第六試合 5.クレイジーガール
『キャシー! キャスリーン・ベネット!』
譲二と女を挟んで横に設置されている、細長いアルミポールのてっぺんに拡声器を四方に取り付けたような屋外放送機器から、鋭い音声が飛んできた。
『何をしている、戻りな! おまえは模擬戦のスターティングメンバーじゃないだろう!』
屋外訓練をしているとこのスピーカーからチャイムやアナウンスが流れてきたりするのを譲二は知っているのだが、今のは本部からの通信だとわかった。
『リングスの特殊格闘兵への接触はするなと言ったはずでしょ! ましてや危害を加えるなど、論外だよ!』
合衆国言語だったが、キャスリーンと呼ばれたこの女を諫めようとしているのは譲二にも何となく伝わっていた。おそらくこいつの直属の上官なのだろうか、と推測する。
「ちっ、わーってんよ」
舌打ちしながら、ツインテール女――キャスリーンは短く呟く。
その間も歩みは止めておらず、譲二と大輝のところまであと数歩に迫っている。譲二は既に身構えていた。
キャスリーンは譲二の前に立ち、何かをしゃべるわけでなく一瞥する。その視線は、まるで夏の虫を見るかのように、冷え冷えとしていた。
だが、その冷ややかな目とは裏腹に、鬼気が更に膨れ上がっていくのを譲二は感知していた。
(来るぞ、よけろ)
次の瞬間、キャスリーンは薙ぎ払うように、腕を横一文字に振っていた。その動作は雑だったのにもかかわらず、視認できないほど早かった。
譲二は競走馬にしたたかに蹴られたかのような衝撃を受け、吹っ飛んでいた。いくつかの枝を折りながら、近くの木に背中から激突する。
「がはっ……!」
肺から全ての息が強制的に吐き出される。瞬時に呼吸が困難になり、咳き込む。唾と一緒に、少量の血が地面に吐き出された。
「げほっげほっ!」
木の幹からずり落ちると、遅れてやってきた痛覚が全身を這いずり回った。特に右上腕と右脇腹が酷く痛む。
「悪い、手が滑っちまった」
キャスリーンは手を振って何でもないふうに言ってきた。
こ、この野郎……と悪態をついてやりたいところだったが、譲二は声を発することができなかった。体を折ってしまう。
反発よりも、恐怖がせり上がってきた。戦意が萎んでいくのを感じる。
(さっきの片腕で振り払ったみたいな攻撃だけで、俺はここまで飛ばされたってのか。デタラメすぎるだろ。何なんだ、あの筋力は)
先ほどまで手に持っていたはずの小銃も投げ出されていて、真ん中から折れ曲がっていた。これを素手でやったのか、と呆れる。
身長や体格は一般的な女性の平均よりもやや下と思われ、筋量もそんなにあるようには見えない。頭も打ったのか朦朧としてくる意識の中で、こいつ人間じゃねえ……と譲二は思った。
焦点が合わなくなる視界の中で、キャスリーンが大輝に向かって歩いていくのがかすかに見えていた。譲二は歯を食いしばり、全身の筋肉を総動員させる。
「ま、待て……」
口から漏れ出た声は微弱なものだった。再び気力を振り絞る。
「待てってんだよ……この、イカれ女……!」
今度は声を張ることができた。キャスリーンは振り向き、こめかみに青筋を立てている。
「……てめえ、よっぽど痛めつけられたいらしいな」
譲二は軽く後悔しそうになった。だが、体を起こし、男ならば一生の内に一回ぐらいは言いたい台詞を言ってやる。
「ここを、通りたいんだったら……俺を、倒してからに、しな……!」
「――かはっ。そうかい」
キャスリーンは向き直り、再び譲二の方に歩いてくる。「なら、そうさせてもらうわ」
譲二は考える。種や仕掛けはまだわからないが、あいつの打撃は洒落にならない。スタンドでの勝負は分が悪いなんてもんじゃない、避けるべきだ。
格上のストライカーに対抗するための試合運びとしての定石は、立たせないこと。それに尽きる。
組んで揺さぶるなり、グラウンドに引きずり込むなり、何でもいいのでとにかく相手が打撃を振るえる間合いや踏み込みを潰すことが重要だ。
譲二は姿勢を前傾させる。背にしている木の幹に左足の裏を当てた。
目論見はこうだ。あの女が射程内に足を踏み入れたら、この発射台付きの高速タックルで足を捕まえる。理想は両足、最低でも片足をつかんで倒してやる。
背嚢を下ろし、ずれたヘルメットを被り直した。タックルの際に一発くらいの被弾は覚悟する。低空で行くから的は小さくなるはずだし、的の中心になる頭もこのとおりヘルメットでガードしている。クリーンヒットさえ避ければ、また吹っ飛ばされるようなことはないはず。
「おーおー、もう満身創痍じゃねーか」
射程圏に入ってきた。譲二ははやりそうになる心を抑える(まだだ、焦るな。合わせろ。まだ……)。
キャスリーンの右足が地面から離れる。今だった。
譲二は地を蹴った。タックルを敢行する。タイミング、体勢、スピード、どれもほぼ完璧だった。
フェイントは入れなかった。場面によっては有効だが、タックルの質も落ちる諸刃の剣となる。今回においては必要ない。
目を見張るキャスリーン。上げた足をすぐさま地面に着ける。
だが、遅い! 譲二は残っていた右脚を捕まえた。腕を回してしっかりとつかみ、半ばぶつかるようにして、引き倒そうとした。
しかし――。
「……舐めた真似してくれるじゃねーか」
「な……」
倒せなかった。キャスリーンは譲二の襟首をつかみ、片足で自重を支えて立っていた。
右脇腹が引き攣れるように鈍く痛むのを譲二は感じていた。やはり、さっきので骨が折れていたのかもしれない。それでクラッチが甘くなり、タックルのパワーも削がれてしまった。何たる不全。
「おい」と呼ばれて、譲二は見上げた。
キャスリーンの蔑むような視線とぶつかる。側頭部の髪がまとめられているため耳が見え、耳たぶに針の穴のようなピアス跡が二つほどあった。
「パンピー風情がオレに触れてんじゃねーよ」
譲二は慌てて頭を落とし、キャスリーンの奥足に狙いを定めた。足一本では倒れないのなら、両足を……!
膝裏のクラッチを最少の動きで腿へと移動させる。そして、引き込むように下半身を前方に滑り込ませたと同時に、右足の内側で相手の左足を外から刈る。
踵に体重をかけている引き足にこれをくらっては、踏ん張りようがない。譲二は確信した。これで倒れる!
そのとき、今度こそ譲二は瞠目する。女は、教科書に載ってないような荒唐無稽な方法で、奥足の足払いをかわしやがった。
刈れる、と思った瞬間、キャスリーンは足を抜いた。片足でジャンプをしたのだ。
足払いは空振り、キャスリーンが後ろに跳躍したこともあって、譲二は体勢を崩して前のめりに倒れてしまう。それでも、両腕は離さなかった。
かわされはしたがこれならば着地の際に間違いなく転ぶはず、という期待も裏切られることになる。キャスリーンは低木の枝を何本かつかんで、倒れまいとバランスをとっていた。
「危ねえ、危ねえ。惜しかったな」
愕然とする譲二。またクラッチが甘く全体重が乗っていたわけではなかったとはいえ、人間一人分の体重を引きずりながらもジャンプして、足払いを回避してのけるなんて。
譲二は彼女のことを狂犬の類と思っていたのだが、見誤りだったと認めざるをえない。獣の皮を被ってこそいるが、こいつはれっきとした戦士。ハイエナの如き注意深さを持った戦闘屋だ。
簡単に足をつかまれながらもテイクダウンを許さず、低空の小外刈りもおよそ常人とはかけ離れた手段でかわし、周囲の自然環境を利用して不可能と思われた着地も決める。どれにも型なんてものはなかった。
この女の格闘術に何らかのバックボーンを欠片でも感じることはできなかった。振る舞いからはストリートフリーファイトの臭いしかせず、動きの予想が難しい。
譲二は一瞬、敵わないと思ってしまった。
「寝てろ」
「あっ――」
キャスリーンが腕を振りかぶるのが頭上に見えていた。危険な、六時方向への肘|(それは反則だろ!)。
やばい、と譲二は思った。キャスリーンは片足で立っているものの、手で木の枝をつかんでいる。二つの支点ができているのだ。それは、つまり、体重の乗った打撃を放てる状態にあるということ。
来る。あの爆発的な威力を持った攻撃が、来るぞ。
ヘルメットはまったく用途を成さなかった。後頭部が爆ぜ、首が折れるほどの衝撃が譲二を襲い、視界と意識は渦を作った後、暗転する。




