第六話『嘘と道化と復帰戦(前)』
説明&ネタバレパート。むず痒くなる設定も満載です。
じっくり、それでいて適度に流しながら読んでいただければ幸いです。
午前二時、闇の頃より。吐息も白む十二月初頭、風の冷たい星空の夜。
眠気覚ましにコーヒーを口にした僕は、部屋の暖気を惜しみつつコートを羽織った。
仕事だ。三日間も寝込んでいた体からは未だに気だるさが抜けないのだが、それを振り切ってでも夜の世界へと繰り出さねばならない。
扉を開くと闇が広がっていた。一瞬寒さに身震いしてから、なんとなしに空を見上げてみる。
高い空。暗い空。眩しい空。綺麗な、空。
煌々と輝く月は文句のつけようもない満月で、その周りには宝石を散らしたような星たちが瞬いている。
恍惚とした僕は、しばらく空を見上げて思考を停止していた。その数秒間は、なんとも素敵な時間だったと思う。
さて、行かなきゃ。考えてみたら、二時に学校集合と自分で言ったのだ。つまり、既に遅刻している。
ここから学校まで、徒歩十五分といったところだろうか。遅れる旨を、零あたりに伝えておかないと。
自室のあるアパートの二階から階段で下り、その間に携帯を取り出してメールを打ち込んでいく。
「―――って、なんでここにいるんだよ」
階段を下りきったその場所に、果たして二人の少女は立っていた。互いに身を寄せ合いながら、少し不機嫌そうな顔をしている。
「なにのんびりしてるんですか先輩っ!遅刻ですよ遅刻!」
「アンタ本当にボンクラのゴミムシね!自分で時間指定しておいて遅刻とか信じらんない!」
両者、耳を真っ赤にして震えている。そんな姿を見ては流石に申し訳なく思うものの、それよりも疑問が先に立ってしまう。
「つーかなんでここにいるのさ。学校集合って言ったじゃないか」
「「…………」」
「えっ、ちょっ、何その沈黙。僕なんかマズいこと聞いた?」
ジト目で睨んでくる四つの瞳は無言。何やら『察せやクソが』などと言われている気がして気分が悪い。
普段から奇怪な行動を取ることの多い二人だけに、彼女らの感情の機微を察するなど僕には不可能に等しかった。
ただまあ、不機嫌気味なことだけは嫌でもわかってしまうわけで。
「うん、その、何か温かいものでも飲もうか?」
「コーヒー」
「私はココアで」
「あいよ」
アパートの備え付けとも言っていい自販機に歩み寄り、それぞれが所望の品を調達する。
僕はと言えば、出がけにコーヒーを飲んだばかりでもあった。今は、いらないかな。
「どうぞ」
「ありがとうございます、先輩」
僕を先輩と呼ぶ彼女、牧野舞はココアを受け取るとようやく笑顔を取り戻してくれた。
彼女は受け取った缶をぎゅっと握り、それを冷えきって朱に染まった頬に擦り付けて暖をとっていた。
僕はやはり申し訳ない気持ちになって、まだ温かい右手で彼女の頬を撫でた。
「先輩、あったかい……」
右頬をココアが、左頬を僕の手が温めていた。それなのにまた顔が紅潮していくのは、なんとも不思議なことのように思う。
僕は結びに彼女の頭をそっと撫でると、今度は先ほど以上に不機嫌そうな面持ちの少女へと向き直る。
僕をゴミムシと卑下する少女、キッと睨みつける視線の主、天地零がそこにいた。
「そう睨まないでよ」
「……五月蝿い。こんなモノで遅刻を誤魔化そうなんて浅はかよ」
気まずくて頬を掻いていた僕は、その状況を打破するより先にコーヒーを引ったくられてしまう。
ご機嫌取りのための大切なカードを失った僕は、相変わらず上目遣いに睨みをきかせる少女を前に為す術をなくしていた。
「あのっ、零?」
間が持たないので名前を呼んでみるものの、コーヒーに口を付けたままの彼女から返答はない。
本気で怒らせちゃった、のかな?
「……美味しい」
「へ?」
ううんと頭を抱える僕の耳に、ぽつりとそんな声が聞こえてきた。
首を傾げた僕は、もう一度零の方を見てみる。しかし彼女は俯いてしまっていて、表情を見ることはできなかった。
「ねえ、私は温めてくれないの?」
次にそんな声を耳にしたときは、もう詮索することをやめていた。長い付き合いだから、どうして欲しいのかはもうわかる。
僕は俯く彼女をそっと抱き寄せて、包み込むようにその体を温めた。
恥ずかしさはなかった。僕にとって、こんなときの零はお年頃の手のかかる妹のようにしか感じられないから。
「せっ、先輩!?私が見てるんですけどっ!?」
「ああ、気にしなくていいよ」
「気になりますぅ!」
血相を変えた舞が、ココアを一気に飲み干して缶を処理する。それから足早にこちらへ歩み寄り、ぐいっと僕の左腕を引き寄せた。
「もっ、もうそろそろ行きましょう!夜は短し急げよ乙女、なのです!」
「なんだ、いきなり慌てやがって」
「時間が押してるのは事実です!」
確かにその通りではあった。時刻は既に二時半に届こうとしている。予定通りならば学校に着いていていい時間だ。
「それじゃ行こうか、零」
「……うん」
未だ顔を上げようとしない零に出発を促すと、小さな返答と共に右腕を持っていかれた。
今ここに、左右の腕を二人の少女に抱き抱えられて歩くアホな男が誕生した。
それが僕だと考えるのは、なんとなく避けたい行為だった。
「あの、歩きずらいんだけど」
「「…………」」
せっかく機嫌を取り戻したのに、一周して元通りの沈黙に立ち返ってしまったようだ。僕の努力はいったい……。
「そっ、そういえば舞。昼間は準備があるからとか言って早く帰ってたけど、いったい何をしてたんだ?」
間が持たないし身が持たない。このままではマズいと判断した僕は、沈黙を破ろうとそんな質問をした。
彼女は顔を上げると、あまりの距離の近さに顔を赤らめて目を逸らした。僕も、少しだけドキッとしてしまった。
「よっ、良く聞いてくれましたねっ!実は、ちょっと調べ物をしてたんです!」
無理矢理にテンションを上げて誤魔化すことにしたらしい。平常心を装って誤魔化す僕とは正反対だ。
「調べ物?」
「はい。店長は基本的に最低限必要な情報しか与えてくれないので、足りない分は補わなくちゃと思って」
えへん、と胸を張った彼女を前に、僕は自分の考えの甘さを恥じていた。こんな奴でもちゃんと仕事に打ち込んでいるというのに。
「うん、それは素直に立派なことだと思うよ。感心した」
「本当ですかっ!?嬉しいです!」
健気にはしゃぐ舞を見詰めて、僕は自然に頬を緩めていた。可愛い後輩の成長が嬉しくて仕方なかったから。
「それで、どんなことがわかったの?」
いつの間にやらすっかり平常心を取り戻していた零が、鋭い視線を飛ばしてそう問いかけた。
仕事モード、ってか?その割には二人とも、腕を離してくれる気配がないのだけど。
「はい。まずは私たちの仕事についてですが、先輩」
「うん。僕らの仕事は『偽殺し(いつわりごろし)』と呼ばれ、嘘偽りが形を成した不浄なモノを退治する役割を担っている」
偽殺し。僕や零たちがあの店に通い詰めているのは、何を隠そうこの職務を全うするためだった。
僕ら四人は店主である小坂黒に雇われ、普段は店のカフェの店員として働いている。
特別な働きをするのは、今回のように店主直々に仕事を申し付けられたとき。
僕らは指定された場所へ向かい、形を成してしまった嘘偽りを発見、殲滅することを目標とする。
「そして、私たちはその不浄なモノを指して『フェイク』と呼んでいます」
「うん。それが僕の瞳に写っているモノだね」
他の三人と違って、僕はフェイクに対して傷をつける術を持っていなかった。
彼らは其処にいるようで、その実何処にもいないモノ。生身で触れ合い傷を付けることは、普通の人間には叶わないことだった。
では、なぜ僕がこうやって現場に駆り出されているのか。それは、彼らの姿を的確に捕らえることができるのは僕だけだから。
物心ついたときから、既にそれが見えていた。普通の人には見えないもの。最初はそれが、幽霊なんだと思っていたけど。
でも、生きてるうちにそうじゃないことに気づいた。僕はそれが、人の汚れであると認識するに至った。
店長にこの能力を見初められて、特別に詳しい説明をたくさん受けた。見えるのなら、知っておくべきだからと。
だから、今ならちゃんとわかる。僕にはフェイクを見ることができて、それは危険なものなのだと。
だから僕は、彼女たちの眼になった。見えない彼女たちと、見える僕。触れられる彼女たちと、触れられない僕。
お互いの弱点を埋め合うことで、今まで仕事をこなしてきた。
それは他ならぬ、自分自身の願いを叶えるため。互いに知り合ってこそいないものの、その身を戦いに投じる理由はそれぞれが心に秘めていた。
「それで、私は考えたんです。どうして今、あの学校にフェイクが生じたのか」
舞がそう言うと、僕はようやくその意を得ることができた。
嘘は世界中に蔓延っている。しかし、その全てがフェイクと呼ばれ危険視されているわけではない。
フェイクとは、嘘や偽りが自然に絡み合い、なんらかのきっかけで融合し人格へと昇華したモノを指す。
その人格、つまりはなんらかの意志が自然に生まれてしまうことはあまりにも危険だ。それが悪意の塊なら尚更。
つまり、今回の仕事を与えられた以上、それは僕らの高校に危険なモノが生まれてしまったことを意味している。
「だから、原因がある筈だなって思って、最近校内で変わったことがなかったか調べたんです」
それを、あの話を聞いた瞬間に気付き、すぐに行動に移していたというのか。
可愛い顔して、甘えてばかりいるくせに。その実彼女がかなりのキレ者であることを、僕はうっかり失念していた。
「それじゃ、あったのね。原因と成り得る変化が」
「はい、恐らく。この話自体は、お二人も耳にした記憶があることと思います」
おいおい、ちょっと待って欲しい。両腕の圧迫感のせいでイマイチ頭を切り替えられずにいる僕を差し置いて、どうして二人は既に完全な仕事モードなのか。
僕に密着してるだとか、腕を抱いてるだとか、そんなことは意識するまでもないことだというのか。
なら、僕が意識してちゃいけないじゃないか。男の本能とか拭えないものはあるけど、それでも僕がこんなんじゃいけない。
「もしかして、あの新聞部のこと?」
「……先輩、妙に察しがいいですね。もしかして面識が?」
「面識も何も……いやなんでもない」
この前取材とか言って付き纏われたばかりだしなぁ、なんて言えない。だってあの娘たち、とんでもない質問してくるんだもの。
「新聞部?そんなのうちの高校にあったかしら?」
比較的周りの人間に興味を示さない零は、心当たり無さげな様子。良かった、こっちには取材してないみたいだ。
もちろん、普段世間に疎いのは僕の方。この手の話題についていけたのなんて、本当にただの偶然だ。
「ううん……いえ、知らないのも無理はありません。アレは単に、一年の仲良しグループが遊び半分でやってるだけの活動ですから」
舞の話を聞くに、新聞部とは一年の女の子数人が集まって復活させた部活らしい。
部活といっても、今までは仲間内のお茶会でしかなかった新聞部。それが、最近は校内で話題を集め始めているとのこと。
「お茶会に飽きたのか、彼女たちは『取材』と称して校内の諸事情を探り始めたのです」
「ああうん、僕はなんとなく聞いたことあるよ」
つーか僕が被害者だなんて言えない。だってあの娘たちは僕に……。
「で、最近妙な噂が流れてるでしょう?教頭はズラだとか、教頭がセクハラの前科持ちだとか」
「教頭嫌われ過ぎだろ」
冗談はさておき、彼女たちがもたらした被害の甚大さは僕や零も知るところ。
「風邪や法事で一週間休んでた奴が、久々に来てみたら万引きで謹慎してたと勘違いされてたらしいぞ」
「こっちは悲惨よ。あの娘の彼氏とあの娘が浮気してただとか。女って陰湿だから、くだらない争いをしてたわ。アレはその新聞部のせいだったのね」
「いや、女のおまえが言うなよ。まあ零のさっぱりした性格は好きだけど」
零は比較的大人っぽいし、案外に正義感も強い。そう言った争いに対しては、それをを鎮圧し収束させる側なのだろう。
「すっ、好き?」
「……先輩、息をするように女の子を口説くその癖、直した方がいいですよ」
「なんのことだよ。変なキャラ付けないでくれ」
なんだってんだ。零は真っ赤だし、舞は溜め息吐いてるし。あと僕は眠くなってきたし。
「とにかく、根も葉もない妙な噂が流れてて、その原因が新聞部だってこと?」
「はい。あまりにも他人に迷惑をかけすぎている一連の行為は、『きっかけ』に成り得るものじゃないかと思うのです」
舞が人差し指をピンと立てて自信ありげにそう結ぶと、すかさず零が不服を申し立てる。
「けど、そんなものが原因ってなんだか滑稽よ?本当に関係あるのかしら……」
「でも、死人が出てますからねえ」
ぽつりと、とんでもない切り返しが聞こえた気がした。眉一つ動かさずに物騒なことを口にした舞は、血の気が引いていく零を見遣り笑って答えた。
「私が調べたのはこの部分なんですけどね、最近一年のとあるクラスで突然転校しちゃった娘がいるんですよ。誰にも姿を見せないまま、本当に突然」
そんな話を平然とする舞が、ほんの少しだけ怖かった。だけど、そんな冷たさも今さらのことで。
「私が掴んでいた情報によれば、彼女は既に故人となっています。だから、これが新聞部と関係してたら面白いなーって、そう思ったんです」
「……舞、わかった。もういいよ」
「気分悪いわ」
ついにスイッチが入ってしまった舞に対し、僕らは全力でこれ以上の説明を拒絶した。
健気で、一見純情で、ともすれば子供っぽいとも思われる舞。その彼女が時折見せるこんな姿を、僕はあまり好きになれずにいた。
「あっ、これは全然暗い話じゃありませんけど、昨日新聞部が面白い新情報を出しましたよ」
聞きたくない、と思ったけど、良く見れば舞はいつもの彼女に戻っていた。瞳が、全然違う。
「へえ、俺は三日も休んでたし知らないなぁ……零は聞いたの?」
「わっ、私?いや、別に何も聞いてないわよ!」
明らかに何か聞いてる顔じゃねーか。零は嘘吐くとき感情が揺れるからわかり易いんだよね。
舞は、どうだろう。揺れるものなんて、何もないのかもしれない。嘘も偽りも、ちっとも特別なことじゃないのだから。
「二人とも知らないんですかー?とーっても面白いんですからー」
あれっ。このやけに間延びした口調、物凄く嫌な予感がするんだけど。
零?君ってそんなに汗かきだったっけ?冬だよ、ねえ?
「舞、ちょっとやめなさ」
「今一番ホットな噂なんですからねー。二年の真宮と天地がデキてるってー」
「!?」
あっ、あのアマどもがあああああ!僕への取材のとき散々否定した筈だろうがあああああ!
「よっ、陽?あのね、私はちゃんと否定したのよ?」
「大丈夫、零は何も悪くないよ。僕と同じ被害者じゃないか」
やってくれたぜ……小娘共。ああそうかい、新聞部よ。わかったよ、やろう。僕を敵に回して今まで通りにいられると思うなよ。
「あっ、でも新聞部は私が空中分解させときましたので、心配しないでくださいね」
「……舞さん?君、何をしたの?」
「えへへ、簡単ですよー先輩。人の恋路を邪魔するアホは、古来より島流しと相場が決まっているんですからー」
島流しって何!?現代で言う何なの!?
何が楽しいのかはさっぱりわからないけど、舞は愉快そうにニコニコと笑っていた。
だけど、本当は何一つ楽しくなんかないのだろう。彼女の目は、ちっとも笑ってはいなかったから。
「でもー、これは先輩にも落ち度があるんですよー?学校であんなにベタベタしてたら勘違いされるに決まってるじゃないですかー」
「べっ、ベタベタだなんて私は!」
「してたでしょう?零先輩は、特に」
舞は手を後ろに組んで、仮面みたいに絶え間なく微笑んでいた。口元は意地悪そうにつり上がり、瞳は暗い光を帯びている。
そんな彼女の圧迫感、そして圧倒的な切迫感に、零までもが反論しようと開きかけた口を閉ざした。
「私、友達に何て言われたと思います?慰められちゃったんですよ、男なんか星の数ほどいるーとかなんとか言って。私は星じゃなくて月が欲しいんだよって話なんですけどねー!」
「舞?あのね、ちょっと何言ってんのかわからないんだ、ごめんね?」
「……慰めは無駄よ。そっとしておいてあげなさい」
零にすら諦められた舞は、未だ興奮冷めやらぬといった様子で過呼吸気味に肩を揺らしていた。
どこからこうなったのかとか、何が彼女を変えてしまったのかとか、謎は尽きない。
ただ、話し込むうちに、僕らは辿り着いてしまったらしい。今回の舞台、我らが学舎、『織崎学園高校』に。
「それじゃ、行こうか」
自然に三人揃ってゴクリと息を飲む。真夜中の校舎が放つ威圧感は、それだけで僕らから楽観を喪失させた。
その威圧感が先入観によるものであるのはわかっている。それでも、僕らが感じる恐怖は変わらない。
勘違い、思い込み、そして嘘や偽り。全ては実在しないモノだけど、それは同じように人の心を揺らしてきた。
「零は指輪、舞は手袋の用意を」
「わかってる。いつでも行けるわ」
「こっちもです。早く終わらせてしまいましょう」
よし。と一つだけ言葉を発した僕は、二人の体が微かに震えているのに気づいた。
寒さのせいだけじゃないのだろう。当然、武者震いなどする筈もなく。
そう、僕は眼だ。あの魚も、自分が眼になると言ってみんなを牽引していた。
見ているだけは嫌だ。けど、戦うことはできない。それなら、いっそやってみようかな。
そう、指揮官。
「僕が先を行こう。二人とも、互いを意識しながらついてきて」
そう言って、迷わず一歩を踏み出す。後ろに付いてくる二人は、僕の心の退路を断つための壁。
さあ、始めようか。
その過去は嘘で
この現在も偽りで
あの未来さえも欺瞞
全ての感情はフェイク
きっと
それすらも
まさか回跨ぎになるとは予想外です。やってしまいました。
高校を舞台にするのに名前がないと不便だなと、前のとき学習しました。
よって、完全に明かすタイミングを逸した裏設定を活用してみます。
次回は微バトルパート。自身初の試みは、果たしてどんな結果に終わるのか。