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EP 9

冷酷なる未来予知と、消えた「月末の帳簿」

帝都ルナミスの地下深くに存在する、地図にない広大な空洞。

そこは、帝国への復讐と「選ばれし者による支配」を掲げる犯罪組織『ナンバーズ』のアジトであった。

薄暗い石造りの部屋の中央で、一人の男が優雅にチェス盤に向かっていた。

ギアン・アルバード——組織の絶対的リーダー『ゼロ』。表向きは若きアルバード侯爵として知られる彼だが、その本性は、他者の命をチェスの駒としか思っていない冷酷なサイコパスである。

「……なるほど。チェックメイト、か」

ゼロは、盤上の黒いキングを指で弾き倒し、最高級のチョコレートを口に放り込んだ。

彼の背後に、空間が歪み、一人の男が姿を現す。空間転移テレポートの能力を持つ幹部『スリー(ギリルク)』だ。

「ゼロ様。ご報告いたします」

スリーの声は、僅かに震えていた。

「昨夜決行した、第三区画L-Pay中央処理サーバー塔の爆破作戦ですが……失敗に終わりました。潜入した獣人部隊は全滅。通信網もインフラも、無傷のまま稼働を続けております」

「ほう?」

ゼロの目が、氷のように細められた。

「俺の【未来予知】では、確かにサーバー塔は炎上し、帝都の経済は麻痺するはずだった。……イレギュラーが起きたか。人間のモヤシに毛玉(獣人)どもが負けるとはな」

「現地の情報によれば、謎の爆発の後、アルヴィン侯爵家の神童クラウスが雷鳴と共に現れ、部隊を圧倒したとか……」

「くだらん」

ゼロは吐き捨てるように言い、立ち上がった。

「愚者が偶然、盤面を乱したに過ぎない。だが、俺たちの存在ナンバーズの痕跡を残すわけにはいかない。……仕方ない、あれを使うか」

ゼロが向かった先。部屋の最奥には、頑丈な魔導鉄格子で作られた「檻」があった。

その中には、ぼろぼろの服を着た三歳ほどの幼児が、虚ろな目でうずくまっている。

組織の最終切り札、『ファイブ(シアン)』。

ゼロは鉄格子越しに、甘いチョコレートを一つ差し出した。

「シアン。これを食え。そして……盤面を『一日』戻せ」

幼児はチョコレートを口に含むと、無感情な声で呟いた。

「……りせっと、する」

次の瞬間。

シアンの小さな体から、強烈な光の波動が放たれた。それは帝都を、いや、マンルシア大陸全土を包み込み、世界の因果律を強制的に巻き戻していく——。

     * * *

「……んあ?」

クライン侯爵邸。最高級の羽毛布団の中で、リアン(10歳)は目を覚ました。

窓からは、清々しい朝日が差し込んでいる。

(……おかしい。なんだこのスッキリとした目覚めは)

リアンはベッドの上で首を傾げた。

昨夜の彼は、徹夜だったはずだ。なぜなら昨夜は『月末』。

ユニークスキル【ネット通販】を利用するためにゴルド商会に開設している「ダミー会社の口座」の、一ヶ月分の経費と売上を計算し、完璧な偽装決算書(帳簿)を作るという、簿記1級保持者にとって最も過酷な日だったのだ。

「……まさか、寝落ちしたのか!? バカな、俺の副料理長としての体力と、経理としての執念を舐めるな!」

リアンは跳ね起き、パジャマ姿のままマギ・フォン(魔導端末)を引ったくった。

画面の日付を見る。

『ルナミス暦 〇〇年 5月30日(火)』

「……は?」

リアンは完全にフリーズした。

「……待て。昨日は確かに、5月31日(水)だった。俺は昨日、学園でリーザが給食をおかわりするのを眺めながら、午後の授業をサボって帳簿の借方と貸方の計算をしていたはずだ」

震える指で、マギ・フォンのメモリアプリ(帳簿データ)を開く。

そこには、彼が昨夜、六時間かけて入力したはずの『消耗品費(象用麻酔薬:5,000円)』や『雑費(ANFO爆薬の材料費)』、『ゴルド商会への架空売上(マネーロンダリング分)』のデータが……。

——きれいに、スッカラカンに消滅していた。

「あ……あぁ……っ」

リアンの口から、魂の抜けたような声が漏れた。

データ破損ではない。端末の魔力残量は正常だ。

記憶の齟齬と、時計の逆行。前世の知識を持つリアンだからこそ、この現象が意味する絶望的な事実を一瞬で理解してしまった。

誰かが、何らかの特異な魔導かスキルで、**「世界の時間を丸一日巻き戻した」**のだ。

「ふざ……けるな……」

リアンの体が、わなわなと震え始めた。

「俺の労働時間を……! 借方と貸方の数字がたった1円合わなくて、三時間も領収書(魔法のレシート)の束と睨めっこした、あの血を吐くような経理作業を……! なかったことにしただと……ッ!?」

前世、ブラックな三つ星レストランで副料理長として酷使され、さらに独学で簿記1級を取得した彼にとって、「無給の労働(タダ働き)」と「書類の喪失」は、肉体を切り刻まれるよりも重いトラウマのスイッチだった。

さらに、リアンのパラノイア(自販機化恐怖症)が、最悪の警鐘を鳴らす。

「待てよ。今日が30日なら……明日が提出期限(月末)だ。もし今日中にあの完璧な偽装帳簿をもう一度ゼロから作り直せなかったら……ダミー会社の決算が遅れる。税務局の監査が入る。IP(魔力署名)が辿られる。俺の【ネット通販】が国家にバレる!!」

ガシャンッ!!

リアンは自室の高級な姿見を、見事なハイキックで粉砕した。

その瞳には、これまでの「暗殺者としての冷徹さ」とは全く質の違う、どス黒い「労働者の殺意」が渦巻いていた。

「許さん。絶対に許さん……っ!!」

リアンは、影から『影丸』を、亜空間から『竜丸』を同時に召喚した。

十歳の少年の姿をした、ルナミス帝国最悪の完全犯罪者が、本気でキレた瞬間であった。

「時間を戻せるほどの特異スキル。間違いなく、昨夜のL-Payサーバー爆破を企てたテロリストの親玉の仕業だ……。俺の帳簿(人生)を狂わせた代償は高くつくぞ」

リアンは【ネット通販】の画面を開き、一切の躊躇なく、即日配送(お急ぎ便)のオプションにチェックを入れた。

「原価率などもうどうでもいい。テロリストの元締めを見つけ出し……解体し、血を抜き、骨の髄まで喰丸に食わせて、二度と時間が戻せないレベルの『完全なる塵』に変えてやる……!!」

世界の危機テロなど知ったことではない。

ただ、「自分の残業を無かったことにされた」という極めて個人的かつ理不尽な怒りを原動力に、暗殺の神童が、謎の組織『ナンバーズ』へと静かに牙を剥いた。

一方その頃。

アジトでチェスを嗜むゼロは、自身の【未来予知】に「巨大な暗雲バグ」が混じり始めたことに、まだ気づいていなかった——。

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