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EP 10

千里眼の絶望(スパイ看護師が見た地獄)

帝都ルナミスの一等地にある、白亜の美しい洋館。

富裕層から莫大な治療費を稼ぎ出すと噂の『セーラ治療院』の裏口で、一人の美しき看護師が、震える手で胃薬を水で流し込んでいた。

彼女の名はシーナ(25歳)。

表向きは、全属性大魔導神官セーラを支える有能にして献身的な看護師。

だがその真の顔は、犯罪組織『ナンバーズ』のナンバー4(フォー)。あらゆる障害物を透過し、遥か彼方の事象すら覗き見るユニークスキル【千里眼】を持つ、組織最高の諜報員である。

「……ハァ、ハァ……っ。胃が、胃がキリキリする……っ」

シーナは壁に寄りかかりながら、涙目で空を仰いだ。

彼女に与えられた任務は「帝都における最大の脅威、すなわち魔神王を討伐した『勇者・鍵田竜』とその家族の監視」である。

テロ組織にとって、英雄の動向を探るのは基本中の基本。

昨夜、ゼロ(ギアン)が最終兵器であるシアンの【リセット】を使い、時間を丸一日巻き戻した。世界の因果律を強制的に戻すという神の如き所業。当然、規格外の力を持つ「勇者」ならば、この時間の異常に気づき、テロリスト迎撃の準備を進めているはずだ——。

そう考えたシーナは、出勤前に【千里眼】を限界まで展開し、鍵田家の様子を覗き見たのだ。

だが、そこに広がっていたのは、テロ対策の緊迫感など微塵もない、「全く別のベクトルで狂った日常」だった。

     * * *

(……まずは、勇者リュウ。どんな凄まじい鍛錬をしているのか……って、え?)

シーナの【千里眼】が捉えたのは、色あせたジャージ姿でメビウス(煙草)を咥え、庭の生垣の前に立つ三十歳の男の姿だった。

『あー、昨日の雨で生垣が伸びちゃってんな。セーラに怒られる前に剪定しとくか』

リュウは気怠げに頭を掻くと、おもむろに虚空へと手を突っ込んだ。

彼のユニークスキル【ウェポンズマスター(百般兵装)】。あらゆる武器を亜空間に収納し、自在に出し入れできる伝説の力。

そこから彼が取り出したのは、聖剣でも魔槍でもなく——地球製の**『エンジン式・大型チェーンソー』**だった。

『おらぁっ! 剪定せんていじゃぁぁぁ!』

ギュイィィィィンッ!!!

勇者の無駄に洗練された身のこなしと、チェーンソーの暴力的な回転刃が合わさり、美しい生垣がわずか五秒で角刈りのように均等に削り取られていく。

(……聖なる勇者のスキルを、ただの庭の手入れ(DIY)に使っている!? しかもあの鉄の刃物、魔力ゼロなのに凄まじい切れ味……! なんなのあの武器!)

シーナが戦慄していると、視界の端で台所の窓が開いた。

『ちょっとあなた! 朝からうるさいわよ! ご近所迷惑でしょう!』

怒鳴り込んできたのは、永遠の17歳を自称する最強の聖女・セーラである。

彼女のまな板の上には、大量の玉ねぎが乗っていた。

『こっちは朝ごはんの準備で忙しいの! ……ふっ!』

セーラが指先を軽く振るうと、最上位の風魔法『不可視の真空刃』が玉ねぎを包み込む。細胞を一切潰さない完璧なミクロの切断により、玉ねぎは一瞬にして「涙の出ない極上の微塵切り」へと姿を変えた。

さらに彼女は、指先から極小の『業火フレア』を放ち、フライパンの上の微塵切り玉ねぎを、たった一秒で飴色キャラメリゼに変成させたのである。

(ぜ、全属性の大魔導を……料理の時短に使っている……っ!? 一歩間違えれば家ごと消し飛ぶ火力コントロールを、朝のハンバーグのために!?)

夫婦揃って、力の使い方が根本的に間違っている。

シーナが頭を抱えたその時、鍵田家の玄関のドアが勢いよく開いた。

『ただいまー! 朝のドブ掃除とゴミ拾い終わったよー!』

金髪のツインテールを揺らし、泥だらけの顔で帰還したのは、十歳の娘・リリスだった。

『あーあ。昨日の夜、迷子のおじさんたち(※テロリスト)を助けて1000ポイント貯めたのに、ガチャ回したらなんか変な鉄の筒しか出なかったんだよねー』

リリスは不満げに口を尖らせながら、【ランダムボックス】の亜空間から、昨夜のL-Payサーバー地下でぶっ放した『SSRアイテム:対戦車ロケット(RPG-7)』をドサッと玄関の土間に放り投げた。

『これ、すっごい重いし、先っぽのどんぐりみたいなの取れちゃったし(※発射済みだから)、ハズレだなぁ……。次は絶対にケーキの詰め合わせを当てるぞ!』

ドゴォン、と無造作に転がる緑色の筒。

シーナは【千里眼】越しにその筒を見た瞬間、本能的な死の恐怖を感じて全身の毛を逆立てた。

(な……なんなのあの物体は!? 魔力は一切感じない……けど、私の諜報員としての直感が警告している! あれは、触れた瞬間に街の区画一つを消し飛ばすレベルの『純粋な破壊兵器』だわ!! あの歳で、あんなものを玩具みたいに振り回しているの!?)

シーナの限界だった。

勇者一家は、帝国の未来やテロの脅威など微塵も気にしていない。彼らはただ己の欲求(DIY、時短料理、ポイント稼ぎ)に忠実なだけの、「倫理観の欠如した歩く災害」だったのだ。

     * * *

「——というわけなのです! ゼロ様!!」

セーラ治療院の裏路地。

シーナは魔導通信石を握りしめ、アジトにいるリーダーのゼロに向かって涙声で訴えかけていた。

「あの家だけはダメです! 鍵田家を監視対象から外し、絶対に彼らの生活圏に近づかないでください! 触れれば私たち『ナンバーズ』は、物理的にも概念的にも完全に破壊されます!!」

必死の報告。

だが、通信石の向こうから聞こえてきたのは、冷酷で傲慢なサイコパスの嘲笑だった。

『……くだらん。疲れているようだな、フォー(シーナ)』

「ほ、本当なんです! 十歳の娘が、魔法陣もなしに街を消し飛ばす謎の筒を——」

『俺の【未来予知】に死角はない。どんな得体の知れない兵器を持っていようと、事前にそれが分かれば対処など容易い』

ゼロは吐き捨てるように言った。

『俺たちは、帝国に搾取される愚者ではない。選ばれし支配者だ。たかがロートル(型落ち)の勇者と、その小娘一匹に怯えるなど、組織の恥と思え』

プツッ、と。

一方的に通信が切られた。

「……ゼロ様の、バカぁぁぁ……っ!!」

シーナはその場に崩れ落ち、本日四錠目の胃薬を噛み砕いた。

リーダーには何も分かっていない。あの理不尽なまでの暴力と、善行という名の狂気がもたらす本当の恐怖を。

(……逃げようかな。組織を抜けて、セーラ先生のところで一生真面目に点滴の針を変える仕事ナースをして生きていこうかな……)

最強の諜報員が、組織への忠誠心よりも「命の安全」を真剣に考え始めた瞬間であった。

     * * *

一方、その頃。

ルナミス学園、初等部五年特待クラス。

「…………ッ!! ターンッ!!」

教室の最後列で、リアン・クライン(10歳)が、ものすごい剣幕で空中の仮想キーボード(魔導端末のホログラム)を叩きまくっていた。

「……おい、リアン。朝から凄まじい殺気だが、どうしたのだ?」

隣の席のクラウスが、少し引いた顔で尋ねる。

「……話しかけるな、クラウス。俺は今、昨夜の俺自身が行った『勘定科目の振り分け』と『減価償却費の計算』を、記憶の糸を辿りながら0.01秒単位で再構築している。これを今日の昼までに終わらせなければ……俺は国にバレて、自動販売機にされるんだ!!」

「じ、自動販売機? なにを言っているか全く分からんが……顔が夜叉のようになっているぞ」

教壇に立つクルーガも、リアンから放たれる「前世の社畜の怨念」のようなド黒いオーラに気づき、そっと視線を逸らした。

(……昨夜から今日にかけて、何か不可解な事象が起きたのは間違いない。だが、あのリアンをここまで本気でキレさせる存在がいるとすれば……同情するぜ、そのバカにな)

元探偵のクルーガの勘は、正確に未来を予見していた。

帳簿をリセットされた暗殺神童の怒りと。

ガチャ中毒の勇者娘の暴力と。

そして、未だに事態の深刻さを理解していないサイコパス・テロリスト。

帝都を巻き込む最悪で最高に滑稽な「第二章」の幕が、今、静かに切って落とされた。

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