第十試合 2.潜入
譲二が腕時計を確認すると、一時間ほど経っていた。
もう建物から出てくる者はいなかった。中には犯人と、おそらく撃たれて倒れた何人かがとり残されているだけだ。
しかし、基地側はまだ動くつもりはないようだった。慎重すぎるんじゃないかと譲二は焦れる。
銃撃犯が複数いたり、人質を取られたりしているのかもしれない。でも、まだ息のある者を搬送するつもりなら早くしないといけないはずだった。
譲二は周りにばれないようにさりげなく、その場から離れた。人垣の後ろを横切り、ダリアらが集まっているところにゆっくりと近づく。
森本叶恵先生もいた。相変わらず白衣を着込んでいるので、遠目からでは研究員と見分けがつきにくい。
彼女はダリアらと並び立ち、ジープの荷台に乱雑に置かれたオーディオ機器とつながっているディスプレイを覗き込んでいる。ディスプレイ等からは電源アダプターや端子ケーブルが何本も伸びていて、アダプターの方は情報機器担当者が中継用に運んできたコードリールのコンセントに差し込まれていた。
譲二は会話が聞こえてくるぎりぎりの位置に立って、校舎を眺めるふりをしながら、ちらちらとディスプレイの画面を見やる。
モニターは建物内に設置されている監視カメラの映像を拾っていた。
画質が悪いのか映像は水色っぽく、不明瞭だった。しかも数人がディスプレイの前に陣どっているため、少しでも動かれると途端に画面が塞がれてしまう。
その度に譲二は軸足を移し替えるなどして、見える立ち位置を調整した。
映像は一定時間毎に自動で切り替って、建物内の各エリアを次々に映していく。下足室、廊下、階段、教室、トレーニングジム、食堂……。
監視カメラがこんなに数多く設置されているという事実に、疑念が生じる。何のために?
「防弾シールドに、催涙弾やスタングレネード、煙幕の用意ができました」
若い下士官が走ってきて、ダリアに敬礼をした。当然やはり合衆国言語なので、譲二はリスニングを試みる。
「うん。何個ある?」
「はっ、スタングレネードが一個、催涙弾が五本、煙幕が三個であります」
「……少ないわね」
「ここではそういった物の使い方を教えてはいないので、知識や見本用として威力を抑えているレプリカ的なのを少ししか置いてないのが実状となっています。それに、相手は一人なのでしょう?」
「レベル2になっているのよ、絹内。十人力の上、異能持ちのね」
通訳と共に説明を差し挟んだ蘭子だったが、顔を険しくしているダリアにそう言われてしまい、口をつぐむ。
「……リングスの結晶の一片を破棄しなければならないのは惜しいけど、やむをえないわ。被験者一体と、生け捕りする場合に削られるであろう隊員十数名の命は天秤にかけられない。所長に射殺の許可をもらってくる。小銃も装備させて」
譲二はところどころ聞きとれなかったが、とにかく撃った奴は一人で、射殺もやむなしのようだった。物騒な話になってきたな、と苦い気分になる。
レベル2ってどういうことだろう? 何だか胸騒ぎがした。間に合わないぞ、と急きたてられているような気がして落ち着かない。
「まともにいったのでは銃火器は役に立たないわ。まずはスタングレネードや催涙ガスを効かせて、できる限り五感を奪ってから撃つのよ。いいわね!」
「はっ」
フェイスガード付きヘルメットを着用した隊員数十人が、いくつかの分隊に分かれて、玄関口や一階の窓から侵入を開始する。
しばらくすると、二階の窓に閃光が走った。続けて爆発音が響いてき、見物していた訓練兵のほとんどが思わず耳を押さえる。タイプライターを打つような音が断続的に繰り返された。
相手を発見して交戦が始まったのだ。一室の窓には白い煙が充満している。
しかし、ディスプレイの画面に注目しているダリアら面々の表情は厳しいままだ。
「……なぜ、弾が当たらないんだ」
「まるで弾の方がよけていくみたいな……」
「理論では知っていたが、これほどとは……」
発せられる呟きにも悲観的なものが混じっている。佐官の一人は、信じられないとでもいうように首を振っていた。
ダリアは歯噛みしていた。「……本土の駐留合衆国軍に応援を要請してちょうだい」と傍らに控えていた通信兵に命じ、「スペシャリストのを」と付け加える。
「三階へ移動しました。カメラを切り替えます」
蘭子がリモコンを操作すると、映像が差し替えられた。向こうの突き当たりまで一直線に伸びる廊下が映し出される。
その突き当たりのリノリウム床に影が差した。次いで、階段を上ってきた犯人が姿を現す。
距離が遠いのとカメラの画質が良くないのと、逆光とで、全身が蜃気楼のように揺らめいていた。真夏の陽炎の如きあやふやさで、とても顔なんて判別できない。
そいつは無防備に、両手に銃をぶら下げて、廊下を緩慢に歩いてくる。本当にそこにいるのかさえ、目を凝らさないと自信がなくなってくるほどの、存在感の希薄さだった。
だが、譲二には、段々はっきりしてくるシルエットと癖のある挙動で誰かわかった気がした。
モニター画面から視線を切り、譲二は背を向けて歩く。
寮へ戻るふりを装いながら、体育館へと近づいていく。体育館の出入口の一つが渡り廊下とつながっていて、校舎の通用口まで行けるのだ。
譲二はこれからとろうとしている行動にまだ決心をつけられない。見間違いや思い込みかもしれない。そうであってほしかった。
下足室を踏み越えて館内に入り、音を立てないように靴を脱いで手に持ちつつ、アリーナを横切った。目当ての出入口が見えてきたが、思いの外、中庭から丸見えだったので、そのまま渡り廊下を通行することは断念する。
反対側の出入口から用具室を開けて、体育館の外壁と用具室のプレハブ壁の隙間に降りる。靴を履き直して壁と壁の間を通り抜け、体育館の裏から回り込むようにして歩いていくと、渡り廊下が見えてきた。
内から理性の声が聞こえてきた。自分達は無力なんだ。大人の命令に従うか、傍観するしかできない。そうすれば、責任を負わなくて済む。
中庭から見えないように姿勢を低くして、渡り廊下の腰壁に身を隠す。腰壁が途切れているところは、皆が三階を見上げていることを祈って、銃声に合わせてすばやく駆け抜けた。
壁伝いに校舎裏へと回り、雨樋とつながっている排水管の前に立つ。見上げると、二階に並ぶ窓の一つがわずかに開いていた。
また理性の声。危険だ。相手はサイコ野郎かもしれないんだぞ。突入した隊員らに誤射される可能性だってある。
壁に穿たれている金具やその溶接部位の強度を確認したのちに、両手で配水管をつかむ。次いで、壁に足をかけた。
でも、何もできずに親友と離れ離れになってしまったという後悔が心の中に残っている。だから。
慎重によじ登り、懸垂の要領で、一階と二階の継ぎ目に沿うように出っ張っているブロック部分に乗り移った。外壁を背にして、しゃがんだまま横歩きしていく。
開いている窓の下で反転して、サッシの窪みを片手でつかみ、両足のつま先との三点で踏ん張る。そうして、ゆっくり立ち上がる。
中に誰もいないのを確認して、譲二は空いている方の手で静かに窓を全開にした。勢いをつけて跳び、足を乗せるようにしながらサッシを跨ぐ。
室内に降り立ち、すぐに物陰に隠れた。
視聴覚室だった。スクリーンが出しっぱなしで、椅子もいくつか横倒しにされていた。
開け放たれている出入口からは煙が緩やかに入ってきている。譲二の眼や鼻がわずかに刺激された。使われた煙幕と催涙弾の残りだ。
出入口の向こうに見える床には血溜まりができていた。呻き声も耳に入ってくる。
譲二は喉が勝手にごくりと鳴るのを抑えられなかった。
上着を脱いでそれで口元を覆いながら、ほとんど四つん這いでドアの近くまで移動した。そして、煙にけぶる廊下を窺おうとして愕然する。
廊下は、出血している手や脚を押さえながら横たわっている隊員で敷き詰められていた。皆、息はあるようだったが、死屍累々の様相を呈している。
出血箇所から、まず腕や手首を撃ち抜いて攻撃を無力化し、次に腿や足も撃って移動を封じたのだということが察せられた。こうも的確に全員を、と譲二は戦慄する。
ややあって譲二は立ち上がり、視聴覚室から廊下に出た。
壁にもたれて腰を下ろしていた一人の隊員が気づいて顔を上げる。とはいっても、ゴーグルとフェイスマスクで覆われているために顔は見えない。譲二の方も上着で顔半分を隠しているので、お互い様だったが。
「……君は……。まだ逃げてなかったのか……? クレイジーなガンマンが舎内を徘徊している。早く、外に出るんだ……」
譲二は一礼する。負傷しているにもかかわらず案じてくれることへの感謝と、それを無下にしてしまうことへの謝罪の意を込めて。
そうして三階への階段を上ろうとする。と、後ろから声がかけられた。
「上は、ダメだ……」
譲二は足を止めかけたが、振り返らず、上り続けた。罪を胸に抱えたまま、結末への階段を。




