第六試合 4.異変
「だ、大輝」
譲二は体を起こした。
大輝がうつ伏せのまま頭を抱え、引き攣れた叫びを上げながら、足のつま先で地面を掻き毟っている。ヘルメットは投げ捨てられていた。
「大輝! 大丈夫か? 何があったんだ?」
譲二は大輝の背中に手を置いて、呼びかける。
「あ、うっ……ぐ」
一瞬目が合うも、大輝はすぐに瞼をぎゅっと閉じて再び苦悶に呻く。
目を怪我した? やられたのか? と譲二はその可能性を考えるが、ペイントが飛び散ってないからゴム弾が直撃したわけではないのは自明だった。
周囲を見回す。肉眼で視認できる範囲に敵兵の影はなかった。土、草、木、小石……特段変わったところはない。狙撃銃もフェイスガードも異常なし。
何度確認しても、大輝の身に何が起きたのかなんてさっぱりわからなかった。
「あああああああああああああ!」
大輝の痛がりようは尋常じゃなかった。
コールをして救援を頼まなければ、と譲二はチューナーを操作して管制室との回線をつなげる。すぐに『こちら管制室』という女性の声が耳に届いた。
「F班の松浦譲二です。だい、市原大輝が……」
『はい、わかっています。モニターで確認しました。すぐに人を向かわせます』
「お願いします」
オペレーターの対応に譲二はほっと安堵する。そこで、『蘭子、ちょっと貸して。松浦くん』という別の女性の声音が無線に割って入ってきた。
その声を譲二はどこかで聞いたような気がした。確か……、と記憶を探る。
『森本よ。大輝くんの容態を教えてくれる? 見てわかる範囲でいいから』
「は、はい、先生」
そうだ、森本叶恵先生、と思い至る。保健室に常勤している軍医で、訓練兵のメンタルケアを担当していて、軽い怪我や風邪程度なら応急処置や薬も出してくれる女の人だ。
F班では敦が頻繁に世話になっていて、最近では大輝もよく呼び出されている。
厚ぼったい唇と、女子訓練兵には醸し出せない色香。一部の男子の間でかなり人気のある先生だ(白衣の下にはいつもYシャツを着込んでいるのだけど、隠れ巨乳と噂になっている)。
「外傷はなさそうなんですが。頭を押さえているから、頭が痛いのかも。あ、あと、目も……」
『目が?』
「一瞬しか見えませんでしたが……右目が、充血していました。何だかわかりますか?」
間が空き、通信の向こうで考え込むような様子が伝わってくる。膨れ上がりそうな不安に襲われて、譲二は大輝を見やった。まだ苦しそうに呻いている。
譲二はいたたまれなくなり、無線を通して矢継ぎ早に尋ねる。
「こんな症状ってあるんでしょうか? 見た感じかなりやばそうです。とりあえずどうすればいいですか? 応急処置として何かできることはないですか?」
相も変わらずの間。少し苛立ってしまう。
「森本先生?」
『松浦くん、落ち着いて。とにかく――救護の人が行くまで市原くんについてあげて』
「はい、それは勿論。了解しました」
釈然としないながらも、譲二は従う。通信を切り、大輝に向き直った。
「大輝。すぐに救援が来るからな。楽にして休……」
肩に手をかけたが、振り払われてしまう。本当に何があったというんだ。
敦や健吾達にも大輝の離脱を伝えなければと思い立ち、譲二は再びマイクを手に取る。そのときだった。
地面の砂利を踏みしめる音が背後でした。反射的に振り返る。
距離にして十数メートルのところに、そいつは蜃気楼のように現れていた。
知らない女、だった。異国人の相貌に、左右の耳の上辺りで房を作ったヘアスタイル。外人なので譲二には判然としなかったが、歳はそんなに違わないような気がしていた。
プライド軍のワッペンが縫い込まれたグレーの迷彩模様の戦闘服を着ている。
譲二は驚いていた。こいつはいつの間にどうやって防衛線を突破したのか。しかも、たった一人で。
そのプライド軍の新兵の女は、にやけた笑みで言ってきた。
「よう、トラブルか?」
口から出たのは意外にも、外国語ではなく日鶴語だった。
譲二は返事をしなかった。いや、できなかった。両サイドで結った髪を垂らしているその女にただならぬ気配を感じたからだった。
周囲の木々が歪んで見えるほどの、禍々しい気。
「シカトすんなよ。オレの言葉はちゃんと通じているだろ? てめえに合わせて、てめえらの国の言語でしゃべってやってるんだぜ」
女は足を一歩踏み出した。
「止まれ、それ以上近づくな!」
譲二は威嚇した。
理由はわからない。だが、こいつを近づけさせてはならないと本能的に悟った。
動物的とも言える勘が、直感が、この女に赤いランプのアラーム警報を大音量で鳴らしていた。
「ああ~、何でだよ?」
不快そうに顎を上げるツインテールの女。
「……っ。あんた、正規兵側の選抜兵だろ。見てのとおり、連れが具合悪そうなんで、救援を待っている。俺らはリタイアも同然だから、スルーしてくれると助かる」
「――かはっ。かははは、」
女の口から笑い声が漏れる。譲二は悪寒が粟立って背筋を上っていくのを感じていた。
「かははっはあっははははははははは」
大輝をかばうように、譲二は移動する。
思った。こいつは、やばい。まともな奴じゃない。人間の皮を被った、道理の通らない何かだ。
譲二は今すぐにでもこの場を離れたかった。逃げ出したかった。
だが、後ろの大輝は動けない。そして、そんな大輝を置いていくなどありえない。目の前のこの女をどうにかしてやり過ごすしか、道はないのだ。
ツインテール女は哄笑をぴたっと止めて、馬鹿にするような、見下すような目線で言った。
「本番でも敵にそう言って見逃してもらうんだな」
そして、歩き出してくる。
「ああ、面倒くせえな。てめえじゃなくてそいつに用があるんだ。どけよ」
大輝にだと? こんなザマの大輝に? ふざけるなよ、と譲二は反発する。
「嫌だね。あんたこそ模擬戦に戻れよ。こんなところで油売ってたら怒られるんじゃないのか?」
「あぁ?」
対峙する女の怒気が孕む。美紗教官のよりも数十倍凄まじいプレッシャー。
「失せろっつってんだよ。二度とは言わねーぞ」
だが、譲二は微動だにしなかった。半分は意地で、もう半分は蛇に睨まれた蛙のように動けないだけだった。
「……いい度胸してんじゃねーか。まだ訓練生のくせによ」
女の口の端がつり上がる。目は笑っていなかった。怒気が鬼気に変わっていく。




