EP 5
副料理長の矜持 vs 乞食姫の給食サバイバル
正午。ルナミス学園に、昼を告げる魔導チャイムの音が鳴り響いた。
「——来たっ!!」
誰よりも早く、そして野生の獣のような反射神経で立ち上がったのは、人魚姫リーザだった。
彼女は机の中に教科書を乱暴に突っ込むと、両手に自前の巨大なアルマイト製のお椀とスプーンを構え、教室の後方に設置された配膳台へと弾丸のように駆け出した。
「な、なんだあの動きは……! 闘気すら纏っていないのに、無駄なモーションが一切ないだと!?」
「テント村の炊き出しで最後尾に並べば、豚汁の具が『ネギの切れ端』しか残らないという地獄……! 私はその絶望から、この『炊き出し一番乗り(スリップストリーム)』の歩法を編み出したのです!」
クラウスが驚愕の声を上げる中、リーザは配膳当番の生徒の目の前にシュバッ!とスライディング着地し、お椀を突き出した。
「おばちゃん! いや、当番さん! 大盛りで! 限界までよそってください! なんなら鍋の底に沈んでる肉椎茸を重点的に掬い上げる感じでお願いします!」
「えっ、あ、はい……っ!」
気迫に押された当番が、言われるがままにルナミス学園名物『肉椎茸とハニーかぼちゃのシチュー』をお玉で限界まで掬い上げる。
「リーザちゃん! 私の分のお肉も半分あげる! はい、これで人助け(100p)ゲット!」
「リリスちゃん神様! ありがとうございます! これで明日も生きられます!」
リリスが狂ったように自分のシチューから肉椎茸を移し替え、リーザのアルマイト椀は表面張力の限界に達した。
「……嘆かわしい。誇り高き王族が、食事の列で暴れるなど……っ。給食は逃げないというのに」
ノブリス・オブリージュの塊であるクラウスは、優雅に列の最後尾に並びながら頭を痛めていた。
だが、そんな教室の喧騒の中、一人だけ全く別のベクトルで「怒り」に震えている男がいた。
リアン・クライン。前世・三つ星レストラン副料理長である。
(……許せん)
リアンは自分の机に運ばれたシチューを睨みつけ、脳内で冷酷な「味覚の査定」を行っていた。
(大量調理の弊害だ。ハニーかぼちゃの面取りをしていないから煮崩れて澱粉が溶け出し、シチューの粘度が不均一になっている。さらに、肉椎茸の旨味を引き出すための『焼き色(メイラード反応)』の工程をサボって直接煮込んだせいで、ただの生臭いスポンジと化している……。原価率40%を与えられながら、この味のクオリティは料理に対する冒涜、いや、犯罪だ!)
リアンにとって、「不味い料理を出されること」は暗殺のターゲットに逃げられることよりも腹立たしい事象だった。
「はむっ、あむあむ……っ! 美味しい! あったかい! パンの耳じゃない本物のパン(米麦草パン)が食べられるなんて、ここは天国ですかぁぁぁ!」
隣の席では、リーザが涙と鼻水を流しながら、その「不完全なシチュー」を神の恵みかのように貪り食っていた。
彼女の純粋な笑顔が、リアンの料理人としての矜持の逆鱗に触れた。
(……この程度の味で感動するな。王族なら、もっと極上の『完璧な味』を知るべきだ。……いや、違う。俺が許せないんだ。俺の目の前で、こんな底辺の味覚パラダイムが展開されていることが……っ!)
リアンの暗殺者としての思考回路と、料理人としての魂が、危険な化学反応を起こした。
(自販機化のリスク? クソ食らえだ。俺の【ネット通販】と完全犯罪の技術は、今この瞬間のためにある!)
リアンはマギ・フォンを机の下で操作し、瞬時に地球の『高級コンソメ粉末』『ブラックペッパー』『ガラムマサラ』、そしてアナステシア特有の『醤油草の搾り汁』を亜空間から手元へ召喚した。
「……喰丸、出番だ」
リアンは、証拠隠滅用の三十センチのワーム『喰丸』を召喚。しかし今回は「食べる」ためではない。「運ぶ」ためだ。
彼は喰丸の口の中に調味料の入った小瓶を含ませ、影丸の『シャドウ・ステップ』を使って、教室の後方にある「シチューのおかわり用寸胴鍋」の真下へと転移させた。
(当番の死角、クラウスの視線誘導、リリスがガチャ結果に気を取られている今の0.5秒の隙……ここだ!)
チャプンッ、という極めて小さな音と共に、寸胴鍋の中に「完璧に計算された黄金比の調味料」が投下された。
さらにリアンは、自身の魔力を指先に集中させ、鍋底に『微弱な炎魔法(極細の加熱)』と『風魔法(攪拌)』を同時に発動。
たった3秒。それだけで、寸胴鍋の中のシチューは、前世の三つ星副料理長のレシピに基づく「至高のシチュー」へと魔改造されたのである。
「……ふぅ。証拠隠滅完了。味覚の改竄成功だ」
リアンは誰にも気づかれることなく、優雅に自分の米麦草パンをちぎった。
「おかわり!! おばちゃん、シチュー限界までおかわりお願いします!」
数分後、一杯目を秒殺したリーザが、アルマイト椀を掲げておかわり用の寸胴へ突撃した。
当番が新たにシチューをよそう。その瞬間、教室の空気が変わった。
「……あれ? なんか、さっきよりすごく良い匂いが……?」
クラウスが、ピクッと鼻を動かした。
リーザはおかわりのシチューを一口食べた瞬間、雷に打たれたように硬直した。
「————っ!!??」
「ど、どうしたリーザ! もしや毒か!? 吐き出せ!」
クラウスが慌てて駆け寄るが、リーザの目からは大粒の涙が滝のように溢れ出していた。
「ち、違います……っ! お肉(肉椎茸)の奥から、ガツンとくるスパイシーな香りと、それを包み込むような複雑で濃厚な旨味が……! ハニーかぼちゃの甘さが、さっきまでの100倍引き立って……っ! なにこれ、なにこれぇぇぇ! 私、死ぬの!? 美味しすぎて死ぬの!?」
「なっ……なんだと? たかが給食のシチューだぞ?」
疑心暗鬼になったクラウスも、自分のおかわりを一口口に運ぶ。
直後、彼のノブリス・オブリージュが味覚の暴力の前に崩れ去った。
「美味い……! なんだこの、舌の上で踊るようなスパイスの旋律は! 王宮の料理長が作るシチューすら凌駕しているだと……っ!?」
「お弁当(給食)が美味しくなってる! これも私の善行ポイントのおかげだね!」(※違います)とリリスも大喜びでおかわりに向かい、特待クラスは「至高のシチュー」を巡る暴動寸前のパニック状態に陥った。
「……ふん。原価率はそのままで、味の限界値を突破させてやった。これが、完全なる『調理』だ」
リアンは物陰で一人、完璧な仕事(無給)を成し遂げた充足感に浸り、ドヤ顔をキメていた。自販機化の恐怖など、この時ばかりは頭から完全に抜け落ちている。
ただ一人、教壇に立つ隻眼の担任だけが、冷や汗を流しながら胃薬の瓶を振っていた。
(……間違いない。あの異常な味の変化、リアンの仕業だ。暗殺の手口で給食を美味くするバカがどこにいる……!)
クルーガは、この狂気に満ちた10歳児たちを抱え、自身の胃壁が卒業まで保つのか、本気で神に祈り始めていた。
——だが、平和な(?)給食の時間は、長くは続かなかった。
帝都のインフラを狙い、ルナミスに潜入していた『レオンハート獣人王国の過激派』の魔の手が、いよいよこの学園にも伸びようとしていたのである。




