀬々英里奈がそれをたしなめる。
現在の時刻は、夜の帳が完全に下りてから数時間が経過した頃だろうか。ボクシングや総合格闘技の試合が地上波で放送されるときの、いつもの時間だ。
設置したポータブル照明灯に照らされて、辺りは試合のリング周り並みに明るい。
穂尾諸島の南西に陣取っているUFC侵略軍は、夜になったら動きが活発になることが多かった。姿形をけぶらせてくれる闇夜の中を北上して、本土を目指してくるのだ。
しかし、今夜はそれと接敵する前に、譲二達F分隊とG分隊で混成された斥候チームは、運悪くK1軍の分隊と遭遇することになってしまった。
正道館大学に駐屯するプライド軍の小隊と同様に、K1軍側でも小隊を配置して穂尾諸島の専守防衛を担わせているため、監視や巡回が被ってしまうことがあるのはどうしようもないことであった。
交流が断たれているだけなので、素通りできていれば何事もなく済んだのだが……。G分隊の強化兵の一人がちょっかいを出してしまい、ご覧のとおり戦闘行為へ移行、というのが数時間前の話だ。
今回のK1軍は、一般兵と強化兵がそれぞれ四人という構成だった。後者に対しては、F分隊から有働渚と鏡花が、G分隊からは二人の強化兵が出て対応に当たり、目下こちらの三勝といった戦績で最終戦を迎えている。
「うわわっ。鏡花、やばくないかっ」
譲二の隣で同様に観戦している千賀雅紀があたふたした。
「大丈夫だよ。うちの紅一点を信じよう」
座り込んでいる渚が左腿の外側をアイシングしながら、そう言う。肩で大きく息をしていて、端正な顔にできた痣が痛々しく、今しがた一戦を終えたという様相だった。
譲二は鏡花の対戦相手を見やった。
鏡花と同じく女性の改造兵士。片目が隠れている黒髪ロングのを背中のところで太く三つ編みにしていて、それに引っぱられてつり上がっているかのような目がぎらついている。
へそ出しタンクトップ姿という出で立ちの横腹に蛇の入れ墨が入っているのもそうだけれど、何より目を引くのはその手足の長さだった。外見の目測と、胴体をタトゥーの長蛇がうねっている様から背の高さは容易に見てとれるが、それにしてもリーチが広い。
今は、クローズガードの構えのために両腕はやや窮屈に折りたたまれているものの、地を踏みしめている脚の長さは隠しようがない。高身長にふさわしいリーチ、いや、それ以上の長さだった。
「シッ!」というK1軍強化兵の掛け声。
その四肢から繰り出されるジャブやストレートは、キックボクシングが主流のK1軍ならではの精度とスピードを有していて、鏡花はその拳の弾幕に晒され続けて間合いを詰められずにいる。
「あの女ストライカー、只者じゃないぞ」
譲二はそう呟く。「……だね」という渚の返し。
ストライカーというのは、総合格闘技においてパンチや蹴りなど打撃系の技を主体に、立ち技で試合を組み立てて戦うことを是とする選手タイプの通称だ。
その好例であるキックボクシング出身者は、スタンドでの打ち合いに滅法に強いものの、テイクダウン耐性やグラウンドディフェンスに難があるのが通例となっている。
それも当然で、彼らのバックボーンとなる競技において、投げ技や寝技といった打撃以外の攻撃手段は禁止されているのだ。この戦時下において、MMAに適応するため、K1軍でもそれらへの対応の練習も取り入れているものと推測されるが、まともな指導者が不足しているなどで、どうしても疎かになってしまう。
しかし、目の前にいる強化兵女は違った。
鏡花が時折、懐へ入ることに成功してグラウンドでの勝負に持ち込んでも、女はその長い四肢を活かして、逆に手首などをつかんで極めを封じたり足で蹴って引き離したりと、巧みにガードをしている。
「体の使い方が巧いな。本当に立ち技格闘技の出かよ」
譲二には、習練のなせる動きというよりは、才能に見えた。己が身体の利を理解していて、それらを効果的に最大活用ができるというナチュラルな才。
敵手はグラウンドの体勢から片肘をつき、徐々に立ち上がろうとしている。鏡花がそれをさせまいと組みついて引き込もうとしていて、両者ともに中腰の姿勢で膠着していた。
その力が入りづらい半端な体勢から、女は鏡花の側頭や顔面にパンチを振るう。手打ちではあるのだが、リーチが長い分、遠心力が乗っているのか、鏡花は嫌がって顔を背けている。
「ほえー。どちらも蛇みたいだなっ。なんか二匹の蛇が互いに絡み合って、絞めつけ合っている感じ」
雅紀のその言いように、譲二は相手のコードネームを思い出していた。“ブラックマンバ”。
西洋地帯から地中海を挟んで南方の、暗黒大陸と呼ばれる土地の一部に生息する黒塗りの蛇の名称だ。世界最強の猛毒を有し、すべての生物から恐れられている蛇でもある。
彼女のようにリングネームで、あるいは改名したり二つ名を挿入したりして、登録されている格闘兵も少数ながらいる。大半は強く見せたいという理由からだろうが、もしかしたら敵軍に身元を特定されないようにといった事情もあるのかもしれない。
日鶴軍を支援してくれている駐留合衆国軍の兵士は、いつかは自由主義の合衆国へ戻ることになる。その際に兄弟殺しの件で魔女狩りにかけられて迫害されることがないように、戦場ではできる限り本名を晒したくないという気持ちはわからないではない。
ちなみに、周りが勝手に命名している(本人もまんざらではない)鏡花の通り名は、“茨の森の眠り姫”である。
茨の森というのは彼女の髪型や執拗な戦法に由来し、寝技に自信を持っていることからも眠り姫とあだ名されている。中二病がかいま見えるネーミングセンスではあるが、格闘家の二つ名なんてそんなものだ。
童話のヒロインのような呼称だが、実際の泥臭いファイトスタイルを目にした者はその落差にあんぐりと口を開けさせられるだろう。個人的にはそこがいいと譲二は思うのだが。
「あっ、ダメだっ」
雅紀が頭を抱えるような身振りをし、それを受けて譲二が見やると、ブラックマンバが鏡花のホールドを切り、逆に四つん這いとなった彼女のバックについたところだった。バックマウントポジション!
ブラックマンバは鏡花を背中から抱え込み、蜘蛛のように両足をクラッチさせて、腕を首に回す。後ろから首を絞め上げる技、バックチョーク、日鶴語でいえば裸絞め狙いだ。
「沼井鏡花!」
英里奈の叱咤の声。伝達のタイムラグを懸念してか呼び捨てになっている。
「こっ……! 私に寝技勝負を挑もうなんて、十年早いのよ!」
鏡花はすばやく顎を引いて、ブラックマンバの腕をつかんだ。バックチョークは不発となる。更に、一本背負いの要領で、前方へ頭から落とそうとする。
しかし、背中にひっついている蜘蛛女は、前傾姿勢になりながらも手を地面について、落下を阻止した。足でのクラッチも解けていない。なんというボディバランス。
これでまたも膠着。かと思いきや、チョークを諦めたブラックマンバが、地面についている手で体を支えたまま、鉄槌を落としてくる。
今度のパンチも手打ち気味とはいえ、鏡花にとってはきつい。
「まずいな……。あのポジションのままではにっちもさっちもいかないぞ」
譲二が見たところ、ブラックマンバは鏡花よりも一階級は上だ。痩身ながら身長は十センチメートルほど違い、体重にしても五キログラム以上の差があるだろう。
そんな重い奴にのしかかられてしまったら、それを跳ね返したり、脱出したりするのは容易ではない。
「……ねぇ。あれって手詰まりじゃないの? 昔に少しテレビで観た総合格闘技の試合で、あんなふうに下の人がどうすることもできず、審判に止められるというパターンがあった気がするんだけど」
英里奈が振り向いて、眉間の辺りに焦燥を浮かべながら、渚に確認をする。
「そう……ですね。さすがに、これは詰みかもしれません」
渚のその返答に、英里奈の顔に愕然とした表情がよぎる。譲二は上官がそういった反応をするのも致し方ないと思った。
なぜなら、ここは戦場。敗北には常に死の可能性がつきまとう。殴り殺されるか、絞め殺されるか、いずれにしても改造兵同士の戦いは原始的で野蛮な決着のつき方になりがちだ。
そして、格闘兵による闘争は一対一、というルールが戦時国際法で定められているため、譲二や英里奈は表向き手出しができない。仮に加勢しようとも、膂力の違いから、足枷にしかならないだろうが。
譲二達はどうあれ、鏡花の勝利を信じて見守るしかないのだ。
「でも……、ほら。そろそろ、沼井鏡花の“異能”が発現しますよ」
渚がひらりと手で指し示した。
英里奈とほとんど同じ動作で、譲二は視線を戻す。鏡花とブラックマンバ、二者の格闘兵が鎬を削っているその空間がぐにゃりと歪んだ気がした。
ぎょっとするブラックマンバの下で、鏡花の髪が波打ち、四つん這いの姿勢からぐぐっと腰を浮かせる。その下の地面に、踏ん張った足の、電車道のような跡ができた。
「……あんたは、絶対に……この手で、絞め殺す……」
鏡花の裂けるような口から漏れ出るのは、呪詛。譲二は、彼女の双眸の瞳孔がすうっと縦長に変形していくのを幻視した。
(……ボンバイエ・モード……)
譲二は思わず顔をしかめる。言いようのない嫌悪感がそこにはあった。
鏡花や渚達、特殊格闘兵はイノキ・ゲノム・ウィルスなるものを体内に投与されている。その人工ウィルスは、筋肉に作用したりアドレナリンの分泌を促したりして、筋力増強や興奮反応など身体機能の大きな上昇をもたらす。
彼らが強化兵と言われるゆえんだ。
UFC軍の魔改造兵らも然りで、自国及び友軍と敵軍とで強化兵や魔改造兵などと線引きをしているが、つまるところ、同じ穴のムジナでしかないのだ。今まさに反目し合っている鏡花とブラックマンバも含めて。
そして、譲二はというと、新兵訓練でウィルス反応なしの結果が出て、その強化兵なるものになり損ねている身だった。だからか、どうしても、彼らを見る目にはネガティブな感情の影が入り混じってしまう。
強化兵や魔改造兵はその超人化の度合いに応じてレベル1、レベル2、……最高でレベル4、という具合に区分される。
身体能力の増大という尺度によってカテゴライズされるものなのだが、レベル1から、明らかに一般的な人間の定義から外れた能力が備わってくるようになる。
鏡花はそのレベル1のチート兵であり、先ほど渚も言っていたように、前述の異能を持っているのだ。それが、今、発動される。
「ぐ、うっ……!」
ブラックマンバの喉から、言葉にならない苦悶が漏れる。
見ると、鉄槌を振るっていたはずの腕に鏡花の手が蛇の如く絡みついていた。どころか、獲物に巻きついて締め上げるかのように、ワンハンドアームロックを極めかけている。
「キターーーッ!」という雅紀の歓声。
「どういう関節してんだよ……」
譲二は軽く引いていた。あの肘と手首の曲がり具合は、人間の域を超えている。
更に、鏡花は胴体をねじっていって、ブラックマンバと正対する格好に体位を戻した。更に、足のクラッチからも蛇のようにするりと脱出する。
危険を感じたブラックマンバがマウントポジションを解除して、スタンドに戻ろうとする。が、それよりも先に鏡花が下からの腕ひしぎ固めを見舞っていた。
まだ腕は伸びていないものの、捕食者と被捕食者の立場が入れ替わり、逆に捕らえられた蜘蛛女は苦しそうな顔をする。
これが沼井鏡花の、強化兵としての才。IGウィルスによって劇的に引き上げられた体の軟らかさの前に固め技などは通じなくなり、攻勢に転じればその柔軟性でもって相手を拘束しうる。まさに魔のごとき能力。
そう、〈ボンバイエ・モード〉というのは、悪魔と契約して不正に得た理外の力。
戦場で畏怖と軽蔑の念を込めて密やかにささやかれている、MMAの公式ではない三つ目の読み方、「マジカル・マーシャル・アーツ」。悪鬼羅刹の力による近接格闘術。譲二はそれをまざまざと見せつけられていた。
「ナイスだわ、タップさせなさい!」
応援とあまり大差がなくなってきている英里奈隊長のコーチングをよそに、譲二はふぅと息をつく。
(なんとか逆転といったところか。ったく、ハラハラさせやがって)
と、そこで譲二は、雅紀がすっと隣に移動してくるのを横目で見てとっていた。何だ、と訝って振り向こうとするが、その前に。
「勝ったな。ちょっと小便をしに行ってくるか」
決闘から目は離さず、誰のつもりなのかキャラクターを作って、勝利を確信した台詞を口にする雅紀。
「ああ。……って、外すフラグになってしまうからやめい」
同意しかけた譲二は、そうつっこむ。勝負は最後まで何が起きるかわからない。
ラウンドマスト判定のボクシング試合をテレビで見ていて、彼我の差が圧倒的とわかると、まだ試合が終わってもいないのに、判定勝ちを確信して「よし、風呂に入ってくるか」と視聴を一時中断する人がいるらしい。
そういった素人の先走りもはなはだしい断定は、えてして、戻ってきてテレビを点け直したら逆転KO負けを喫していた……という逆フラグになりがちだ。
腕ひしぎ固めがまだ完全に極まらず、勝負の天秤が鏡花の方に傾いてきているとはいえ、どちらに転ぶかわからない今回の状況でも同様である。
ブラックマンバが片膝をつく要領で鏡花の顔面に膝を押しつけて、視界も塞ぎ、捕らえられていた腕を引っこ抜くことに成功した。すぐに立ち上がられ、距離をとられる。
「おい、雅紀……」
譲二がジト目で見ようとする前に、雅紀は「あわわわわ……っ」とうろたえていた。
「せ~~ん~~ば~~く~~ん」
「ひいいぃぃ、すんませんっ」
更に英里奈からの名指しも重なって、雅紀は平謝りした。恐れをなした譲二は顔を背ける。
その間に、渦中の両者は呼吸を整えながら構え直していた。ダメージが色濃い鏡花、体力の消耗が激しいブラックマンバ。どちらに軍配が上がるか。
ブラックマンバがローキックのフェイントを入れ、それにつられて鏡花が反射的にバックステップする。その直後だった。
「あっ!」
譲二は慌てて身を起こす。ブラックマンバが転身して駆けていき、瞬く間に、照明光の届かない森の中へかき消えた。
K1軍の一般兵士らもそれに続いていく。「えっ」と呆気にとられてそれらを眺める鏡花。
間を置かずに、別方向の茂みから見慣れない戦闘服の兵士が数人、洗練された身のこなしで立ち上がっていた。小銃を担いでいる。
ズッファ軍! いつの間にここまで!
「伏せなさい! 撃ってくるわよ!」
即座に状況を察した英里奈の号令が響き渡り、譲二は前方に身を投げ出して腹這いになり、小銃を構えた。
銃撃音とマズルフラッシュが闇夜を切り裂く。ズッファの兵士が発砲してきたのだ。位置的にしんがりを務めることになったK1軍兵士も、退却しがてら撃ち返していた。
ポータブル照明灯が破壊されて一瞬、激しく火花が飛び散った。直後、辺り一面が黒く塗りつぶされてしまう。
頭上を銃弾がかすっていくような錯覚に身をすくめ、顎が地面にめり込むくらいにヘルメットを傾けさせて、譲二は狙いもろくにつけられないまま威嚇射撃をする。
フルオートの振動で暴れそうになる銃身を押さえつけながら、どうにか見上げると、G分隊の特殊格闘兵ではない数人も慌てながら身をかがめて、ズッファ兵に撃ち返しているのがわかった。




