第十七話 ピクニックデートでクローバーを
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本作品はフィクションであり、実在の人物・団体・事件とは関係御座いません。
(高っ!!)
風呂上がり、就寝前の僅かな時間にスマホでショッピングアプリを開き、とある物の値段を見た俺は目を見開いた。
お目当ての商品の値段は、内心げんなりするほどだ。
(高いとは聞いていたけど、まさかこんなに高いなんて⋯)
今、値段をリサーチしているその商品は、ずばりアウトドアグッズだ。ピンキリでブランドによるが、安い物でも五千円以上はするし、高い物であれば一、二万円かまたはそれ以上だ。
五千円くらいなら、言わずもがな庶民的な人間でも手が届くだろうし、趣味にお金をかけるにしても、大人であれば大した浪費ではない。
⋯しかし、一つのアウトドアグッズで五千円だとして、他のグッズ等、一式揃えるとしたら?
日除けのパラソル、テントに寝袋、バーベキューセット、折り畳みの椅子やテーブル⋯他にも本格的に揃えようと思えば、その合計金額は、決して安くはない。
(いや、俺は別にキャンプがしたいわけではないからそこまではかからないだろけど⋯)
先日の水族館デート(?)で、薄々感じていた己の六葉さんへの好意を確信して以来、特に告白してもいなければ、態度を変えたわけでもない。
改めまして堀田雄二、三十三歳。現在、久しぶりの恋に一人でただ浮かれまくっている状態だ。
何をするべきかを考えようとしてすぐに、この恋は始まる前から終わっていると気がついた。
美人で優しい六葉さんが、社畜の平凡なおじさんを好きになるはずがないから。
人間ではないだとか関係なく、彼女の人並外れた外見と内面は誰をも魅了するだろう。そして、彼女の隣には若いエリートイケメンが相応しいのだろう。つまり、俺は身のほど知らずな恋をしたというわけだ。
しかし、好意という感情をそう簡単に捨てられるわけもない。
そのため、当面は今まで通り純粋な気持ちで彼女に接すると決めたのだ。
理性ではそう決めたのだが⋯やはり浮き足立っている三十三歳は、六葉さんが好きそうな自然溢れる公園でピクニックをしようと誘おうと考えているのだった。
少々浮かれた案はともかく、流石に俺はもういい歳をした大人だ。感情に流され、衝動的に高い買い物をするわけがない。
(アウトドアグッズは場所も取るらしいし?この家は狭いし?ピクニックだって何回くらい行くかも解らないから元が取れるかも解らないし??浮かれている自覚だってあるから、今だってこうして必死に冷静に考えているし?こんな非合理的な買い物、いくら浮かれているからってするわけ⋯)
「雄二さん、お風呂、上がりました!」
パジャマに着替え終わり、髪の毛もドライヤーで乾かし終えた六葉さんがお風呂場から居間に戻って来た。
初夏の現在、暑くなってきたからか、少しだけ谷間が見えるパジャマ。
火照って紅潮した頬。
お風呂上がりでリラックスした笑顔。
「⋯おかえり。今週末、ピクニックに行かない?」
ポチッ。
⋯人生で初めて衝動買いをした瞬間だった。
「わぁっ、広い公園ですね!」
ドラマのピクニック等のシーンで観るような公園ほど広くて綺麗ではないが、整備はされており、それなりの広さもある公園に二人で来ていた。
「家の近くにピクニック向きの公園があって助かったね。アウトドアグッズって、本当に嵩張るし、俺は車が無いから⋯」
結局、安価なレジャーシートと六葉さんの弁当箱と水筒を買うだけに留まった。逆にケチ⋯とは思われたくないが、理性的で正しい決断だと言える自信も無い。
(調子に乗って椅子とかまで買っていたら、一人では持ちきれなくて六葉さんに持たせることになっていたかもな⋯まぁ今日も二人分のお弁当を持ってもらっているけど)
「早速、レジャーシートを敷こうか。えっと、木陰がいいかな?」
「そうですね。あの辺はどうですか?」
公園内を見渡して、六葉さんが隅の方の大きな木陰を手で差し示した。
「いいね」
鞄からレジャーシートを取り出し、二人でそれぞれ反対側を持って広げてから地面に敷き、重し代わりに鞄を端に乗せた。
広い芝生を囲むように木々が植えられたこの公園は、自然を感じられ、景観が良い。
ほど良い風が涼しい。芝生や木々の青々とした香りと土独特の芳しさ、そしてすぐ傍にいる六葉さんの頭から生えている花の、ほんのり甘い香り。
「いい天気ですね」
六葉さんは風で乱れないように耳上辺りの髪を軽く片手で押さえて空を見上げてそう言った。
今日の六葉さんの服装は、黄色のかなり控えめなフリルがあしらわれたノースリーブのトップスと膝丈のティアードスカートのセットアップだ。
(今日も可愛い⋯六葉さん、なんでも似合うなぁ)
口に出すとセクハラになってしまいそうで怖いので言わない。
“ハラハラ”というものもあるのが世知辛いが、何が嫌かは人それぞれなので、不安なときは早めにブレーキをかけておくに越したことはない。
(まぁ、六葉さんなら許してくれる可能性のほうが高そうだけど、だからと言ってなんでも口に出すのはな)
ジロジロと見すぎても良くないので、俺も辺りを見渡した。
六葉さんの言う通り、今日はよく晴れており、正にピクニック日和だ。また、公園内には俺達から離れた場所にそれぞれ二組のグループがすでにピクニックをしていた。片方は子連れの家族で、もう一方は男女のカップルだ。前者は日よけのパラソルを立てており、後者は俺達と同様に木陰でくつろいでいた。
「さて、座ろうか」
「はいっ」
靴を脱いでから、二人並んでレジャーシートの上に座った。
(うおっ、思ったよりも六葉さんとの距離が近い!二人用のを買ったんだけど割とスペースに余裕が無いな)
「私、もうお腹ペコペコです。雄二さんは?」
六葉さんが照れたように笑いながら、俺を見て小首を傾げた。
「俺もだよ。家からゆっくり歩いて来たから、もう十二時半は過ぎていると思う」
「では、お家から持って来たお弁当を食べましょうか」
「そうだね」
六葉さんは意気揚々と保冷バッグから二人分の手作り弁当を取り出した。
手分けして弁当箱の蓋を開け、一段目と二段目を分けて置いた。
「うわ〜っ!豪華だね!」
「えへへ、頑張ってみました。あと、浮かれて自然と⋯」
合計四段分の弁当。
一つ目には、ピックで食べるミニミニのサンドイッチ達。主役である彼らは味のレパートリーが豊富で、苺ジャムと生クリームを挟んだデザート系やハムとレタスを挟んだ王道のオカズ系、そして一風変わったツナと細かく刻んだ胡瓜を挟んだマヨネーズ味!
二つ目には、もやしのナムルとミニトマトと大葉のナムル、生ハムとよく火の通ったホタテのカリフラワーのムース添え。(※生ハムとホタテは別々で食べる)
三つ目には、うずらの卵のスコッチエッグ、肉巻きアスパラ、甘辛ダレとチーズの鶏つくね。
四つ目には、花の形にカットされたハムとハートの形にカットされたスライスチーズが上に乗せられたケチャップライスで、その真ん中に卵焼きが二個。配置に関しては、ライスを左右で分けて二人で食べやすくするためらしい。
もちろん、二人分の水筒に麦茶も用意してある。
結論、思い付きのピクニックにしては、だいぶ豪華だと言っても過言はない。
「食費、奮発してしまいました⋯」
申し訳なさそうに苦笑いする六葉さん。
「それは、俺から誘ったのに六葉さんが払ってくれたし、手間暇かけて弁当を手作りしてくれたんだから、むしろありがとう」
「そ、そんな⋯私がしたくてしただけですよ。誘っていただけて凄く嬉しかったので⋯」
流石にサンドイッチのパンはスーパーで購入した食パンだが、そのほかは基本的に全て手作り料理である。食材の買い出しの際、六葉さんの料理は好きだが冷凍食品やお惣菜を使っても良いのでは、と提案もしたが、本人が自分で作りたがったのだ。
ちなみに、俺はサンドイッチのパンの内側に苺ジャムを塗る作業だけ手伝った。それだけで手伝ったと表現しても良いものかは悩ましいが、その際に六葉さんは嬉しそうにお礼を言ってくれた。
「早速、いただきます」
照れてモジモジとしている六葉さんを見ると、愛おしく、また微笑ましい気持ちにもなる。
六葉さんの恥じらいを掻き消して楽しい雰囲気にするべく明るい声を出した俺は、ピックでハムレタスのサンドイッチを口に運んだ。
モグモグ。
「んっ!?何これ⋯?凄く美味しい!」
「あっ、味付けをマヨネーズやチーズにすると他のものと被ってしまうので、ガーリックトーストにしました」
(通りで、パンの見た目が他のサンドイッチと異なったわけだ!凄く美味しい⋯!)
「お口に合って嬉しいです」
そう言うと、六葉さんも食べ始めた。
昼間の比較的静かな公園でする食事は開放感があり、いつもとは感覚が全く異なった。
明るい日差し、綺麗な青空。
涼しい木陰に時折吹く、穏やかな風。
清々しい外の空気が爽やかで、心が洗われるような感覚。
息がしやすく、食欲が湧いてくる。
(なんて、癒される時間なのだろう)
美味しい食事、六葉さんとの取り留めもない歓談。
耳を擽る六葉さんの優しくて綺麗な笑い声と、草木が風で揺れる音。
「幸せだな⋯」
ポツリ、切ない呟きが漏れる。
(六葉さんが人間社会に慣れて俺の元を去ったら、もう二度とこんな幸せは味わえない)
他の人と同じようにピクニックをしても、笑いかけてもらえても、何をしようがどこに行こうが、今と本当に同じ幸せは、二度と味わえない。
そう確信している。
だからこそ、今を大切にしよう。
始まりは無く、終わりだけが見えている恋心に綺麗に蓋をすることはできなくても、そっとヴェールをかけて見えないようにしよう。
別れの日までお互いが笑って過ごせるように、この気持ちを隠そう。
このうえ無く素敵な君が俺を好きになるなんてことは、無いから。
「______キャアアッ!!」
突如、女性の金切り声が公園内に軽く響いたが、六葉さんの声ではない。
「いやー!虫が木の上から降ってきたー!最悪ー!!」
その声の持ち主は、俺達とは離れた木陰の下で昼食を摂っていたカップルの女性のようだ。
虫は⋯正直、どちらかと言えば苦手だ。
「「⋯」」
(六葉さんは、葉女⋯元は虫と関わることが多いというか、少なくとも自然界では近しい関係の“植物”だし、苦手ではなさそうだな)
そう思いながらチラリと見た六葉さんは、完全に固まっていた。
「⋯次はアウトドア専用のパラソルを買おうか」
「は、はい」
ビクッと肩を揺らし、少し硬い声でぎこちなく答えた。
(葉っぱを食べられたことでもあるのかな⋯)
ピクニックで謎が深まる葉女⋯六葉さんだった。
彼女の正体については、好意を自覚してからは気にならなくなっていた。素のどんなに駄目な俺も彼女が受け入れてくれるように、俺もどんな彼女でも、変わらず好きでいる自信があるから。
とにもかくにも、確実に気持ちを隠し、当分はこの穏やかな日常を謳歌しよう。
そう己の決心を胸中で確かめながら、美味しく幸せな食事を続けた。
約二十分後、食事を終えて二人で静かに綺麗な空気を味わっていると、ふと六葉さんが声をあげた。
「⋯あれ?雄二さん、すぐそこに群生しているの、三つ葉のクローバーさん達ではありませんか?」
「本当だ!こんな近くにあったんだ。丁度食べ終えましたし、四つ葉のクローバー探しでもする?」
「わぁ、楽しそうですね!」
「おっ、乗り気だね!なんなら競争にする?」
「いいですね!では、先に見つけた方が勝利ですね!」
「俺が負けたら今日のお風呂掃除をするよ」
「よろしいのですか?疲れていたら無理はなさらないでくださいね」
「大丈夫だよ、俺が勝つから」
「雄二さんはかなり自信があるようですが、私も自信ならあらりますよ!」
「なら、いい勝負になるかもしれないね」
俺達は脱いでいた靴を履き、件の三つ葉のクローバーの周りに座り込んだ。
「それでは⋯よーい、どん!」
六葉さんの可愛らしい声を合図に、俺達は大量の三つ葉のクローバーの中から四つ葉のクローバーを見つけようと、目を凝らした。
「いい歳してやってもいいのか悩んだけど、楽しいね」
「大人になっても子供向けの間違い探しで盛り上がる方もいらっしゃるらしいですから、他人様も意外とこんな感じかもしれませんよ」
「それ、ネット情報?」
「はい」
(うん、もう察してた)
公園内には俺たち以外の人々もいたが、不思議とどう見られるかは気にならなかった。以前は、周囲の視線が気になってコンビニのレジ横になぜか置かれている気になる駄菓子も買えなかったほどなのに。
「雄二さん、子供の頃にも四つ葉のクローバー探しはやられていたのですか?」
「友達とやっていたよ。実家の近所の川沿いに群生していたからね。しかも、ここよりもっと沢山群生していたから盛り上がったよ」
「へぇ、いいですね。経験では雄二さんが上ということになりますが、ご存知のとおり私は葉女ですから!もちろんズルはしませんが、勝算はありますよ」
「この勝負も盛り上がりそうだね!」
「はい!」
その会話の後、俺達は数分間、黙々と探したが、二人共見つけられないまま、お互いに顔を上げて困り顔を見合わせた。
「⋯子供の頃は、全く見つからなかった日もあれば、割と数分くらいで見つかる日もあったんだけどなぁ⋯まぁ、その後はまた見つからなくなって友達が飽きたからやめてしまったんだけど」
「そうなんですね⋯うーん、思ったよりも難しいですね。そろそろ諦めますか?」
「あっ、もしかして疲れた?」
「いえ。ただ、雄二さんは明日もお仕事ですし⋯」
「俺はまだ大丈夫だし続けたいから、もう少し探してみようよ」
「そうですね!根拠はありませんが、もうすぐ見つかりそうな気もします!」
「頑張ろう!」
俺達は再び大量の三つ葉のクローバーに視線を落とし、四つ葉のクローバーを探した。
(ここには無かったりするのかなぁ⋯だとすれば俺は運が悪いのかも。まぁ、ここには三つ葉のクローバーもそんなに多く群生しているわけではないし、分母から考えたら仕方がないのかな)
雑談せずに集中して探せばもっと早く見つかるのかもしれない。俺はもちろん、六葉さんもそれは解っているため、長話はしない。
しかし、ここに来て俺は話したいことが頭に浮かんだ。
(長くなるかもしれないけど⋯今するべき話題な気がする)
いや、帰ってからでもいいだろ、と囁いてくる己の理性を遠くへ投げ飛ばした。だって俺が今、話したいから!
「⋯あの、六葉さん」
「はい?見つかりましたか!?」
「あ、残念ながらそうではなくて⋯ただの雑談なんだけど、いいかな?」
「あぁ、それなら大歓迎ですよ!もちろん、四つ葉のクローバーも歓迎しますが」
「ありがとう。⋯えっと」
(深刻な内容ではないのに、なんとなく改まってしまうな)
軽い咳払いをし、四つ葉のクローバーを探しながら口を開いた。
「六葉さんの名前は、俺が付けさせてもらったでしょう?」
「そうですね。凄く気に入っています。素敵な名前をくださって、ありがとうございます」
「どういたしまして⋯でも、どうして“三葉”や“四葉”ではないのかとか、疑問に思わなかった?」
「?⋯私は特に疑問には思いませんでしたが、なぜですか?」
「あぁ⋯六葉さんに似た名前ならさ、三葉とかが一般的には人気なんだよ。それに、今探している四つ葉のクローバーも、幸運がどうとかって、良い意味があるし有名だから名前としてはそっちのほうがいいし、自然だから」
「なるほど⋯言われてみれば、『四葉』の方がパッと思い浮かぶかもしれません。けれど、名付けてくださった際に説明していただいた『六葉』の名前の由来も、とても素敵でしたよ」
当時、確かに六という数字が、実は幸せの意味を持つという説明をした。
しかし、それならば四葉でも良かっただろう。
三葉も四葉も、良い名前だ。それでも、俺は彼女の名前として六葉を選んだ。
「実は、後付けだけど、六葉さんの頭の花の花弁の数が六だから⋯とかもあの後に考えたんだ。名は体を表す、と言うしね。少し意味が違うかもしれないけど⋯」
「それも素敵だと思いますよ。私らしい、私だけの特別な名前のようで、嬉しいです」
「それなら良かった。三葉とかの方が良かったなら申し訳なかったから」
「いいえ、私は六葉という名前が本当に、心から気に入っています。実は、雄二さんが私の名前を呼んでくださるたびに、幸せな気分になるんです」
その言葉を聞いた俺は、一瞬、ドキッとした。
(それって⋯いやいや!落ち着け俺!!)
「それに______仮にどんな名前であっても、雄二さんが付けてくださること自体が嬉しいですから」
ハッと顔をあげると、いつの間にか六葉さんも顔を上げて俺を見ていた。
幸せが溢れている、照れたような微笑み。
目が合うと、ニッコリと笑ってくれる。
太陽光を反射して輝きながら細まる目、弧を描くように上がる口角。
少し赤い頬。
(俺だって六葉さんに名前を呼ばれるたびに幸せだし、その笑顔を見るたびに癒されるし、嬉しくなる)
あぁ⋯君が好きだ。
「⋯人気な三葉や、有名な四葉を選ぶのが自然だったのに、それらを差し置いて俺が君に六葉と名付けた理由は⋯」
「理由は⋯?」
六葉さんは、いかにも興味津々だといった様子で身を乗り出した。
(興味を示してくれると安心するな。話題にして良かった⋯)
「⋯俺は宗教とか占いとかよく解らないんだけど、母親が占いとかスピリチュアル?みたいなのが好きで、よくそれ関連の話を聞かされたんだ。まぁ、半分くらいはちんぷんかんぷんだったし、興味は無かったんだけどね。でも、子供のころ話を聞いていて一つだけいいなと思ったことがあったんだ」
両親は、特別に酷くもなかったが、それでも、褒められたような人達ではなかった。少なくとも俺は、彼らを“親”としては好きになれなかった。
(大学生になるまで育ててくれた恩は感じているし、感謝している。でも⋯)
贅沢なのだろうが、愛はくれなかった。
傲慢だが、親だけには無条件に愛されたかった。
自分の子供というだけで愛してくれと願っていた。
俺が特別に良くできた人間でなくとも、無能だろうとも⋯。
⋯愛していると言ってほしかったのではない。
…優しく抱きしめてほしかったわけでもない。
ただ、もしも、たったの一言、褒めてくれたら。一瞬でも、笑いかけてくれたら。一度でも、他の何かよりも俺を優先してくれたら。一つでも、俺のことを覚えていてくれていたら。
ほんの少し、興味を持ってくれたら⋯それだけでも⋯嬉しかったのにな。
そう、幼き日に願ったからこそ。
俺は、自分が好きでなくても、母親の好きなものに興味を示したんだ。
自分がされて嫌なことを他人にするなと教わったから、逆に自分がされて嬉しいことを母にしてみたのだ。それで母が少しでも喜んでくれたら、俺も嬉しいから。
「⋯⋯スピリチュアル的な意味で、無条件の愛、という意味があるらしいんだ。六葉さんは俺に、俺が求めて止まなかったものをくれた」
愛をくれたとは言わない。俺にとってはそうでも、彼女にとってはただの優しさにすぎないかもしれないから。
名付けたその時からすでに、六葉さんが無条件の愛を他人から貰えるくらい素敵な人だと思ったし、もし本当にそうなったら、いいと思った。
当時、母が喜ばなかったように、俺がそうだからといって彼女も同様だとは限らないから。
今、俺が口にできる真実は一つだけ。
「仮に六葉さんが家事や仕事を何一つしなくても、無条件に愛されるくらい素敵な人だと思ったから、その名前にしたんだ」
六葉さんが、俺を否定しなかったから。
イケメンでも無ければ見た目は金持ちそうでもない、俺がどんな人かも解らない状態で最初から優しく接してくれて、昼間の公園で独り言を呟いていても、酷い汚部屋を見ても、彼女は俺を責めなかった。むしろ、見下さずに尊敬して慰めてくれて、笑いかけて、寄り添ってくれた。最初から、俺を支えようとしてくれた。
それだけで、無条件の愛を貰ったとは思わなかったけれど。
______俺が六葉さんを無条件に愛せると思ったから、ふと思い出した母親の話と彼女の見た目を合わせて、六葉という名前にした。
「無条件の愛、素敵ですね。元々気に入っていましたが、自分の名前がさらに好きになりました」
嗚呼⋯君は今日も、肯定的で、純粋で、俺の願いを叶えてくれる。
本当に無条件に愛されるなんて思っていない。
良い所も無い人間を愛することなんてできないし、成り立たないと思っていた。
けれど、気がついたんだ。
この場合の無条件とは、なんだろう。
無条件に愛されたいと願った幼かったときの俺は、何もしない自分をも愛してほしかったのではなく、ただありのままの自分を愛してほしかったのだと、大人になり、六葉さんと出会ったことでやっと気がついた。
だから、つまりさ…。
優しくて、優秀で、美人で、特別な君が⋯俺みたいな取り柄のない男に、優しさをくれた。
その優しさは、俺が求めていた愛そのものだった。
無条件の愛を君に得てほしかった。
無条件の愛を俺が得られるようにと願った。
この後、もし幸運の四つ葉のクローバーを俺が見つけたら、願いが叶ったりするのだろうか?
(願い⋯今の俺の、願いか)
六葉さんとの叶うはずもない恋愛成就?誰からでも構わない、無条件の愛を得ること?
⋯いいや、今の俺の願いは、以前とは違う。
もっと、ほんの些細なことでいい。
「あっ、四つ葉のクローバー、見つけました!」
「おめでとう六葉さん。自信あったのに負けちゃった」
「大きめの三つ葉さん達の下に隠れていたので、難しかったですね。ほかには無さそうですし⋯こちら、良ければ差し上げますよ」
「いいの?六葉さんが見つけたのに」
「はい。雄二さんに幸運が訪れてほしいので!」
「六葉さん⋯ありがとう」
「どういたしまして。良ければ押し花にしましょうか?そうすれば、長持ちしますので」
「お願いするよ」
最初は、六葉さんが喜ぶかと思って四つ葉のクローバー探しを提案した。
しかし、先ほどまで自分の願い事ばかりについて考えていたので、他人である俺を優先してくれる六葉さんを見て少し申し訳ないうえに恥ずかしい気持ちになった。
(お詫びに、六葉さんの幸運を願おう。本当に叶うかは解らないけれど、願うだけなら無料だし)
四つ葉のクローバーに願いを捧げて、俺達は公園を後にした。




