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第十九話 家で笑うあなた

無断転載・複製・商業利用禁止。

本作品の著作権は作者個人のものとする。

本作品はフィクションであり、実在の人物・団体・事件とは関係御座いません。

とあるマンションの、何も無い、真っ新な1LDKの空き部屋。

「内見なんて初めてなので緊張します⋯」

「ハハッ、お気軽に自由に見ていただいて大丈夫ですよ」

内見の案内をしてくれている不動産屋の中年男性が、六葉さんににこやかに話しかけた。

「あれってカウンターキッチンですか?」

「はい。リビングにテーブルなどを設置していただければ、お料理中に会話をしたりすることができますよ」

「オシャレなキッチンですね」

「六葉さんは利便性についてはどう?やりにくそうとかは思わない?」

(俺なら、料理中の姿がリビングから丸見えすぎて落ち着かないな。逆に料理をしている六葉さんの姿は見たいけど!)

「うーん⋯距離が近いので、キッチンからテーブルにお料理を運ぶのが楽そうでいいと思います。収納棚も充分ですね」

「あっ、ちなみに、こちらIHとなっておりますが、大丈夫でしょうか?」

「六葉さんは火が苦手だから丁度いいんじゃないかな」

「そうですね」

「良かったです〜好みが別れるところですので!」

六葉さんはキッチンから離れてリビングの奥に向かった。

「凄く大きな窓が、多いですね?」

「開放感があるうえに、日差しが入るので自然光だけで日中はお過ごしいただけますよ」

「へぇ、日当たりもいいんだな。カーテンは新しく買わないといけないけど、いい雰囲気だね」

(今住んでいるアパートの部屋は小さい窓しかないからな⋯六葉さんは太陽光が好きだし、良さそうだ)

「ベランダは広くはありませんが、洗濯物を干すには充分なスペースが御座いますし、なんとこちらの物件、ベランダが二箇所も御座います!」

「へぇ、珍しいですね!」

一人暮らしを始める際に経験した内見とは比べ物にならないほど楽しくて、ついテンションが上がる。

俺が楽しめているのは、目を輝かせて部屋を見ている六葉さんが可愛いのが、主な原因だろう。

「こちらのマンションで他のお部屋にお住みの方ですと、片方は洗濯物を干す用にして、もう一方をちょっとした家庭菜園用だったり、アウトドア専用の椅子などを置いて食事用として使ったりしていらっしゃいます」

「わぁ、素敵ですね」

「そうだね。会社からは前より遠くなるけど、許容範囲だし、かなりいいかも」

(結局、押し切って自分で出した入院費が痛かったとはいえ、貯金額から考えれば、家具を新しく買ったところで問題無い。まぁ、想定よりも出費は上回りそうだけどな)

その後も風呂やトイレ、洋室、各所の収納等の説明を受けた。

「個室は六葉さんが使うようにしよう。女性の方が物が多いだろうし、俺は趣味とか無いから、なおさらね」

「え、私はてっきり寝室にするのかと⋯。こう、間をカーテンなどで仕切って⋯」

「あー⋯でも俺はリビングで寝るし、六葉さんは自分の部屋でゆっくり寝たほうがいいんじゃないかな」

「それは不公平ですよ!」

六葉さんは拗ねた表情も可愛らしい。

「でも、俺はリビングでも普通に寝られるし⋯」

「それなら私もそうですし、私だけが自室を持つなんて受け入れられません」

「うーん、じゃあ六葉さんの言う通り、寝室にしようか」

「はい!」

「お二人共、仲の良いカップルで良いすね〜」

不動産屋のおじさんが微笑ましそうにそう言った。

「えっ!?いや、俺達はカップルではないです!」

(どこがそう見えたんだよ!割と他人行儀だろ!)

「そ、そうですよ!ありえませんよっ、⋯⋯私______」

最後は声が小さ過ぎて聞こえなかったが、その前に『ありえない』というワードが聞こえた。

ズキン、と強く胸が痛む。

泣きはしないが、目頭が熱くなりそうな感覚。

俺なんかが六葉さんに釣り合いはしないと元から解っていても、実際に言われると辛い。

いざ厳しい現実を目の前に突き付けられると、受け止めきれない。

(せめて、心の準備がしたかったな)

告白していないのにフラれた。玉砕すると解っていて告白する気も元から無かったが。

六葉さんが悪いわけでもないが、釈然としない。

(消化不良を起こした状態のまま、消化に悪いとわかっているのに、飲み会で余った天ぷらをもったいないからと無理矢理、上司に食べさせられた時みたいな感覚だ)

三人が沈黙したことで、口を開きにくい気まずい空気が流れた。

(これ、俺が何か言ったほうがいいのかな?正直、人任せだけど不動産屋の人にどうにかしてほしい)

「⋯お家賃は、六万八千円でしたっけ?」

流石、六葉さんが気まずい空気を断ち切って口を開いた。

「は、はい!」

「つまり、一人三万四千円ですね」

(俺の方が収入が高いから、俺の方が多く払うのが普通なのでは⋯でも、六葉さんが納得しないからなぁ。ブラック企業で培われた営業トーク、六葉さんにはたまに通じるけど、基本的にはあまり通用しないんだよな。本当なら俺が全額払いたいのに)

おそらく、六葉さんの中に、彼女なりの主義や譲れない信念があるのだろう。

実際、最低でも自分の分は自分で払おうという姿勢自体は素晴らしい。しかし、生活費や家賃等、全ての半分を払うとなると、彼女の手元に残る給料はかなり少ない。男は男で髭剃りやらワックスやら必要だし、消耗品だってあるが、女性は入り用なものがさらに多いと聞く。それは家計簿に付けずに自分で払っているようなので⋯おそらく、彼女の趣味に使える毎月の自分のお小遣いの金額は、中学生レベルだ。

(その分、たまにプレゼントを買ってあげよう⋯はぁ、流石に家賃は痛いだろうに⋯)

激痛の入院費を連想して思い出しかけ、急いで首を横に振った。

「雄二さん?お気に召しませんか?」

「あっ、いや⋯えっと、ここはいいと思うよ。家賃は予算内だし、内見一軒目から当たりだね」

「他にご質問が無ければ、念のため、他の候補の物件も見に行きましょうか?」

「はい、お願いします」

その後、一件目と同じように数件、一日掛けて内見をして、俺達二人はいつもの家に帰ってきた。

「疲れたねー。六葉さん、大丈夫?」

「大丈夫です!冷たいお茶、淹れますね」

「ありがとう」

普段、家で仕事をしている六葉さんだが、意外と体力がある。内見のためにあちこち行っても、ケロッとしており、テキパキと動いている。

買い出しや家事だけでそんなに体力がつくのだろうか⋯?

「⋯内見、どうだった?」

「楽しかったですよ!一軒目は素敵でしたが、雄二さんの職場から遠いのと、エレベーター付きとは言え、六階というのが気になります。お仕事帰りに疲れそうで⋯」

(まぁ、家賃も少し高いよな)

「二軒目はリーズナブルで雄二さんの職場にも近かったですし、静かな住宅街でした」

「そうだね」

(あれ?六葉さん自身の意見が聞きたかったのに、完全に客観的というか俺基準だな⋯もっと、スーパーが近いとかベランダからの景色がどうとかは!?)

「三軒目は2LDKで予算ギリギリ、私達二人では広すぎますし、階段のみで且つ三階なので、お仕事帰りに辛いと思います」

「う、うん⋯まぁ」

「四件目は予算内で職場から近く、駅も近いし今と同じ一階なので、いいと思います。あっ、ただ、ユニットバスなので、雄二さんが気にならなければ⋯といった感じでしょうか?」

「なるほど〜⋯そうだねぇ⋯」

(六葉さん自身がどう思っているかは全くわからなかった⋯!)

自分の聞き方が悪かったのだろうか、と癖で考えそうになったが、一々、原因の所在を明らかにするのも、誰が悪いだのなんだのと考えるのも押し殺すことにした。

「六葉さんは、どこが良かったの?」

「やはり、二軒目か四軒目が最も雄二さんの負担が無くて良いと思います」

「俺のことを思ってくれてありがとう⋯でも、俺が聞きたいのは六葉さん自身の考えなんだ」

「⋯?雄二さんがお好きな所を選んでくだされば、どのお家でも私はそこで、今まで通り雄二さんをお支えさせていただきます」

(もしかして、どこも気に入らなかったのかな⋯でも、一軒目は明らかに気に入っていたよな⋯でも、もっと安い所の方が六葉さんの負担にならないのでは⋯って!また俺達、お互いのことばかり考えている!大切なことだけど、自分のことも考えないとだよな⋯えーと、俺が重視するのは、職場からの距離とか周囲の治安とか⋯)

「⋯雄二さん、もしかして、もう私が不要になりましたか?」

「⋯えっ?」

考え込んでいた俺に、六葉さんは突拍子も無いことを言い出した。

じんわりと、嫌な汗が出た。

(そういう話は、できればしたくなかった)

「違うよ!?どうしてそう思ったの?」

――いなくならないでくれ。

「私がお邪魔だから、お部屋選びに迷っていらっしゃるのかと⋯私がいなければもっとお手頃な所を選べますから。それに⋯もう、雄二さんは健康で⋯よく笑います」

「笑⋯?え?」

焦りで、頭が回らない。

「私達の関係は元々、ギブアンドテイクでしたよね。雄二さんは、行き場が無い葉女の私をお家に居候させ、人間について教える。そして私は、植物の特性を活かして疲れきった雄二さんを心身共に癒し、家事を担い、日常生活をお支えする。⋯雄二さんは健康になって顔色が良くなっただけでなく、表情も以前と比べて凄く明るくなりました」

それは、君がいるからで、なのに、君がいなくなったら⋯。

「⋯雄二さんにとって不要ならば、ご迷惑になりますので私は去ります」

「そんな、迷惑とかないよ」

君が必要だよ⋯。

「⋯雄二さん」

やめてくれ。

何も言わないでくれ。

俺から、離れないでくれ⋯!

「⋯______私は、所詮は紛いものです。葉女の私なんかより、人間さんがいいに決まっています。たとえば、雄二さんに家事ができる彼女さんができたら、私は完全に不要になります。そして、彼女さんを作るのに私がお傍にいては、それこそお邪魔になってしまいます。あ⋯今のは例ですが、恋愛に興味が無かったらすみません。デリカシーに欠けていたかもしれませんよね⋯」

「⋯っ、大丈夫⋯」

だけど、俺が好きなのは君だ。

君が好きだ。

⋯言えない。

それでも、君以外は好きになる気は無い。

「⋯雄二さんの隣には、人間さんのほうが相応しいと思います」

⋯どうして?

君が俺を救ってくれた。

他の誰も救ってくれなかった。周りの人間のほとんどが、俺を傷付けるか、見て見ぬふりをした。

君がいるから幸せなのに、君がいなくなったら元の生活通り、真っ暗な日々に戻るだけだ。

開き直るようだが、依存だと言われてもいい。

他の誰でもない君が好きだから、君が良いんだ。

他の誰かに救われたいとも、他の女性を好きになりたいとも、思えないよ⋯!

俺は恋愛経験の少ない冴えないおじさんだ。

気楽にできる他愛のない雑談や、冷静に話せる事務的な内容でもない限り、美人な六葉さんと⋯好きな人と話すことは、正直、ハードルが高い。

恋心を隠さないといけないため、ボロを出さないように言葉選びは慎重になる。

⋯隠すのが、自分の気持ちを誤魔化すのが、辛い。苦しい。

そのせいで、言葉が出てこない。

君が好きだ。

君が必要だ。

君に、いなくならないでほしい。

(⋯どうして、一つも言えないのかな)

好きだ、以外は言えてもいいのに。

喉が、抵抗するように引き攣るんだ。

「⋯すみません。本当は、ずっと前から言わなければならないと思ってはいたのですが⋯遅くなってしまいました」

「⋯」

ただ、愛する君と新しい家に住みたかった。広くて綺麗な家に引っ越して、喜んでほしかった。

それだけだったのに。

どうして、最も聞きたくなかった話を聞くことになってしまったのだろうか。

他の誰かと住む予定だって無い。もし六葉さんがいなくなり、一人暮らしになっても問題の無い広さと家賃の物件を探したのだ。

(⋯嗚呼)

何も考えずに、君が好きだと言えたら楽なのかな。

君がどう思うかも考えずに、本心を言ったら俺だけは楽になれるのかな?

(⋯あぁ、違う。落ち着け⋯)

今、この状況で俺にできる最善手とはなんだろうか。

(最善かは解らないが、できることをしよう)

「⋯驚いたな〜そんなこと、少しも考えていなかったよ。俺、まだ六葉さんがいてくれないと困るからもう少しだけ一緒にいてくれないかな?あとの難しいことはいいからさ、とりあえず広い家に引っ越そうよ。そのほうが便利でしょう?」

できるだけ明るく、自然に。

当たり障りなく⋯ただ、一時的に先延ばしにする。

(悪手かな?⋯でも、考える時間が⋯いや、別れの覚悟を決める時間が欲しい)

六葉さんは、いつもの笑顔で『わかりました』と言ってくれるだろう。もし俺の様子がおかしいのに気がついたら気遣わせてしまうだろうが、誤魔化せばいい。

今はこれで⋯。

「⋯お互いに今日、内見した家について一日考えてから明日また話そうか。ほら、夕飯作るの手伝うよ」

「⋯ありがとうございます」

六葉さんは微笑んだ。何か言いたげな様子であることは言うまでもないだろう。

解っている。ただ先延ばしにしただけで、俺がしたことは幼稚だ。なんの解決にもならない。

(⋯でも、今はこれでいいんだ。覚悟を⋯決めないと)

そうして、お互いが取り繕った笑顔で、表面上だけはいつも通りの夜を過ごした。



昼休憩の時間ということもあり、四方八方から微かに話し声が聞こえてくる。

いつも通り、俺にとって豪華で贅沢な、美味しい弁当。

「⋯」

(六葉さんがいなくなれば、このお弁当も食べられなくなるんだな。いや、そんなことより⋯どうするかを決めないと)

六葉さんと共に新居に引っ越すのか、お別れをするのか。はたまた、告白をするのか、しないのか。

人としてどうするのが正解で、どうすれば六葉さんのためになるのか。

(最も重要な観点は⋯やはり、六葉さんのためになるかどうか、だよな)

俺なんか六葉さんとは釣り合わない、とは、何度も自分に対して投げ掛けてきた言葉である。

もう、嫌というほど解っている。

六葉さんは、冴えないおじさんである俺なんかに告白されても困るだけだ。彼女は優しいため、告白を断ること自体がストレスになってしまうだろう。

元より告白をするつもりは無かったが、もし別れるならいっそのこと、最後に気持ちを露呈させてしまおうか、と少し考えていたが、やはり現実的ではない。

(冷静になれ。自暴自棄になって六葉さんに迷惑を掛けるな。合理的に考えるんだ)

夢なんて捨てよう。

六葉さんと新居で過ごす夢。

六葉さんとこの先もずっと一緒にいる夢。

六葉さんと⋯恋人同士になる、という身のほど知らずな夢。

全部、全部、捨てよう。

それらは彼女にとって不要なものだから。

(告白はしない。同居生活も終えて、六葉さんとはお別れする。⋯大丈夫、元の生活に戻るだけだ)

「堀田さん?顔色が悪いようですが、大丈夫ですか?」

「尖崎専務⋯!大丈夫です。ただ、少し考え事をしていて⋯」

傍を通り掛かったらしい専務が声を掛けてくれた。水族館のチケットのお礼に渡した六葉さんのハーブを気に入られてからというもの、暇があれば雑談も話すようになったのだ。

「仕事のことなら、私で良ければ相談してください。それ以外のことでも、堀田さんがお話したければ聞きますよ」

「ありがとうございます⋯でも、他人(ひと)に話すような内容では⋯いや!やはり、話させてください!」

自分の問題は自分で解決するのが筋であるうえ、プライベートである六葉さんと俺のことを専務に相談するのは筋違いかと思ったが、グダグダと悩むくらいなら素直に助言をいただこうと思い直した。

「それでは、遠慮なくどうぞ」

仕事中の話をしているときのキリッとした真剣な表情とは異なる、少し柔らかい微笑みを湛え、催促するように俺に視線を送っている。

(どう言うべきか⋯恋愛相談は流石に恥ずかしいし、少なくとも、そのまま全部を話すのは違うよな。⋯要約して、最も聞きたいことだけを聞こう)

よし、と頷いて覚悟の籠った視線を専務に返した。

「凄くお世話になった方が、俺にはもう自分は必要ないから離れると言うのですが、それは建前で、本心では逆に彼女にとって俺が不要になったから離れたいだけなんじゃないかと思うのですが⋯そもそも分不相応な俺に、まだ傍にいてほしいと願う権利はあるのでしょうか⋯」

(あれ?要約するつもりが、長くなってしまったな⋯言葉が止まらなくて⋯あっ!専務、困っているよな!?)

情けない悩みを話す手前、失礼だが気まずさから専務の目を見て話すことができず、俯いて目を逸らしていた。

「⋯堀田さん」

「は、はい!すみませんっ、長くなってしまって⋯!」

「いえ、そんなことよりも顔を上げてください。⋯いつも礼儀正しい貴方が珍しく俯いて私と目を合わせないでいるのは、相談することが恥ずかしいからですか?」

ドキッと心臓が大きく脈打った。

図星だ。完璧に言い当てられてしまった。

図星をつかれたことにより、さらに気まずさを感じながらおずおずと顔を上げた。

凛とした表情に、普段には無い優しさがほんの少し感じられた。

(俺のこと、見下さないんだ⋯)

「素直に相談するのは素晴らしいことですよ。問題が長引いたり、状況が悪化することを防げるかもしれませんから。誇ってください」

「⋯!あ、ありがとうございます」

「いえいえ⋯それに、相談内容も他者のことを想ってこそのものでしたから、何も恥ずかしくはありませんよ」

(何か、サラッと受け入れてもらえてホッとしたな⋯行き詰まって少しヤケクソで相談したみたいな感覚だったから⋯)

「______ただ」

「!」

専務が事務的な連絡をする時や、会議中に話す時の冷たい声よりも、さらに冷たい声が、再び俺の心臓を脈打たせた。

気がつけば、専務の表情も先ほどとは打って変わって声と同様に冷たくなっていた。

(えっ⋯?俺、何かしたかな?専務、さっきは肯定してくれていたのに⋯)

「堀田さん、貴方はその方と本心でお話はしましたか?」

「えっ⋯?まぁ、ある程度は⋯」

「何でもかんでも本心を口にしろ、というわけではありませんが、堀田さんが保守的な態度では相手の方もそうせざるを得ないのではないでしょうか?それとも、お相手とは本音で語り合える仲ではないのですか?」

「えっと⋯約半年間、俺達はそれなりの時間を共に過ごしたと思います。⋯彼女は、俺のどんな本心も否定せずに聞いてくれますし、専務が仰りたいことはよく解りますが⋯今回ばかりは、否定されると⋯いえ、絶対に拒否されると解っているから、どうしても彼女と本心で話すことはできないんです」

「堀田さんのお話を聞いたうえで、最初の質問に私なりにお答えするのであれば、貴方は貴方の本心からの望みをお相手の方に伝える権利はあると思います。理由は、貴方の想いを無下にするような方ではないようであることと、貴方は普段から無欲すぎるうえに、他者を優先するあまり、ご自分の気持ちを疎かにしすぎているからです。⋯私も長くなりましたが⋯結局、堀田さんは、どうしたいのですか?」

「⋯俺は⋯⋯」

(どうしたい?それが彼女に伝えられないから困っているんだ。どうしたいか、なんて⋯そんなの…)

「⋯どうしたいって、それは⋯」

ただ傍に、いてほしい。

(⋯違う。それは、逃げだ)

「俺が本当に伝えたいのは⋯」

六葉さんが、好きだということだ。

好きだから傍にいてほしい。

これからも一緒にいたい!

保守的、という先ほど専務が口にした言葉が時間差で今、俺の胸を刺した。

好意を気持ち悪がられたり、分不相応だと嘲笑されたり、拒否されるのが⋯フラれるのが怖くて、本当の願いから目を背けていた。我ながら恥ずかしいが⋯妥協のつもりなのか、傍にいてほしいという曖昧で保守的な願いを頭の中心に置いて考えていた。

(告白なんかして、六葉さんに不快な思いをさせたくない。彼女にだけは、嫌われたくない!⋯けど、専務の言う通り、本音で話したほうがいいのか⋯?ついさっき、専務と話す前に六葉さんのためにも告白はしないと決意したばかりなのに!?ああっ、もうよくわからなくなってきた!)

「⋯お相手が建前で堀田さんと話をしている可能性があると最初に仰られていたので、堀田さんはその方の本音を知りたい。そして、その上でお相手と会話をされたいのかと思ったので、先ほどの答えを出しました。⋯しかし、そもそも堀田さんにとっての悩みの核は違ったみたいですね」

「えっ⋯」

(全部を見透かされているみたいだ⋯凄すぎて少し怖い気もするけど、頼もしいな)

「とどのつまり、失礼ですが堀田さんは⋯フラれるのが怖いのでは?」

「はい⋯。⋯えっ?⋯えぇっ!?フラれるって、俺、そんなことまで口に出していましたか!?」

「いえ。三人称としてでしょうが、彼女と仰られていたためお相手が女性であることと相談内容からして、同棲中の恋人へのプロポーズに関する悩みだと自然と推測できたので⋯勝手にプライベートのことまで推測してしまってすみません」

「あっ、いえ⋯相談させていただいているのはこちらなのでお構いなく⋯あっ!でも、『彼女』は本当に単に三人称の意味合いで、恋人ではないですしプロポーズの悩みでもありません!その前の段階です!」

「あぁ⋯てっきり恋人の方に素敵なお弁当を作っていただいていらっしゃるのかと思いまして⋯すみません、ただの邪推でしたね」

「い、いえ⋯まぁ、ベクトルは同じですし⋯遠からず当たっていましたから。あと、関係はただの同居人です」

「そうですか。⋯それで、お相手は素直に付き合ってほしいと告白するのが難しい方なのですか?それとも、ご自分に自信が無いとか?」

「両方です。彼女は高嶺の花ですし、そんな相手に俺みたいななんの取り柄も無いただのオッサンが⋯おかしいでしょう?気が合うし、お互いに同じことを考えていることも何度かありました。けれど、この気持ちだけは、流石に同じではないでしょう」

六葉さんが『私も同じことを考えていました』『分かります!私も同じです』と、そんな言葉を言ってくれるたびに嬉しくて、逆に俺が彼女に対して彼女と同じ言葉を伝えると、俺と同じように喜んでくれることが、何より嬉しかった。

しかし、恋愛感情まで今まで通りだと考えるほど、自惚れてはいないし、身のほど知らずでもない。

彼女が俺を好きであることはない。

⋯要は、高嶺の花だけに、文字通り高望みというわけだ。

「彼女は俺よりも若くて美人で、優しくて要領もいい。ご存知のとおり料理も上手で、最近はしっかりとした仕事に就いて⋯ハハッ、本当に、彼女には俺なんか必要なくなったんですよ」

口に出すことで現実味が感じられ、より惨めな気分になる。

悲しい現実は、あまりにもハッキリとしていて。否定材料が無いことを悔しく思うことすらない。

「個人のご事情に深く踏み入るつもりはありませんし、その女性とどんな理由で同居生活をされていらっしゃるのかは解りませんが⋯そんなに手の込んだお弁当は、少なくとも嫌いな人には半年間も作れませんよ。そもそも同居しているくらいですしね」

「⋯!」

「お相手の方も、憎からず堀田さんを想っているのではありませんか?⋯たとえそれが恋愛感情でなかったとしても、仮に告白をした貴方を、リスペクトくらいはしてくれるでしょう」

「⋯それは、そうかもしれませんが⋯」

「堀田さん。フラれるのは恥ずかしいことではありません。単に、その方とはお互いに通じ合えなかっただけですから。それに、背中を押した以上はもし貴方がフラれたら、私が責任を持ってお酒を奢って愚痴を聞きますよ」

そう言うと、専務はやっと微笑んだ。

「ありがとうございます⋯。俺、告白さえせずにいれば良くて、ただ傍にいてほしいと頼んで、単なる同居人の関係を続けることで、曖昧で自分に都合の良い状況を手放さずに、ダラダラと問題を先延ばしにしようとしていました。それか、もう六葉さんとは俺が告白をしてもしなくても、離れようだなんて、深く考えもせずに、投げやりになっていました。でも、それって全部⋯今まで俺にあんなにも真っ直ぐに向き合ってくれた彼女に対して不誠実な考えだったと、専務のお陰で気がつけました。改めて、本当にありがとうございます!」

「どういたしまして。でも、そんなに大したことはしていませんよ。ご決断されたのは貴方自身ですから」

「⋯はい!」

フラれたっていい。本心で六葉さんと話そう。

そして、六葉さんの本心も聞こう。

昨夜は、彼女の言葉が建前なのではと疑い、それを不安に思っていたくせに、自分は嘘ではないにしろ、本心でもない言葉で不誠実に六葉さんに向き合った。

格好悪くても、もし最愛の彼女と離れることになっても、俺は彼女に本心を伝えると決心した。


夜。先ほど、開けたはがりの小さな窓から、もういられなくなるかもしれない思い出深い部屋に、月明かり入る。

心地良い風が、頭の葉や花を僅かに揺らした。

「もう、二十時になりますね⋯雄二さんがお帰りになる時間です」

彼とこの姿で初めて出会った公園で、疲れきった表情と少し掠れた声で呟いていた彼の独り言を、未だに鮮明に覚えている。

しかし、先ほどの自身の発言は独り言ではない。

柔らかな風が、不自然なほどに、とめどなく窓から入り、自然の香りを運び、さらに私の肌をふわりと撫でる。

「⋯少し、お静かにして頂けますか?同じ言葉を皆で反復し続けられると、余計に頭が働きません」

風が吹く頻度が、少し減った。

それでも相変わらず、一分も待たずに定期的に吹いてはいた。

「⋯私は⋯⋯どうするべきでしょうか?昨夜、雄二さんは優しさで、私がいないと困ると仰られたのではないでしょうか?」

昨夜から、何度も考えたことだ。しかし、どれだけ考えても、他者の考えに対して確信できる答えは出ず、出たとしてもそれは推測にすぎない。

「身寄りの無い私を哀れんで共に過ごそうとして下さっているのか、本当に私のことが必要なのかは分かりません。⋯私なんかが、必要でしょうか?もう、公園でお会いした時のような表情ではないのに?あんなにも、しっかりとされているのに?⋯人間ですらない私が、彼に必要でしょうか?」

いいや、不要なのだろう、と自分の口から出た言葉を頭の中で否定して首を振った。

「私は⋯彼の人生や幸せの邪魔にならないように、離れるべきです。元々、彼を癒し終えれば去る予定でしたしね。予定通り、そうするべきなのです」

彼に私は、もう必要ないうえ、むしろ邪魔だから。

人間の彼には、同じ人間の素敵な人が隣に立つに相応しいから。

「だからっ⋯私は、ちゃんと、雄二さんと綺麗にお別れをして⋯もう彼とは二度と会わずに、元の生活に⋯戻っ⋯」

言葉が、喉が詰まった。

苦しい。

「うっ⋯っ⋯あぁ⋯」

涙が、溢れ出す。

「どうして、胸が⋯苦しいの⋯?どうして、私は泣いているの?目的を達成できたことに対する喜びで、嬉し泣きしているの?⋯ならこの苦しさは何?」

苦しい。凄く、苦しい。

胸が痛い。まだ何も失っていないのに、心にぽっかりと穴が空いたような感覚がして、怖くて、辛い。

「人間は⋯やはり感情豊かですね。それにしても、悲しいという感情がこんなにも苛烈で、苦痛だとは⋯」

窓から入った風が、部屋の中で吹き荒れた。

二人で気に入ってテーブルの上に飾り続けているプリンの瓶を花瓶代わりにして花を生けていたそれが、強い風でグラり、と揺れた。

「______!!」

ゴトン、と重い音を立てて倒れた瓶の中から水がテーブル上に広がり、花が一本、飛び出た。

その後、勢いは衰えず、丸みを帯びた瓶はゴロゴロとテーブルの上を転がった。

私は、強風を感じた時にはすでに反射的に振り向いて、それを目にしていた。

一瞬で体中から血の気が引き、背筋が凍った。夏なのに、寒さを感じた。

目が熱くなった。

「駄目っ!!」

必死に手を伸ばすと、瓶がテーブルから落ちたところを、なんとか左手で受け止められた。

「あぁ⋯良かった。割れなくて⋯」

彼が初めて花を、そして美味しいケーキとプリンも買ってくれた日の、大切な思い出。

(失いたくない)

初めて嫉妬した次の日だった。出来損ないの自分が恥ずかしくて、彼と同じ人間の女性が羨ましかった。結果は勘違いだったが、彼が一人の女性に好意を寄せていると思った瞬間、胸が締め付けられた。

その当時は、自分の感情の名前を知らなかったが、彼と過ごすうちに知った。

「失いたくない、とは⋯何を、でしょうか?私は大切な思い出を失いたくないのか、この今の生活を失いたくないのか⋯雄二さんを、失いたくないのか」

今の生活を失うことと、彼を失うことは同義ではない。

(______雄二さんとなら、どんな環境で、どんな生活でも、一緒にいられたらいいもの)

「⋯まさか、私が失いたくないのは⋯⋯」

ハッとして、手に持った瓶を見つめていた目を僅かに見開いた。

風を感じ、顔を上げて月が見える窓の外を向いた。

『それが、答えなのではないですか』

「⋯!⋯私は⋯⋯」

大粒の涙が、勢いよくボロボロと両目から落ちた。

涙を堪えようと、グッと力を入れても止まらない。

涙を流したまま、私は口を開いた。

「私はっ、戻りません!大切な雄二さんを失いたくありません!」

月明かりが涙に反射して輝き、私の赤く腫れた泣き顔を照らした。

もし今のようにボロボロになっても、私がした決断は間違ってはいないと月が励ましてくれているようだと都合良く感じ、少し元気が出た。

その元気を利用し、彼に泣き顔は見せまいと口元だけでも、微笑んでみた。

――その瞬間、先ほどの強風よりもさらに強く荒々しい風が窓から入り、家の中の()を乱暴に吹きつけた。

風が止んだ後、私は再び微笑もうとしたが…微笑めなくなっていた。

絶望した暗い表情で、窓の外を見た。

「…あぁ…駄目なのですね」

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