第16話 ちと、拙いかの?
ローブの男が、舌舐めずりをしてニヤリと笑った。
舌が歯をなぞる音が、やけに耳につく。
「いくぞ?」
言葉と同時。
間合いが消える。
踏み込みの予備動作が、ない。
気配が跳ねた瞬間には、すでに目の前。
──速い。
(……良い脚じゃな)
視認はできる。
だが、“余裕”はない。
横薙ぎ。
軌道は低い。
胴を狙う、刈り取り。
受けん。
刃を合わせず、滑らせる。
角度だけをずらし──流す。
金属が擦れる。
火花が散る。
そのまま一歩、引く。
距離を作る。
「おいおい、逃げてばっかか?」
笑いながら、再び踏み込んでくる。
間髪入れぬ連撃。
一。
右上からの斬り下ろし。
二。
返す刃で横薙ぎ。
三。
踏み替え、突き。
速い。
連続して、淀みがない。
じゃが──全て、紙一重で躱す。
最小限。
必要最低限の動きだけで。
じゃが、その代償に距離が、詰まる。
(……やはり速いの)
踏み込みの強さ。
重心移動。
無駄がない。
純粋な身体能力は、あちらが上。
真正面から受ければ、押し切られる。
「どうした? さっきの威勢はよぉ」
刃が頬を掠める。
皮膚が裂ける感覚。
遅れて、熱。
血が一筋、流れる。
「ほれ、当たったぞ?」
「浅いの」
短く返す。
その瞬間。
わしの袖が、かすめた。
ほんの一瞬。
触れたかどうかの接触。
「……?」
男の眉が、わずかに動く。
違和感。
しかし、確信には至らぬ。
すぐに笑みに戻る。
「なんだ今の。反撃のつもりか?」
踏み込み。
再加速。
床を蹴る音が連続する。
乾いた石が鳴る。
次の斬撃。
縦。
速い。
しかし──単調。
読みやすい。
わしは体を捻り、躱す。
そのまま──体勢を崩す“フリ”。
重心を流す。
隙を見せる。
誘う。
男の目が、わずかに光る。
食いついた。
その瞬間。
肩に、触れる。
軽く。
擦るだけ。
「チッ……!」
舌打ち。
男の反応が早い。
「ちょろちょろしやがって!」
追撃。
今度は踏み込みが荒い。
力任せ。
だが速度は落ちぬ。
床を蹴る音が、重なる。
連続。
圧。
押し潰すような攻め。
速い。
わしは後退する。
一歩。
二歩。
三歩。
足運びは軽く。
だが、確実に押されておる。
「逃げてるだけじゃねぇか!」
嘲笑。
唾が飛ぶ。
その通りじゃな。
今は、それでいい。
壁際。
背後に石。
逃げ場が消える。
振り下ろし。
力を乗せた一撃。
直撃すれば終わり。
半身で避ける。
刃が空を裂く。
風圧が頬を叩く。
同時に──壁に手をつく。
石の感触。
冷たさ。
ざらつき。
(……よし)
位置は、十分。
「終わりだ」
男が笑う。
歯を剥く。
勝ちを確信した顔。
大振り。
振り下ろし──
わしは踏み込む。
前へ。
懐へ。
死地へ入る。
刃の内側。
最も危険で、最も安全な場所。
一閃。
最短距離。
無駄のない斬撃。
浅い。
じゃが──確実に斬った。
手応え。
「……チッ」
男の顔が歪む。
怒り。
苛立ち。
「しつけぇな!」
次の瞬間。
蹴り。
腹部へ。
重い。
衝撃。
わしの体が弾かれる。
床を滑る。
距離が開く。
呼吸を整える。
乱れてはおらん。
問題ない。
「……なんだ、やりゃできるじゃねぇか」
男は口元を歪める。
楽しんでおる。
獲物が抵抗することを。
「でもよぉ──」
一歩。
踏み込む。
圧が増す。
空気が重くなる。
「期待外れだな」
──消える。
視界から。
完全に。
(……来る)
予測。
位置。
首元。
そこへ──刃。
横から。
わしは、かろうじて躱す。
遅い。
紙一重。
風が頬を裂く。
血が飛ぶ。
「ほらほらどうした!」
連撃。
速さが、さらに上がる。
今までで最速。
防戦一方。
受けない。
避ける。
流す。
距離を取る。
逃げる。
走る。
足音が響く。
石が鳴る。
空気が裂ける。
「はは! いいねぇ、その顔!」
男が笑う。
完全に、遊んでおる。
狩りを楽しんでおる。
(……十分じゃな)
わしは、足を止める。
ぴたりと。
動きを切る。
「ん?」
男が首を傾げる。
予想外。
違和感。
その一瞬。
わしは小さく息を吐いた。
整える。
切り替える。
「……まぁ、こんなものかの」
「は?」
意味が届く前に。
空気が、変わる。
逃げていた側の気配が──消える。
代わりに。
静かな圧が、満ちる。
わしは、再び構えた。
今度は受ける側ではない。
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