第一試合 3.F分隊
口を開きかけては閉じ、何か言いたそうな挙動をとる渚に、譲二は「わかってる」と手を上げた。
鏡花は目元に非難めいたものを浮かべていて、譲二が目を合わせると「フンッ」とそっぽを向かれる。ボリューミーな癖っ毛が跳ねた。
その態度に肩をすくめていたら、
「譲二、譲二。やばいって」
と、腕をバタバタした雅紀がひそひそ話をするみたいに口元を手で覆って、一方の手で肩越しに後ろを指差す。
譲二はあまり気が進まなかったが、そういうわけにもいかず体の向きを変える。と、まなじりをつり上げている英里奈の視線とぶつかった。
「……松浦くん、まだ言うことがあるでしょう。事前に伝えてあったはずの時間に遅れてきた理由は?」
表面は理性的なれど、隠しようもない怒気を内包して上官は尋ねてくる。譲二は、緩くだが、気をつけの姿勢をとる。
とてもでまかせや冗談など言える雰囲気ではなかった。が、
「ランニングをしても既定の体重まで落ちなかったので水抜きをしようと風呂に入っていたら、少しのぼせてしまいまして」
譲二の返答に英里奈は「え……」と目を見開く。
「おおっ、譲二。ストイックじゃんっ」という雅紀の声。すぐに渚が「しーっ」と諫める。
「だ、大丈夫なの? 冷たいタオルなどで頭や首筋を冷やした方がいいわ。過度な減量は内臓に負担がかかって体によくないわよ」
すぐに見透かされるだろうと思っていた言い訳が立ちそうになっている。譲二は何だかいたたまれなくなってしまった。
「というか、松浦くん達はもっと体重を作らなきゃいけないのに、どうして水抜きを……。戦場にボクシングみたいな階級の概念はないのよ。どこもヘビー級やライトヘビー級の格闘兵ばかりなんだから」
「すみません、嘘です」
譲二は即座に謝った。「は……?」と英里奈は一瞬、固まってしまう。
背後で誰かが溜め息をつくのが気配でわかった。おそらく鏡花だろう。
「……あなたねえ」
英里奈の薄い唇が怒りに震えていた。
手が上げられる。平手打ち。譲二は頬に衝撃が走るのを感じた。
「怒られているっていうときによくもふざけていられるわね……。軍人としての自覚が足りないのかしら」
引っぱたいた手の痛みを和らげるかのようにばんばんと打ち払う英里奈。
「……何となしに口に出してしまいました。反省しています」
「あなたがここに配属されてからもう半年よ。まだ訓練生気分が抜けていないの?」
譲二は顔をしかめる。我らがF分隊の隊長で、直属の上官でもあらせられる彼女の説教は簡単に終わりそうにもない。
諦め気味に目線を下げる。軍服のスカートから覗く黒いストッキングが視界に入り、ムエタイ選手のように均整のとれた脚だな、と場違いなことを考えた。
「そもそも、勤務時間中に単独行動はしないで。せめて、誰かにどこへ行くか伝えておくこと。すぐ戻ること。いいわね?」
「はい」と従順に返事をしながら、譲二は反射的に目の高さを戻す。
サイドパートに流してある前髪、首元が見えるか見えないかぐらいのショートボブ。細い眉に理知的な瞳。
瀬々英里奈少尉は美人と言っても差し支えなかった。が、“鉄の女”と形容されることもある厳格な性格がそれらをやや台無しにしていた。
「……ちょっと。聞いてるの?」
彼女とこうして衝突したりするのは一度や二度ではない。譲二は目の前の女上官と相性が悪かった。
(……相性が悪いなんてものじゃないな。はっきりと、嫌われているんだ)
最初こそはまだ気にかけてくれていたのだが、度重なる素行不良に見切りをつけられてしまった。ウェイトオーバー常習犯の格闘技選手に白けきった目を向ける記者のように。
いっそのこと諦めて無視をしてくれたらと譲二は思うのだが、責任感が強いのか、いつまでも注意や小言が絶えない。むしろ、辛辣になっていく気さえした。
(まあ、どうでもいいさ……)
そう、どうでもよかった。戦場での生き死にの前には、上官との微妙な関係も些末なことだ。
現場での連携などに支障がない限りは、問題ない。そして、その点に関して英里奈は信頼できる分隊長だった。
「松浦くん! 返事は!」
隊長の怒声に、譲二は「はい。聞こえています」と答える。
英里奈は一瞬だけ疑うような表情を浮かべ、すぐにそれをかき消した。
「……あなたね。表面上だけでもいいからもう少し軍人らしく、ちゃんと話を聞いているっていう態度を示しなさい。不良上がりの選手みたいに所かまわず反骨精神を表明していると苦労するわよ」
反骨精神という単語に、譲二は違和感を覚える。自分の中ではそんなものはおくびにも出していないつもりだ、と。
もしも万が一、そう見えているというのなら、彼女の言うとおり気をつけなければいけない。これ以上、誰かに目をつけられるのはごめんだった。
「じゃあ、ブリーフィング内容の共有をするわ」
英里奈はこちらの返答を待たずに視線を切り、全員に向き直って、伝達事項を話し始める。譲二は聞こえないように一息ついた。
今日のブリーフィングで各分隊に言い渡された今後の作戦予定はこうだった。
明後日、F分隊とG分隊のタッグで斥候チームを組んで、穂尾諸島の南西端を偵察。敵の手中に落ちている数島以外は問題ないか調査をしていく。
調査が済んだら、占領しているUFC軍に示威行為を実施。その際に魔改造兵を矢面に立たせてくることが想定されるため、特殊格闘兵が対応をする。
F分隊の特殊格闘兵は有働渚、沼井鏡花、千賀雅紀に譲二を含めた四人だ。これまでにも何回か実戦をこなしているが、幸いまだ誰一人も欠けていない(雅紀が何度か死にかけたけれど)。
その偵察任務を遂行してからの話ではあるが、次はひと月後に防衛省と国土交通省の役人が現場視察に来ることになっていて、それに向けた演習などの準備を行っていく。
「政府視察では、格闘兵の演習を披露する一環として、MMAのワンデイトーナメントが企画されているのよね」
MMAとはミックスド・マーシャル・アーツという合衆国言語による複合名詞の略称で、日鶴語でいえば総合格闘技という意味となる。
総合格闘技とは、一対一の格闘において、ルールで定められている範囲でパンチやキック等の打撃の他に投げと関節技、締め技といった様々な格闘技術をミックスした、各々の闘法で相手の体力を削り合い勝敗を競うものだ。
「四選手のエントリーによる準決勝二試合と決勝戦という形式で考えているみたい」
「結構、本格的ですね」と渚。
「もし参加したいのなら言ってちょうだい、有働くん。あなたなら四選手の枠に残れるかもしれないわね。まあ、明後日の偵察任務後の体調次第でしょうけど」
「隊長隊長。オレはっ? このトーナメントからオレの伝説ロードが始まる予感がっ……!」
雅紀が鼻息も荒く意気揚々と手を上げる。その勇ましそうな目には大志が透けて見えていた。
「あなたはやめておいた方がいいわ。そのロードには残念ながら、合気道の達人が強者との試合に赴くときの廊下で幻視することがあるという、南京錠や鎖のかかった堅牢な門が出現しているだろうから」
英里奈のばっさりな評価|(格闘技オカルトを持ち出してきよった)に、雅紀は「ぐはぁっ」と呻き声を上げて崩れ落ちていく。
その容赦ない例えに冷や汗をかいていた譲二は肘で突かれて、隣に立っている鏡花を見やった。彼女が話しかけてくるのはめずらしい。
「ねえ。トーナメント、出てみたら?」
半眼で悪戯めいたことを言ってくる彼女に呆れつつ、その提案を一蹴する。
「冗談言うな。俺ぁ強化兵の適性ゼロなんだ、相手にならねえよ。そもそも披露演習なんだから、上の連中としても、俺みたいな不良軍人はお断りだろ」
「何だ、つまらない。せっかく、あんたがボッコボコにされるの見てあげようかと思ったのに」
そう挑発的に返して、鏡花はちろちろと先を細くとがらせた舌を出してくる。譲二は頬をひくつかせて、このメデューサ女めと胸の内で悪態をついた。
「……というわけで、明日の訓練は午前だけとするわ。午後からは休養をとって、早めに就寝すること。未明に集合して装備をチェック次第、出発よ。以上」
英里奈はそう締める。それで一応は解散となり、彼女はデスクワークのために管理棟へときびすを返した。
所定の勤務終了時刻までまだちょっと時間があった。譲二は何となく腰を下ろして、鏡花達のクールダウンに混ざることにする。
「ふう。あの程度の落雷で済んでよかったよ」と渚が相好を崩す。
「瀬々隊長は譲二には殊更、厳しいというか辛辣だなっ」
「あの態度じゃ当ったり前でしょ」
雅紀の感想に、鏡花が手のひらを見せてやれやれというジェスチャーをしている。
譲二はそれらの光景から微妙に目を逸らした。ごまかすように「渚。トーナメント、立候補するのかい?」と口に出す。
「ん? いいや、あまり気は進まないかな。オファーがあれば拒否できないけど」
「兵士は命令には従うのみ、か。総合格闘技のワンデイトーナメントなんて超絶にハードそうだけどな。プロの大会や興行としても、日鶴でしかやってなかったんじゃないか?」
「確かに、合衆国や外国での開催はまったく聞かないね。キックボクシングはどうだったかな?」
「日鶴人はとにかくトーナメント好きよねー。選手にしてみれば勘弁してくれ、かもしれないけど」と鏡花のからかい声。
「少年誌のバトル漫画でも、トーナメント編に入るとあからさまにアンケート人気出るしなっ。事実おもしろいんだけど」
雅紀がそう言い出したところで、定時を知らせる小気味よいチャイムが鳴った。
譲二は校舎を見上げる。ここからでは建物の陰になって掛け時計は見えなかった。そもそも、高等学校までとは違って、大学の校舎には掛け時計といったものはかけられていないのかもしれない。
チャイムは時間の区切りと、次にやるべきことを教えてくれる。無為に過ごしていると時間は流れていってしまうものだと、未熟な少年と少女達に。
自分は、どうだろうか。譲二は思考が沈殿していくのを感じていた。チャイムの音に慣れてしまって、大切なことを忘れていないだろうか。
そんなことはないと思っているものの、この頃はチャイムがひどくうるさく感じる。急き立てられているような調子で聞こえてくるのだ。
幻聴と区別がつかなくなりそうなチャイム音の中に、「譲二?」という現実の声が滑り込んできた。渚だった。
譲二は意識のチャンネルを戻す。
「どうしたのさ? ぼーっというかそんな怖い顔して」と雅紀。鏡花も訝しげな視線を投げかけてくる。
「……ああ。いや……、何でもない」
深く暗いところへ沈んでいったままの心に蓋をし、何事もなかったというそぶりをして、譲二はそう答えた。




