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 昼下がり、ネアは机に向かってひたすらに魔方陣を書き写していた。書いているのは水魔法のアーツ【ウォーターボム】。それなりにこの訓練? を開始してから日にちが立っているが未だに無詠唱に成功しない。一度でも成功すれば「無詠唱」のスキルが生えて、習得効率が変わるらしいがそこに至るまでにどのくらい時間がかかるのかネアには分らなかった。

 「うう、「詠唱短縮」採っとけばよかったのでしょうか」

 複写という名の苦行をこなしていると、思わず唸り声が出ました。

 昨日、ふとセントーレアさんに「詠唱短縮」のスキルを持っているとどうなるのか聞いてしまったのが間違いでした。私の書き写している魔方陣の半分程度の密度の物を見せられて自分のやっていることの面倒くささに気が付いてしまったというかなんというか釈然としない物を感じてしまいました。まだ、胸の奥がもやもやする感覚が少し落ち着かなさを感じさせます。

 魔法はあくまで補助でしか使う予定ではなかったのですが、「詠唱短縮」のスキルを取るだけで楽になるなら良いかなと思ってしまうあたり、この作業に参っていたのかもしれません。

 

 「線が歪んでいるし、全体的に歪。集中力が欠けてきている証拠ね。今日はまだそんなに時間が立っていないはずなのに……」

 「いや、1時間ぶっ続けは流石にきついものが……」

 「私の時なんかは5時間ぐらいはやってたけどな。まぁ、仕方ないか。今日はちょっと休憩したら」

 テストとして手本を見ずに書き上げた魔方陣を見せたセントーレアさんは紙を見るなりそう言いました。

 「ぐおおぉ、腕が、腕が」

 毎回の事ですがこの書き取りが終わるたびに腕ががくがくと震えます。きつい。腱鞘炎になりそう。ゲームなのでなりませんけど。

 お茶~、とフリージアちゃんが机にことんとマグカップを置いてくれますが、腕が震えてコップが持てません。同じ姿勢を取り続けていたからなのか足も痺れているようです。ピリピリとした感覚が体を襲います。

 だいじょうぶ、とフリージアちゃんが首を傾げながら訪ねてくる。だいじょうぶだよ、と返すものの実のところは大丈夫じゃない。毎回のことながら痺れてしまうのにはなれません。ゲーム的にはおかしいんですけどね、足が痺れるって。

 少しおかしなことがあっても時間さえかければ大抵のことは何とかなるのがゲームの世界。次第に痺れが取れていきます。足を伸ばしたり、手の平を握ったり開いたりと動かしながら痺れや震えを取り除いていきます。簡単なストレッチをすれば症状が治まるのも早い。ここ数日で身に着けたことです。

 「大丈夫? 治ったならそれはもう御終いにしてちょっとお使いを頼みたいんだけど」

 「え、ああ、いいですけど」

 「調味料とかいろいろと切れてるらしいのよ。だから、はい。これにリストが書いてあるから買ってきて頂戴。あと、余ったモンスターの素材も売ってきてほしいの」

 と、ぽんと手渡された紙にはいくつかの調味料などの名前があった。さらにどさどさと床にモンスター素材が置かれていく。

 「それと」

 不意に顔が近づく。

 「フリージアちゃんも連れて行ってあげてね。あの子もたまには外に出たほうが良いし」

 そう言ってちらりとフリージアちゃんのほうを見た。

 ここから最も近い集落まではそれなりの距離があるし、ここいら一帯はモンスターが出るのもあってかフリージアちゃんの身の回りには年の近い子供もいない。偶には外に出るのもいいだろうと私は特に断る理由もなく私は了承する。

 「さぁ、フリージアちゃん。今日はお兄ちゃんとお出かけよ。準備しなさい~」

 「わぁい。ネアおにいちゃんとお出かけ」

 フリージアちゃんの顔がほころぶ。ふにゃりと緩んだ顔でとてとてと自分の荷物を取りに行った。

 「……あの子に怪我させちゃ駄目よ」

 「……はい」

 その低い声にかすり傷一つ負わせない様にしようと誓う私でありました。




 「おっでかっけ、おっでかっけ、うっれしっいなっ!!」

 リズムに乗った声が砂浜の上を滑る。声の主はぴょんぴょんと跳ねる様な足取りで大変ご機嫌なようだ。

 言わずもがな犬系獣人の子、我らが研究所のアイドル幼女フリージアちゃんである。全身から振り撒かれる愛らしさで皆の癒しとなっている。時々徹夜してぐったりとしたセントーレアさんがフリージアちゃんを抱きかかえて寝ていることもあった。その時の緩みきった顔はすよすよと寝ているフリージアちゃんと並べると種族は違えどまるで親子みたいであった。

 セントーレアさん達は研究と称して様々な地方を回っている都合上、広い人脈を持って居る様だがフリージアちゃんのような年頃の子どもとの接点は少ないらしく彼女に友達は少ないようだ。危険地域にもよく行くせいで研究所からあまり外に出ないのもあってかちょっとしたお出かけでも上機嫌のようだ。

 「見て~綺麗なかいがら。ひろったの~」

 砂浜で拾ったのでしょうね。フリージアちゃんが小さい手にもった貝殻を見せてくれました。七色に光を反射して輝いています。

 「綺麗だね」と返すとにっこりと笑い返してくれます。可愛い。親戚の子どもと会った時、こんな感じに可愛かったな、とふと思います。

 砂の上をさくさくと音を立てながらはしゃぐフリージアちゃんを眺めながめながら先を急ぎます。あまり、もたもたしているとモンスターが出てくることもありますからね。フリージアちゃんに万が一のことが無いようにしなくては。……ここに出てくるモンスターかなり強いですし。

 満面の笑みを浮かべながらネアおにいちゃん~、と抱き着いてくれるこの子だけが私の癒しですね。


 30分ほど海岸沿いを道なりに進むと視界の奥に建物のシルエットが浮かぶ。

 近づくほどにそのシルエットは濃くなっていき、次第にいくつもの建物が見えてくる。

 稲のような植物を束ねた簡素な建物が立ち並ぶ水上集落。私達の目的地「イスト」です。水上集落と言っても半分が陸地でもう半分が海の上といった感じですが、海岸沿いに建物が立ち並ぶ姿は何とも言えない風情があります。集落に一歩足を踏み入れると一層潮の香りが強くなった気がします。文字通り漁師町だからですかね。

 それほど大きくない集落だからか騒々しいわけでもなく、また閑静というには少し騒がしいです。すれ違う人はリザードマンのような水辺を好む種族が多いですかね。今度の新規追加種族の「魚人」の方々が軒先で作業していたり、人数比的には半々の割合でしょうかね。

 

 「ネアおにいちゃん。なにかうの~?」もの珍しそうにあたりを見渡していたフリージアちゃんが三角に尖った耳をピコピコと揺らしながらこちらを振り向く。

 「ええと、菜っ葉とかの野菜とか。塩とかの調味料だって。それはそうと、セントーレアさんがもっと野菜も食べなさいってさ。フリージアちゃんも好き嫌いはダメだよ」

 そう言うとあからさまにフリージアちゃんの顔が嫌そうに歪む。この子は獣人族の例に漏れず、野菜類が苦手なのです。

 「あは。野菜も食べるいい子になるって約束するならお菓子も買っていいってさ」

 「わふ~。野菜食べるの。私いい子なの。だからお菓子ちょうだい!!」

 フリージアちゃんがむむむ、と唸りながら両腕をくっと曲げて決意表明をする。

 そうこうしているうちに目的のお店に到着する。ほかの建物よりも間口が広めにとられているのが特徴。軒先にはたくさんの商品が並べられている。この集落唯一の雑貨屋である。

 「おばちゃん。こんにちはなの~」軒先に立つ妙齢の魚人族の女性にフリージアちゃんが元気良い挨拶をした。店主であるおばちゃんはフリージアちゃんの顔を認めるとにかっと顔に笑みを浮かべた。

 「フリージアちゃん、お久しぶり。今日は何かな? お使い?」

 「うん!!」

 「えらいね~」フリージアちゃんはおばちゃんに頭に手を置かれくしゃくしゃと撫ぜられてこそばゆそうな表情を浮かべている。

 「お久しぶりです。ノーンさん。今日はセントーレアさんのお使いで来たんですよ」

 「ああ、ネア君。セントーレア先生は元気?」

 「ええ、いつも通りです。研究だー!! って徹夜したりするのは健康に悪いのでやめてほしいんですけどね」

 「あらあら、いつも通りなのね先生は」

 セントーレアさんはこの集落の人たちに先生と呼ばれているらしい。そりゃ、エルフ種ですから寿命も長くていろいろと物知りです。通常のエルフ種の方々は棲家である森から出ないことが多いそうですけどセントーレアさんはそういったことを全く気にせずにあちらこちらを飛び回っていたおかげもあってか普通のエルフよりもその知識は多岐にわたっていますから。先生と呼ばれるのも自然でしょうかね。とは言っても時々、とんでもないことをやらかすセントーレアさんは別の意味でも有名だそうです。娯楽の少ない集落ではセントーレアさんの起こす騒動は一種の笑い話として伝わっているようで迷惑がられていないのが幸いですね。

 かさりと音がする。

 その方向を見ると店の奥に青い髪の子どもがこちらを窺うように顔をのぞかせていた。

 「あ、ほら。アクシュ、こっちに来なさい」

 ノーンさんの手招きに応じてとことこと青髪の子どもが歩いてくる。簡素なスカートをはいている。女の子ですか。見たところフリージアちゃんと同じぐらいの年に見える。

 「前は合わなかったわよね。うちのアクシュよ。ほら、アクシュも挨拶なさい」

 「アクシュです」

 ノーンさんの言葉に合わせてぴょこんとお辞儀するアクシュちゃん。ちょっと人見知りそうだけどその表情は利発そうです。

 「私、フリージアなの。よろしくね」

 そう言って花が咲くような笑みを浮かべる。それにつられてアクシュちゃんも笑みを浮かべた。良かった。仲良くなれそうですね。

 「買い物するからアクシュちゃんと一緒に遊んでもいいよ。一緒にお菓子選びなさい」というと、アクシュちゃんいこ、と二人で仲良く商品を物色し始めた。これで仲良くなってくれると嬉しいですね。

 

 「あ、そうそう。先生と言えば、この間新しい筆記具を卸したんだけど先生のところで使う?」

 筆記具。セントーレアさんの職業「記録員」では必須のアイテムです。……初期装備で渡されるのはノートですが。

 セントーレアさんも新しい筆記具はいくつあっても困らないでしょう。私の分でも欲しいですし。

 「私も欲しいですしペンを二つとインク壺を二ついただけますか? あ、これとそれも欲しいので適当に包んでもらえますか。この素材もできれば買い取ってもらえると……」

 そう言って、モンスターの素材をインベントリから取り出していきます。筆記具は私とセントーレアさんの分ですね。筆記具の分は自費で払います。

 「ああ、これはまた多いわね。ちょっと待ってね」と言ってノーンさんは素材の検分を始める。

 「これならこれぐらいね」

 「ではそれでお願いします」と差し出された金額に了承の意を示します。査定の評価とかあまり知らないですからね。NPC相手ですから別に値切る必要性とかあまりありませんし。

 「いつもこんなモンスターを狩っているの?」

 「ええ、狩っているのは私だけではないですけどね」

 「それでもすごいと思うけどね。これなんかは獲るのが難しいのよ」と素材の山の中の「オッテウス」をつまみだす。……いや、それが規格外なだけです。


 「はい、お代ちょうど頂きました。じゃあね、フリージアちゃん。気を付けて帰るのよ」

 長々と話し込んでしまいました。時計を見ると一時間は軽く過ぎています。

 「またねアクシュちゃん」

 手を振るフリージアちゃんにアクシュちゃんもまたねと返します。すっかり仲良くなったようで私の買い物が終わったころには仲良く手を繋いでいました。

 私も筆記具を買いましたし(実は自腹です。買い物リストにはなかったですからね)、頼まれた分の買い物も済ませましたから満足です。

 「では、帰りましょう」

 「うん」とフリージアちゃんと手を繋いで帰りました。


 研究所に帰った私たちを迎えたのはなにかでどろどろの状態になったセントーレアさんでした。話によるとうっかり失敗してワタが飛んだらしいです。そのおかげで研究所の掃除を急遽やる羽目になりました。…セントーレアさん自重してください。くさい~と言われて涙目のセントーレアさんが印象的でしたね。

 まぁ、買って帰った筆記具の評判は良かったですしフリージアちゃんにも友達が出来たようで機嫌もいいですからこれはこれでよかったのでしょうかね。

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