6.キンモクセイ(真実)
カーテンの隙間から朝日が差し込んでくる。その光は真っ直ぐ私の顔を照らしもう朝だと告げている。自然のアラームに起こされると随分と気持ちがいいものだ。狭いベッドの上にはもう一人、気持ちよさそうに寝ている彼女が見えた。昨日の疲れが出ているのか、普段私より早く起きている彼女も今日に限ってはまだ起きそうになかった。
部屋は静かだが外からは、一日の始まりを伝えるかのように鳥のさえずりがうっすらと聞こえてきた。
外の様子を見ようとベッドから降り彼女が起きないように静かにベランダへ出た。冷たい冬の風が私の頬を撫で、髪を揺らす。
息を吐けば目の前の景色は白く染まっていった。まるで彼女が私の世界を染めていったように。
「温かいな・・・」不意に出たその一言は自分で言ったはずなのに彼女に問い返されるまで気づかなかった。そう、寝ているはずの彼女に。
「なにがあたたかいの?」
「うわ、びっくりした・・・」
突然現れるのは彼女の特技か何かなんだろうか。彼女にはいつも驚かされる。
「おはよ・・・」
「おはよ。びっくりさせないでよ」
「ふふっ、わざとじゃないって」
目を擦りながら話す彼女に、ほんとうかとつい疑ってしまう。
「寒くないの?」
「ちょっとだけ寒いかも」
「風邪引いちゃうよ?」
「でも私が風邪引いたら看病してくれそう」
「おかゆぐらいしか作れないよ」
「十分すぎます」
「じゃあ、私が風邪引いたときは芽依がおかゆ作ってね」
「無理無理!私が料理できないの真奈が一番よく知ってるでしょ?」
「ふふっ、包丁の握り方すごかったもん」
「あー今絶対馬鹿にした。私だって料理できないの結構悩んでるんだから!」
「やれば芽依だって出来るようになるよ」
だといいんだけどねーとベランダの策にもたれながら彼女は言った。
「あ、そういえばさっき言ってた温かいって何のこと?」
てっきり寝ぼけていたからちゃんと聞かれてないと思っていたのだけれど、そうではないらしかった。
「あーあれね。こんなに外は寒いのに、どうしてか心の中は寒い気がしないなって思って」
「ほうー中々おもしろいこと言うねー。それって多分だけど、大切なものが出来たんじゃない?」
大切なものか・・・
私にとって大切なものってなんなんだろう。彼女に言われるまで考えたこともなかった。普段、生きていて自分が何を大切にしているかなんて。人は当たり前に存在しているものに慣れ過ぎてしまう。
だから、大切なものが何なのか深くは考えないんだと思う。
当たり前を当たり前だと思ってはいけない。こうして不意に思い出さないと自分が本当に大切にしているものが分からなくなっていく。埋もれていってしまう。
私の大切なもの。改めて考えてみると、家族や読書の時間。私にとって大切なものはこのくらいしかなかったことに気づく。意外と少ない、それともみんなこのくらいなのかな。
でも、今はもう一つだけ増えたんだと思う。それに気づかないふりはもう出来そうにない。彼女がくれたきっかけを無駄にしたくはない。
私はきっと彼女の事を大切に思っている。家族や読書と同じか、それ以上かもしれない。ずっと、私の中で咲き続けてくれるといいな。
「見つかった?」
考え込んでいる私の顔を彼女は覗き込んで来た。
「見つかったかも」
彼女の方を見て微笑みながら私はそう言った。
すると、「それは良かった!」と言いながら彼女も微笑んだ。私の大切なものが分かったかのように。
ベランダに出てからさほど時間は経っていないのに、冬の朝ということもあり私たちの体は寒さに耐えることが出来ず、急いで部屋の中に戻った。
「あー寒すぎー!猫がこたつの中に入る理由がわかるよー」
「芽依は人間でしょ」
「人間も寒さには耐えられないって話。それより、今日は何するの?大学も春休みだからないんだよね?」
「大学は休み。バイトも今日は店長がお店を閉めてるからないよ」
「ならお出かけし放題じゃん」と目を輝かせながら私の肩を揺らす。こんな寒空の中、どこへ行こうというのだろうか。東京とはいえ、ここは都心部から少し離れている。なので遊びに行くにしても、わざわざ電車に乗って向かわなければならない。
私は普段そこまで活動的なタイプではないので休みの日は家で本読むか、大学の課題をしているかのどっちかだ。
外に行くとしてもそれは家の近くにある書店に新しいフィクションを求めたときだけ。
それでもこんな寒い日はその気持ちすらなくなってしまうときもある。残念だが彼女のお出かけには付き合ってあげれなそうだ。
「どっか出かけようよー」
「寒いからパスー」
ちぇっと、いいながら彼女はリモコンを取りテレビをつけた。朝のテレビでやっている番組と言えばどこも情報番組ばかりで、今日の天気や今時のトレンド、商品やスポットを紹介するコーナーで溢れている。
彼女がチャンネルを変えると、どこかで見たことがある景色がテレビに映った。私はすぐにその場所を思い出せなかったが、その場所を一番好きだと言っていた彼女にはすぐにピンときたらしい。
「真奈、見て!ここ私が一番好きって言った桜の名所だよ」とテレビに指を差しながら嬉しそうにはしゃぐ。そうだ、カメラのアングルで上から撮っていたのですぐに気づけなかった。
「もうこんなに咲いてるんだ」
テレビに映ったそこは、もう満開と言っていいほど淡い桃色で埋め尽くされていた。彼女と見たときには、まだか弱い花びらとそれを支える蕾しかなかったのに。
「約束覚えてる?」と彼女がテレビを見ながら私に質問した。
まだ、蕾から開花する段階だった頃に二人で見に行ったあの場所。いや、見に行ったというよりあの時は彼女に連れられただけなのだが。これから懸命に咲こうとしている桜の木の下で彼女は私に言った
「満開になったら一緒に見に行こう」この約束は一度も忘れたことはなかった。
「満開になったら一緒に見に行こうって約束でしょ?」
「ちゃんと覚えてるね」
彼女のにやけ顔に私もつられて微笑む。
約束を果たすためならこの寒さにも耐えられる気がして「今から見に行く?」と彼女にたずねたが「今じゃなく夜になってから見に行こう!」と答えた。
てっきり彼女なら「今すぐ見に行こう」と答えるものだと思っていたので少し不思議だった。昼と夜とで桜に何か変化でも起きるのかと思ったが彼女に比べて、私はまだまだ花への知識が乏しいので聞いてみることにした。
「なんで夜に見に行くの?明るいときに見に行った方が絶対きれいじゃない?」
「まぁまぁ、成らぬうちが楽しみっていうじゃん!」
「どういう意味?」
普段から本を読んでいてそれなりに言葉を知っていると思っていたがまだまだ知らない言葉に出会うたびに心が擽られる。きっと、彼女が知らない花に出会って目を輝かせる気持ちに似ているんだと思う。こういう所は似ているんだとつくづく思う。
「実際に結果を知った後より、色んな想像して待ってる時の方が一番楽しいよっていうことわざ」
「そんなことわざあるんだ」と感心する私ににやけ顔をしながら「こんなことわざも知らないのー?」とからかってきた。彼女のからかいにはもう随分となれた。この部屋で一緒に過ごし始めてからもう何回も彼女にからかわれている。その度に「はいはいー知らなかったですー」と流す時が多い。
けれど、たまに仕返しをしたくなる時がある。それは彼女の困った顔が時々見たくなった時だ。
彼女と過ごしているといろんな表情を私に見せてくれる。これから見られるであろう、彼女の表情も私は好きだ。
「じゃあ、質問なんだけど」というと彼女は「お、何々!」と好奇心に駆られながら私の質問に興味を示した。
「北極と南極に花は咲くと思いますか」
「ねぇー、その質問はずるいよ!」
彼女がそういうのも仕方がない。彼女がこの答えを知らないことは植物園の帰りに既に確認していた。
「寒いから咲かないよね、でもだから咲いたりして・・・」と考えを巡らせながら困る表情を見せる彼女。「はやく」と急かしてみるとさらに頭を抱え込みながら悩む。考え抜いた先に彼女が出した答えは「咲かない!」だった。
私は植物園から帰った後、気になったので調べていた。先に答えからいうと北極にも南極にも花は咲くみたいだ。北極にはホッキョクミミナグサという花が咲き、南極にはナンキョクミドリナデシコという花が咲くそうだ。ちなみにホッキョクミミナグサには白い花びらに小動物の耳のような葉を持つことから聞き上手という花言葉がついているらしい。
「北極にも南極にも花は咲きます―。あれ、花が好きなのに知らなかったのー?」
「ぬわぁぁぁぁぁぁ!」と悔しさが爆発したのか、よく分からない雄たけびを彼女は上げていた。その様子に私は笑顔が止まらず私の笑顔を見た彼女もははっ、と笑い声がこぼれ朝から二人で笑い合った。
それから私達は夜までは特に出かけることもなく家で大人しく過ごすことにした。時々、彼女から「暇だから夜までどこかに行こうよー」と誘われるのだけれど「本、読んでるから無理ー」と聞かれるたびに断った。
あまりにも適当に私が返事をするので、それを見かねた彼女が顔を覗き込ませてきた。
「何読んでるのー。面白いー?ここからどうなるのー?主人公死んじゃうのー?」
段々、本をのぞき込んでくる彼女。やっぱりこの部屋に彼女がいるとゆっくり本を読むことは出来なさそうだ。彼女の髪がページにかかって私の読んでいる部分を覆い隠す。
「あーもう、読めないじゃん!」
「ならもっと私にかまってよ!」
「そのセリフ、基本的に恋人に言うやつじゃん」
「真奈と私は恋人も同然でしょ!一緒の部屋で暮らしてるんだから!」
そんなわけあるか。確かに彼女の表情に惹かれることはあるけど、それは恋心を抱いてるからじゃない。友達として私は好きなだけだ。
「なら芽依の恋は叶いません。残念でした」
「うわーー、不愛想ー。そんなんだと男の子にモテないよ~」
「余計なお世話です」と彼女に言い、私はフィクションの世界に無理やり潜り込んだ。
それから本を読み続けていると気づけばお昼時になっていた。途中から静かになったとは思っていたがどうやら眠っていたようだ。すぅすぅと寝息を立てる彼女を起こさないように毛布をかけた。
お腹が空いた私は何かお昼になるものはないかと冷蔵庫を開けたが、買っていた食材はもうほとんど使い切っていた。仕方なくキッチンの下にある収納スペースを開ける。あったあった。作るのが面倒になった時や深夜に空く小腹を満たすための至高の食べ物。
お湯を沸かし、フタを開けたそれに注ぎ込む。ふわっと立ち昇る湯気を逃がさないようにさっとフタを閉じた。食べごろになる三分をぼっーとしながらただひたすらに待つ。この時の三分は本当に三分なのかと思うほどに時間が遅く感じる。
時計の針を見ながら丁度三分になったタイミングでフタを開けた。かぐわしい香りが私の鼻腔をくすぐる。すする音を出来るだけ立てずに麺を口へ運んだ。美味しい。なんでこの食べ物はこんなに美味しいのだろう。これを作った人に私は心から感謝を伝えたい。
そんなことを頭の中で考えていたら、匂いに誘われたのか彼女が目を覚ました。眠そうにしながら目を擦り私の方を見据える。きっと寝起きで視界がぼやけていたのだろう。私が食べているものに気づくのに少しの間、時間がかかっていた。それを視界に入れると「あーーーずるい!」と彼女は目を瞠った。
「なんで、真奈だけカップラーメン食べてるの!私も食べたーい。何の味があるの?」
言いながらキッチンに駆け寄り味を物色し始めた。どれにしようかなと、彼女が迷った末、選んだのはカルボナーラ味のカップラーメンというよく分からないだった。
「え、それ食べるの?」
と私は怪訝そうな顔で彼女を見た。
「え、何?」
「いやカルボナーラ味のカップラーメン食べる人、他にもいるんだなと思って。絶対美味しいと思わないんだけど・・・」
「ならなんで買ったのー」
「それ私が買ったんじゃなくてバイト先の人から貰ったの。でも私カルボナーラのカップラーメンなんて食べたことないから怖くてずっと置いてたの」
「そういうことか。ならこれを機に食べてみたら?」
私は「えー・・・」と曇った顔をしながら彼女を見た。
「美味しいかもしんないじゃん!食わず嫌いは損するよ~」
「でもハワイアンピザは食べても美味しさが分からなかったよ」
そういうと彼女は、ははっと笑いながらお湯を沸かした。
お湯が沸き、注ぎ込むと既にふわっとチーズのコクの香りが立ち昇った。
「カルボナーラ嫌いなの?」と彼女が待っている間、聞いてきた。
「カルボナーラは好きだよ。でもカルボナーラってパスタじゃん。それをラーメンに合わせるのって個性的というか・・・なんというか」
「じゃあ、もしこれで美味しかったら私に感謝しないとだね」
美味しかったらねと私は答えた。
お湯を入れてからようやく三分が立った。フタを開けるとスープは真っ白で匂いは間違いなくカルボナーラの匂いだ。
「では早速スープ」からと冒険心を存分に出しながら彼女はひと口飲んだ。
すると、感想を言う前に「真奈も一回飲んでみて」と言い出した。せめて感想を聞いてから飲みたかったと思った。恐る恐るひと口飲んでみる。私はひと口飲んで彼女の方をすっとみた。
「真奈・・・」
「芽依・・・」
お互いに気持ちを確認し合う。二人とも感想は同じだった。
「これめっちゃ美味しいよ真奈!」
「意外といけるね」
カルボナーラの卵とチーズのコクがスープと溶け合って濃厚な味わいになっている。けれど、重くなり過ぎないようにブラックペッパーの風味がアクセントとなり調和されている。この寒い冬にぴったりの味わいだった。
「ねぇ、私ももうちょっと食べたい」
「私のお昼無くなっちゃうよー」
「ちょっとぐらい、いいじゃん」
と少し奇妙な味のラーメンを二人で取り合った。
お昼を食べた後は夜に向けて軽く昼寝をすることにした。さっきまで寝ていた彼女はすぐには眠れなかったみたいだが私の眠る姿を見てつられて、そのまま眠ったそうだ。
目が覚めると外はすっかり夜になっていた。ちらっと時計を見るともう七時前だった。横を向くとまだ眠っている彼女の姿が映った。彼女の肩を優しく揺らし「もう夜だよ」と伝える。
「もう・・・そんな・・・かん・・・」と寝ぼけているのか何を言っているのか分からなかった。
「桜見に行かないの?」とまだ目をつぶっている彼女に言うと「行くー」と弱弱しい声で帰ってきた。
二人とも着替えて冬の寒い外に身を投げ出す。特に冬の朝と夜は冷え込む。さっきまで二人とも眠気が収まらなかったが外に出ると一瞬で眠気が寒さに振り払われた。
「なんで冬ってこんなに寒いの」
震えながら言う彼女に私も同意見だった。初めて会った時の彼女の服装を思い出すとぞっとする。今は私の服を貸しているので前の時よりかはましだと思う。
家から五分程歩くと私の目の前に、今まで見たことない景色が一瞬にして目の奥に飛び込んできた。自然の黒いキャンパスに淡い桃色の小さな命が体を寄せ合い冷たい冬の風に揺られながらも彼らは懸命に生きていた。
それは太陽が昇っている時には決して見えない景色だった。
「綺麗・・・ほんとに綺麗」
私はこの景色に見惚れてそれ以上の言葉が出てこない。
「すごいでしょ!お昼に見る桜もめっちゃいいんだけど、私は夜に見る桜の方が好きなんだ」
所々、うっすらと桜が月明りに照らされて光り輝く。淡い桃色がついた星のようにも感じる。こんな景色、過去の私だったら見ることもなかったんだろうな。家の側にこんなに胸を動かされるような景色があるのに芽依と出会って共に時間を過ごさなければ知りもしなかった。
一人だった私の世界に突然咲いた一輪の花。初めは咲く場所を完全に間違えたおかしな花だと思っていた。けれど、その花は暗闇の中で咲く場所は間違えてない。私が咲く場所はここだと人の思いも知らずに咲き続けた。本当に最初は最悪だった。
花は可憐で、煌びやかで。それでいて、とてもたくましかった。私の世界に水や太陽がなくても枯れずに凛と咲いている。私がその花に興味をしめさなくても花の方から寄り添ってくる。何度もその花に背中を向けても、花びらがそっと私の背中を優しく撫でる。その度に花びらから伝わる温もりが私の世界の暗闇を徐々に晴らしていった。
そして今となれば、その花は私にとってなくてはならない存在になっている。きっと今なら花屋の店員さんがくれたフリージアの花言葉も少しは似合ってると言えるのかな。
もし私の世界に咲いたこの花に花言葉をつけるとしたらなんだろう。思いつくのは「自由な心」、「快活さ」、「親切」どれも似合うのだけれど、私がつけていいのであればきっとこういう花言葉をつけると思う。
その花の花言葉は「道しるべ」
これから誰もが進む未来をいつでも優しく照らしてくれる。どんなに暗い闇にいたとしてもひとつの道となって導いてくれる。私はこの花がそんな花言葉だったらいいと思った。
そして私はそんな花についこんなことを言った。
「芽依・・・」
「んーどうしたー」
桜を見ながら彼女は答える。
「芽依と友達になれてよかったよ」
私からそんな言葉が出ると思っていなかったのだろう。彼女はすぐに桜から視線を私に移した。
そして今までで一番いい笑顔で「私も真奈と友達になれてほんとに嬉しい!」と言った。その笑顔を私は忘れたことがない。
芽依がいなくなってしまった今も。
木によって桜の表情が少し変わるのが面白くて、私達は名所のだいぶ奥まで来てしまっていた。
「結構奥まで来ちゃったね」
「真奈がもっと奥まで行きたーいってはしゃぐから」
「だってこんなに綺麗なんだもん」
「そこまで喜んでくれたのなら連れてきたかいがあったよ」
二人で笑い合うと同時に桜が夜風に吹かれる。気のせいかもしれないけど桜も笑っているように感じた。
歩いていると芽依が少し不思議なことを言い始めた。
「桜ってさ、ちょっと悲しい花だよね」
桜が悲しい。その意味を私はすぐに分からなかった。
「桜が悲しいってどういうこと?」
だってさ、と言いながら芽依は手が届く位置にある桜に触れながらこんなことを言った。
「桜は長く咲いてられないんだよ。春の訪れっていう大事なことを告げて散っていく。まだ咲いていたいとどれだけ願ったとしてもそれが叶うことはない」
芽依が言うように確かに桜は悲しい花なのかもしれない。けれど、私はその悲しい部分も桜の良さだと思った。
「だからこそだよ・・・」と私はそっと口を開いた。
「だからこそ、今この瞬間の美しさや儚さを見てあげないと。たとえ散ったとしても、それは別れの挨拶じゃなくて来年もまた会いに来てよっていう桜からの約束だと私は思うな」
そういうと芽依は「そんな考え、私じゃ出来なかったよ」と微笑みながら言った。その微笑みに、ちょっときざだねという含みが込められていたように感じた私は、少しの間彼女の顔を恥ずかしくて見れなかった。
堪能した私達は桜にしばしの別れを告げ、名所を後にした。帰り道、私が知らない桜の知識を芽依はまだまだ教えてくれた。桜が桃色をしている理由や川沿いに多く咲いている理由。
「アントシアニンという色素が花びらに含まれるからで、川沿いに咲いているのは堤防の土を固めるために桜の木が植えられたんだ」と余韻に浸りながら嬉しそうに話す芽依の表情は私にとってさっき見た桜と同じくらい眩しかった。
家に帰る前に冷蔵庫の中が空っぽなことを思い出したので私は彼女を連れてスーパーに寄った。桜に見惚れていたせいで今はもう夜の十時だ。けれど、閉店時間ギリギリに行ったおかげでお惣菜が半額になっていた。値引きシールを張ってくれるスーパーのおばちゃんは私にとって女神みたいな存在だ。
明日以降の食材もいくつか買い、再び帰路についた。
帰り道、さっきまで愉しそうに桜の事を語っていたのに今は何も話さず私の少し前をゆっくりと歩いている。彼女の背中が今日は少しだけ小さく感じる。植物園の時にはもっと自信に満ち溢れたような感じだったのに。
私はなんだか少しだけ嫌な予感がした。そして、その予感は当たった。
家の前に着くと彼女がふと足を止め空を見上げた。どうしたのと聞いても返事が返ってこない。夜空の星が綺麗で意識を奪われたのかと思い、「早く部屋に入ろ。風邪引いちゃうよ?」と言い私は先に階段を上った。
すると「真奈・・・」と私を呼ぶ彼女の声が聞こえた。声にいつもの力がなかった。
私は振り返り「なにー、さっきから全然元気なさそうだけど。あ、もしかしてもう桜が恋しくなったのー?」と私はさっきから心に少しづつ湧いてくる不安を押しのけようと彼女の事をからかった。
けれど彼女はそのからかいに焦ることもなく言葉を繋いだ。
「前に私が真奈に言わなきゃいけないことがあるって言ってたでしょ」
私は言葉に詰まりながら「う、うん」と返事をした。
「それ、明日真奈に伝えるよ」
ずっと気になってたこと。芽依が私に言わなきゃいけないこと。そもそもそれを言うために芽依は私と友達になろうとしていた。あの時はいくら考えても何を伝えたいのか結局分からなかった。それは今も変わっていない。
ただ一つ言えるのは、今この瞬間も彼女が見せる悲しげで憂わしげな表情からいい知らせでないことはなんとなく分かった。
「聞きたくないって言ったら・・・」
「ごめん、それでも聞いてほしい」
その言葉からは覚悟のようなものが伝わってきた。
私はその覚悟から逃げたいと思った。
けれど、それは出来ない。それをしてしまうと彼女の覚悟を踏みにじることになる。彼女が勇気を出して一歩踏み出したのに、私が逃げてしまうときっと後で後悔する。それだけは嫌だった。
私はそっと答えるように「分かった」と返事をし約束を交わした。
家に入って二人で買ってきた半額のお惣菜を食べる。「美味しい~」とほっぺに手を添えながら彼女は夕飯を楽しんでいる。
けれど、私はほとんど味がしなかった。頭の中で彼女からどんなことを言われるのか、そればかり考えてしまっていた。表情に出ていたのか芽依にも伝わったのだろう。
「ほーら、真奈もいっぱい食べて。食べないと私が全部食べちゃうよ!」と私に気を使ってお皿が山盛りになるぐらいおかずを盛った。
それから、お風呂に入っている時もベッドに入って目を瞑った時もずっと私は考え込んでいた。
そして私は、いつの間にか眠りに落ちていた。
朝、ぼんやりと目が覚め、ふと横に顔を向けると眠っているはずの彼女の姿が見えなかった。私は一瞬でベッドから飛び起きた。ドアを開けてキッチンを確認しても芽依の姿は見当たらない。お風呂場にもいないし、ベランダにもいない。私は心臓が張り裂けそうだった。急いで靴を履き外へ出た。外に出ると冬の冷え込んだ朝の風が身に染みて、自分がパジャマで外に出たことに気がついた。でも今はそんなこと関係ない。家の中、どこを探しても芽依の姿が見つからなかった。
どこに行ったの・・・なんでいないの・・・
泣きそうになりながら階段を駆け下りようとした時「はぁ~あ」とあくびをしながら階段を上がってくる芽依の姿があった。
「どこ行ってたの!」と私は声を張って彼女に言葉を投げた。
すると「うぉ、びっくりした!あれ、真奈なんで外にいるの?」と首をかしげて言う。
「なんでって・・・起きたら横に芽依いないし、部屋の中探しても・・・どこにもいないし・・・」
息が上がって言葉が途切れる。
「今日ゴミの日だから、ゴミ捨てに行ってただけだよ」と彼女は飄々と答えた。
「急にいなくならないでよ・・・焦ったじゃん・・・」
芽依がいなくなったこともそうだが、自分がここまで取り乱すなんて。もう、誰かを失いたくない。お願いだからいなくならないでよ、芽依・・・
「えーなにーもしかして、私がいなくなって寂しくて、家飛び出してきたの~?」
「別に私は散歩しようとして外に出てきただけだよ」
誤魔化す様に私は彼女から視線を外し別の方向を見た。
「ほんとかなぁ~?」
私の顔を覗き込みさらにからかおうとする彼女。私は寒さと彼女の冷やかしから逃げるように部屋へ戻った。それを追いかけるように「あ、逃げるなよー!」と言いながら彼女も部屋へ戻った。
この日は、朝からバイトが入っていたので遅刻しないように少し早めに家を出た。芽依との約束は今晩、もう一度あの桜を見に行った時に話すことになった。昨日からずっと心に引っかかったままだ。どうあがいても、その引っかかりがなくなることはなかった。そしてそれはバイト中に影響を及ぼすほどだった。
「パリンっ」と店内に何かが割れた音が響く。中にいたお客さんが私に注目し、音を聞いた店長が慌てて様子を見に来た。私は自分のしてしまったことに頭が真っ白になっていた。
「真奈ちゃん、大丈夫?」
心配した祥子さんが駆け寄ってくる
「すみません!ぼさっとしていてアロマディフューザーを落としました・・・」
割れた瓶の破片と中の液体が床にこぼれ落ちており、アロマディフューザーの匂いが一気に店内に広がっていった。
「怪我はしてない?」
罪悪感に押しつぶされながら「はい・・・」と答える。
「とりあえず、新聞紙とモップ持ってきて」
私は店長に言われるまま体を動かした。新聞紙で破片を包み床に広がった液体はモップで綺麗にふき取った。
けれど、大量に流れたアロマディフューザーの香りはしばらく店内に残り続けた。
退勤時間になり帰り際、もう一度店長に「すみませんでした」と言うと「何かあったの?真奈ちゃんがミスするなんて珍しい」と言われた。
「あ、もしかして前にここへ来たえっーと。確か名前は・・・」
「芽依・・・」
「そうそう芽依ちゃん!その子となんかあったの、喧嘩でもした?」
「喧嘩ではないんですけど・・・」
私は店長に何があったか話した。
「友達が友達に言わなきゃいけないことかー。なんだろね。私の年齢だったら結婚とかなんだろうけど。真奈ちゃんの年齢でそれはあんまり考えにくいしー。しかも悲しい顔で言われたってなるとなー」
「彼女に何を言われるか、今すごく怖くて・・・」
そう言うと店長は柔らかな声で答え始めた。
「真奈ちゃんが怖いって思ってるってことはきっと芽依ちゃんもどうしようもなく怖いと思うよ。大事に話をする時は話す方も怖いんだよ。だから、友達ならそれをちゃんと優しく受け止めてあげないとね!」
そうか・・・私だけじゃない。芽依だって怖い。だから、私に伝えなきゃいけないことがあるという度、あの表情をするんだ。私が怖がっていたらだめなのかもしれない。
「ありがとうございます。店長のおかげで少しだけ分かった気がします」
「そっか、ならよかった!」
店長のおかげで心に引っかかった物が少しだけ軽くなった。どんなことを言われても受け入れよう、そう思いながら私は家に帰った。
「ただいまー」
「おかえりー」
扉の奥から芽依の声が聞こえてくる。その声が聞こえるとほっと心が落ち着く。
「バイトお疲れさま」
「ありがと。てっきり、お店に遊びに来ると思ってたよ」
「さすがに何回も行ってたら迷惑ですー」
「ふふっ、それもそっか」
他愛のない話を少しだけして、私は恐る恐る聞いてみた。
「何時から大事な話をしに桜を見に行くの?」
そう聞くと、「そうだなー、今からでもいいんだけど太陽が沈んでから行こっか。夜桜見れるし」と彼女の声は心なしかどこか震えているようにも感じた。やっぱり、芽依も怖いのかなぁ。胸の内でそうつぶやいた。
それから私は冷蔵庫の中にあるもので夕飯を作り二人で食べ、太陽が沈むのを二人で待った。
段々と日が落ちていく様子は、物語が幕を下ろす時と同じような感覚に私は感じた。
日は落ちたのだけれど、私からそろそろ行こうとは言えなかった。言いたくなかった。言わないで欲しかった。
彼女は「よしっ、そろそろ行こっか!」と普段の彼女らしい笑顔で立ち上がった。私も「そうだね・・・」とせめぎ合う気持ちをどうにか抑えて家を後にした。
こうして芽依と並んで歩くのはもう何度目だろう。彼女に気づかれないようにちらりと横を見る。お互い何も話さないのだけれど、横に彼女がいるだけで私は安心する。芽依もそう思ってくれていたら嬉しい。なんて、気恥ずかしいこと私は言えそうにない。
名所に着き、辺りを見渡す。昨日来た時は桜の花びらが一枚一枚輝いて、風に揺られる度に笑っているように見えたが、今日は何故か桜が風に揺られるたびにざわついているように感じた。私は気のせいだと思いたかった。
「よしっ、ついたー!」
安堵の息をつきながら彼女は言った。
「桜、もう満開だね」
「うん、ほんとに綺麗。真奈ともう一回見れるなんて幸せだよ」
「来年もまた一緒に行こうよ。桜も来て欲しいって思ってるよ」
「そうだね、来られるといいね・・・」
来られるといい・・・なんで笑いながら行こって言わないの・・・
「それじゃあ話しますか。あんまり待たせすぎるのも良くないしね!」
桜から私に顔を向け彼女は口を開いた。
その瞬間、胸がぐっと締め付けられるような感じがした。唾をごくりと流し込み、芽依の言葉に全神経を集中させた。そして私はその内容に愕然と立ち尽くした。
「今から一週間後の三月二十八日、真奈あなたは交通事故に遭ってこの世を去ります」
一週間後、私は死ぬ・・・え、どういうこと。いや、それよりもなんで芽依がそんなこと知ってるの。もしかして、またからかわれてる?
芽依の言葉に頭が追いつかなかった。
でも彼女の表情から、いつものからかっている気配はしなかった。え、なら私は本当に死ぬの?
だめだ・・・一人で考えてもこのままだと一生正解にたどり着けない気がした。困惑しながらも私は芽依に答えを求めた。
「え、どういうこと・・・ごめん意味が分からない」
心の内から動揺が隠しきれない。
「そうだよね、そういう反応になるよね」
「冗談ではないんだよね」
この状況でも彼女なら「冗談だよ」と言いそうだったので確認のために私は聞いた。
けれど、帰ってきたのは「冗談じゃないよ」と言う答えだった。
なら尚更わからない。なんで私が死ぬことを事前に知っているのか。しかもピンポイントに日付まで。彼女は死神か何かなのか?考えても、考えても分からない。そんなフィクションみたいなこと、この現実世界で起こりうるわけがない。
「じゃあなんで私が死ぬことを知ってるの?」
「今からちょっと現実離れした話をするね」
芽依の言葉と表情から至って真剣な様子が伝わってきた。
「この世界は実は二つに分かれてるの」
「二つ?え、どういうこと?」
現実離れし過ぎたことを言う彼女に未だに頭が追い付かない。
「表の世界と裏の世界って感じで考えるとまだわかりやすいかな」
「表の世界と裏の世界?」
「そう。今、真奈がいるここは裏の世界。そして、私がいた向こうは表の世界なんだって」
「一つの世界があって、それが表と裏でそれぞれ二つに分かれてる・・・」
私は何とか芽依の話についていく。それでも頭の中は困惑したままだ。
「ここからが重要なんだけどその表裏の世界では、表の世界で存在する人は裏の世界でも存在することになるの」
「ごめん、全然追いつけない。もっと簡単に説明して」
「んーそうだな。例えば表の世界にAさんがいたとするでしょ?」
相槌を打ちながら私は芽依の話を聞き続けた。
「そしたら裏の世界にも同じAさんが存在することになるの」
「つまり同一人物ってこと?」
「そんなとこだね」
「じゃあ、私と同一人物がここじゃないもう一つの世界にもいるってことなの?」
「そんな感じ」
彼女の言っていることは本当に現実離れしている。本や映画でしか聞いたことがないことを彼女は今、真剣に話している。
けれど、その真剣な眼差しを見れば見る程それが冗談でないことがひしひしと伝わってきた。
「ごめん、こんなこと急に言われても信じられないよね」
確かに芽依の言うことはフィクションの中でしかありえないようなことだ。
けれど、そんな顔をしながら言われると信じられないようなことも私は信じたいと思う。
「信じるよ」
芽依が勇気を出して言ったのだから友達の私が信じなくてどうするの。
目を見据えて彼女に言った。芽依はそのまま「ありがと」と一言だけ答えた。
芽依の言葉通りなら向こうの世界にも私と同じ人が存在している。向こうの私はどんな人なんだろう。私と同じで本が好きなのかな・・・私とは違った人生を送っているのかな・・・私と同じ顔をしているのかな・・・そんな風に考えると少しだけ会ってみたいと思った。
「会ってみたい?」と芽依が不意に言い出した。なんだか、本当に会えるみたいな言い方をする彼女。
「そんなことが出来たら、この世界は本当に本の中の世界みたいじゃん」
「確かに~。でも私の身に起きたことはもうとっくに現実離れした出来事なんだよ。それに私が真奈の立場だったら会ってみたいなって思うけど!」
私だって会ってみたいと思ったよ。けれど、本当にそんなことが出来るのなら彼女はやっぱり死神か何かなのだろう。
「じゃあ、会わせてみてよ」
私は言葉を吐き捨てるように彼女に言った。
「もう会ってるよ」
えっ・・・と芽依の方を見ながら声が出た。周りには誰もいない。冬の風に揺られている桜と夜道を照らす街灯のみ。私以外の人間は芽衣しかいなかった。
「真奈の目の前にいるじゃん」
「もしかして、向こうの私は芽依なの・・・?」
私は彼女に聞いてみた。
「正解!びっくりしたー?」
驚きで言葉が出なかった。もう一つの世界の私が芽依だなんて・・・性格も好きなことも、顔だって全然似てない。明るくて、優しくて、それでいてあんなにも笑顔が眩しい。私とは正反対だった。
けれど今思えば、芽依が私だっていうことに納得いく点がいくつかある。
私が本を買いに行くことを知っていたこと。
初めて私の家に来た時、お邪魔しますではなく、ただいまと言ったこと。
自分の家はここだと私の家を指差したことも。
私のバイト先をピンポイントに当ててやって来たこと。
全部、知っていたから・・・
私はこれに気づいたとき背中がひやりとし、芽依に質問した。
「私が死ぬ日付知ってるのってもしかして・・・」
知りたくない事実だった。
「うん、私が向こうで亡くなった日だから」
言葉が喉の奥に詰まってうまく出てこない。芽依はもう死んでいる存在・・・
「それって、芽依が体験したことは私もこっちの世界で実際に体験するってこと?」
彼女は首を縦に振った。その時、私は後悔の渦に飲み込まれた。
それは逆もしかりだった。芽依が体験したことは私も体験する。私が体験したことは芽依も体験している。
私は芽依の顔がまともに見れなかった。
彼女もまた中学生の時、やってもいない罪をきせられ、罵詈雑言を浴び、一番の友達だったさやかに裏切られた体験をしたのだ。
それなのに私は、自分だけが悲劇のヒロインみたいにうずくまって挙句の果てに芽依に当たって。芽依だって同じことを経験したのに、苦しかったはずなのに。私は何も気づけなかった。気づいてあげられなった。
「ごめん・・・あの時、芽依には分からないとか言って。同じ思いをしてきたはずなのに。私の気持ちなんて芽依に絶対分かるはずないって思ってた。本当にごめん・・・」
後悔で震えが止まらない。
「それは仕方ないよ、言ってなかったんだし。私ね、立ち直れなかったんだ。中学生の頃の出来事から。真奈と同じ年齢になってもずっと引きずってた」
私だって芽依がいなかったら今もきっと引きずったままだ。
「事故に遭った日の朝も、あの悪夢を見たの。どうしようもなく辛くて、怖くて、寂しくて。どうしようもなくなった私は家を飛び出して私が一番好きな、あの桜の場所へ向かったの。その途中で私は赤信号に気づかずに渡っちゃったの・・・」
「それで車に跳ねられたの?」
「多分ね。体にすごい衝撃が走って、気づいたら横たわってた。駆け寄ってくる人の声は全然何言ってるか分かんないし、視界もぼやけてた。段々意識が遠くなって、あー、これ死ぬやつだ。でも、このまま死んでもいいと思った。あの出来事にうなされる日々が続くなら、もう終わってもいいって・・・楽になれるって。それで目をつぶった。でも、神様はそんな私を許してはくれなかったみたい。ふと目を開けたら私の住んでる町に立ってた」
「怖くなかったの?」
「怖いというか最初は何が何だか分かんなかった。そしたら、頭の中で声がしたの。この世界のあなたを救うかどうかはあなたに委ねますって」
「それって神様が言ったの?」
「んー声が頭の中に流れただけで神様かどうかは分かんない。死んだと思ったのに急にそんなこと言ってきてさ、あれが神様ならほんっと意地悪だよ!なんで私の事は助けてくれなかったのに別の世界の私を助けないといけないんだよって!理不尽すぎだって!」
「ごめん・・・」
「ははっ、なんで真奈が謝るの。でも、思ったんだー。私があんなに苦しんでたってことはきっとこっちの私も過去の事で苦しんでる。もしかしたら、私以上かもしれないって考えたら怖くなった。助けなきゃって思った」
「でもなんであの時、書店の前の信号に立ってるのが私って分かったの?」
「あの日、私も本を買いに行ったからだよ。もしかしたら、こっちの世界の私も言ってるんじゃないかなって思って」
「でもそれだけで、こっちの世界の芽依が私だってどうやって分かったの?顔も雰囲気も私と芽依は少しも似てないけど・・・」
「それは真奈があの言葉を言ったからだよ」
あの言葉?と彼女に聞き返す。
「私は友達なんていらない、友達なんか作ってもいいことなんて一つもない。これ、私も生きていた時に全く同じ言葉を言ったことがあったから。それでこの子がこっちの世界の私なんだなって思った」
「そうだったんだ・・・」
「まぁでも確信に変わったのは真奈の名前を聞いた時だけど」
そうか、芽依も生きていた世界では私と同じ樋口真奈としての存在だったんだ。
「こんなに性格も好きなことも違うのに芽依と・・・あ、真奈って呼んだ方がいい・・・?」
「ははっ、芽依でいいよ」と微笑みながら言う。
「・・・芽依と私が同じ人だなんてびっくりだよ」
すると芽依も「私だって信じられないよ!」とおどけた口調で言い放った。
私は本が好きで、彼女は花が好き。料理は私の方が得意だけど、家事は彼女の方が得意。何事にも冒険する彼女といつも無難な方へ行く私。私たちの性格は表裏の世界を現しているみたいだった。
似ているところがほとんどないのに彼女といると本当に退屈しない。そしてそれがほんとに心地良く感じた。
「真奈、一週間後の三月二十八日絶対外に出ないでね。絶対、死なないで。約束だよ」
穏やかな声で伝える彼女に声は出さずに私はゆっくりとうなずいた。
「はぁーこれで私も安心だー。真奈が死なずにこれからも生きて行ってくれる!私の役目もこれで終わりか―」
「何言ってるの。芽依はこれからも私の友達として過ごしていくっていう役目があるじゃん。あ、それとも何、私のこと友達として信じてないから裏切られた時どうしよーとか思ってる?」
「違うよ、真奈の事は信じてる。でも、その役目は果たせそうにないんだ・・・私の役目は終わったの」
役目が終わる。芽依は一体何を言ってるのだろう。収まっていた不安がまた顔を出した。聞きたくはなかったが体がそれを許さなかった
「役目が終わりってどういうこと?これからも一緒に居れるよね?」
鼓動が早くなっていくのを感じる。また、私は友達を失うの?
「ごめんね真奈。同じ世界に同じ人物がいることは許されないみたい。もし、それをしてしまうと二人とも消えてしまう。だから、そうならないように私は消えなくちゃいけないの」
「でも、それって・・・」
この世界から消えなくちゃいけない。つまりそれは、もう一度自分の死を受け入れるということ。
「自分の死を受け入れるってこと?」
「そうなるね」とか細い声で彼女は答える。
芽依の寂しげな顔を見ていると私の頬に温かい何かが流れた。「泣かないで」と優しく私の頬に手を当てる芽依。その手のぬくもりが柔らかくて優しい。
「いやだ・・・芽依がいなくなるのは寂しいよ」
自分の顔が涙でぐしゃぐしゃになるのが分かる。でも、そんなこと気にする余裕なんて私にはなかった。
「ごめんね・・・私も真奈ともっと一緒にいてあげたいんだけど。やっぱり私には決意も覚悟も出来なかったよ」
決意と覚悟が出来ない。そうか、あの時の言葉もそうだったんだ。書店で芽依が私に向かって、決意と覚悟があるかどうか聞いたあの時から、こうなってしまかもしれないとずっと胸にしまい込んでいたんだ。
「芽依がいないと私はまた一人ぼっちだよ」
「でも、友達はもう作れるでしょ?期待するんじゃなくて・・・」
その言葉の後に続くように私は言った。
「相手がどんな存在だったとしてもそれを認められる勇気を持つこと・・・」
「そう!そうすれば裏切られたなんて思うこともないし、友達を作りたくないって思うことも少しはなくなると思う」
「この言葉を死んじゃう前に芽依が知ったら、きっとまだ生きてたかもしれないのに・・・」
芽依に生きていて欲しかった。芽依と同じようには出来ないかもしれないけど、それでもきっと助けたいと思ったはず。芽依じゃなく、私が先に死んでいたら。そんなこと、芽依に言えば怒られるかな。でも、そんな気持ちが募るばかり。
「これはあの過去から、どうやったら真奈が乗り越えられるか。それを必死に私なりにこっちの世界で考えて出した答えの結果がこれなんだ。だから、どっちにしても私は死んでたと思う」
私は芽依に助けられてばっかりだ。もっと一緒にいたいよ、その言葉と涙だけがいつまでも途切れることはなかった。
「本当に消えちゃうの?」
「すぐに消えるわけじゃないよ」
寂しいよ・・・芽依に素直に伝える。
「私も真奈と会えなくなるのは寂しい。でもまだ時間はある。私が消えるその瞬間まで私を笑顔にさせてよ。真奈にはその力があるじゃん」
芽依はそんな風に言ってくれたが結局助けられてばかりいるのは私の方だ。私は芽依に何もしてあげれていない。過去の事から立ち直るきっかけをくれたのも芽依だ。ずっと貰ってばかりの私が真奈の為に出来ることは一体何なのだろう。
「私が芽依に出来ることって何?私は芽依のやりたかった事全部叶えたい。芽依がいなくなるまでに全部叶えよう」
泣くのはもうやめよう。今は泣いている暇なんてない。芽依にはもう時間がないのだから。
「私がやりたい事か・・・」
桜を見つめながら少しの間、彼女は考えていた。
「もっと真奈と一緒に花を見に行きたいかな!それで色んな花言葉を真奈に知って欲しい!」
芽依らしい答えだった。
「そんなことでいいの?もっとなんかバンジージャンプがしたい!とか日本一周とか、スカイダイビングしたいとか。普段出来ないことをやったほうがいいんじゃない?」
「普段できないことよりもいつもと変わらない日々、自分の好きなことを真奈と一緒にしたいんだ!それでいて、真奈と一緒に笑い合いたい!」
芽依がそういうのなら私はそれを叶えたい。今度は私が芽依の力になる番。うまく出来るかは分からないけどそれでも精一杯やってみよう。芽依が後悔を残さないように。




