4.コスモス(調和)
「天気予報です。今日の・・・です。昨日に引き続き今日も寒い日に・・・みなさん・・・負けないよう・・・過ごしていきま・・・」
部屋の隅からなにかが聞こえてくる。意識が曖昧なため上手く聞き取れない。けれど、確かに音はしている。昨日、寝る前にテレビでも消し忘れたのか。確認しようにも体は全く言うことをきかない。
すると、「おはよ、真奈!」と言いながら勢いよく私の体を揺さぶる人がいる。
「おかあ・・・さん・・・?」
目がまだぼやけているせいか、はっきり分からない。
「真奈のお母さんじゃないよ。私、芽依だよ、芽依」
聞き覚えがあるその声のおかげで断片的に、昨日の事を思い出し始めた。私の家で共に夕食を食べたことや、自分の過去を打ち明けたこと。そして、彼女に心を開こうと思ったことも。
「あれー帰ったんじゃないの?」
「何言ってるのー。しばらく一緒にいることのなったじゃん」
そういえば、あの後二人で家に戻り、話し合った結果しばらくの間、彼女と一緒に生活することになった。
そして、彼女の提案で敬語と苗字呼びは禁止に。
「今のままで良いじゃないですか?」と言ったが彼女曰く「敬語だと距離が遠いし苗字で呼ばれるより名前で呼んで欲しい」こういった理由で私は彼女を名前で呼ぶようになり、敬語も使わなくなった。
「それより早く起きなよー。昨日の夜、十一時からバイトって言ってなかったっけ。遅刻するよー?」
「え、いま・・・なんじ・・・?」
「十時半前だけど・・・」
彼女のその言葉が耳に届くと同時に私の心臓は跳ね上がった。そういえば昨日、目覚ましをかけた覚えがないことを今思い出した。もう少し早く起こしてよと言いそうになったが、自分が目覚ましをかけなかったのが一番悪いし、彼女にそんなことを頼むのはお門違いだ。昨日の自分を叱ってやりたい。
それからの私の行動は誰でも分かるだろう。急いでベッドから飛び出して、洗面所に顔を洗いに行きボサボサの髪をくしでといて着替える。助かったことがあるとすれば、バイト先が家から自転車で通える距離なことと普段化粧をしない為、化粧に時間をさかなくていいことだ。そのためなんとか間に合いそうだ。
「パン焼いたけど食べるー?」
「ごめん、パン食べてる時間ないかも!」
「じゃあ真奈のも食べとく!それよりごめんね。もう少し早く起こせばよかった」
「芽依のせいじゃないよ。私もう行くね。鍵だけ閉めといて欲しい!あと十七時に終わるからそれまで留守番お願い!お腹すいたら適当になんか食べて!」
彼女に留守番を任せるのは少し不安だったが遅刻寸前の私にはそんなことを考えている暇はなかった。
「分かった!行ってらっしゃい!」
「行ってきます!」
そう言いながら私は玄関を出た。
気温は昨日と同様に寒い。急いでいたため、厚着して家を出なかったのを後悔する。自転車を漕ぎながら転々と信号に引っかかる。こういう急いでいる時程、信号に引っかかるのは私だけだろうか。あまりの時間のなさにどうせなら一つぐらい無視してやろうかと思ったが事故にあってはもともこもない。そう思い、仕方なく青に変わるまで待っていた。
するとちらちらと街路樹が目に入ってくる。昨日、彼女と見に来た街路樹だ。昨日は夜に見たせいで近づかないとよく見えなかったが、明るい今ならここからでも、はっきりと蕾が見える。この子達はいつになったら咲くのだろう。
今まで私は、桜をありふれた景色として認識していた。そんな景色を彼女と見ればどんなふうに感じるのだろうか。今までと何も変わらないのか、それともそうじゃないのか。そんな風に思うと少しだけ私は楽しみになった。
そんな思いを馳せていると信号が青に変わり、私は引き続き全力で自転車を漕ぎバイト先へ向かった。
私のバイト先は大型ショッピングモールの三階にある雑貨屋だ。店内は洋風な感じをイメージして作られておりアクセサリーやインテリア系、文房具なども多く取り揃えられている。
私には似合わないって?それは私が一番思っていることだ。読書好きな私は、本当なら書店の在庫整理をするバイトをやりたかったのだが人気な求人で中々サイトに上がらなかった。
雑貨屋以外の選択肢もあったが、何より従業員特典として三十パーセントで購入できるという点に引かれ雑貨屋という私には似合わない仕事を選んだ。大学生にとって文房具類を安く買えるのはとてもありがたい。
時間は大丈夫だろうか。そんな心配をしながらショッピングモールの駐輪場についた。
足早にモール内に入ると週末ということもあり大勢の人でにぎわっておりエレベーターの前には人だかりが出来ていた。そのためエスカレーターを使おうとしたが私は目を疑った。
そこには点検中の為、使用不可の文字が書いてある張り紙があった。そのせいで反対側にある非常用階段を使う羽目になったのだ。あのエスカレーターさえ使えればきっと間に合っていただろう。その日、私は遅刻した。
「おはようございます。遅れてすみません」
「あら、おはよう!真奈ちゃんが遅刻なんてめずらしいね」
「昨日、目覚ましかけ忘れてしまって・・・」
「あるあるだねー。でも全然気にしなくていいから。今日も一日よろしくね!」
そう優しく言ってくれるこの女性は佐藤祥子といい、ここのお店の店長だ。年齢は確か四十代だったはず。
だがその見た目は二十代と言われても遜色ないほどに容姿端麗で彼女と写真を撮るためにわざわざお店に来る人もいる。いわばこのお店の顔となる人物だ。それに加えて性格も穏やかで天然な雰囲気を放っており、男性だけでなく女性からも人気があるみたいだ。時々、食事の誘いを受けているようだが彼女は既婚者で毎回「結婚しているのでごめんなさい!」と断っているみたいだ。指輪があるか確認してから言えばいいのにと思うがその前に彼女の容姿と雰囲気に目が行くのだろう。
祥子さんに「明日の発注や集計を済ませてくるからレジお願い出来る~?」と言われたので快く引き受けた。遅刻した身としては倫理的以外の事であれば何でも引き受けようと心に誓っていた。気にしなくていいと言われたが遅刻して気にしないというのは私の中のポリシーに反するためだ。
雑貨屋の仕事は至ってシンプルで基本的には品出しや在庫の確認、あとはレジでの接客ぐらいだ。普段ならそつなくこなせるのだが今日はとことん運が悪いみたいで、イレギュラーが二つも起こってしまい中々仕事が捗らなかった。
丁度お昼を過ぎた辺りに何組かのお客さんが店に入るのが見えた。私はいつも通り業務的挨拶として「いらっしゃいませ」と一言いって仕事を続けた。すると「すみません」と肩を叩くお客さんさんがいたので欲しい商品が見当たらないのかと思い「はい」と返事をしながら後ろを振り向いた。
これが一つ目のイレギュラーだ。振り向いた瞬間、そこにはマスクをしている女性が立っていた。よく見ると見覚えがある服を着ていたのですぐに彼女だと気づいた。何故マスクをつけているのかと思ったがそんなことよりも、後悔だけが先に私を呑み込んで行った。振り向かなければ彼女だと気づかなかったのに・・・いや、そんなことは許されるはずはないだろう。お客さんに声をかけられ無視をする店員などあってはならない。
「なんでここにいるの?」
ってこれはデジャブ?・・・今まで何回かこんなことがあったような、そんな気がした。
「来ちゃいました!」
いや、絶対あった。
「なんで私のバイト先知ってるの?」
「この前、雑貨屋で働いてるって言ってたから!」
「よくピンポイントで分かったね・・・」
「まぁ女の勘ってやつかな」
自慢げに言う彼女についついため息が盛れた。
「それで何しに来たの?」
「友達のバイトしてる姿ってなんか興味深いじゃん?だから見に来た!」
「それ完全に冷やかしにきてるよね?」
「ははっ!そんなことないって!本当は鍵届けに来たの!真奈、鍵持たずに朝出かけたでしょ?はい、これ鍵」
「鍵ひとつしかないのに、今私に鍵渡したら芽依はどうやって家に入るの・・・」
「あ・・・・・・・・・」
彼女の性格にはこういう天然っぽい所も含まれているらしい。しばらく、二人の間に沈黙が流れたがその沈黙を切るかのように今度こそ本当のお客さんに呼ばれた。
お客さんの要件を済ませ再び戻ると彼女はアロマディヒューザーの匂いを嗅いでいた。
「ねぇ真奈、めっちゃいい匂いするよ!」
「それリラックス効果があって結構人気な商品だよ。その右にあるのはハーブ系の匂いなんだけどそんなにきつくないから子供がいる家庭でもよく使われてるものなんだ」
「へぇーそうなんだ!意外と詳しいね」
「この仕事してたら勝手に覚えてた」
なんて会話を繰り返していると、「あら、お客さん?」と裏で仕事をしていた店長が戻ってきた。決してサボっている訳ではないが一瞬ドキッとしたのは間違いない。仕事中に友達と喋っているとばれたら、流石の店長も怒るに違いない。ましてや遅刻しているのにも関わらずだ。
私は「はい、お客さんに質問されて」と誤魔化した。だが、決して嘘ではない。店長は彼女と私が友達だとは知らないし、彼女さえ私と友達だと言わなければ店員とお客さんの関係に過ぎない。
「初めまして!真奈の友人の芽依です!」
ばか、なんで言うの!と口から飛び出そうとするその言葉を必死に押さえ込んだ。
彼女が友達だと言うことをばらしたせいもあり、これは叱られるなとすぐに思った。だか案外結果は違っていた。
「あらー!真奈ちゃんのお友達なのー!是非ゆっくり見ていってねー!真奈ちゃんもお手伝いしてあげて!」
祥子さんの寛大な心のおかげで許して貰えたのか、そもそも怒るほどでもない事なのか、それは私には分からなかったがとにかく叱られるずに済んで良かった。
ただこれ以上お店に滞在されると彼女がなにかしらの面倒事を持ってきそうなので急いで帰すことにした。
「もう用は済んだみたいで今から帰るみたいです!」
「あら、そうなの?残念、でもまた来てね!」
「え、ちょっとまっ・・・」
「いいからほんとに怒られちゃうから」
そう小声で彼女に伝え、半ば無理やり背中を押して店の外に追い出した。無理やり追い出したためか、彼女は口をとんがらせ「そんなに急かさなくてもいいのに」と言い不服そうな顔をしていた。
「ちゃんと家で留守番しててね」と伝え鍵は受け取らずそのまま彼女を家に返した。
というのが一つ目のイレギュラーで、こっちに関しては驚いただけで、正直この後に起きることの方が大変で最悪だった。
それから彼女が家に帰り、丁度あと二時時間程度で今日のバイトが終わり、家に帰れると思っていた矢先だった。
店長は別の仕事の都合で「ちょっと外出するけど、すぐ戻るからまたレジお願い!」と言って店を後にした。もちろん私は引き受けた。
祥子さんが店を開け、しばらくするとフードコートで食事を済ませたであろう男子高校生や家族連れがぞろぞろとお店に入ってきた。一人で不安だったが、なんとかなるだろうという精神を胸に私は仕事を続けた。
だが今日の私はすこぶる運が悪いようだ。祥子さんがいないこの瞬間に事件は起きてしまった。
先程、店に入ってきた学生らが周りの事は知ったことではないと言わんばかりに騒いでいる。休日で友人と遊びに来てテンションが上がるのはいいことだがうるさいとクレームが入るほど騒がれては困る。
出来るだけ厄介ごとには首を突っ込みたくはないのだが、他のお客さんにうるさいから注意してと言われてしまうと私の気持ちなどないも同然だ。
仕事なので仕方なく注意しに行かなければならない。心の中で穏便に済みますようにと願掛けをして、学生達のもとへ足を運んだ。
「すみません。他のお客様から少し声が大きいと苦情が入っていて・・・もう少しだけ声のボリュームを抑えていただけないでしょうか?」
すると男子高校生の中の一人が言葉を発した。
「え、俺たちそんなに声出してないと思うんですけど。」
どうやら神様は私の味方をする気はないみたいだ。
「それより祥子さんいないの?一緒に写真撮りたいんだけど」
「すみません。今外出していて、お店にはいないんです」
「絶対嘘だろ!どうせめんどくさいからそう言ってるんだろ?」
めんどくさいのはあながち間違っていない。
「いえ、そんなことないです。ただ本当に外出していて・・・」
「ってかよく見ると君、結構可愛いじゃん!この後どっか遊びに行こうよ!」
可愛いという人を褒める言葉がこんなに不愉快に聞こえるのは初めてだ。容姿を見るところ、目鼻立ちが整っており世間的にこれをイケメンと呼ぶのだろう。勘違いしないで欲しいが私が思ったわけではない、あくまで世間的にだ。
自分の容姿に自信があるのか何の躊躇いもなく異性に可愛いと言える程の強靭なメンタルは彼の才能なんだろうと思う。なんて皮肉なことは直接言えないので心の奥にしまっておくことにした。私は彼の機嫌を損ねないように尽力を尽くす。
「すみません、仕事の後は予定があるので厳しいです」
「じゃあ明日は?いつでもいいから!連絡先交換しとこうよ!」
そう言いながら彼は私の腕を掴んだ。さすがの私も腕を掴むという行為にはたじろいだ。
すると、「ちょっと、なにしてるの!」とそこには声を上げる祥子さんがいた。
エレベーターを降りると店内が騒がしかったため走って戻ってきたそうだ。
「真奈ちゃん、大丈夫?怪我してない?」
「私は全然大丈夫です」
「あ、祥子さんお久しぶりです!俺のこと覚えてます?一緒に写真撮りましょうよ!」
「何言ってるの?撮るわけないでしょ」
「でもこの前今度写真撮ってくれるって・・・」
「君達、前も来てたよね?あんまりふざけてると警備員呼ぶよ?」
声を荒げたわけではないが普段の祥子さんからは想像できないような非情さと冷淡さは彼らを委縮させるのに十分すぎた。普段穏やかな人が怒ると怖いというのは本当らしい。
祥子さんの態度にたじろいだのか、先程までの彼らの態度が一変した。そして今までの態度はどこに行ったのか、自分たちが全て悪かったと認め私と周りにいた他のお客さんにも謝罪し始めた。正直腹は立ったが、彼らも十分反省しているようだったのでお咎めなくこの件は終わらせることにした。
「真奈ちゃんごめんね。私が外出したばっかりに・・・」
「祥子さんのせいじゃないですよ」
「あの子達普段はいい子なんだけど。今回ばかりはちょっとやりすぎだよね」
「祥子さんも怒ったりするんですね」
「だって、うちの可愛い従業員をいじめてたからつい」
そこには先程の非情さと冷淡さはなく、いつも通りの穏やかで天然な雰囲気が戻っていた。尾を振る犬も嚙むことありとはよく言ったものだ。
今日は散々な日だった。遅刻に始まりエスカレータの点検で階段を全力ダッシュ、バイト先に彼女が紛れ込み、そしてとどめのあの事件。もしかして、まだ何か起こるんじゃないかと勘繰ってしまうほどに最悪な一日だった。仕事を終え、帰る準備をしていると祥子さんが何やら二枚の紙を持ってこちらに近づいてきた。
「真奈ちゃん、これよかったら貰って」
よく見るとこの町で有名な植物園のチケットだ。
「これ結構人気な植物園のチケットですよね?」
「そうなの!旦那が会社で貰ってきたらしくて」
「貰えないですよ!こんないいもの」
「情けないけど私、花粉症がひどくていけないのよ。それに今日のお詫びとして受け取って!それに今、デジタル会社とコラボしてて夜はライトアップされてとても綺麗なんだって!家族か友達誘って行ってきて!」
そうは言っても両親はそういうのに興味ないし、まして私に友達なんか・・・いや、一人思いつく人物が浮かんでしまった。友達とはまだうまく言えないけれど、花好きでバイト先に紛れ込んで来たりする。植物園のチケットなんかを見せたら絶対に行きたいと言いそうな人物が。
「分かりました。ならお言葉に甘えて頂きます。めちゃくちゃ喜びそうな人がいるんでその人と行ってきます」
「え、何!もしかして好きな人?きゃー私照れる!」
「違いますよ!ってなんで祥子さんが照れるんですか・・・」
「ふふっ冗談!今日来たあの子でしょ?」
店長なりの励ましだったらしい。
「はい。花が好きみたいで」
「ならなおさらよかった!でもあの子どっかで会ったことあるような」
「え、会ったことあるんですか?」
「んー、そう言われるとなかったようなあったような」
本当にあった事があるなら彼女の性格上、一度あった人の事は少なからず覚えているだろうし初めましてなんか言わない。そう考えるに祥子さんの勘違いだと私は思った。
「まぁ、それはそうと今日はほんとにお疲れ様!また次の出勤もよろしくね!」
「こちらこそよろしくお願いします。お疲れ様でした」
そう言って私はお店を後にした。
朝から何も食べていないせいか足が重く、いつにもまして自転車のペダルが重く感じた。ふと空を見上げると茜色をつけた空とそれに染まっていく雲を見ながら、一瞬それが美味しそうな鮪の切り身に見えたことは自分でも信じられなかった。人間空腹になれば美味しそうなものに脳が勝手に変換してしまうらしい。
そんな限界状態でなんとかアパートにつき階段を上って家の前についた。鍵を出そうとしたが彼女に渡したままの事をすっかり忘れていた。とはいえ留守番をしているはずだからインターホンを鳴らせば開けてくれると思った。と同時に嫌な予感がした。
もし、家に彼女がいなかった場合この空腹と疲労を抱えながら彼女を待たなければならない。この限界状態とこの寒さの中で待たされるのだけは、本当に命に関わるのではないかと思わされた。
私は全身全霊で祈りながらインターホンのボタンに指をかけた。息をのみ人差し指に運命がゆだねられていることを再確認してインターホンを鳴らした。
「・・・」
故障かなと思って耳を澄まして聞いてみると確かに音は鳴っているみたいだ。けれど、彼女は出てこない。寝ているのかと思いもう一度鳴らしてみた。
「・・・」
「嘘でしょ・・・」
何度鳴らしても彼女は出てこなかった。もしかしたら家の中で倒れているなんてことも考えたが昼間の彼女の様子からしてその確率は極めて低いだろう。
念のためポストの隙間から彼女の靴があるか確認したが玄関には存在していなかったのでやっぱりどこかに出かけたんだろうと思った。
彼女を待ってどれくらいたったかはもう覚えていない。記憶が正しければ三十分以上は待っている。すると、階段を登ってくる足跡が聞こえて視線を右に向けると、息を荒らして急いでこちらに走ってくる彼女の姿が見えた。
「真奈!ごめん!!!!!」
「やっと帰ってきた、遅いよー。留守番お願いって言ったのにー」
「ほんとごめん!」
「どこ行ってたの?」
「ちょっと町を散歩してたんだけど、途中で用事を思い出しちゃってさ。その用事が終わったころには五時過ぎてたの・・・ほんとにごめん!」
「用事って何よー。誰かさんのせいで死ぬとこだった」
「おおげさだなー!そんな簡単に人は死なないよ!事故に遭ったわけでもないんだから」
「空腹と疲労は人が亡くなるのに十分すぎる原因だよ」
「ははっ!それもそうか!」
家の中に入り衛生面を意識してひとまず洗面台で手を洗った。風邪が流行っているためどれだけ空腹で疲れていたとしてもそれだけは怠らない。
そのあとは家に残っていた食パンを飛びつくように食べた。焼いた方が美味しいが今は食の味わいを高めるよりも空腹を満たすことの方が最優先だ。
空腹時の食事はこの世で一番、その食べ物が美味しく感じてしまう。
あまりの美味しさについつい「おいしい」と言葉が口からこぼれた。それをうっかり聞かれてしまったのか洗面台の方から彼女の笑い声が聞えてきた。
彼女は私のバイト先を後にしてからずっと散歩をしていたらしい。道端に咲いている花や、私が朝見た街路樹の枝についている桜の蕾を見ていたらしく、彼女にとっては至福の時を過ごせていたみたいだ。
散歩の後、用事を急に思い出したと言っていたが何の用事だろう。
気になった私は彼女に「そういえばさっき、用事を思い出したって言ってたけど、何の用事だったの?」と聞いた。
けれど、彼女は「いや、大した用事じゃないから気にしないで!」と何故か誤魔化された。誤魔化されると余計気になったが秘密の一つや二つ、誰だって持っている。私はそれ以上、彼女に追求しなかった。
家についてから一時間程過ぎ、私を襲っていた空腹はましになったが疲労に関してはまだまだ残っており、そんな中今日の晩御飯について二人で話していた。
「真奈ー今日のご飯どうするー?スーパー行くー?」
「スーパーに行くのも作るのもめんどくさい」
「じゃあ、今日のご飯はどうするの?」
「・・・今日はもう寝る」
「もうー!出不精だな!」
「疲れたし今日はもう出前でも頼もう」
「出前!!!でも出前って高いよ?」
「こんな時の為に普段節約してるし、背に腹は代えられないよ。それで何がいい?」
重い体を無理やり起こして家にある出前のチラシを取りに行く。
「結構種類あるんだね。真奈は何がいい?」
「私は何でもいいかな。芽依が決めていいよ」
「んーそうだな。ピザ食べたい!ほら、今一枚買ったら二枚目無料っていうクーポンもついてるし!」
「ピザか。分かった。種類はどうするの?」
「私ハワイアンピザがいい!もう一つは真奈が決めていいよ!」
「ハワ・・・ピザ・・・え、何それ美味しいの?」
「ハワイアンピザだよ!パイナップルが乗ってるピザ知らないの?」
「ピザにパイナップルって絶対美味しくないって・・・」
メニューに書いてある以上、注文する人がいるのだろうが少なからず私は不安でしかなかった。
彼女の熱意ある説得の末一枚はそれにしたが、もう一枚はそれとは真逆のマルゲリータといういかにもシンプルなピザにすることにした。二人とも大食いではないためサイズは二枚ともSにし、あとはピザのお供に炭酸系の飲み物も頼んでおいた。
三十分程で届くと言っていたのでそれまで今日起きたことを彼女に話すことにした。学生たちの件や祥子さんに貰った植物園のチケットのことだ。
「っていうことが芽依が帰ったあと起きてほんと大変だった」
「何その学生達!ただの迷惑やろうじゃん!私だったら絶対言い返してる!」
「店員は言い返しちゃだめでしょ・・・」
「ニホンジンハイツモ、シタテニデスギデスヨって朝のテレビに出てた外国人の人も言ってたよ」
不意にした彼女のモノマネが少し可笑しかった。
「でもそのおかげでお詫びにって祥子さんが植物園のチケッ・・・」
「植物園!!!行く!!絶対行く!!」
最後まで聞かず、勢いよく立ち上がる彼女に私は一瞬たじろいだ。
「それでいつ行く!今から行く?!」
「さすがにもう閉まってるよ。明日バイトないから明日にしよう」
「分かった、楽しみだなー!植物園もそうだし何より真奈と一緒に出掛けられるのが嬉しいよ!」
「それはよかった」
チケットを持ちながら目を輝かせる彼女はテーブルの上に置いてある黄色いフリージアの「無邪気」という花言葉がよく似合っている気がした。
彼女の影響で花言葉を時々調べるようになり、そのおかげで同じ花でも色が違っていれば花言葉も変わっていくことを知った。フリージア全体の花言葉は「親愛の情」。けれど赤なら「純潔」、白なら「あどけなさ」、黄色なら「無邪気」。
色んな花を探していけば私に似合った花も存在するのだろうか。いや、こんな私に似合った花など存在するはずはないだろう。
彼女の浮かれた様子を見ているうちにあっという間に三十分が経っていた。
けれどまだピザが届く様子はなかった。
「まだ来ないねー」
「あ、そっか!ピザ頼んでたんだ!ははっ、植物園で頭がいっぱいだった」
「そんなに楽しみなの?」
「当たり前じゃん!植物園ってその季節の花はもちろん、他にも四季折々の花が楽しめるんだよ!私にとってはもう天国みたいな場所だよ!」
そういいながら徐々に近づいてくる。
「そ、そっか。なら案内は芽依に任せるね」
「任せて!色んな花の魅力とか花言葉、教えてあげる!」
その言葉と同時にインターホンが鳴った。この様子だと配達員の方にも植物園の魅力を話しかねないと思った私は、お金を持って玄関先に向かった。
扉を開けると雨具を着た配達員が立っていた。どうやら外は雨が降っておりそのせいで配達が少し遅れたみたいだ。仕事とはいえこんな雨の中を配達してくれることに感謝しながら私はお金を払いピザを受け取った。
「芽依ーピザ来たよ」
「はやく食べよ!はやく食べよ!」
「ちょっとまって。はい、これコップ」
「ありがと!」
彼女はコップを受け取り、注いでいく。炭酸の弾けるシュワシュワという音が部屋に響き渡り、その音がより一層ピザのポテンシャルを高めるなんて言わなくても分かるだろう。
「じゃあ、手を合わせて!」
「それ毎回やるの?」
「いいじゃん、いいじゃん!これやった方が美味しくなりそうだし!」
変わらないと思いつつも彼女の笑顔を曇らせたくはなかったのでそのまま従うことにした。
彼女は自分で選んでいたあの奇妙なピザに手を伸ばし、大きな口を開けてひと口かじる。
「んーーーーー美味しい!やっぱり最高だよこのピザ!ほら、真奈も食べてみなよ!」
「えー」
本当に生地の上にパイナップルが乗ってある。そのピザはなんというかメロンに生ハムというあの斬新な食べ物と同じ匂いがした。恐る恐るひと口かじってみる。
「どう!美味しいでしょ?」
「・・・うん。・・・美味しいかな」
「それ絶対思ってないやつじゃん!」
「なんかパイナップルの甘さとベーコンの塩っ気が行ったり来たりして味が忙しい」
「ははっ!それはそうだね!でもそれが美味しいんだよねー!」
この独特の美味しさが彼女の口にはあっているみたいだ。私は一切れ食べた後に、これぞピザと言わんばかりのシンプルなマルゲリータに手を伸ばし、口に運ぶ。美味しい。
決してハワイアンピザが美味しくないとは思わないが、やっぱりこの慣れ親しんだトマトの酸味とチーズのコク、そのあとに鼻から抜けるバジルの爽やかな香りが私の味覚には合っていた。
彼女と二人で食べる食事は今日で二回目だ。初めて食事を共にした時も感じていたことがあったが恥ずかしくて言えなかった。けれど、今日に限っては自分の意志とは関係なく気づけば口からその言葉がこぼれていた。
「ねぇ芽依・・・」
「ん、なに?」
ピザを食べながら不思議そうにこちらを見ている。
「誰かとこうやってご飯を食べるの、なんか楽しいね」
まさか私からこんなことを言われると思っていなかったみたいだ。
それもそうだ、自分ですら驚いたのだから。ほんの数秒だが彼女の口と手が止まった。
けれど、何か返事をしようとしているのか止まっていた口が動き始め、手に持っていたピザは次第になくなった。すると、彼女はたった一言こう答えた。
「私も真奈とご飯食べてると楽しいし嬉しい!」
彼女のその言葉を聞くや否や自分がどれだけ恥ずかしいことを言ったか今になってひしひしと感じてきた。そのせいで顔が赤くなったのか彼女に「顔赤くなりすぎだよ」と指摘され、照れ隠しのためにピザを頬張るしかなかった。
「こっちも食べなよ!」
「ハワイのやつはいいよ!」
「遠慮しないで!ほら!」
「いいって!」
その後もハワイアンピザを進めてくる彼女とそれを遠慮する私の会話は夜遅くまで繰り広げられた。




