第17話 捕まえたぞぃ
「……なんだ?」
男が眉をひそめる。
わずかな違和感。
だが、それは確かに“異常”。
さっきまでの余裕が、ほんの少しだけ崩れる。
気づいたか。
わしは、一歩踏み出す。
靴底が石を踏む音が、やけに大きく響いた。
「っ……?」
男の肩が、わずかに揺れる。
踏み込もうとした脚が──鈍る。
「おい……?」
もう一歩。
踏み込もうとして──止まる。
止まってしまう。
「なんだ、これ……」
腕を振る。
払うように。
振り切るように。
だが何かに引かれる。
目には見えん。
だが確かに、そこにある。
絡みつく感触。
粘りつく抵抗。
「……っ、クソが!」
力任せに振り払おうとする。
筋肉が軋む。
力を込める。
その動きに応じて。
さらに、絡む。
締まる。
増える。
脚。
腕。
胴。
見えぬ糸が、じわじわと食い込んでいく。
「なんだよこれ……!」
初めて。
明確な焦りが滲んだ。
声が荒い。
呼吸が乱れる。
わしは、ゆっくりと歩み寄る。
急ぐ必要はない。
もう──終わっておる。
「ようやく気づいたか」
「てめぇ……何しやがった……!」
「なに、大したことではない」
一歩。
距離を詰める。
逃げ場は、もうない。
「触れて、繋いだだけじゃ」
「は……?」
理解が追いついておらん顔。
当然じゃな。
見えぬものは、理解しづらい。
「布はな」
わしは、自分の肩へ視線を落とす。
外套。
すでに原形はない。
細く裂け、繊維へと変わっておる。
「意外と、便利なんじゃよ」
指を、わずかに動かす。
それだけで──ぎし、と音が鳴る。
「っ……!」
男の身体が、びくりと止まる。
完全な停止。
動けば動くほど締まる。
抗えば抗うほど食い込む。
逃げるという選択肢は、とうに消えておる。
「速さに任せて動き回るからじゃ」
目の前に立つ。
至近距離。
逃げ場ゼロ。
「絡め取るのは、容易い」
「ふざけ……んな……!」
必死にもがく。
筋肉が膨れ上がる。
力任せに引きちぎろうとする。
じゃが──千切れん。
崩れん。
むしろ、さらに締まる。
皮膚に食い込み、呼吸すら浅くなる。
遅い。
もう遅い。
短剣を抜く。
静かな金属音。
それだけで、終わりが決まる。
「さて」
構える。
無駄のない動き。
「少しは頭を使うんじゃな」
一閃。
最短。
最速。
無抵抗。
刃が、通る。
骨も、肉も、何の抵抗もなく。
男の動きが止まる。
一瞬の静止。
そして崩れ落ちた。
音を立てて。
完全に。
沈黙。
****
わしは刃を軽く振る。
血を払う。
赤が石に散る。
それすら、すぐに静まる。
「……やれやれ」
小さく息を吐く。
肩の力が抜ける。
張り詰めていた空気が、ようやく緩む。
静かじゃ。
先ほどまでの殺気が、嘘のように消えておる。
(……終わり、か)
耳を澄ます。
気配を探る。
あの仮面の男の方──。
転移した個体の残滓はない。
追撃もない。
増援も、来ぬ。
(ひとまず安全じゃな)
わしは踵を返す。
歩みはゆっくりと。
戦闘の緊張を、少しずつ解いていく。
倒れたままのアリアへと歩み寄る。
「無事かの」
膝をつく。
顔を覗き込む。
呼吸。
規則的。
脈。
安定。
外傷なし。
(ただの気絶じゃな)
わずかに安堵する。
胸の奥の緊張が、静かにほどける。
指先に魔力を集める。
そっと流す。
乱れた流れを整える。
優しく。
刺激せぬように。
少しずつ。
「……これでよかろう」
流れが整う。
問題なし。
わしは腕を差し入れ、抱え上げる。
軽い。
驚くほどに。
(軽いのぅ)
戦闘の余韻の中で、その軽さがやけに現実的じゃ。
「……ん……」
かすかな声。
まぶたが、わずかに揺れる。
「ボニフさん……」
「なんじゃ? 起きたか?」
返答はない。
意識は浅いまま。
(寝言か)
小さく息を吐く。
問題ない。
急ぐ必要もない。
危険は、去った。
「とりあえず帰るとするかの」
静まり返った遺跡。
崩れた石。
残る戦いの痕。
その中を、わしは一歩ずつ進む。
足音だけが、響く。
ゆっくりと。
確かに。
戦いの終わりを告げるように。
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