第57話 寝耳に水が入ったようじゃ
術式解除を終えた地下工房には、しばし静寂が流れておった。
フィオはアリアに抱かれたまま、喉を押さえて小さく息をしておる。
痛みはまだ残っておるじゃろうが
「……あ……り……あ……」
その声は、確かに“言葉”になっておった。
アリアは涙を拭いながら、優しく微笑む。
「無理しないでね。喉、まだ痛いでしょ?」
「……う、ん……」
フィオはこくりと頷き、アリアの胸に顔を埋めた。
(よしよし)
わしは軽く息を吐く。
「喋れるようになったとはいえ、まだ無理は禁物じゃ。
魔力の流れが安定するまで、一日は休ませた方がよい」
「そうですね……」
アリアはフィオの背を撫でながら頷く。
ドランは腕を組み、深く息を吐いた。
「しかし……よくこんなもん仕込んでやがったな」
机の上の布に包まれた“発信機”を睨む。
「胸糞悪ぃにもほどがあるぜ」
「まったくじゃ」
わしは苦笑しつつも、心の底では同意しておった。
フィオはアリアの袖を掴んだまま、こちらを見上げる。
「……あ……の……」
「ん?」
「……あ……り……が……と……」
その言葉に、わしは思わず目を細めた。
「礼はよい。おぬしが無事ならそれでよい」
フィオは照れたように俯き、アリアの腕にぎゅっとしがみついた。
****
地上階に戻ると、空気が一気に変わった。
「……うわ、埃っぽ……」
アリアが鼻を押さえる。
五百年放置された屋敷は、当然ながら埃だらけじゃ。
ドランはくしゃみをしながら辺りを見回す。
「こりゃ……寝る場所くらい掃除しねぇと無理だな……」
「そうですね……寝室だけでも掃除しましょう!」
アリアがきっぱりと言う。
「……おてつだい……する……!」
フィオが小さな手を挙げた。
「よし、じゃあ俺も……」
ドランが渋々頷く。
わしはというと──
「では、わしは薬を作るとするかの」
フィオの喉を休ませるための薬。
そしてエルフの国へ向かう準備もある。
掃除は三人に任せ、わしは再度地下へ戻った。
素材を分解し、抽出し、結合し、錬成する。
淡い光が薬瓶に満ちていく。
(よし、これで喉の回復も早まるじゃろう)
ついでに、三人の寝室の布団を錬金術で整える。
(布団くらいは整えてやらんと休めんじゃろうしな)
埃を分解し、繊維を再構成し、魔力でふわりと膨らませる。
「……ふむ、これでよい」
****
地上に戻り二階に上がると、それぞれの部屋で掃除が行われておった。
「……ふぅ……」
アリアが額の汗を拭う。
その横にはフィオも手伝っておる。
ドランは腰に手を当てて蹲っておるが……
「アリア」
わしが声をかけると、アリアが振り返った。
「ボニフさんどうしたんですか?」
「寝る時はこれを使うとよいぞ」
わしが布団を渡す。
フィオが布団に触れ、目を丸くする。
「ふわふわ……!」
「なんだこれ……高級宿でも見たことねぇ……」
ドランも驚いておる。
フィオは布団に頬をすり寄せ、幸せそうに笑った。
(まぁ、寝具は大事じゃからな)
わしは淡々と作業を続ける。
「さて」
掃除が終わり、わしは立ち上がる。
「問題がひとつある」
「問題?」
アリアが首を傾げる。
「食材がない」
「あっ……」
アリアが固まる。
「馬の餌もないぞ」
ドランが厩舎を覗きながら言う。
「うむ」
わしは頷く。
「となれば――」
「ラグナールに戻るしかないですね」
アリアが言った。
「補給して、馬を預けて……」
「ギルドマスターにも会うんだろ?」
ドランが腕を組む。
「エルフの国のこと、聞いといた方がいいだろ」
「うむ。あやつなら何か知っておるじゃろう」
わしは頷いた。
「では、明日出るとするかの」
「今日の飯は!?」
ドランが叫ぶ。
「今日はもう遅い……買い出しは明日じゃ」
わしも深いため息をつく。
「今日も野営用の干し肉じゃな……」
「仕方ないですね……」
「そんな!」
ドランはがっくりと項垂れた。
フィオはアリアの袖をひっぱる。
「……あ……の……」
「ん?」
「……ら……ぐ……な……る……?」
「ラグナールの街のことよ。前にいた場所」
「……い……き……た……い……」
フィオが小さく言う。
アリアは優しく笑った。
「じゃあ、一緒に行こうね」
「……う、ん……!」
フィオは嬉しそうに笑った。
その笑顔は、喋れなかった頃とはまるで違う。
(やれやれ)
わしは肩をすくめる。
「では今日は休むぞ。明日は早い」
「はい!」
アリアとフィオが声を揃える。
ドランは腰を押さえながらため息をついた。
「まともな飯が食えねぇなら……寝る……」
そんなやり取りをしながら、
わしらは久しぶりの“安全な夜”を迎えた。
****
翌朝。
屋敷を出る前、わしは結界の外を確認した。
「……ふむ」
地面に、黒衣の男が三人ほど倒れておった。
「なんだこれ……」
ドランが眉をひそめる。
「結界に触れたんじゃろう」
わしは淡々と言う。
「エルフ式の結界は、侵入者を拒む。
無理に突破しようとすれば──こうなる」
「……怖……」
アリアが小さく呟く。
「安心せい。わしらには害はない」
わしは男たちを軽く確認し、
魔力の糸を断ち切って意識を奪った。
「さて、行くぞ」
手綱を握り、馬車に乗り込む。
アリアとフィオが後ろに座り、
ドランが槍を抱えて乗り込む。
馬車が動き出し、森を抜けたその時。
「……あ……の……」
フィオがアリアの袖を引いた。
「どうしたの?」
「……お……か……あ……さ……ん……」
「…………え?」
アリアが固まる。
ドランもわしも、同時に振り返った。
「おいアリア……いつの間に子どもなんて……?」
「ち、ちがっ……!ちがいます!!」
アリアの顔が一瞬で真っ赤になる。
わしは真顔で言った。
「おぬし、結婚しておったのか?」
「してません!!!!
してませんから!!!!
なんでそうなるんですか!!」
「いや、子がおるなら普通は結婚しておるじゃろう?」
「違います!! 違いますから!!」
フィオは満面の笑みで追撃する。
「……おかあさん……!」
「違うの!! 違うから!!」
ドランがぼそりと呟く。
「いやでも本人が言ってるし……」
「違うって言ってるでしょおおおお!!」
アリアの悲鳴が馬車に響き、
フィオは嬉しそうに笑った。
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