第55話 わしの家じゃぞ?
森の奥。
人の気配など、とっくに消えておる。
鳥の声すら遠い。
風が木々を揺らす音だけが、静かに響いていた。
「……本当に、この先にあるんですか?」
アリアが小声で言う。
その声も、どこか遠慮がちじゃ。
「あると言うとるじゃろう」
わしは前を見たまま答える。
木々の間を縫うように進む細い道。
道と呼ぶのも怪しいほどじゃが、間違いない。
五百年前、何度も通った道じゃ。
「いや、なんつーかよ……」
ドランが周囲を見回しながら言う。
「こんなとこに住むやつ、普通いねぇだろ」
「普通ではないからの」
わしは即答した。
「納得しちまったよ……」
ドランがため息をつく。
その時、フィオが、ぴたりと足を止めた。
「……?」
アリアもそれに気づき、足を止める。
「フィオ?」
フィオは前方をじっと見つめておる。
そして、わずかに身を寄せてきた。
アリアの袖を、きゅっと掴む。
「……怖い?」
アリアが優しく問いかける。
フィオは少しだけ迷うような表情を見せ小さく、頷いた。
(感じ取ったか)
無理もない。
この先には“ある”。
見えぬ壁がな。
「問題ない」
わしは足を止めずに言う。
「わしの結界じゃ」
「結界……?」
「侵入を拒むものじゃな。
何も知らずに入ろうとすれば」
一拍。
「迷うか、弾かれるか、最悪は壊れる」
「壊れる!?」
ドランが素っ頓狂な声を上げた。
「人がか?」
「さてな」
わしは肩をすくめる。
「試したことはない」
「試すなよ!?」
「試さんでも分かるじゃろう」
アリアが呆れたように額を押さえた。
フィオはというと、アリアにくっついたまま、
わしと前方を交互に見ておる。
「安心せい」
わしは立ち止まり、振り返った。
「わしが通す」
そう言って、一歩前に出る。
空間に手をかざす。
何もない。
(ある)
魔力の流れが、そこに“壁”として存在しておる。
五百年前に張ったものじゃが、
我ながらよく保っとる。
「少し下がっておれ」
わしは軽く手を振る。
三人が一歩引く。
わしは指を鳴らした。
──ぱちん。
その瞬間。
空間が、歪んだ。
「うわっ……!?」
ドランが声を上げる。
目には見えんはずの“壁”が、
波紋のように揺らいだのじゃ。
すっと、裂ける。
道が、現れる。
「行くぞ」
わしは何事もなかったかのように歩き出す。
「ちょ、ちょっと待ってください!」
アリアが慌てて追いかける。
フィオもそのまま手を引かれ、ついてくる。
ドランは最後に一度だけ後ろを振り返り、
「……なんか、戻れなくなりそうなんだが」
「気のせいじゃ」
「絶対気のせいじゃねぇだろ!」
そんなやりとりをしながら
結界の内側へと足を踏み入れる。
****
数歩。
それだけ進んだところで景色が、変わった。
「……え?」
アリアが息を呑む。
ドランも言葉を失った。
フィオは目を見開いておる。
森の奥。
人の気配などないはずの場所。
そこに──
「なんだ……これ……」
ドランが呟く。
視界の先。
木々の合間に現れたのは屋敷。
それも、
「でかすぎません……?」
アリアが呆然と呟くほどの規模じゃ。
貴族の屋敷と見紛うほど。
いや、下手をすればそれ以上か。
森の中に、ぽつんと存在するには
あまりにも不釣り合いな建造物。
「……まぁ、こんなものかの」
わしは軽く言った。
「こんなものじゃねぇだろ!!」
ドランのツッコミが響く。
ふむ。
相変わらず良い反応じゃな。
「……本当に住んでたのか、ここ」
ドランが半ば呆れたように言う。
「住んでおった」
わしは即答する。
「というか、ほとんどここにおったからの」
屋敷へと歩み寄る。
外観は古びておらん。
風雨に晒されてきたはずじゃが、壁にはひび一つない。
結界と錬金術の保護。
長い年月を経ても、なお現役じゃ。
「厩舎もあるぞぃ」
わしが横を指すと、
ドランがすぐに反応した。
「お、馬も入れられるのか?」
「使った記憶はほとんどないがの」
扉を開く。
ギィ、と重い音が鳴る。
中へ一歩踏み入れると──空気が変わった。
「……埃っぽいですね」
アリアが小さく呟く。
「掃除はしておらんからの」
「いや、してないのは分かりますけど……」
視線を動かす。
ロビーは広い。
無駄に広い。
装飾もそれなりにあるが、どこか放置されたままの空気が漂っておる。
「部屋は?」
「二階に七、八ほどある」
「多いな!」
ドランが思わず声を上げた。
「昔はそれなりに人を呼んでおったからの」
「それなりにってレベルじゃないと思うんですが……」
アリアが呆れる。
わしは肩をすくめる。
「今はわし一人じゃからな」
ドランが苦笑した。
「そりゃ埃も溜まるわけだ」
ふと、フィオの様子を見る。
じっと周囲を見回しておる。
しかし怯えはない。
むしろ、落ち着いておる。
(……感じておるな)
ここが“安全な場所”だと。
「奥に書斎がある」
わしは歩き出す。
三人がついてくる。
廊下を進むと、書棚が見えてくる。
本。
また本。
壁一面どころではない。
床から天井まで、隙間なく本が詰まっておる。
「……図書館かよ」
ドランが呟いた。
「似たようなものじゃな」
わしは軽く答える。
「これ全部……読んだんですか?」
アリアが信じられないといった顔をする。
「大体はの」
「……人間辞めてません?」
「今さらじゃろう」
ふっと笑い、
本棚の前を通り過ぎる。
書斎の奥。
そこに一つ、違和感がある。
「……ここですか?」
アリアが気づく。
床の一部。
ほんのわずかに、魔力の流れが違う。
「よく気づいたの」
わしは小さく頷く。
「ここが入り口じゃ」
ドランが眉をひそめる。
「見た感じ普通だが……」
「普通に見せておるからの」
わしは手をかざす。
静かに、魔力を流す。
すると床に刻まれた術式が浮かび上がる。
光の線が走り、幾何学的な模様を描く。
「……っ」
アリアが息を呑む。
フィオは、じっとそれを見つめておる。
そしてなぜか、わずかに微笑んだ。
「開くぞぃ」
わしが告げると同時に、
床が、音もなく開いた。
階段。
地下へと続く、深い階段。
「……地下か」
ドランが息を呑む。
「うむ」
わしは階段を見下ろす。
空気が、変わる。
上とは違う。
澄んでいる。
そして魔力が濃い。
「ここから先が“本体”じゃ」
わしは一歩、踏み出した。
「降りるぞぃ」
アリアとドランが顔を見合わせ、
フィオは少しだけ不安そうにしながらも、
アリアの手を握り、ついてきた。
****
階段を下りきると、
そこは別世界だった。
「……は?」
ドランが声を漏らす。
広い。
地下とは思えんほど広い空間。
整然と並ぶ棚。
ガラス容器に収められた素材。
色とりどりの液体。
見たこともない鉱石。
そして中央には、錬金釜。
「……なんだこれ」
ドランが呟く。
「見たままじゃ」
わしは軽く言った。
アリアがゆっくりと歩き出す。
棚を覗き込み──固まった。
「……これ……」
震える声。
「見たこと……ありません……」
「今は出回っとらんのじゃろうな」
ドランが呆然とする。
「これなんてドラゴンの爪じゃねぇか?
伝説級の素材だぞ……」
「さて」
わしは腕を組む。
「ここからが本番じゃ」
全員に向き直る。
「その喋れん術式」
わしはフィオを見る。
「解除してやろう」
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