第十一試合 2.校舎前
私は魔女だわ。
だって、彼らを裏切り、純粋な想いを利用して、地獄に突き落してしまった。
彼らの輝かしい青春やかけがえのない友情を打ち砕いてしまったわ。夢や未来や、希望も粉微塵に……。
自分の国が好きだから、大切な人達がいるからと志願してきた少年少女に超人改造を施し、使い捨ての駒として戦火にくべている。
人非人や鬼だと呼ばれても、私達には反論の余地もない。
昨日の事件は、リングス基地に配属されている日鶴軍人全員の心に一石を投じ、水面に波紋を引き起こさせた。
沖山敦の命を賭した表明行為は、直に対峙した隊員や監視カメラ映像を見ていた者の胸を打った。我々の大罪を抉り出し、白日の下に晒したといっていい。
私達は向き合わなければいけない。これまで己が何に加担してきたのかということに。そして、彼らとも真摯に。
なぜなら、私達は、子供を正しい方向へと導く責務を負った大人なのだから。
「森本。来たぞ」
森本叶恵は園田美紗に呼ばれ、閉じていた目を開く。
美紗は口を引き結んで前方を見ていた。研究棟の通用口から松浦譲二が出てくるところだった。
叶恵は両手を白衣のポケットに突っ込んだまま、ゆっくりと段差から腰を上げる。
先方も気づき、気まずそうに視線がさまよって地面に縫い付けられ、目も伏せられる。
わずかに乱れた歩調も早足に戻っていた。拒否の意思。
「松浦、大丈夫だったか」
歩み寄ろうとする美紗に、何であんたはそう臆面もなく声をかけられるのよ、と叶恵は小さく息を吐く。こちらはまともに顔も見れそうにないってのに。
「謝っても許されることではないが、すまない。……話を、しておきたい」
譲二は完全無視で通り過ぎる。美紗が再度、「松浦」と呼んだ。
そんな資格はないと叶恵はわかっていた。だが、これが彼と話せる最後のチャンスかもしれず、何としてでも引き止めなければいけない。
「……ねぇ、知ってる? 大輝くんはいつも何かを恐れていたわ」
市原大輝の名前を出すと、彼の足が止まった。幾らか効果はあるはずと思っていたが、予想どおりの反応。
(ああ……。君の心を揺り動かせるのは、やっぱりあの子なのね……)
ちくっとした痛みを胸の辺りに感じつつも、叶恵は続ける。
「戦いや死を? ううん、違う。むしろ、それを望み、求めていたわ。ではイノキ・ゲノム・ウィルスを? 私も思った。でも、大輝くんはそれさえも受け入れていたふしがあるのよ。まるで、己の宿業にふさわしいとでもいうかのように……」
決して闘争本能から来るものではなかった。あれは、自戒や贖罪の類だ。
大輝は自己を過小評価していた。真っ当な道を歩むことはできない、人並みの人生を得てはいけないのだと己に言い聞かせていた。
叶恵は思う。あの子が恐れていたものの一つは、もしかすると……目の前にいるこの親友からの失望。
経過観察時の雑談で、大輝は少しだけなら自身や譲二のことも話してくれるようになって、叶恵にこう漏らしたことがある。
『俺は譲二に酷いことをしているんだ。許されないことだ』『もし知られてしまったら、俺達の友情は終わる』
(ねぇ、大輝くんの過去に何があったの? 君にも関係があるようなんだけど、そうまでして思い詰める理由を知らないの?)
どうして彼の両手は既に血で汚れていたの? 叶恵はそう問い詰めたくなる衝動を喉元でこらえた。
「……でも、大輝くんは、一緒に入所することになって更には同じ班にもなった君に、とても救われていたわ」
あなたが追うように志願してきたのは思いも寄らなかったことらしく、彼にしてみれば複雑な気持ちだったみたいだけどね、と叶恵は心の中で付け加える。
彼は一人でこの鉄風雷火の道を行くつもりだった。友には、堅気の職を見つけて普通の生活を送ってもらいたかったのだ。
「あいつはおまえのことを頼りにしていたよ。あの模擬戦でも、おまえは市原に接近してきた正規兵を撃退した。あれには管制室にいた教官の半数以上が喝采を上げたし、駐留合衆国軍の何人かもちらほら拍手をしていたんだぞ」
「そうよ。気づいていると思うけど、松浦くんが相手にしたのは強化兵――チート兵だった。にもかかわらず、君は生身の戦闘力で渡り合ってタッグパートナーを守り切ったってわけ。大輝くんを搬送する際に、あなたのボディガードは合気道の達人の護身術級ね、と言ったら『だろ?』とにんまりされたわよ」
大人達には皮肉的というか斜に構えた態度なのに、親友やF班のことを話すときは年相応の笑顔がこぼれたりしていたのを叶恵は思い出していた。まったく、と妬けてしまう。
「後日こんなことも言っていたわ。『敦や幸進、健吾も色々背負っているみたいだけど、あいつがいるから荷物は軽くなるはずさ! なんたって、俺達F班のリーダーだからな……』って」
叶恵は「だから……」と続けようとして、立ち止まったままのその横顔を見やり、その顎や口元が震えているのに気づいた。はっとする。
向きを変え正面からまっすぐ見据えてくる譲二の口の形はへの字に歪み、強い感情を宿した両目には大粒の涙が浮かんでいた。
こらえきれずに俯き、雫が何筋も頬を流れていく。それらは片手の甲や指の背で乱暴に拭われる。
「……ごめんなさい」
叶恵の口からは自然に謝罪の言葉が出ていた。
そうだ。わざわざ口にする必要なんてなかった。そんなことをしなくても、彼は必ず助けに行く。
(君になら……、任せられる)
と、にわかに辺りが明るくなり出した。薄藍に沈んでいた建物の壁や地面のアスファルトが、本来の色を取り戻していく。
三人とも同じ方向に首を動かして、光源を眺める。新たな一日の始まりが頭を覗かせていた。
「日の出だ……」
美紗が感慨深げに呟く。
未練たらしく地上に残っていた夜の幕を払うかのように、光が力強く差し込んできた。
羽稲島は、いや、日鶴は世界で最も早い朝を迎えた。己を覆い隠していた欺瞞や偽善は今、暴かれる。
「……森本先生、俺の体は」
彼が尋ねてきたことに少し驚きながらも、叶恵は勢い込んで答える。
「イノキ・ゲノム・ウィルスはどうかってことよね。大丈夫よ。あなたは反応無し。直近の検査でウィルスは全て消えていたことが確認されたわ。君は力に呑み込まれることも、自失してしまうこともないのよ」
「そうだ。おまえは普通に生きられるんだ」
美紗も安心させようと、未来に希望が持てるようにと、夜は明けたんだと言う。しかし、
「違う!」
二人のどこか上滑りしていた言葉は両断された。
「そういう意味で聞いたんじゃない! 保身なんかじゃないっ!」
少年の固く握り締められた拳が叫びに合わせて揺れていた。発露される、激憤の感情。
「俺らは……事情は各々あれど、国を、友や家族を守るために戦うっていう思いは共通していた! 大輝も健吾も、幸進も……敦だって! みんな超人改造なんかされなくたって立派な、優秀な格闘兵になっていたんだ!」
地団駄を踏みながら続ける譲二。なりふりかまわないその身振りが彼の怒りを雄弁に示していた。
「それを俺が証明してやる! この生身の体で、魔改造兵が相手だろうと倒して倒して倒しまくって、戦争を終わらせてやる!」
先ほどの「俺の体はどうなっているのか」という問いは我が身可愛さからではなかった。むしろ、その逆で。
己がこの〈やれんのかプロジェクト〉のアンチシンボルになってやる、というカウンター宣言。
「実験が無意味なものだったと知らしめてやる! あの四人が本当に凄かったのは格闘術や射撃技術なんかじゃない! 勇気だ! 他者を思いやれる優しさだ! 深いところでつながっていた絆なんだ! あんたらは身体能力とかそういったものだけにばかり着目していて、あいつらの一番のストロングポイントである“心”を見過ごしてしまったんだ!」
譲二は両手を忙しなく動かしながら、胸の辺りをかき抱く。涙が止めどなく溢れている。
彼が抱き締める胸の中に、叶恵は大輝や敦達の幻が見える気がした。
「あんたら大人が気づいてくれなかったら、俺らの存在価値はいったい何だったというんだ……!」
叶恵は衝撃を受けていた。この上ない衝撃だった。美紗も同様だろう、隣で嚥下する音が聞こえる。
まったく言葉が継げなかった。急所のみぞおちに三日月蹴りをまともにくらった気分だった。もしくは、心臓の位置にハートブレイクショットを叩き込まれた気分。
譲二は半袖で顔を拭い、二人を一顧した後、今度こそ背を向けて去ろうとする。
叶恵は焦燥に駆られた。大輝に続いて、彼も行ってしまう。
言いたいことは伝えられた? これが最後になるかもしれない対話に納得はできた? 全然だった。
でも、彼を再び押しとどめる手段が見つからない。足を踏み出せない。勇気も、もう絞り出せない……。




