第2話 少し、ズレておるかのぅ
「……立てるかの」
地面に尻もちをついたままの少女に、わしは手を差し出す。
まだ土の上に広がる血の匂いが残っておる。
さきほど弾けた魔物の残滓じゃ。
「は、はい……」
少女──いや、先ほどの声からして女性じゃな──は、おずおずと手を取った。
指先がわずかに震えておる。
力を込めて引き上げると、ようやく立ち上がった。
だが──
その視線は、未だにわしから離れん。
驚愕と困惑と、そしてわずかな恐怖。
まあ、無理もないかの。
目の前で魔物が内側から弾け飛んだのじゃ。
理解が追いつかぬのも当然じゃろう。
「で、人里まで案内してもらえるかの」
わしは何事もなかったかのように言う。
「え? あ、はい……助けていただきましたし」
少し迷うような間を置きつつも、
少女は小さく頷いた。
「助かるの」
軽く礼を言い、歩き出す。
少女も慌てて後を追ってきた。
しばらく無言が続く。
森の中に、足音だけが響く。
葉擦れの音。
遠くで鳴く鳥の声。
その合間にちら、ちら、と視線を感じる。
横を見ると、少女がこちらを窺っておる。
何度も何度も。
言いたいことはあるが、言い出せない。
そんな様子じゃ。
やがて。
「あ、あの……!」
意を決したように、少女が声を上げた。
「お名前、聞いてもいいですか?」
「名前か」
そういえば、名乗っておらなんだな。
この時代で通じるかはさておき──
「ボニファティウス・フォン・エーベルバッハじゃ」
「えっ……長いですね……」
少女が素直な感想を漏らす。
「そうかの。昔は普通じゃったが」
「む、昔は……?」
怪訝そうな顔をする。
まあ、その反応が普通じゃろう。
「好きに呼べばよい。ボニフで構わん」
「あ、じゃあ……ボニフさんで」
「うむ」
少女はほっとしたように頷いた。
距離が、ほんの少し縮まる。
「私はアリアです。一応、冒険者やってます」
「ほう、アリアか」
名を反芻する。
「よろしく頼むの」
「は、はい!」
どこか緊張した声。
まだ完全には警戒が解けておらんようじゃな。
****
歩きながら、改めて観察する。
革鎧。
使い込まれてはいるが、質はそれほど高くない。
腰の短剣も、標準的なもの。
特別な加工は見られん。
動きは未熟。
足運びに無駄がある。
じゃが。
(魔力はそれなりじゃな)
量自体は悪くない。
ただし、扱いが粗い。
流れの制御が甘い。
「冒険者かの」
「はい。一応……Dランクですけど」
「ほう」
先ほどの魔物を思い出す。
あの程度の個体。
「では、あれがBランクというのは正しいのか」
「はい……この辺りではかなり危険な魔物です」
「ふむ」
やはり妙じゃな。
わしの知る基準とは、大きく乖離しておる。
「……あの」
「なんじゃ」
少し間を置いて、アリアが口を開く。
「さっきの、何だったんですか?」
恐る恐る、といった声音じゃ。
「どれじゃ」
「その……一瞬で魔物が爆発したやつです」
「ああ」
あれか。
「内部に干渉して、放出しただけじゃ」
「……はい?」
完全に理解しておらんな。
目が泳いでおる。
「空気中の成分を分離しての、
そこに魔力で圧をかけてやると──」
「えっと、それって……魔法ですよね?」
「違うの」
即答する。
「錬金術じゃ」
「れんきん……?」
アリアは首を傾げた。
眉を寄せ、記憶を探るような仕草。
……本当に知らんようじゃな。
「知らぬか」
「すみません、聞いたことなくて……」
わしは足を止めた。
錬金術を知らぬ?
そんなことがあり得るのか。
三百年前ですら、基礎体系として存在していたはずじゃ。
いや。
「……早計か」
小さく首を振る。
断定するには材料が足りん。
「まあよい」
足元に転がる小石を拾う。
「見ておれ」
軽く握る。
構造を把握。
粒子の配置を認識。
再配置。
再構成。
ほんの一瞬。
次の瞬間──
石は、音もなく形を変えた。
丸い塊だったそれが、
薄く均一な板へと変化する。
「えっ……!?」
アリアが声を上げる。
目を見開き、息を呑む。
「この程度、児戯じゃ」
わしはそれを軽く放り投げ、再び歩き出す。
「い、今の……どうやって……」
「だから錬金術じゃと言うておろう」
納得しておらん顔じゃな。
だが、それでよい。
いずれ理解するじゃろう。
再び歩を進める。
周囲の気配を探る。
魔力の流れ。
風の動き。
地面の状態。
(やはりおかしい)
違和感が拭えん。
魔力濃度が高い。
魔物の質も違う。
それだけではない。
「道が整っておるの」
「え?」
アリアがきょとんとする。
「いや、こちらの話じゃ」
本来、この辺りはもっと荒れていたはずじゃ。
人の手が入りすぎておる。
整備されている。
意図的に。
(……時代が、進みすぎておるか?)
あるいは──
「……まあよい」
今は判断材料が足りん。
****
しばらく進むと、森が開けた。
視界が一気に広がる。
「……ほう」
石造りの壁。
それも、かなりの規模じゃ。
「あれがラグナールです」
「ラグナール……?」
聞き覚えがない。
「辺境の街です」
「村ではないのか」
「はい? 街ですけど……?」
アリアが不思議そうな顔をする。
「ふむ」
記憶と一致せん。
「では、この近辺に“グランツ村”はあるかの」
「グランツ? 聞いたことないです」
迷いのない否定。
ようやく、確信に至る。
「今は、何年じゃ」
「年、ですか?」
「なんでもよい。今の暦じゃ」
「王暦で……一二五三年です」
「……」
思考が、一瞬止まる。
計算。
照合。
差異。
「……なるほどの」
静かに息を吐く。
「少々、やり過ぎたらしい」
「え?」
「気にするでない」
口元が、わずかに歪む。
「──五百年、か」
「何か言いました?」
「こっちの話じゃ」
アリアは首を傾げておる。
当然じゃな。
すべてを話す必要もない。
門の前に到着する。
人の出入り。
荷馬車の列。
活気のある街じゃ。
「アリアか。よし、いいぞ」
衛兵が軽く手を上げる。
顔見知りのようじゃな。
アリアは金属の板を見せた。
(あれが身分証か)
「止まれ。身分証は?」
衛兵がこちらを見る。
「持っておらん」
「……は?」
露骨に眉をひそめる。
「初めて来たものでな」
「それは理由にならん。身分証がなければ通せない」
「ほう」
わしは少し考える。
合理的な仕組みじゃ。
管理の効率としては悪くない。
「では、その身分証とやらはどうすれば手に入る」
「……知らないのか?」
「知らんの」
衛兵の目が細くなる。
「普通はギルドか教会で発行してもらうもんだ」
「なるほどの」
筋は通っておる。
「……あの」
アリアが小声で割り込む。
「ボニフさん、冒険者ギルドで登録すれば、そのまま身分証になりますよ」
「ほう」
それは効率が良い。
「仕事もありますし、お金も稼げます」
「合理的じゃ」
「え?」
「都合が良いと言うておる」
「……だが今は通せない」
衛兵が遮る。
「ふむ」
少し面倒じゃな。
突破は容易いが。
(無用な騒ぎは避けるべきか)
「……あの、これで」
アリアが小銭を差し出す。
「入場料です。臨時で通してもらえるので」
「……次からはちゃんとしろよ」
衛兵は渋々受け取った。
****
門をくぐる。
瞬間、空気が変わる。
人の声。
商人の呼び込み。
金属音。
雑多で、活気に満ちた空間。
「すまんの」
「い、いえ! 助けてもらいましたし!」
アリアが慌てて首を振る。
「しかし」
わしは周囲を見渡す。
「身分証、か」
実に興味深い。
社会構造が整理されておる。
五百年前よりも、明確に。
「のう、アリア」
「はい?」
「その冒険者とやら、どこで登録する」
「え? ギルドですけど……あっちです」
指差された先。
大きな建物。
人の出入りが激しい。
「よい」
わしは歩き出す。
新しい世界。
新しい常識。
「まずは、この世界の仕組みを把握するとしようかの」
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