第二話 人それぞれの辛さと強さ
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いつの間にか、なんでもかんでも自分を責めるようになっていた。
大人になって、責任が増えたから。
そして――"完璧"や"正解"を知ってしまったから。
大手企業でハードな仕事をしながらプライベートも忠実させて、素敵な奥さんと子供がいる。自分の心身の健康も維持し、共働きの時代に合わせ、家事もある程度できる。家は常に清潔で、冷蔵庫の中身はその日に使う食材や調味料、時には作り置きなんかも置いてあるのが当然。
…そんな人だっているこの世の中で、自分はどれだけ駄目なのかと無意識に比べて、自己嫌悪に陥るのだ。
やるべきことがやれていない。人として誰かにどこか劣っている。
そんな気持ちになっていたことに、今更、気がついた。
さっきも、きっと前述したような完璧に近い人ならば、食べたい料理名くらいサラッと言えるだろうに、自分は不甲斐無いなんて思った。
…"そんなこと"と思われるだろうか?ブラック企業の過酷な労働で疲弊しきった俺の心は、脆く傷付きやすく、自分が無意識に傷付いていることにも気がつかなかった。
『自分の機嫌は自分で取れ』
『大人ならしっかり切り替えてメンタルケアを怠るな』
…解っているさ。解っているんだ。
でもさ…解っているからこそ、『自分のストレスも解消できない俺って駄目だな』と、余計に落ち込んだんだ。
メンタルケアのために何もしなかったわけではないが、多忙のため、それも疎かになっていたのは事実だ。
なぁ…己のメンタルケアすらできなくなった人が、鬱病とかになってしまうのではないだろうか?
誰だっていい気分でいたいさ。機嫌を取る余裕があるならそうするさ。
俺は…あぁ…疲れていたんだな。
そして、自分で言うのは恥ずかしいが、真面目過ぎたのかもしれない。無意識に"完璧"と自分なんかを比べたせいでこうなった。
いや、自分"なんか"という表現は良くないが…自然とこんな言葉選びをしてしまうのも、参っている証拠なのだろう。
近年は、実際には少し仕事に行きたくない程度なのに、鬱病等のフリをして精神科に掛かり、仕事を休む人もいるとネットかテレビで見た。そのせいか、"自分は甘えているだけなのかも""辛い気持ちも勘違いかもしれない"なんて思って、自分の現状に対して、真摯に目を向けることはなかった。
(…六葉さん、この後、夕飯を作ってくれるんだな……普通さ、こういうときは久しぶりの他人の手作り料理の温かさに感動して涙を流すものだよな)
そう考えた瞬間、突如、冷たいものが俺の頬を伝った。
「――ゆ、雄二さんっ!?」
俺は、初対面の巨乳美女の前でボロボロと涙を流していた。
まだ料理を食べたわけでも、美女にハグをされたわけでもないのに、だ。
勝手に溢れて止まらない涙が、冷たくて、目が、熱くて――。
先程の、六葉さんにとっては何でもないであろう優しさが胸に沁みて、温かい。
その温かさが、涙の悲しい冷たさを忘れさせてくれた。
ただ、自分の不甲斐無い部分を優しく包み込んで許してもらえたような感覚に、虚勢を張っていただけの脆い心も外面もあっさり崩れ落ちた。六葉さんは「失礼しますね」と一際優しい声を発した後に、ゆっくりと俺の背中をさすってくれた。
服越しでも、その手が温かい。
その温かさにまた涙が出た。
人肌恋しいなんて言うけれど、俺は今まで単なる比喩程度の意味合いだと思っていた。寒いとか寂しい等といった感情をそれっぽく表現しているだけだと思っていた。
しかし、今、初めて知った。
人には…というと主語が大きいが、少なくとも俺には人の温もりが必要だったこと。人の温もりがこの上なく貴いものだということ。そして、高圧的で恐くて鬱陶しい上司もいれば、癒しを与えてくれる優しい人もいるということ。
全部、今、六葉さんのお陰で初めて知ったんだ。
正直、頭の片隅ではまだ『葉女って何??』という疑問が浮かんでいたが、そんなことはどうでも良くなった。六葉さんが植物でも人でも、なんでも良い。
大切なのはそんなことではなくて、今、俺を救ってくれているという事実だからだ。大袈裟だと思われてもいい…辛いときに手を差し伸べられた者の気持ちは、同じ状況を経験したことのある者だけなのだから――。
数時間後、俺は充血した目をカッと見開いた。
「うっっっま!!」
初対面の女性の前でボロ泣きしたのだから、もう体裁なんてどうでもどうでもいい!!と馬鹿みたいに吹っ切ったから少々品に欠ける声をあげた…のではなく、つい、そんな声が出てしまうほど、目の前のカレーが美味しいのだ。
いや、正直、スーパーの弁当にもカレーはあるので、あまり感動しないだろうと思っていた。
(また泣きそうだっ…!!)
え、何でこんなに美味しいの??市販のルーだよな?いや市販のルーを馬鹿にしているわけでは無いけれど!
具は人参、ジャガイモ、玉葱、豚こま肉といった王道の組み合わせだ。ジャガイモは大きめに切られているのにしっかり火が通っており、ホクホクでカレーのルーとよく絡んで美味しい。玉葱はとろとろ過ぎずシャキシャキ過ぎず、少し食感を残した感じが丁度いい!トロトロの玉葱も美味だが、少しシャキッと感が残っている方が存在感があって好みだ。他の食材も美味しいし、そもそもルーも美味しい。辛すぎない中辛で食べやすい!しばらく使っていなかったが、家に炊飯器があって良かった…スーパーの弁当の米と違いすぎる。
「お口に合って良かったです…!」
座布団すら無いので、カーペットが敷かれただけの床に座って小さなテーブルを狭々と二人で囲んでカレーを食していると、正面に座っている六葉さんのホッとしたような、嬉しそうな表情が自然と目に入った。
たったそれだけのことが、なんだか新鮮に感じた。
(誰かと食事をするなんて久しぶりだからかな)
嫌な違和感ではなく、新鮮で温かな気分が心地よいのと同時に、少し心が擽ったい。
「六葉さん、これからもよろしくお願いします!」
行き先が決まるまで、気兼ねなく我が家にいてほしいという意味を込めて微笑み、箸を置いて彼女に己の左手を差し出した。
「はい、こちらこそよろしくお願いします!」
まだ敬語が出てしまう時もあるし、美女と二人きりで一つ屋根の下というのは、やはり緊張する。
しかし、きっとお互いに少しずつ慣れていくだろう。
――物語の中では、現実にはありえないような幸せがあって、夢があり、それは人の心を励ましたり、癒したりしてくれる。
正に、今の俺の状況のように。
しかし――もし俺の人生が小説などの物語の題材だったのなら、主人公が号泣したり感動するシーンは山場として中盤以降に描かれるのがセオリーだろうから、俺の今の夢のような状況はきっと、小説に相応しくない。序盤から感動できる作品も読んだことはあるが、三十路のおじさんが唐突に泣きだすようなシーンはなんとなくシリアスなだけで、たぶん読んでも泣けないし、感動しない。
しかし、俺はこれでいいのだ。
だって、今までの灰色の人生が、六葉さんのお陰でこれから色付いて、輝くのだという予感がするから。
そう、俺の物語はここから始まるのだ。
つまり、きっとこの先は夢溢れる小説のように、癒しが得られるだろう。
…なんて、クサかったかな?
けど俺はクサいのも嫌いじゃないし恥ずかしいとも思わない。
なぜなら、きっとそれは誰かにとっては格好良いだとか思ってもらえるような言葉だからこそ存在していて、カテゴライズされているのだと思うから。
まぁ、多少の説得力やセンスは必要かもしれないが。
とにかく、クサいのだって一種の夢…そうロマンであり魅力だと思う。
というわけで、メタいが序章の最後にもう一、二言だけ伝えさせてくれ。
――彼女との出会いは俺にとって、正に夢の様な出来事で、幸福そのものだ。
この小説は、あなたを少しでも癒すためのものだ。
本作品をお読みいただき、ありがとうございます!
実は、作者が個人的にお気に入りの別のアプリで書いた小説をこちらにコピペしているため、文章内の記号などで違和感のある部分があると思います。今回は賞の〆切期限が迫っていたため、直しきれませんでした。誠に申し訳御座いません。次回作からはこのようなことが無いように善処致します。
念のために記しますが、本作を投稿しているのはこちらのサイトのみです。
以上、後書きでした。




