第二十四話 校内選考会
とある日の放課後。「日名菊学園高等部」では18歳以下の高校生を対象にして行われる一大音楽コンテスト「ムジカデラーニモ」の校内参加会が開催される。選考会といっても出場希望のバンドは二つ。各学校一バンドしか出場できない規定のために、どちらが出場するのかを決めるだけである。今はなき元軽音部所属で今は無所属のバンドと、新・ボランティア同好会というわけの分からない名前から始まった軽音楽探求会.所属のバンド。奇しくも両バンドともに天才ボーカリストであるがフルコーラスを歌えないという謎の体質を持った中堂凛と関係性のあるバンドであった。
大きな体育館に集められた両者は舞台袖で待機をしていた。目の前には暗幕が垂れたステージ。その後ろにはたくさんの生徒がいることが聞こえてくるガヤガヤとした音から分かる。
「お集まりの皆様。お待たせいたしました。ではこれより、ムジカデラーニモの校内選考会を始めます!」
「なんでこうなったの!」
教師の宣言が終わると大きな拍手と歓声が上がった。田中の渾身のツッコミはそんな彼らによってかき消された。
「知らないよ。二バンドだけの選考会、音楽室でさ先生と一対一ぐらいな規模感でこじんまりやるもんだと思うでしょ。観客ありですか? なんて聞かないよ。それこそ何浮かれてんのって感じだし」
「……志之は悪くないよ。オレもそう思った。だけどこれは話が違う……腹痛い、帰りたい……」
「志之君に茸木君、全部聞こえてますよ。その弱音、マイクを通しましょうか?」
「「いえ、結構です!」」
カツカツと音を鳴らして、表から舞台袖にやってきた教師は二人を嗜めた後、コホンと一つ咳払いをした。
「ここで一つ、順番についてです。中堂くんからの要望で音探……『軽音楽探求会〜全曲不歌唱体質者のための〜』の演奏順を二番目とさせて頂いていますが、よろしいですか?」
先生、先輩からの視線を受けてわざわざ正式名称で言い直した……。先輩は本当にマイペースだよ。隣で満足げな先輩の姿を見ていると向こうのバンドから声が上がった。
「先生、そんなの認められませんよ。何か小細工をする気なんだと思います」
「小細工だって? こっちは凛くんが参加できないんですよ。その条件を飲んでるんです。順番ぐらい譲ってくれたっていいじゃないですか」
「順番ぐらいね。お前の新しいメンバーは演奏順の重要性すら分からないようだ。ちゃんと教えてやれよ」
つい口が先走って、よく分からないことを言ってしまった。場の雰囲気も音楽には欠かすことのできない要素。そんなことは当然だ。
目の前の男は俺に目線を向けようとしなかった。どうも、先輩に下駄箱で詰め寄っていた時からこの人とは波長が合わない気がする。グッと睨みをきかせていると、背中が引っ張られる感覚がした。
凛が力のあまり一歩前に出た聡平のことをいいからと宥めた。
「そうだね、順番は大切だよ。でも、ボクたちは大半が楽器未経験者の初心者バンド。対してそっちは昔から音楽をやっている経験者の集まりでしょ。少しくらいはバンドの先輩として胸を貸してくれてもいいんじゃないかな。ボクはステージに上がって演奏には参加しないって約束だし、何を恐がっているのさ? ──早く上がれよお客様が待ってんだろ」
凛はステージがある後ろを立てた親指で指した。堂々とした佇まいと言動は意義を唱えることを憚られる迫力があった。現に向こうのバンドの面々は言い返す言葉を見つけられていないようだ。
「……そういうことでいいわね? では塩音君のバンドから演奏をお願いします。準備ができ次第合図をください」
「分かりました」
塩音と呼ばれた生徒のバンドメンバーたちは舞台に上がって準備をし始めた。彼は一人凛の方へ歩いた。
「中堂、おままごとは今日限りで辞めさせてやるよ。もう一度俺らとやりたいって思わせてやる」
「あっそ、勝手にすれば。今更ボクの体と向き合う気になったわけ? よせよ、どうせお前らじゃ無理だから」
「……お前さっきから猫撫で声出したり脅したり。キャラブレてんだよ」
彼は捨て台詞を吐くと自分も準備に向かった。
ほどなくして相手のバンドの演奏が始まった。しんみりとした会場の中に響く最初の一音を聞いてすぐに、俺は彼らとの実力差がはっきりと分かった。それで終わるわけもなく、流れ出す演奏を前にしてつい想像をしてしまった。
彼らが演奏する音楽に先輩の居場所を見つけてしまった。もし、ここに先輩の歌が乗ったとしたら。イメージは体から溢れ出て目の前の舞台に幻影を作り出す。ぽっかりと空いたステージの前列中央。そこには文字どおり全身全霊に感情を叫ぶ先輩の姿があった。
どんどんと舞台が離れていくように思える。高熱を出したときの視界のように、自分がそこから遠ざかっていくような感覚がする。小さくなり続ける舞台に吐き気がしてきた頃、制服の袖を引っ張られた。ハッと視界が元通りになる。
「飲まれすぎだ」
ハッと視界が元通りになる。
先輩はだらりとした上体をのそっと起こし、俺のことを気だるげに見上げる。体をできるだけ脱力させるゾンビみたいな体勢で、音楽へ浸るように聴くのが先輩の癖だ。
なんというか先輩は音楽というものに対して酷く誠実なのだ。気に食わない人が演奏している音だとしても、こんな風にしっかりと聞いているような素振りを見せる。
目の前のおいしそうな料理を無下にするような人ではないと分かってはいても少しモヤっとした気持ちが渦巻く。そんなことは知らずに、するすると滑り落ちるように裾から先輩の手は離れていく。
茸木と田中も驚いたような顔で口をあんぐりとさせて、演奏に耳を傾けている。ギターとベースとドラムで構成された硬派なインストはそれぞれのソロパートをゆったりと存分に披露する。そして、大きな拍手に包まれながらパフォーマンスを終えた。
「ありがとうございました。次のバンドの準備が終わるまで少々お待ちください」
音楽の教師のアナウンスで幕は一度下がる。相手のバンドは短く互いへの労いを終えると、聡平たちがいる袖とは反対側にはけていく。彼らの顔はやりきったという満足げな笑みで溢れているようだ。それから、聡平と茸木と田中は硬い動きで楽器のセッティングを行いに向かった。
やっぱり先に演奏する方が良かったと思った。なぜ後が良かったかというと、演奏が良くも悪くも印象に残りやすいからだ。俺たちの演奏は、当然さっきの演奏と比べられるわけである。記憶の中の音が良い方向に美化されるという可能性もあった。それよりも、今鳴っている俺たちの音で勝負したいという願掛けにも近い考えから後攻を選んだ。
俺の反対側で指を忙しなく動かして、運指の最終確認をしているタケも「漫才コンテストでも一番最初の組は、審査の基準にするために点数が低くつけられがちだしな……」といまいち賛同しかねることを口にしていたっけ。
ステージ中央を陣取るタナショ―は腰を落ち着けて天を仰いでいる。よく見ると両手を握り合わせて掲げているようだった。神頼みでもしているのだろうか。
俺も含めてみんな先程の演奏に気落とされているのは明らかだ。漠然とした恐怖感は毎秒大きくなる。もし、ここで選ばれなければ先輩の夢はここで終わってしまう。ムジカデラーニモの舞台に挑戦すらできずに終わってしまうのだろうか。
両肩はずんと重くなる。目の前に立てられたベースに触るのがこわい。左側のキーボードを叩くのが億劫だ。右側のギターとの距離はどんどん離れていくように感じる。呼吸は浅くなって視界は狭く……。
「志之!」
先輩が俺を呼ぶ声でやっと世界との焦点が定まる。先輩はハンドジェスチャーでこちらへ来いと呼んでいた。俺は急いで舞台袖へ向かった。「ったくな」と先輩は小さく声を出した。
「今どんな気分だった?」
「音を鳴らすのが恐かった。あの演奏に勝てるイメージが全く浮かんでこないんだ」
「いや、そうじゃないな。いいからお前が本当に今恐れていることを話せ」
酷な問いかけだと思った。先輩はきっと俺が何を考えていたかを分かっていて、その上で俺の口からそれを聞くことを望んでいるようだった。
「はぁ……もしこれがダメだったら。……凜くんの夢はここで終わっちゃうなって考えてたよ」
「ああそうだ。志之がヘマしたらボクの挑戦はここで終わりだな」
「下手打たなくても厳しい戦いだと思うんですけど。凜くんだってあいつらの演奏に聞き惚れてたじゃんか」
「だから何?」
先輩の頭上には潔いほどのハテナマークが浮かぶようだった。今日は一段と話が噛合わない。あいつらの演奏と俺たちの昨日までの演奏を比べれば、その差は一目瞭然だ。なのに、どうしてそんなに希望に満ち溢れたような顔をするのだろうか。先輩はまるで、俺たちが全力で演奏に臨めば勝てるとでも言いたげだった。
「まさか俺たちが本当に勝てるって思ってる?」
先輩は「ふっ」と鼻を鳴らした。
「ボクは一度だってお前らがあいつらに劣っていると言ってないし、思ってもない。確かにボクにはチャンスはもうない。だからこそ、自分が少しでも上を目指せる可能性が高い方に賭ける」
声が出なかった。一切の恥じらいもなく堂々と言い切る先輩の姿はとても眩しい。照明に照らされた舞台上のどの楽器たちよりも輝いているように思える。
「ボクはこっちのポンコツ三人組を選んだ。それ以外に何か必要なわけ?」
「──ううん。それは何よりも嬉しくて勇気が出ることだね」
「だろ」
決意を固めた聡平に教師からの呼びかけが飛んできた。そろそろ始めて欲しい様子だ。凜は早く行けと彼のことを急かす。聡平が舞台へ急いで戻ると、不安げな二人が駆け寄ってきた。
「先輩なんか言ってた?」
「うん。何も心配ないって『ボクが選んだってこと以外になにか必要なわけ?』だってさ」
「フッ。似てないな……」
「今志之君のモノマネの精度はどうでもいいよ! 僕はそんなんじゃ安心できないよ」
「じゃあ俺のこと信じてよ。秘策もあるし」
「コホン!!!」
教師のわざとらしい咳払いはタイムリミットを告げる。聡平たちは散るように自分たちの持ち場へと戻っていく。上手から見て茸木、田中、聡平という順のいつもとは違う横一列の配置であった。聡平は教師へ準備完了の合図を送る。
「それでは皆様大変長らくお待たせしました。続きまして『軽音楽探求会〜全曲不歌唱体質者のための〜』の演奏です」
音楽の教師による嫌味たらしい正式名称での紹介の後、幕は上がった。観客たちは聞きなれない名前にざわざわと声を上げる。
視界にはたくさんの生徒の姿が写った。ざっと数えて六十人くらい。いや、もっといる。期間も短く目立ちにくい場所に掲載されていた選考会のお知らせを見て駆けつけてくれた、ありがたい人たちだろうか。
体育館の空気感的に前バンドが目当てで見に来てくれた人たちが多いような気もする。それでも今は俺たちの演奏を待ち侘びているわけで……胸の鼓動は一層に早くなる。俺はマイクに想いを吐き出す。
「はじめまして、名無しのトランペットです。紹介された奇天烈な名前は……いえ、今から演奏する音を聞いてください」
言い出してから、決意が揺らいだことに気がついた。名前に良くも悪くも興味を持ってもらえた今、先輩の体質を持ち出してお涙頂戴をすることもできたかもしれない。だけど、この選考はあくまで俺たち三人で頑張りたい。そうじゃなきゃムジカデラーニモで注目を浴びるなんて土台無理な話である。その為に新しく名乗った楽器隊だけの名前でもあった。
後ろを向いて二人へ目くばせをする。二人の不安感も伝染するように流れ込んでくる。俺じゃ頼りないのは今に始まったことじゃないけれど、少しでも和ませられるような一言を探す。こんな時先輩だったらどうするだろうか。
「Cantabile」
聡平の口から一つ零れた。それは某アニメの影響で一番有名なイメージの共有を表す言葉かもしれない。それが茸木と田中に伝わったかは定かではない。しかし、二人の顔は少しばかり明るくなった。
静まった会場の中。田中がノートパソコンを操作して同期演奏を走らせる。そして、それぞれが互いを信じて音を鳴らす。出だしは好調、ピッタリなタイミングで彼らの演奏は始まった。
同期が耳に入ってくる。そこには俺が作った楽器データとは別の音が混ざっていた。
「ワン、ツー、スリー、フォー……」
聞き馴染みのある声が聞こえてくる。クリアに再生されるのは喉から手が出るほど欲しかった声。綺麗で力を感じる音。本来クリックが入るべき隙間には先輩が拍を数える声が入っていた。今までの練習が嘘みたいに感じるほど、ばっちり音があるべき場所にはまる感覚がする。楽器を変える際にふと二人の方を向いてみる。少々演奏に集中しすぎだけど、楽しげな顔が二つ並んでいた。
聡平の秘策とはクリック音を凛の声にすることであった。これはメンバーにしか届かない音だが、実際に観客が聞くことになる曲中にも彼の声を追加した。主に夏祭りの際に聡平が知らずのうちにレコーダーで録音した音声が使われた。
そもそもが凛との夏祭りの体験を舞台にアレンジを固めた楽曲なので、人々の楽しげな雑踏と相まって、祭りのリアルな空気感を届けるのには最適な環境音となった。
静かだった体育館には八月を惜しむような空気が流れ出した。主旋律となるギターやキーボードの音はどことなく懐かしく和っぽさを感じさせる。
「ほら、次の小節は楽器チェンジね!」
短く俺の耳だけに先輩の声が流れる。こんな風におそらく二人の耳にも先輩からのアドバイスが都度流れているはずだ。同期演奏を作ったのも自分なので、どこでどの音声が流れるかぐらいは当然把握している。それでも、少しばかりのゆとりと安心感を与えてくれた。俺は先輩の指示通りにキーボードから最初のベースへと戻る。
三人の演奏は問題なく終わった。前のバンドの時と遜色ない歓声に包まれながら幕は降りた。教師の締めの言葉がうっすらと聞こえる中、喜びを静かに共有する聡平たちに凛が駆け寄ってくる。
「みんな最高だったよ。ボクの声がっつり入ってて少し恥ずかしかったけどさ」
「でもやっぱり俺の音楽に必要なものだからさ」
「オレ頑張った……やったぞ! やってやった!」
「秘策の効き目は半信半疑だったけど、ばっちりだったね」
輪になって喜ぶ彼らに対して水を刺すような言葉が飛んでくる。
「どうせ同期に細工でもしたんだろ。じゃなきゃ本番になって演奏が上達した理由がつかないな」
「細工なんてしてないよ。彼らに失礼だ。お前らこそボクを想定とした演奏すぎるんじゃない? 未練タラタラな男って需要ないですよーだ」
凛は塩音にあっかんべえで応えた。
結果は一週間後。審査方法は集まってくれた生徒の投票を加味して、最終判断を校長が下すといったものだった。当然ながらパフォーマンスを終えた彼らには、待つという選択肢以外に残されてはいなかった。




