第十試合 6.少年の戦い
「僕は、リングスにというより、世界に怒っている。社会に鬱憤めいたものを抱いている。でも、それは僕への仕打ちに対してじゃない」
少年の心情が吐露される。
「戦うのは好きじゃないけど。痛いのは嫌だけど。お父さんとお母さんが誇りに思ってくれるのなら、僕はいいんだ」
酷薄な微笑を浮かべる敦。それは、ともすれば破滅願望にも似ていて。
「さっき聞いてきたよね? 訓練が苦しかったのかって。苦しかったに決まってる。いじめがつらかったのかって。うん、つらかった」
譲二は心が鉛のように重くなっていくのを感じていた。知ってはいたが、本人から言明されると苛辣なことこの上ない。
本当はわかっていた。敦は空気を読んで、譲二達に合わせてくれていただけなのだと。
(……うざかっただろ? 格闘技系ジムみたいな仲間意識やファミリー感を押しつけて、ごめんな)
彼にキャラクターを演じさせてしまって、心の奥底にあったものを見抜けなかった。いや、見ようとしていなかったのだ。
五人でチームだと言いながら、どこかで無意識に敦は違うと線引きをしていた。だから、深く踏み込まなかった。
表面上しか見ずに、F班はうまくやれていると思い込んで……。やっぱり自分はリーダー失格だ、と譲二が思ったそのとき。
「でも、それ以上に――楽しかったよ」
「……えっ?」
「洗濯しても汗臭い作業着や道着。遅れたら罰則ありの点呼。すれ違いざまに肩をぶつけてきたり、教官が板書しているときを狙って消しカスを投げてきたりするやつら。量の多い食事。すぐにお湯が黒くなる風呂。扇風機のない暑い夜に壁を通して聞こえてくるいびきのうるささ。何もかもが最悪だったよ。だけど」
それも輝かしい青春で大切なもの。とでも語るかのように、彼はわずかに顔を綻ばせる。
そして。
「何人かとは兄弟のようなつながりができた。僕はみんなのことが好きだ。だから」
譲二は感極まりそうになっていた。
記憶が混濁しているはずの敦。それでも、譲二達とのことをかけがえのないものとして心に留めてくれている。
「僕はみんなを助けたい。軍にカウンターをくらわせてやることで、イノキ・ゲノム・ウィルスは制御ができない、この計画は失敗だったと考えさせて中止に追い込む必要があるんだ」
そのために、こんなことをしたと彼は言う。
復讐ではなく、みんなの未来に光が差すようにと。
譲二はこの日何度目かの衝撃を受けていた。どうしてそんなことが思いつけるんだ。どうして実行できるんだ。
自分や幸進の後ろをついてきているものと思っていたのに。いつの間にか追い抜いて先を行って……。
(いや、俺が思い上がっていただけだ。こいつは前からずっと一人で、世界と戦っていたんだ……)
「そうなれば、特殊格闘兵は消耗されなくて済む。生きて帰れる可能性が上がる。少なくとも、リングスの連鎖を終わらせることができるんだ」
だとしても、生きて帰れるかもしれないみんなってのにおまえが含まれてないじゃないか。譲二はそう思った。そんなのには行かせられない。
これ以上、仲間が欠けていくのを受け入れられるわけがなかった。しかも、これはとびっきりに酷い形じゃないか。
突然、敦が廊下の方向に目線を移した。視線がじっと床の辺りに注がれる。
ただならぬ空気を察して、譲二も耳をすます。少しだが、階下の騒がしさが響いていた。
突入と制圧の第二波が迫ろうとしている。
「時間、みたいだね」
そう言って、敦は机から降りた。
片方のハンドガンからマガジンを引き出して弾を取り、もう一方に集約させている。弾が空になったハンドガンがポケットにしまわれた。
そうしてから、敦は目に焼き付けるように教室を見回しながら、覚悟を決めるみたいに、己に納得をさせているふうに幾度か小さく頷いている。
覆い隠しきれない恐怖が透けて見えていた。
譲二は決心していた。力づくでも止める。
気どられぬよう両足をじり、と広げる。作戦はこうだ。敦が背中を見せたら引き倒して、絞め技で落とす。
銃への対処は、肩固めの要領で、首を絞めるついでに肩の可動域も封じればいい。もしくは、うつぶせに倒すことができたなら、銃を持っている方の腕を巻き込んだダースチョークもありだ。
「じゃあ、行ってくるよ」
敦が後ろを向いた瞬間に譲二は床を蹴っていた。机と椅子を飛び越えて最短距離で、捕まえるべく手を伸ばす。
譲二はキャスリーンとの一戦でチート兵が驚異的なパワーを有していることを実感済みだが、敦との体重差的に、引き込むことはそこまで難しいものではない。
また、ジャーマン・スープレックスで仕留められたことからも、後頭部などの急所の耐久力は常人と大差ないことが判明している。よって、絞め技も効果がある可能性は高かった。
長期戦は負けに等しく、タイムリミット的にも却下だった。一気に片をつける必要がある。そのためには初手のスピードが不可欠だ。右手で肩や服のどこかをつかんだら、左腕を敦の首に回して、そして……
結論からいうと、譲二のこの戦闘プランは失敗に終わった。
敦の射撃の腕を非凡たらしめている要因とは、空間認識能力の良さに他ならない。
三次元空間における物体の位置や方向、間隔など自身と対象の関係を瞬時に把握し、映像的に記憶ができる特性。脳の異常というべきものなのだ。
敦はその記憶力や聴覚も動員して、半径数十メートル内にある複数対象の位置情報を常に測定している。
標的を移したり、構えを解いたりしても即座に照準を合わせ直すことができる各運動器。反動によるずれや必要な調整をすぐ、測定値の計算に入れられる演算能力。
それらを結ぶ神経の伝達スピードと正確性。
このような異能は当然、近接格闘術にも利が適用される。
「が……はっ……」
譲二の腹に特大の杭を打ち込まれたような衝撃が走る。
敦のカウンターの後ろ蹴りが突き刺さっていた。しかも、ソールの硬い軍靴で。
腹筋と共に内臓が潰されたような感覚に譲二は呻く。アバラ骨がまた折れてしまっていた。
敦は相手を完全には視認していないにもかかわらず、当て勘を見事に発揮させていた。これも空間認識能力の特徴の一つなのだが、譲二には知る由もない。
せり上がってくる極大の鈍痛と吐き気に襲われて、敗者は崩れ落ちる。
テンカウント以内に立ち上がれそうにないどころか、意識が遠のきかけていた。
「許してほしい。君にも怪我をさせた方が、共犯だと疑われにくくなると思うから」
冷然と一瞥する敦。あの内気だった少年はもう、どこにもいない。
「だ、だめだ……。い、行くな、敦……」
「僕のことは気にするな。魔王をも凌ぐ力を得てしまった勇者が、魔物を一掃した後に自分も人々の前から去るのと同じだよ」
ぼやけていく視界の中で、敦が教室を出ていこうとするのが見えていた。小さな背中が遠ざかっていく。
譲二には彼を助けることはできない。体が動いてくれず、声を発することもできなくなっていた。
子供のままでいることを許されず、一足跳びに大人になるしかなかった哀れな少年の最後の闘いを見届けることさえできないのだ……。
「そこにいろ。少年の日の終わりを見せてやる」




