第8話 治すのじゃ
──静寂。
水路の奥。
先ほどまで蠢いていた気配は、完全に途絶えていた。
ムカデ型の魔物は、すでに動きを止めている。
節は弛み、脚は力なく床に落ち、
その巨体はただの“物体”へと成り下がっていた。
わしはゆっくりと手を離す。
指先に残る感触が、徐々に消えていく。
(終わった、か)
短く息を吐く。
肩に、わずかな違和感。
じわりと広がる鈍い熱。
(……毒じゃな)
先ほどの一撃。
浅い傷。
だが、確実に通されておる。
わしは軽く肩に触れる。
血はすでに止まりかけているが──
内部は別じゃ。
思考を巡らせる。
(この場で即時に解毒するのは難しい)
素材が足りん。
この環境では、完全な処理に必要な精製ができぬ。
強引にやることは可能。
(しかしそれでは効率が悪いのう)
無駄が多い。
ならば。
(最適解を選ぶ)
わしは手を当てる。
魔力を流す。
体内へ。
血流の流れを把握。
毒の位置を特定。
拡散方向を読む。
(ここじゃ)
循環を制御する。
血流をわずかに抑制。
特定の経路だけを絞る。
流れを遅らせる。
完全停止ではない。
あくまで“遅延”。
(応急処置としては十分じゃ)
時間を稼げればよい。
完全な解毒は後で行う。
(今は持ち帰るしかないかの)
わしは魔物の体へ視線を落とす。
検体としての価値。
無駄にはせん。
外殻を切り分ける。
節ごとの強度差を確認しながら、最も状態の良い部分を選別。
筋肉。
収縮の癖。
繊維の密度。
それらも一部採取。
そして魔石。
中心部。
核。
それを取り出す。
(これで十分じゃろう)
袋へ収める。
余計なものは持たん。
必要な分だけ。
合理的に。
****
地上へ戻る。
石段を上がるごとに、空気が変わる。
湿気が抜ける。
光が増える。
音が戻る。
人の気配。
街のざわめき。
(やはり地上はよいの)
わしはそのままギルドへと向かった。
扉を開ける。
空気が切り替わる。
視線が、わずかにこちらへ集まる。
わしは気にせず進む。
受付。
そこにいたのは
(エルマ、じゃったか)
あの女。
わしの姿を見るなり、わずかに表情が強張る。
警戒。
あるいは──興味か。
「いらっしゃいませ……本日は、どのようなご用件でしょうか」
声は丁寧。
だが、硬い。
「依頼の報告じゃ」
わしは淡々と答える。
それ以上は不要。
「それと」
袋をカウンターへ置く。
音が響く。
中身がわずかに揺れる。
わしは口を閉ざす。
説明はしない。
見れば分かる。
エルマが袋へ手を伸ばす。
中を確認する。
その瞬間──
「……っ」
目が見開かれる。
呼吸が一瞬止まる。
「こ、これは……」
魔石。
外殻。
筋肉片。
明らかに通常の下水魔物ではない。
理解が追いついていない顔じゃな。
当然じゃ。
わしはさらに続ける。
「もう一つ、ある」
静かに。
余計な間を置かず。
肩に手を当てる。
「……毒を受けておる」
その一言で。
空気が変わった。
「ど、毒ですか!?」
エルマの声が上ずる。
先ほどまでの冷静さは消えている。
「すぐに解毒を──」
「落ち着け」
わしは短く制する。
声は低く。
だが十分。
エルマの動きが止まる。
「騒ぐほどのものではない」
事実じゃ。
制御は済んでおる。
しかし放置はせん。
「解毒に使う素材は分かっておる」
わしは即座に続ける。
迷いはない。
「ラミア草じゃ」
ピンポイント。
無駄な候補は出さぬ。
エルマは一瞬、固まる。
理解。
判断。
優先順位。
それらが一気に走った顔。
「……す、少々お待ちください!」
すぐに反応。
踵を返し、奥へと駆けていく。
(判断は悪くない)
わしは静かに待つ。
無駄な動きはせぬ。
****
やがて。
戻ってくる。
素材を持って。
息はわずかに上がっている。
だが手は震えておらん。
良い。
わしはそれを受け取る。
並べる。
視線を落とす。
構造を読む。
成分を分解。
不要な要素を削ぎ落とす。
必要な性質だけを残す。
(これでよい)
魔力を流す。
──錬成。
素材が変質する。
色が変わる。
質が変わる。
ただの草が、“機能”へと変わる。
解毒のための構造。
それを完成させる。
躊躇なく体内へ取り込む。
変化は即座。
体内の流れが書き換わる。
毒の拡散が止まり、
逆流。
分解。
排除。
わずかな熱が肩を走り、
やがてそれも消える。
(問題なし)
完全に抜けた。
わしは肩から手を離す。
そのとき。
「失礼します!」
エルマが再び現れる。
その後ろ。
もう一つの気配。
静かな足音。
重くはない。
だが──深い。
積み重ねられた時間の密度。
(……ほう)
わしはわずかに目を細める。
(懐かしい……しかも珍しいの)
その姿。
長い耳。
整った顔立ち。
無駄のない所作。
──エルフ。
男の視線が、まっすぐにこちらへ向く。
揺らぎがない。
観察しておる。
値踏みではない。
理解しようとしておる目じゃ。
男は、わずかに目を細めた。
「これは……興味深い」
静かな声。
だがよく通る。
そして、
一歩、前に出る。
「錬金術、ですね」
その言葉に。
わしは、わずかに口元を緩めた。
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