第二十三話 同期演奏への挑戦
校内選考までの期限は二週間。決して余裕のある時間ではなかった。持ち歌はカバー曲が一本と不完全なオリジナル曲が一本。その上で一から新しいインスト曲を練習して、選考を勝ち抜けるほどの完成度に仕上げる。これは初心者バンドには土台無理な話である。しかも、ボーカルでありバンド全体の要でもある凜がいない「王様のトランぺット」にはさらに酷な話だ。
そこで聡平が提案したのは今練習中のオリジナル曲を再アレンジして、凜を抜いた楽器隊である聡平、茸木、田中の三人Ver.を演奏するというものだった。
これまでの練習の成果を存分に生かしつつ、選考の後を見据えた、それぞれの技術力向上にも繋がる。さらには、曲を作る聡平の負担も時間も抑えることができるという実に効率的な方法だ。
ということで、選考会の詳細が発表された日から数日後の活動日。夏休み中に行われたオリジナル曲発表会の第二回目が開催された。聡平は曲を流し始める。インストからバンドアレンジを経てインストへ。
この曲は実に二回目の変身であるが、初めて凛に聞かせた一回目のインスト曲と形こそ同じだが、根本的に違うことは明らかであった。最後までじっくり聞いた後、最初に口を開けたのは田中であった。
「結構曲変わったみたいに聞こえるね。なんか和風って感じ。盆踊りっぽいっていうか、夏祭りっぽいみたいな」
「……っていうか、音多いな? 流石にギターの音はわかったけど、それこそ和太鼓だったり、鐘の音だったり、その他にも色んな音が聞こえたぞ……」
「余計な心配すんな。ギターの音だけ聞こえたなら上等だ。だよな志之?」
「うん。二人には完全にこれまで通り……とはいかなかったけど、ほとんど変わらないギターとドラムを鳴らしてもらって、後は俺と同期演奏が頑張ることになるね」
「「同期演奏?」」
同期演奏。電子音や効果音、ヴァイオリンやトランペットなど、バンドのパートに存在しない音が聞こえるが、演奏している人がいないなんて状況を見たことはあるだろうか。
サポートバンドとして音を鳴らしてもらう生演奏の事例を除くと、事前に録音しておいた音を別で鳴らしながら、それに合わせて演奏をする、同期演奏を用いているのだ。
「それじゃあ、僕たちは志之君が作った音源にぴったりと合わせて演奏するってこと?」
「そうなるね」
「うわー……難しそうだ……」
「だけどね、俺らは普段凛くんに合わせて演奏してるでしょ。その合わせる対象が機械になったってだけだから、案外上手く行く気もするんだよね」
「こればかりはやってみるしかねぇな。もう準備はできてんだろ。一回やってみるぞ」
三人は少しだけ合わせてみることにした。編成は普段と変わらずに茸木がギター、田中がドラム、聡平がベースとギターとキーボードを適宜使い分けるいつもの形だ。違うのはそこにボーカルの凛がいないだけである。
同期演奏は基本的にリズムの柱であるドラムの耳だけに届ける。ドラムは同期のクリック音に合わせ、その他はドラムに合わせることで機械と連携を全体で取るわけだ。
田中が最初のクリック音に合わせてスティック同士を叩き合図を送る。いわゆるテンポの提示。それから演奏は開始される。
「やめ、やめ! 最悪だ」
ものの数秒で凛は演奏を中断させる。結果はボロボロだった。まず、田中のドラムが同期音と合わない。それに加えて、聡平と茸木も田中のドラムに合わせることができなかった。全ての音を聞いていた凛は、何もかも合っていないと心底嫌そうな顔をした。
「さっきは俺と同期がなんて言ったけど、これは想像以上にやばいね。あれ、バンドって難しくない?」
「僕と茸木君はなんとなく予想がついたけど、志之君まで合わせられないのは意外だよ」
「──急に分からなくなった……オレは今までどうやってギターを弾いていたんだ?」
「ボクもこんなにできないとは思わなかった。正直驚いた。いかにも最初の壁にぶち当たった初心者バンドって感じだな」
そうだった。俺たちは初心者なのだ。一人で十分に音を鳴らせる人でも、誰かと合わせるとなった途端、下手になることは珍しいことじゃない。むしろそれが当然だ。二人で演奏を合わせるのですら苦戦するのに、いきなりバンド単位で合わせるというのは現実的じゃなかった。何か非現実的な方法を考えないとダメだ。
「提案があるんだけどさ、俺とタケも同期音をもらってみない? なんか寂しかったんだよね。自分の弱々しい音が大きく聞こえるのが違和感っていうか。俺はずっとみんなの音を聞きながら演奏してきたからさ」
「分かる……自信が徐々になくなって、どんどんズレてく感じ……」
「とりあえず、試せるだけやってみるか。人それぞれ得意なセッティングがあるのは当然だからな」
その後も様々なパターンを試してみたが、どれも演奏の出来に差がでるようなものではなかった。演奏から凛の歌声が消えた途端に浮き彫りになった安定感のない演奏。仲間と息を合わせるという技術が彼らの前に大きく立ち塞がることになった。
聡平たちがムジカデラーニモの校内選考会へ向けて練習を始めてから、二週間が経過した。残る活動日は今日が最後で、週明け一発目が選考会当日。時間的に追い詰められた状況であったが、絶望的なほどに上達の兆しは未だ見えていなかった。
切羽詰まった、ピリピリとした空気が部室内に漂う中、聡平は凛にあるものを手渡した。
「こんな時にすることじゃないのかもしれないけど、少し気分転換になればいいなと思ってさ」
凛は彼から渡された紙をじっくりと確認する。そこには聡平がやっとの思いで書き上げた歌詞が綴られていた。聡平が凛との夏祭りを経て、ブラッシュアップした言葉の数々がそこには並んでいた。
俺は小さく唇を動かしながら、楽しそうに歌詞を眺める先輩のことを見る。必死に練習をする毎日で渡す暇がなかった。絶対今じゃないとも思う。今は一回でも多く音を合わせるべきだ。この歌詞はムジカデラーニモで演奏する予定のもの。
その前の校内選考を突破しなければ、歌詞どころか今までのみんなとの活動も意味がないものになってしまう。それと同時に、俺の曲と歌詞を大舞台で歌う先輩の姿を、今から想像せずにはいられないほどの高揚感もある。
「演奏準備だ」
凛は歌詞を一通り眺め終わると、すぐに三人へ短く指示を出してマイクを握った。彼らは指示を受けて、慌ただしく楽器を持って、それぞれの持ち場へと戻っていく。机をすみっこへ寄せて作った、部室の演奏スペースの中央前列には久しぶりに小柄なおかっぱ頭の姿があった。華奢な彼の姿に三人の視線は集まる。
「Giocoso」
彼の一言と出立ちにより、空気は嫌でも一層に引き締まり緊張感がその場を埋め尽くす。
田中はそんな空気に気落とされたようだ。最近のインスト曲練習の癖で同期演奏を開始させると、スティックを叩き合わせみんなへテンポの提示を行う。間もなくスピーカーから流れたのはテンポに正確な同期演奏と頼りない彼らの演奏であった。全員が演奏に必要のない同期演奏が流れていることに気がついていたが、演奏を止めることはなかった。
俺の音もタケの音もタナショーの音も、もれなく全部が同期とズレている。一旦落ち着かなきゃいけない、こんな時こそ二人の顔を見て息を合わせなきゃいけない。タケもタナショーも自分の演奏に手一杯なのか、音を合わせることに必死なのか、顔が真剣すぎる。とても楽しい音楽を演奏している様子じゃない。
俺は助けを乞うように先輩の方を見る。先輩は片耳を手で抑えながら、俺の方を見ると笑みをこぼしながら、口をパクパクとさせた。
「楽しめよ」
俺にはそう言っているように聞こえた。必死な形相の俺たちを笑っているのだろうか。可哀想だと思っているのだろうか。いや、面白がって楽しんでいるのだろうか。いずれにせよ、今の俺たちには十分すぎるアドバイスだ。せめて、顔だけでもと俺は笑い返した。
凛の歌唱が始まった。同期の正確な演奏にピッタリと合うタイミングで始まった彼の歌は、楽器隊の三人の耳に伝わる。三人はピタリと同時に演奏を止めた。それでも凛は変わらず同期とともに歌唱を続ける。
俺らは自然と顔を見合わせていた。俺はその時、完璧に同期のリズムを体で感じることができた。先輩の言葉に感動を覚え、その感動が体中を巡ってリズムを直接打ち込まれている感覚がする。おそらく二人もだ。それからは先輩の歌を基準に、体でリズムをとって演奏再開のタイミングを共に合わせる。
(せーの!)
聡平たちは同期と一緒に歩く凛と急いで合流して、精一杯カッコつけて歩幅を合わせる。前でも後ろでもなく凛の隣で、真っ直ぐと歩く彼と一緒に歩く。彼の歌があると、これまでの合わなかった演奏が嘘みたいにばっちりと合う。彼の歌に応えようと、それぞれが十二分に力を発揮するみたいに。
最後の一音が室内に響く。ワンコーラスを演奏し終えた彼らは一呼吸置く。これまでの練習のやるせなさが一瞬のうちに解放されたようで田中は首をがくりと落とし、聡平と茸木はその場に座り込んだ。そんな様子を見て凛は口を開いた。
「嘘みたいにバラバラだったのが、ボクが歌い始めた途端に同期とピッタリ合う。これにはちょっと自分でもひく」
誰からも返答は返ってこない。
「同じ曲演奏してんのにお前らの方が何十倍も多く感動を味わってる。なんだよ、ボクの久しぶりの歌、それも初めての歌詞だったんだけど」
先輩からのじめっとした視線が刺さる。先輩はどかっと床に座り込んで頬杖をついていた。
「──反応おくれてごめん、凛くんの歌は最高だったよ。自分が考えた詞を歌われるなんて経験は初めてだったし、少しむず痒さもあって……あれ? 歌われてる時は大丈夫だったんだけど急に恥ずかしくなってきた」
「志之大丈夫か、顔真っ赤だな……」
「さりげない追い打ちやめたげて!」
三人のやり取りを凛は冷めた目で見ていた。
「でも、不思議だよね。同期には合わせられないのに、中堂先輩の歌には合わせられるってさ。やっぱりこれって催眠術なのかな!?」
「……絶対そうだ。催眠か……体の疲労感も全く違うし、最初の方なんて弾いた記憶すら、朧げだった……」
「うーん、何でだろうね。俺は凛くんの歌を聞くと全力で応えたいって思えるから頑張れちゃうんだよね。でも、オカルトじみているってのは一理あるのかも」
「でしょでしょ。だから先輩の催眠の原理だけでも分かれば──」
凛はこれまで向けていた視線を外して、そっぽを向いてしまった。彼は自信の歌声に対する評価には毛ほども興味がないようで、ヘッドホンで耳を塞いだ。聡平はそんな彼に気がついたようで、すぐに駆け寄った。
「ちょ、凛くん?」
「今のお前らに興味はない。練習にボクが必要になったら呼べ」
先輩は俺から背を向けると自分の世界へと落ちていった。そうだよね。自分の歌声を催眠術や超能力みたいな不確かなものに形容されていい気分はしないよね。実力はまだまだではあるけれど、もう俺たちは先輩の歌を初めて聞いたあの時とは違う。あの歌には一曲の内におよそ込められていいはずじゃないほどの気持ちが詰まっているから、聞けば自然と体が動いてしまうほどのエネルギーが生み出されるのだと思う。
あの歌が何か超常的なものだって誰かが言ったとしても、俺だけはそうじゃないよって伝えたい。先輩に応えたい。先輩の歌をもっと遠くに、多くの人に届けたい。やっぱり俺の音楽に先輩は不可欠な要素なのだ。
「よし。タケとタナショー準備お願い。少し試したいことがあるんだ」
「う、うん!」
「……ん」
持ち場に戻っていく二人を見届けてから、俺は先輩の肩をそっと叩く。先輩はヘッドホンを外すと俺のことを見上げた。
「早速で悪いんだけど、練習を手伝ってもらいたいんだ。いいかな?」
「まだ一曲すら終わってない。これから盛り上がるところ」
「ふーん……俺がその曲より楽しい音楽聞かせるって言ったらどう?」
「随分と大きく出たな。ちなみに今聞いてたのはアイリスの曲だ」
アイリスの曲ね。俺も大好きな曲だ。だけどねそいつには無くて、今の俺にはあるものが一つだけある。俺は先輩へ手を差し伸べる。
「相手にとって不足なしだ。まぁ負けるつもりはないけど」
「負けるつもりはないって? 勝つって今すぐ言えよ」
聡平は凛の手をしっかりと握ると、ゆっくりと引き上げる。
「勝つさ」
「──いや、それ負けるやつだから!」
田中の二人には届かないツッコミが響いた。
「凛くん、マイク持って。秘策を思いついたんだ。上手くいけば選考会だって負け……勝てると思う」
「それで、ボクは何をやればいいわけ?」
「それはね────」
それから、楽器隊の三人は凛にとあることを手伝ってもらいながら練習に励んだ。




