第10話 ありがたく頂戴するかのぅ
「──おっと、忘れるところでした」
密談を終えた直後。
ゼノスが、軽く手を打った。
乾いた音が、静まり返っていた室内に小さく響く。
「ボニフ殿、清掃の完了登録と報酬の受け渡しがまだでしたね!」
先ほどまで張り詰めていた空気が、
その一言で、嘘のようにほどける。
緊張と緩和。
切り替えが早い。
わしは小さく肩をすくめた。
「……その程度のことなら、先に言わんか」
「ハハハ、つい話に夢中になりまして!」
ゼノスは悪びれもせず笑う。
だがその目は、きちんとこちらを見ておる。
(抜けておるようで、抜けておらん)
意図的か、素か。
判断は保留じゃな。
「では参りましょう」
促され、席を立つ。
再び扉を抜け、喧騒のあるロビーへ戻る。
ギルドの空気が、一気に押し寄せる。
酒の匂い。
笑い声。
椅子を引く音。
さきほどまでの静寂が、別世界のようじゃ。
受付では、ミレイが淡々と書類を捌いていた。
視線を落とし、ペンを走らせる。
動きに一切の無駄がない。
「ギルマス、直々に御用ですか」
顔を上げずに言う。
声色は一定。
ゼノスが口を開いた瞬間。
ほんのわずかに、空気が引き締まる。
「ボニフ殿の清掃依頼の完了処理、及び──」
指を一本立てる。
わずかな間。
「Aランク変異種の討伐特別報酬の計上。それから……冒険者証をDランクへ更新してくれ」
──ペンが止まった。
紙の上で、ぴたりと。
ミレイの視線が、ゆっくりと上がる。
そして、わしへ向く。
感情は薄い。
だが、確かに測っておる。
「……Dランク。登録二日目ですが?」
短い確認。
否定ではない。
規定との照合じゃな。
ゼノスは柔らかくミレイを見る。
言葉は足さない。
だが、それで十分らしい。
ミレイは一瞬だけ沈黙し──
「……いえ。規定に基づき、処理します」
再び視線を落とす。
ペンが動く。
さらさらと、昇格の記録が刻まれていく。
(合理的じゃ)
無駄な問答がない。
この場の権限構造も、よく機能しておる。
やがて。
カウンターの上に袋が置かれる。
重い音。
ジャラリ。
中で硬貨が触れ合う、鈍い響き。
「……多くないかの? 掃除の相場は銀貨数枚のはずじゃが」
わしの言葉に、ゼノスは愉快そうに笑った。
「ハハハ! Aランク変異種を仕留めてその言い草は、他の冒険者が泣きますよ」
軽く袋を叩く。
中身が揺れる。
「これは正当な“特別報酬”です。遠慮なく」
わしは袋を持ち上げる。
重さ。
音。
指先の感触。
すべてから中身を読む。
そして一度だけ中を確認し、すぐに思考へ移る。
(宿代、食費……アリアへの返済も問題なし)
(しばらくは動かずとも問題ない額じゃな)
必要十分。
いや、やや余剰。
「……では、ありがたく」
迷いなく受け取る。
それでよい。
****
夜。
宿の食堂は賑やかだった。
木製のテーブルが並び、
皿と杯がぶつかる音が絶えない。
焼けた肉の香り。
香草の匂い。
酒の甘い香り。
空気が温かい。
わしは席に着き、料理を前にする。
焼きたてのパン。
肉料理。
そして果実酒。
「……ふむ」
パンを手に取り、口へ運ぶ。
表面は軽く焼かれ、香ばしい。
中は柔らかく、ほどよく水分を含んでおる。
「やはり食の進化だけは、五百年という歳月を肯定できるのう」
小さく呟く。
頬が、わずかに緩む。
酒も口にする。
甘みと酸味。
そして後から来る微かな刺激。
喉を通り、体に熱が広がる。
(悪くない)
隣の席では、冒険者たちが騒いでいた。
「地下水路に化け物が出たらしいぜ」
「一瞬で消した謎の魔法使いがいるって話だ」
「見たやつが言うには、手をかざしただけで──」
誇張が混ざっておるな。
だが、方向は間違っておらん。
わしは一瞥し、
「へぇ、大変じゃのう」
それだけ言って、酒を飲む。
関係ない話じゃ。
****
夜更け。
部屋に戻る。
静けさ。
食堂の喧騒が遠い。
わしは荷物を広げる。
袋を置く。
金貨と銀貨の重み。
視線が止まり、思い出す。
アリアの革鎧。
短剣。
使い込まれておったな。
(ありゃ、もうすぐ寿命じゃ)
革は擦り切れ、縫い目も甘い。
刃も微妙に歪んでおる。
戦闘に耐えられんわけではない。
だが、限界は近い。
「……まぁ、利子ついでになるかの」
小さく呟く。
返済だけではつまらん。
付加価値をつけるのも悪くない。
思考が、先ほどの戦闘へ向かう。
未知の魔物。
構造の不完全な把握。
毒。
(面白い)
まだ知らぬものがある。
それだけで、十分じゃ。
「……明日は武器屋にでも寄るかの」
独り言。
選択肢の整理。
必要なものは、増えておる。
窓の外は、すでに静まり返っていた。
街灯の明かりが、ぼんやりと揺れる。
ベッドに腰を下ろす。
身体を預ける。
(悪くない一日じゃ)
五百年後の世界。
知らぬことばかり。
だが、それがいい。
目を閉じる。
意識が、ゆっくりと沈んでいく。
二日目の夜は、そのまま静かに更けていく。
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