第59話 まるで泥中の蓮じゃな
フィオの足元へ視線を落とす。
小さな足。
履いておる靴は、すでに擦り切れ、底も薄い。
長く歩けば、すぐに痛むじゃろう。
「……ごめんね、気づかなくて」
アリアがフィオの前にしゃがみ込む。
視線を合わせ、優しく言う。
「足、痛くなかった?」
「……だいじょうぶ……」
小さく首を振る。
じゃが──無理をしておるのは明らかじゃ。
「よし」
アリアが立ち上がる。
「靴、買いに行きましょう」
「……うん!」
フィオが嬉しそうに頷いた。
****
入ったのは、通り沿いの服飾店じゃ。
木の扉を開けると、布と革の匂いがふわりと広がる。
「いらっしゃい」
店主がこちらを見て言う。
アリアはそのままフィオの手を引き、靴の並ぶ棚へ向かった。
「どれがいいかな……」
「……これ……?」
フィオが指さす。
柔らかい革の、素朴な靴じゃ。
「履いてみよっか」
しゃがみ込み、丁寧に履かせる。
「……どう?」
「……あるきやすい……」
少しだけ、笑う。
「じゃあそれにしようか」
自然な流れじゃな。
ついでに服も見繕っておる。
丈の合う上着、動きやすいズボン。
どれも質は悪くない。
(……ふむ)
わしは店内を見渡す。
布地、縫製、仕立て。
(意匠は随分と洗練されておるな)
無駄がない。
装飾も実用に寄せてある。
五百年前よりも、見た目の完成度は上じゃ。
布そのものの質は、そこそこ。
平民向けとしては上等じゃが、素材の“芯”はまだ甘い。
(技術は進んでおるが、素材の選別は落ちておるの)
まぁ時代相応か。
「ボニフさん?」
「ん?」
「これどうですか?」
アリアが布を掲げる。
「悪くない」
「じゃあこれも買いますね」
即決じゃ。
面倒がなくてよい。
****
会計を済ませ、店を出る。
フィオは新しい靴を履いたまま、何度も足踏みしておる。
「……すごい……」
「よかったね」
アリアが微笑む。
その様子を見て、ドランがぼそりと呟く。
「完全に親子だな」
「違うって言ってるでしょ!!」
即座に否定。
やれやれじゃな。
****
「おう! 誰かと思えば!」
鍛冶屋に入るなり、豪快な声が響く。
ボルジャーじゃ。
「また来やがったな兄ちゃん!」
「うむ」
「ガハハ! いいねぇ!」
視線がドランへ向く。
「……お、でけぇな」
「ドランだ」
「ボルジャーだ」
短い挨拶。
だがすぐに本題へ入る。
「槍、見てくれねぇか」
ドランが差し出す。
ボルジャーはそれを受け取り、軽く振る。
風を切る音。
「……ほう」
目の色が変わる。
「悪くねぇ。だが、芯が少しズレてるな」
石突きを軽く叩く。
「このままだと振り抜きでブレる」
「分かるか」
「当たり前だ」
ニヤリと笑う。
「預かる。叩き直してやる」
「頼む」
即決じゃ。
次に視線がアリアへ。
「嬢ちゃんのは?」
「え、あ……」
短剣を差し出す。
ボルジャーは一瞬だけ見て
「……相変わらず気持ち悪ぃ出来だな」
「褒めてます?」
「褒めてる」
即答じゃ。
「軽く研ぐだけでいい。下手に触るとバランス崩れる」
「お願いします」
「おう」
満足げに頷く。
そしてこちらを見る。
「兄ちゃん、外套ボロいぞ」
「分かるか」
「そりゃな」
笑う。
「替えとけ。見た目も戦力だ」
「……一理あるの」
****
店を出た後。
食材と干し草を買い込む。
肉、野菜、保存食。
最低限じゃが、十分じゃ。
宿へ戻り、馬車を引き取る。
代金を支払う。
「また次も預かってもらうぞ」
「いいよ。気をつけて行きな」
女将が手を振る。
****
屋敷へ戻ると、空気が少し落ち着く。
「ふぅ……」
アリアが息を吐く。
ドランは買ってきた干し草を持ってすぐに厩舎へ向かった。
「馬、見てくる」
「任せる」
わしはフィオを見る。
「薬を飲むぞ」
「……うん……」
用意しておいた薬を渡す。
ゆっくりと飲み干す。
「……にがい……」
「効くから我慢せい」
少しして。
「……こえ……でやすい……」
確かに、昨日より滑らかじゃ。
「順調じゃな」
「さて」
わしが厨房へ向かおうときた時──
「はい!私が作ります!」
アリアが勢いよく手を挙げた。
「ほう?」
「ここまで色々やってもらってばかりですし……任せてください!」
胸を張る。
やる気は十分じゃな。
「……大丈夫か?」
ドランがぼそりと呟く。
「大丈夫です!」
即答。
さらに一歩踏み込む。
「私、ちゃんと一人で冒険者やってましたからね?
料理くらい普通に出来ます!」
自信満々じゃ。
「……そうか」
ドランが視線を逸らす。
不安しかないのはなぜじゃろうな。
****
しばらくして。
厨房から、何やら音が聞こえる。
ガチャガチャ。
ジュウウウ。
──ゴトン。
「……なんか音ヤバくねぇか?」
「気のせいじゃろう」
たぶん。
フィオは椅子に座り、そわそわと足を揺らしておる。
「……たのしみ……」
純粋じゃな。
****
「できました!」
満面の笑みで、アリアが料理を運んでくる。
テーブルに並ぶ皿。
──黒い。
いや、焦げておるわけではない。
色味が、妙に暗い。
煮込みらしきものは紫がかっておるし、焼き物はなぜか光沢がおかしい。
「……なんだこれ」
ドランが素直な感想を漏らす。
「ちゃんと料理ですよ!?」
「見れば分かる」
問題はそこではない。
「さ、食べてください!」
キラキラした目。
逃げ場はない。
「……いただきます」
アリアが自分で一口食べる。
「うん、美味しいです!」
迷いがない。
ドランが覚悟を決めて口に運ぶ。
「……」
沈黙。
「どうですか?」
「……美味い」
「でしょ!?」
勝ち誇った顔じゃ。
わしも一口。
──確かに、美味い。
味付け自体は良い。
むしろしっかりしておる。
じゃが──
(見た目が壊滅的じゃな)
なぜこうなった。
「……なんでこの色になるんだよ」
「え? 普通に焼いて煮ただけですよ?」
「普通とは」
概念が違うらしい。
フィオが恐る恐る口に運ぶ。
「……おいしい……」
にこっと笑う。
問題はなさそうじゃな。
「ほら!ちゃんと美味しいじゃないですか!」
アリアが腕を組んで胸を張る。
「見た目に惑わされすぎですよ!」
「いや惑わされるだろ普通は」
ドランが真顔で返す。
「味が全てです!」
「極論だな……」
ドランが呆れたように呟く。
わしはもう一口、料理を口に運ぶ。
(……妙じゃな)
見た目はどう考えても失敗作。
火の通し方も、混ぜ方も、常識から外れておる。
(なぜ、これで味が成立しておる?)
舌の上で転がす。
塩味、旨味、香り。
どれも破綻しておらん。
むしろ、妙に整っておる。
(工程と結果が一致しておらん……理屈が通らんの)
未知じゃ。
理に合わぬ現象。
じゃが確かに“成立している”。
(……面白い)
久方ぶりに、知識欲が刺激される。
この矛盾。
解き明かしてみたくなるのう。
フィオはくすくすと笑っておる。
****
──その夜。
静まり返った屋敷。
わしは一人、厨房に立っておった。
「……さて」
卓の上には、昼の残りの食材。
(再現じゃ)
まずは見た目。
あの壊滅的な外見。
黒ずみ、崩れ、濁り。
手順をなぞる。
火加減を調整する。
混ぜる。
崩す。
「……うむ」
皿の上。
見事に“同じ”じゃ。
(完璧じゃな)
一口、運ぶ。
──咀嚼。
──嚥下。
「……不味い」
即断。
もう一口。
「……不味いのぅ」
首をひねる。
(ならば味からじゃ)
塩を足す。
火を入れ直す。
香りを整える。
バランスを取る。
数分。
「……よし」
再び口へ。
──咀嚼。
「……うむ、美味い」
頷く。
が。
視線を落とす。
「……見た目が良くなっておる」
さっきまでの惨状が消え、
“普通に美味そうな料理”になっておる。
沈黙。
数秒。
「……何故じゃ?」
ぽつりと呟く。
もう一度、皿を見る。
美味い。
見た目も良い。
じゃが──
「違う」
あれではない。
あの“矛盾”ではない。
見た目は壊滅的。
味は極上。
そのはずじゃ。
「……もう一度じゃ」
鍋に手を伸ばす。
しばらくして──
「……不味い」
「……見た目が良い」
「……何故じゃ!?」
静かな屋敷に、小さな声が響いた。
****
翌日。
フィオの治療。
屋敷の掃除。
ドランの鍛錬。
静かな時間が流れる。
そして再びラグナールへ。
ここまでお読みいただきありがとうございます。
よろしければブックマーク・評価をいただけると励みになります。




