第6話 美味しいのぅ
朝。
淡い光が、木枠の窓の隙間から細く差し込んでいる。
埃をわずかに含んだその光は、室内の空気をゆっくりと照らし出していた。
わしは静かに目を開ける。
しばし、天井を眺める。
古びた木材。だが崩れてはおらん。
泊まった宿の部屋は簡素ながら、思ったよりも悪くはなかった。
(……悪くない夜明けじゃの)
ゆっくりと身体を起こす。
筋肉の動きは滑らか。違和感はない。
軽く顎をさする。
若い肉体。魔力の巡りも安定しておる。
「今日はどんなことが待ち受けておるかの」
小さく呟く。
答える者はおらん。
じゃが、それでよい。
****
宿を出る。
朝の通りはすでに動き始めていた。
行き交う人々。開き始める店。
荷を運ぶ者、声を張る者、静かに歩く者。
生活の音が、街に満ちておる。
空気はわずかに冷たい。
だが、肺に入るそれは澄んでいて心地よい。
(まずは腹を満たすかの)
思考は単純でよい。
身体が資本じゃ。
わしは近くの食事処へと足を運んだ。
****
「いらっしゃい」
店主の声はよく通る。
慣れた響き。無駄がない。
席に腰を下ろす。
木の椅子は少し軋むが、問題はない。
卓上には簡素な布と、磨かれた木の皿。
清潔さは保たれておる。
(ほう……)
軽く視線を巡らせる。
客層は様々じゃ。
労働者、商人、冒険者らしき者。
朝食を手早く済ませ、各々の仕事へ向かうのじゃろう。
わしはメニューに目を通す。
(朝食セット……)
ミルク、香草、パン、スープ。
(バランスは悪くない)
栄養も、効率も問題ない。
「それを一つ」
短く告げる。
「はいよ」
店主はすぐに動いた。
手際が良い。
無駄な動きがない。
ほどなくして料理が運ばれてくる。
湯気が立ち上る。
香ばしい匂いが鼻をくすぐる。
(……ほう)
皿の上。
焼きたてのパン。
温かなスープ。
香草の香り。
わしはパンを手に取る。
指に伝わる柔らかさ。
(……違うな)
昔のものとは明確に異なる。
一口、かじる。
外は軽く、内はしっとりとしておる。
噛むほどに甘みが広がる。
──旨い。
(……五百年前とは、比べものにならん)
スープを口に含む。
出汁が出ておる。
単なる煮込みではない。
(素材、調理、保存)
(すべてが洗練されておる)
食は文明の鏡じゃ。
これほどまでに進化しておるとは。
(……面白い)
「美味いか?」
店主が声をかけてくる。
様子を見ておったのじゃろう。
「うむ」
わしは素直に頷く。
「良い時代じゃの」
店主は少しだけ笑った。
それ以上は何も言わん。
だが、それで十分じゃ。
食事を終え、代金を置く。
無駄なやり取りは不要。
店を出る。
****
ギルド。
扉を押し開けると、朝の活気がそのまま流れ込んでくる。
人の声。椅子の音。依頼のやり取り。
すべてが同時に動いておる。
わしはその中を、迷いなく進む。
掲示板へ。
朝は人が多い。
(Fランクの一角は空いておるな)
自然と視線が流れる。
依頼を順に確認。
討伐。採取。雑務。
条件、報酬、距離。
すべてを瞬時に整理する。
(……これか)
一枚の依頼に目を止める。
地下水路の清掃。
報酬も悪くない。
難度も適正。
(街の中の依頼……ちょうどよい)
情報収集にもなる。
わしは迷わず紙を剥がした。
****
受付へ。
担当は昨日と同じ女。
視線だけがこちらへ向く。
「これを」
依頼書を差し出す。
「承知しました」
淡々とした声。
手続きは迅速。
(無駄がない。よい)
契約成立。
書類が処理される。
「ありがとうの」
「依頼達成の報告をお待ちしております」
「うむ」
それだけで十分じゃ。
****
地下水路。
石造りの階段を下りる。
一歩ごとに、空気が変わる。
ひんやりとした冷気。
湿った匂い。
(……臭うな)
腐敗と水分が混ざった空気。
だが耐えられぬほどではない。
奥へ進む。
内部は暗い。
自然光はほとんど届かん。
わしは軽く魔力を展開する。
視界の補助。
空間把握。
(問題なし)
壁に手を当てる。
表面のざらつき。
付着物の層。
(構成を読む)
水分。油分。微細な有機物。
不要なものだけを選別する。
──分解。
──抽出。
──収集。
魔力を収束。
──凝集。
汚れだけが一点に集まり、黒い塊となって落ちる。
ぽとり、と鈍い音。
(問題なし)
壁はそのまま。
構造も損なわれておらん。
(効率は上々じゃな)
進む。
同じ作業を繰り返す。
分解。
抽出。
凝集。
無駄はない。
手数も最小。
だが確実。
通路は少しずつ清浄になっていく。
湿った空気が、わずかに軽くなる。
(悪くない)
その時。
違和感。
(……?)
わしは足を止める。
こういう感覚は見逃さぬ。
空気の揺らぎ。
魔力の歪み。
(動いておるな)
視線をずらす。
壁の奥。
水路の陰。
わずかな気配。
(魔物か)
魔力を集中する。
解析。
構造把握を試みる。
(……不明瞭じゃな)
通常の生物とは違う。
輪郭が曖昧。
流動的。
(ほう……)
興味が湧く。
未知。
それだけで価値がある。
(面白い)
わしは一歩、踏み出す。
空気がわずかに震える。
その瞬間、影が動いた。
壁を這うように。
水面を滑るように。
素早く。
長い体。
無数の脚。
節ごとに蠢く外殻。
──ムカデ型の魔物。
わしは目を細める。
(なるほど)
確かに見たことがない。
構造も興味深い。
魔力の巡りも独特じゃ。
わずかに口元が歪む。
「……検体といこうかの」
静かに、そう呟いた。
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