第八試合 2.飛行場
右、左。右、左。右、左、右、左……。
後ろから押し出されるようにして両足を交互に踏み出している軍靴が見えていた。滑走路の平らなアスファルトと、まっすぐに引かれた白線も視界に入る。
ああ、これは俺の足だ、と市原大輝は理解する。
どこかを歩いているのかとぼんやり考えながら、顔を上げる。それだけで頭が割れそうになって、思わず眉根を寄せた。
大輝の前方に白衣の背中があった。視線を感じたのか、両手をポケットに突っ込んだまま振り返ってくる。
女性だった。が、面識があったかどうか思い出せない。
その向こうに、灰緑色の小型輸送機がハッチを開けたまま鎮座していた。どうやら自分はこれに乗って行くらしいと大輝はおぼろげに理解したのだが、どこへ……と考える。
そうだ、前線だ。島を出て本土へと移動し、殺さなければならない敵がいる。殺して殺して殺しまくれと、大輝は誰かに言われたような気がしていた。
周囲を見回す。左右にプライド軍の兵士が二名いて、片方はテンガロンハットを被っていた。もう一人はヘルメット装着で、小銃を手にしている。
護送対象が立ち止まったため、彼らも歩みを止めている形となっていた。地面に向けられていた小銃の銃口が、ゆっくりと上げられる。
大輝は体を正面に戻そうとして、離れたところに誰かが佇立してこちらを見ていることに気づいた。服装等から女性尉官のようだと判別はつくのだが、顔は……やはりわからない。
と、その尉官の思い詰めた視線とぶつかったような気がした。
風に乗って言葉も聞こえる。「すまない」
大輝は再び見やったが、既に彼女の口はきつく真一文字に引き結ばれていた。
すまないって、何が? と疑問を抱く。身に覚えがない。
しかし、大輝は引っかかりを感じていた。自分はあの人を知っているような気がする。どこかで会っていて、話をしたことがある。いや、もっと。
(もっと? ……ああ。ダメだ。思い出せない)
ソンナコトハ、何モナカッタ。己トアノ人ニ関ワリハ、ナイ。
本当に? と釈然としない思いがよぎるも、大輝はすぐにどうでもよくなってしまう。何も考えられなかった。
「大輝!」
懐かしい声が、した。靄がかかっていた世界が輪郭を持ち始め、色彩を帯びていく。
(誰だ、俺の名を呼ぶのは)
「大輝!」
また脳髄が痺れるような声で呼ばれて視界がバチンと一度、明滅した。意識と共に全てが鮮明になる。
「あ、ああ、あ……」
大輝は首を回した。周りの人達もつられてその方角を目で追う。
飛行場の内側と外を隔てる緑色のフェンス、それに半ば体当たりするような形で男が寄りかかっていた。
「はぁっ、はぁっ……」
両膝に手をつき、肩を上下させて荒い呼吸を整えている。
「だ、大輝……」
まだ苦しげな声色で、それでも男は顔を上げた。
瞬間、大輝は焦燥感に駆られた。俺はこいつを知っている。いや、まだ覚えていると。
思い出せ。きっと大切なことだから。そうだ、この親友の名は――
『ヘヘっ、俺の名は――』
時を越えて、あのときの光景が鮮やかに蘇る。
『――松浦――』
それはとても大事な、ずっと思い出の引き出しにしまっていた、二人の出会いの記憶。
『――譲二』「じ、譲二……」
大輝の背後から、誰かが驚いて息を呑む気配が伝わってきた。おそらく、白衣の女性が発したものだろう。
「じ、譲二……なのか……?」
「はぁっ……。あ、当ったり前だろ……。何、寝惚けたこと言ってんだ。俺の顔を忘れたってんならぶん殴るぞ、この野郎!」
テンガロンハットの女が先の尉官を一瞥する。しかし、女性尉官は、もう私の管理下ではないというようにかぶりを振り、無視を決め込んでいた。
「ははっ……。その声や口調は間違いなく譲二だな。悪い……」
大輝は無理して笑う。けれど、譲二が怪訝そうにしているのが何となく伝わってきた。
「実は、あれから視力がおかしくなってさ。今も、なぜか時々……人の顔が識別できないんだ」
「なっ……」
「顔というか目や鼻、口のパーツがほとんど見えなくなるんだよ……。脳や視神経のどこかでも焼き切れちまったのかな」
そう、正月にやる福笑いの遊びみたいに、誰も彼もがのっぺらぼうに見えたりしてしまうのだ。世界は一変し、魔界となってしまった。
大輝は目を覆うように右手を持ち上げ、前髪をくしゃりとつかんだ。口元から勝手に自虐的な笑みが込み上げてきそうになる。
だが、当の本人よりもショックを受けているふうの譲二に気がつく。ふっ、と安心させるように軽く微笑んだ。
「見送りに来てくれたのか、ありがとうよ」
まったく、最後まで自分が兄貴然としてやらなきゃな、と。
「……それと、これまでのこともサンキュな。色々楽しかったぜ。これで今生の別れになるかもしれないが、まあ元気でやれよ」
「てっ……てめえ、勝手にぬかしてんじゃねえぞ!」
譲二が怒り狂っているらしい形相で、両手をフェンスの金網にがっとかける。しなった金網がぎっ、と音を立てた。
「各方面にハイアベレージなおまえが先に招集かけられるかもしれないってんのは、こちとらずーっと思ってたことなんだよ!」
そりゃ買いかぶりだ、と大輝は面映くなる。成績はそこそこだったのかもしれないが、内申は最悪だろう。
そんなことではない大きな淀みに足をつかまれてしまっただけだ。
「だが、俺もすぐに行く! これを幕引きになんてさせないからな!」
(……願わくば、譲二。おまえは運よく巻き込まれないで、真っ当に歩いていってほしい。人間兵器ではなく、普通の格闘兵としての道を)
小銃を持ったプライド軍兵士が大輝の背中を雑に押した。「早く歩け」と命じてくる。
しかし、意外な制止者がいた。
「よしな」
テンガロンハット女だった。腕で割って入り、「……幾らか話をさせてやれ」と言う。プライド兵は「ヒーリング曹長。は、はい」と引き下がった。
大輝はどういう風の吹き回しだと、ヒーリングという目の前の女性を見つめる。フンと鼻を鳴らされた気がした。次いで、顎をしゃくられる。
体の向きを戻すと、譲二が再び金網に手をかけているところだった。
「大輝! 俺が行くまで生きていろよ、くたばってたら承知しねえぞ!」
「……はっ。俺だって死にたくないさ。けど、さすがに……おまえが来るまで持つかな……」
「持つさ! 持たせろよ! おまえの格闘技術と目の良さには誰にも敵わないって。模擬戦のときだって、俺をピンチから救ってくれたじゃないか。おまえがいりゃあ、戦争なんてすぐに終わる!」
大輝は苦笑する。相変わらずだった。持ち上げても何も出ないっての、と言いたくなる。
「なら、がんばってみっか。……でも、待ちきれなくなる前に早く来いよ、譲二」
「諦めるなよ! 生きていれば……俺らには無限の未来があるんだ!」
無限の未来か、と大輝は反芻する。心躍るような響きだ。
皆で悪を倒して平和を取り戻し、大輝達は孤児院へ帰って子供達に武勇伝を語り聞かせ、褒賞金で学校へ行き直してもっとマシな職に就けるように勉強をする……。
足掻いてみるためのモチベーションとしては悪くない。……だけど。
(俺はおまえの親父さんに酷いことをしてしまった。伯父さんがおまえの家族をバラバラにしてしまったかもしれないんだ)
そんなヤツが、“普通”を望んじゃいけない。友と一緒に歩いていく資格もない。
大輝が兵士に志願したのは、……己の罪が、運ばされた遺体のおぞましい感触が、戦場での数多の死の中に埋もれてくれれば、と考えたからだった。
(俺は弱い人間なんだよ。裁かれるべきなのはわかっている)
「……もういいだろう。連れていきな」という会話と、近づいてくる足音が聞こえてきた。
これが本当に最後だ。何か他に言わなければならないことはあっただろうか? 大輝は後悔のないようによく考える。
瞼の裏に、一人の貼り付けたような笑顔が淡く浮かんだ。……そうだ、あのことを話しておかなければ、と思い立つ。
「譲二。―――のことを頼む。アイツは……」
「えっ、なんだって!?」
風にかき消されて届かなかっただろうか。だが、ここではこれ以上のことは言えない。基地の人間に勘づかれてしまったら、譲二達が引き離される可能性がある。
そもそも、断片的な情報から組み立てることのできる憶測の一つにすぎなかった。そう確信するには、大輝はまだ彼のことを知らなさすぎる。
しかし、この島へ来て以来、大輝の悪い予感はことごとく当たってきた。だから、もしかしたら。
「……っ、アイツの机の中を見るんだ」
「何のことだよ! おい、待て! 待てったら!」
大輝は背を向けた。首だけを回して、親友の姿を目に焼きつけようとする。
「じゃあな……。みんなにもよろしく言っといてくれ」
「大輝‼」と譲二が金網を激しく揺らした。
大輝は横まで来ていた兵士に付き添われて再び歩き始める。
友の叫びに胸が詰まる。だが振り返らない。
一筋の涙が静かに頬を伝った。大輝は目を閉じる。囗の形が勝手に、への字に歪んでしまうのをなんとかこらえる。
さらば、少年の日よ。さようなら、友よ。
まだ大人になりたくなかったから、この世界に対して日和見を決め込んでいた。この日が来るのを先延ばしにしていたのだ。
(なんてことはない。あいつらの中で俺が一番幼稚だったんだ)
でも、もう行かなくちゃならない。少年でいられる日々は終わりを告げたのだから。
滑走路に一陣の風が吹いた。それは大輝の目元を覆い隠すように髪の毛を揺らし、千々に乱れそうな心をもさらっていく。
風が去った後、大輝は再び何かを失っていた。それが何なのかわからないまま、彼は輸送機のスロープを上った。
壁を背にして床に固着されている長椅子タイプの座席に腰を下ろす。
「うっ……うわぁ、ああぁ、あぁぁ……」
遠くで誰かが鳴咽を漏らしている。なぜだろう、大輝はそれを耳にするのが苦しく、つらかった。
先に搭乗していた操縦士や整備兵がこちらを見ているのを感じて、大輝は頬が濡れていることに気づいた。不思議に思いながらも手や袖で拭く。
「ちょっと失礼。最後の診察をします」
白衣を着た女性が機内に乗り込み、人だかりをかき分けてくる。それでというわけではないが、操縦士達は己のなすべき職務へと戻っていく。
ヒーリング曹長と呼ばれていた女が向かいの座席にどかっと座り込んだ。どうもこの女が自分の護送担当らしい、と大輝は推測する。
白衣の女性が大輝の前に来てしゃがみ込む。その拍子に、彼女の目尻の位置から雫のようなものが落ちていくのが一瞬見えた(……涙?)。
「はい、目を開けて。眩しいわよ」
彼女は大輝の頬に手を添えつつ、もう一方の手でポケットからペンライトを取り出す。
ペンライトと顔が近づいてき、眼にかざされた光で世界は白く染まって、大輝は何も見えなくなった。人の顔だけでなく、何もかも……。
その中で声だけが聞こえてくる。
「……大輝くん。これから、私も含め色々なものが記憶から消えていくだろうけど」
鼻声だった。……泣いている、のか。どうして? と大輝は不思議に思う。
「彼のことだけは、忘れちゃダメよ。あの子はきっと、君を助けに行くわ。どこまでも」
視界が一瞬、暗くなった。ペンライト光が片方の眼へと移って、また真っ白に塗り潰される。大輝はされるがままにしていた。
「なんたって、彼が君の用心棒なんだからね」
くすっ、と無理して微笑んでいるのが気配で伝わる。大輝の膝に添えられた彼女の手はわずかに震えていて、だけど温かかった。
「いい? 大輝くん。最後まで諦めちゃダメ。あの子が来てくれるまで、何としてでも生き延びるのよ。絶対に……」
はい終わり、という言葉と共に光がどけられる。急激な光量の変動に瞳孔は追従できず、大輝は目を瞑った。
「約束よ?」
首肯する。わかりましたよ、森本先生、と。
神のいたずらか、大輝はまた覚醒していた。彼女が誰なのかをようやく思い出せていた。
情に厚そうな唇や親近を感じさせてくれる口元のほくろなどが見えないことを、少し残念に思う。
「――ありがとうございます」
「……っ」
大輝は胸に埋められるようにして抱き締められた。柔らかな感触と衣服用洗剤の匂いに気持ちが穏やかになっていく。さっきまでが嘘のように、心の安寧が広がっていった。
「ごめんね……。何もできなくて」
大輝はゆっくりと小さくかぶりを振る。もう大丈夫だった。友のために修羅となる覚悟は決まった。
降りかかる血と穢れは全て、この身が引き受けよう。親友が長く戦火に晒されずとも済むように、先に行く自分が戦争を早く終わらせてやる。
この与えられた忌まわしき力を利用して、本土に侵攻せんと上陸してくる悪鬼共を一匹も逃さず、全て地獄に叩き返す。
(俺が神々の槍となって、おまえらを断罪してやる……!)




