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天使みたいで悪魔みたいな先輩とはじめる音楽活動  作者: シンシア


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第二十一話 二人だけの夏祭りは作詞のアイデア出しをいいわけにする

 音探の活動もないとある日、聡平そうへいはオリジナル曲の作詞に励んでいた。


夏休み最後の週末。あと二日もすれば二学期が始まり、音楽コンテスト(ムジカデラーニモ)の校内選考の詳細が発表される。内容によってはオリジナル曲は必要ないのかもしれないが、一日でも早く歌詞を書き上げて、凛が鼻歌ではなく真にボーカルとして合わせ練習へ参加できるに越したことはない。


だから、大変彼は今焦っているということだ。ただ、焦っている時は大抵良いアイデアが出てこないものである。あまり進捗状況は芳しくなかった。


 パソコンのモニターに映るのは作曲ソフト。そこに表示されるピアノロール。まさしく音の階段のように並んだメロディの固まり。その一固まりを選んではループ再生をしながら、あらかじめ書いた使いたい言葉や単語をとりあえず口ずさむ。とにかく色々と組み合わせてみる。最初は鼻歌混じり、それから徐々に合いそうな言葉を声にしていくのだ。


 一概には言えないが言葉のイントネーションや語気と、音の進行の具合は合わせた方がいい場合が多い。次の音が下がるのか上がるのか、明るいのか暗いのか、ここが合っていないとどうしてもチグハグに聞こえてしまう。


さらには、曲の盛り上がり方にも言葉は左右される。一番の盛り上がりであるサビにはそれだけ強い意志やメッセージを込めたいし、平歌ではなるべく次への解放の期待を煽りたい。


 歌詞が先、メロディが先、あるいは同時。様々なアプローチがあるのだが、メロディがあってこその歌詞であり、歌詞があるからこそのメロディだという前提は変わらないはずだ。



 聡平そうへいが自室でああでもない、こうでもないと、ルーズリーフに書き並べた言葉の数々とにらめっこをしている最中。そんな彼のスマートフォンに一件のメッセージ通知が入った。


確認するとりんから送られたものだった。彼らは連絡先の交換はしていたが、諸連絡はバンドのトークルームで済ませていたので、個人間のやり取りはほとんど無いに等しかった。聡平そうへいりんからのメッセージだと分かるや否やタップして中身を確認する。


「今からここに集合な」


 短すぎる言葉と共に送られてきたのは、目的地を指し示した地図のリンク。聡平はリンク先を開いて地図を確認する。学校から二駅ほど先にある場所のとある神社にマーカーは付いていた。備考欄には今日の日付とともに夏祭りが開催されるとの記述があった。


もうすぐ夕暮れだった。今から最速で向かったとしても、多分着くころには真っ暗だ。俺は指を動かして文字を入力する。


「今日? 急すぎるよ。もっと早くに誘ってくれればいいのに」

「来ないの?」


 レスポンスは驚きの速さだった。ずるいんだよ。先輩は俺が行きたくないわけがないと分かっているんだと思う。だからあえて、煽るような言葉を用意していたんじゃないかな。それが分かっているのに彼の掌で転がされたいと思ってしまうのだから、俺はもうすでに重症だ。


「行きます」

「ん、じゃあ鳥居の前の────」


 先輩からは目安となる時間と待ち合わせ場所が送られてきた。俺はすぐに支度に取り掛かり、場所へ向かった。



 待ち合わせの神社の最寄駅。もう地図など見なくても、どこに向かえばいいかは同じ目的地の人についていけば分かる。それだけの数の浴衣を着た人たちがゾロゾロと歩いていた。聡平は人の流れに身を任せるように歩いていく。数分ほどで目的地の神社にはたどり着いた。


りんくんはどこにいるんだろう」


 つい声が漏れた。大きな赤い鳥居へと続く階段の下で俺は先輩を探す。目視で小さな先輩を見つけられるだろうか。いやいや、先輩じゃなくても困難だ。すれ違う人の群れは自分なんか目に映っていないかのように通り過ぎて行く。色鮮やかな浴衣はある種の光のようで目を散らす。


見つけることは諦めて、俺は耳を澄ませる。雑踏の音。それから盆踊りだろうか太鼓と鈴の音。古いスピーカーのくぐもった音……は流石に聞こえない。何を話しているか判断できない音の固まり、その中で一際大きく聞こえた正しい一人の声。


「そーうーへーい!」


 ハッとして声の方を振り向く。


「そこーで、まってて!」


 カクテルパーティ効果。これだけ色んな音で塗れ溢れた空間。なのに、不思議とその声だけは俺の耳が、一段と大きな音で拾う。目線とともに耳の指向性は単一に。その声に引っ張られるようにぎゅーっと絞られた。


今だけは自分の声とその人の声だけの世界になったみたいに。


りんくん!」


 はっきりとは見えないが、その人は人混みを掻き分けてこちらへやってくる。自然と体は動いた。


 そして、手が触れた。その感触は先輩と初めて会って名前を知ったあの日を思い出させる。かぶれた名乗りに釣られそうになった記憶が蘇る。見かけによらず骨張った手を握り込み、自分の方へ優しく引き寄せる。


「わっ!」


 俺の視界を埋め尽くしたのは浴衣姿の先輩だった。姿勢を崩して倒れ込むようにこちらへ飛んできた先輩をしっかりと受け止める。頭の髪飾りが光った。


「怪我はない?」

「……うん」

「よかった」


 大丈夫なことを確認して俺は、腕の中の先輩を地面に立たせた。


「まさか浴衣だなんて思わなかったよ。それに化粧も。よく似合ってるね」

「──ありがと。と、とりあえず……人凄いし、中入ろうか」

「うん、そうだね……って待ってよ!」


 浴衣姿のりんはどきまぎとしながら、大きな鳥居に続く階段の方へと歩き出した。彼に続く形で聡平そうへいも鳥居を目指す。


 ──カタ、カタカタ……カッタ。


 階段と下駄の歯がぶつかる音。目の前で鳴らされる不規則な音。ふらつきながら階段をゆっくりと登る小さな背中。俺は黙って見ていられるほど冷たくなかった。先輩の横に並び、腕を曲げてバランスを取っている彼の手に触れる。すると、先輩は見開いた大きな目をこちらへ向けた。


「履き慣れないですよね下駄。一緒に登りましょう!」


 先輩はこくりと一度頷くと、俺の手を控えめに軽く取る。カタカタと規則正しい下駄の音はテンポを指定するメトロノームのようで、周りの熱に浮かされ囃し立てられた心を落ち着かせるようだった。どうせ鳴らすならこうでなくちゃダメだ。


 それから二人は鳥居をくぐって神社の境内へと足を踏み入れた。


やんわりと灯る提灯。道標の白色電灯。所狭しと並んだ出店。ビビットカラーで分かりやすいフォントの屋台のれんとのぼり旗。楽しげな声と色んな食べ物の匂い。参道は引くて数多の誘惑により活気で溢れていた。


「わぁ、凄いですね。凛くん、どこからま──」

聡平そうへい……手」


 眉を下げて少し困ったような顔の先輩に指摘されて、つい握りっぱなしだった左手に気がつく。俺はすぐに先輩の手を解放する。


「ごめん、なんか収まりよくてさ」

「お、おさまりいい!?……そっか」


 今日の先輩は何故だか様子がおかしかった。格好はもちろんいつもと違う。紺色に白い小さな薔薇がいくつもあしらわれた浴衣を着ている。頭にはスズメの髪飾り、ほんのりと赤い唇とキラキラの目元。見れば見るほど吸い込まれそうになるくらい綺麗だ。


「そんなに見られたら、流石に恥ずかしいよ……全然似合ってないだろうし、気持ち悪いだけ──」

「ううん、一ミリだって気持ち悪いなんて思ってないよ! 凄い素敵だよ、俺なんかラフすぎて隣並ぶの逆に恥ずいかも」

「そんなことないよ。その格好でも十分……」

「十分なに?」

「かっ…………いいから、お店見ようよ」


 凛は話を途中で中断して、歩き出す。


 そこそこ大きい神社の夏祭りということもあり、人の賑わいも比ではないが、出店の種類も大したものであった。


食べ物一つとってもたこ焼き、焼きそば、お好み焼きなどの粉ものから、イカ焼き、きゅうり漬け、焼きとうもろこしなどのおつまみもの、りんご飴、チョコバナナ、かき氷などの甘いものなど多種多様に渡る。これらは氷山の一角。大抵の想像できる屋台はここにあると思ってもらってもいいだろう。


 とりあえず食べ物は後回し、二人が向かったのはちょうど人が並んでいなかったヨーヨー釣りのお店だった。


 気前の良さそうな店主の前には大きな円形のプール。そこにプカプカと浮いているのは色とりどりのヨーヨーである。ほどよい水の流れがあるらしく、ぐるぐると回転寿司みたいに緩く回っている。これを渡されたW字のフックで釣るというわけだ。


 俺は濡れやすそうな紙紐に括られたフックをプラプラとさせながら、ぼぉっーとヨーヨーを眺めている。


「ヨーヨー釣りやったことある?」


 先輩は綺麗にしゃがみ込んで髪を耳にかけている。俺はそんな彼の隣にしゃがみ込む。ジョボジョボと水槽のポンプの動作音らしき音が聞こえてくる。


「小さな頃はあったけど、最近は全くないね」

「へぇー、じゃあアドバイスね。舐めないこと。金魚すくいと違ってヨーヨー自力で動かないし、狙う場所も決まっているけれど意外と難しいんだからね」

「そ、そうなんだ。そういう凛くんは上手いの?」

「そこそこね。金魚はちゃんと育てる自信がないから、ボクは昔からヨーヨー派なの」


 ヨーヨー派という、多分先輩一人しか属していないであろう派閥。金魚派閥とどんな論争を繰り広げるのだろうか。「ヨーヨー派は取ったヨーヨーを水槽にでも入れるわけ?」俺の中でありもしない金魚派の人間が出てきてしまった。やばい、連想して考えているうちにツボに入ってしまった。


「どしたの、急に笑って?」

「ごめん、何でもない。俺も金魚よりヨーヨーの方が好きだなって。金魚はちょっと恐くて」

「恐い? まぁそういう人もいるよね。それより、ちゃんと集中しないと」


 丁寧に言葉のラリーを返してくれた先輩はプールをじっと見つめ始めた。俺もやるならしっかりやろうと先輩の真似をしてヨーヨーを見つめてみる。


ぐるぐると回るヨーヨー。紐はなるべく水につけない方がいいに決まっているので、探すのはヨーヨーの輪っかが水面から出ているもの。俺はある一つに狙いをつけた。フックを垂らしながらそれが来るまで待つ。慎重にわっかへW字を通して、一気に持ち上げる。


──パッシャーン。


 ヨーヨーは持ち上がったものの、途中で紙紐が切れて、勢いよくプールに逆戻り。飛び込みだったら酷いスコアのはずだ。


「あー、お兄さん後少しだったのに残念だったな。お嬢ちゃんは……」


 聡平そうへいと店主の二人が見守るなか、りんの手が動いた。ゆったりとした丁寧な動作でフックを垂らすと手際よく引っ掛けた。そして、ゆっくりと慎重に引き上げる。


「やった! 釣れたよ」

「すごい!」


 先輩は見事ヨーヨーを釣り上げることに成功した。幼子のように喜ぶ先輩の顔を見ていると、こっちまで何だか嬉しくなってくる。


「お、やるな嬢ちゃん。大抵の人は紐を短く持つんだが、嬢ちゃんの紐はえらく丈夫だな」

「コツがあるんですよ。──あのー、同じ紐でいいのでもう一度やってもいいですか? 彼の分も取りたくて」

「ああ、思う存分挑戦してくれ。元から、取れなくても一個持っていってもらうまで帰さねえのがこの店のルールってもんだからよ」

「ええ! コワ! 俺一生帰れないかも」

「聡平は帰れるわ、ボクが取るもの」


 凛は二回目の釣りへと準備する。また、じっとプールを見る。ただ、同じフックを使うので一回目の時とは難易度は違う。紙紐の耐久度は明らかに減っているからだ。今度は紙紐ギリギリの所を持つ。余分な力はかかっていないスマートな力加減であった。


彼は風船とゴムの接続部分にフックを垂らすと、すぐに持ち上げ始めた。当然、風船が持ち上がるわけもなく、ゴムだけがフックを通過するように滑っていく。そして、最後は持ち上がった輪っかにW字が引っ掛かった。


後は一回目と同じ要領でゆっくりと持ち上げる。風船は紐が切れると同時に凛の掌へ落っこちた。


「はい、聡平」

「ありがとう!」


 先輩は本当に楽しそうなニコニコ顔で俺にヨーヨーを差し出す。もらったのは青みがかった紫色のヨーヨーだ。先輩のおかげで俺は一人一個釣る決まりから免除されて、二人揃ってヨーヨー釣りの出店から離れることができた。


「凛くん凄かったね。もうヨーヨー釣りガチ勢だよ」

「なにそれー。聡平がパワー系すぎるだけだよ。言ったでしょコツがあるって」


 凛はそういうとヨーヨーをワイングラスに見立て、中の水を回し始めた。


「中の水がなるべく少ないものを選ぶ。それと」


 先輩は手招きで俺をもっと近くに呼び寄せる。俺は膝を折って先輩と目線を合わせる。すると、耳元にくすぐったさがやって来た。


「こっそり紐をこよる」


 先輩は確かに小声でそう言った。


「っひぇ! 本当に凛くんのだけ丈夫だった!?」

「ふふふ。さ、次はどこへ行こうか?」


 りんは含みのある笑いをすると、聡平そうへいへ微笑みかけた。


 ヨーヨー釣りを終えて、次に二人が向かったのは缶倒しの出店であった。ヨーヨーには惜しくも歯が立たなかった聡平そうへいが、今度は自分も良い所を見せようとりんを誘ったのだ。


 缶倒しのルールはシンプルなもの。下から数えて三つ、二つ、一つ。三角形状に積まれた缶を指定の位置から投げたボールで全て倒せれば景品を手に入れることができる。ボールを投げられるチャンスは三回だ。


しかし、これが結構難しい様子で、後一つ二つを倒せずに苦戦している人が多い。考えられる理由は二つ。


一つ目は缶の耐久性だ。ただ缶が積まれているのではなく、缶の後ろには支えとなるバーが組んであるので、その棒ごと缶を倒せるぐらい強い力で投げなければならない。


二つ目はボールの形だ。まん丸ではなく微妙に角張っているので、投げづらく力も伝わりづらいのだろう。


 そんな缶倒しの出店の回りには人だかりが形成されていた。挑戦を終えた者たちが、次に来る挑戦者の様子を一同に見守っているようで、一投一投に歓声や野次などが飛びかっている。今もまた一人、肩を落とした者がその群れの中に取り込まれた。


「これは非力なボクには向かなそうだから聡平に任せるよ」

「うん、元よりそのつもりだよ。一目見ていけそうな気がしたんだよね。そのー……ボールが当たれさえすれば!」

「人だかり苦手でしょ。大丈夫? なんか最後の注釈が若干気になるし……」

「うん、このまま終わりたくないよ。男ってのはカッコつけるもんでしょ」

「っひぇ──そ、そう。それじゃあボクは応援してるからね」


 りんは人だかりの中へ消えていく聡平の後ろを追う。


「それは好きな子の前ででしょ……」


 りんは誰にも聞こえない音量でつぶやいた。


 聡平そうへいが挑戦に名乗りを上げると、群れの一同のテンション感はピンッと目に見えてあがった。それもそのはず。彼は長身でがたいも良く、恵まれすぎた体を持っている。見た目だけでいえば何かのスポーツをやっていなければ説明がつかないほどだ。


群れからすれば期待大の挑戦者である。彼らは聡平そうへいにそれぞれ威勢の良い声で、激励の言葉をやたらめったらに投げつける。この時間この場に限り法などはないようだ。


「さぁ、にいちゃん。チャンスは三回だよ。この店吹き飛ばす勢いで投げちゃってよ!」

「えー、本当ですか?」

「ははは、やる気だねー。やれるもんならな!」


 まだ聡平そうへいは投げてもいないのに、出店はすごい熱気であった。「はよ投げろよ!」「こんなインチキ店壊せ!」「おらー!」と、どこからの声なのかもはや判別できないほどだ。


 聡平そうへいは何度か深呼吸をする。そして、ボールを掴んで感触を確かめる。その大きな手にすっぽりと収まる大きさだ。もちろん狙いは三角形のど真ん中。大きく振りかぶってボールを投げる。


「はぁ!」

 

 気合い十分。放たれたボールは凄まじい風切り音を鳴らしながら、ものすごい速さで飛んでいく。しかし、缶からは大きくそれて、その隣の景品である大きな犬のぬいぐるみに直撃した。


ボールはフワフワの体にめり込んだ後に、床へ落下する。クタッとしたぬいぐるみもその後を追うように倒れ込む形で落下した。


「やべ……」


 観客も店主もポカンとして、何が起こったのか一瞬分からない様子であった。凛は屈強な男たちの隙間で頭を抱えていた。


「いや、缶に当てるゲームだからね! ワンちゃんに当てないで! すごい痛がってるから! 大丈夫だよね、痣になってないよね!?」


 店主はワンテンポ遅れて嘆き始めた。


「すみません。ですが、心配しないで下さい。きっちり責任を持って帰りますから、あと二球で」

「「「うおおおおおおおおお!」」」


 聡平そうへいの堂々とした宣言に群れのボルテージは最高潮に達した。ついに言葉にならない叫び声が聞こえ始めた。違う出店にいた缶倒しに興味のない人たちまで呼び寄せ、群れに参加する始末である。


 そんな一大イベントと化した聡平そうへいの缶倒しチャレンジ二投目。惜しくも缶のギリギリ横を強烈な速さで通過する。出店のテントは当たるボールの摩擦によって焦げ跡がついた。そんなことは気にする素振りもなく、ここにいる一同は全員で悔しがった。


 残すところは最後の一投。俺はもう一度集中をするために頭を振った。野次馬がすごいことになっているけれど、なんてことはないはずだ。俺がボールを投げる、ボールが全てを吹き飛ばす、先輩にあのでっかいぬいぐるみをプレゼントする。だから、まずはボールをど真ん中へ投げる。ただそれだけだ。俺は半ば強引な思考によって周りのことは忘れることにした。


聡平そうへいー! 頑張れー!」


 その声は雑音でしかない歓声が密集する場所でも彼の耳に突き刺さる。それどころかピタリと騒音が止んだ。聡平そうへいと群れは一斉にその声の主に注目した。


 先輩が男たちの間から顔を覗かせる。笑うでもしかめるでもなく、ただ俺にじっと視線を向けた。俺はうんと一度大きく頷き、缶と再び向き合った。先輩が見ていてくれる、この中で唯一、俺がやけに賑やかな場もスポーツが苦手なことも知っている人。


頑張れとは言ったが、その表情を見ると、「やれるだけでいい。ただ悔いが残らないようにな」とあの低い先輩の声で再生されるようだった。俺はふっと肩の力が抜けた気がした。やっと何も気負わずに投げることができそうだ。振りかぶって投げる。


「ふんっ!」


 最後の投球。聡平そうへいは実にリラックスした表情と体でボールを投げることに成功した。豪速球は見事に缶を捉えたが、中心からは下へ逸れた。それでも球の風圧で周りの缶まで倒していく。結果は……。


「にいちゃん、残念だったな。あと一本だ」

「そんな……」


 缶は一番上の一本が残った。そうだ。缶は積まれているわけではなく、それぞれがバーによって固定されているので、一つ一つが独立していた。


そのため、下にズレたボールは一番遠かった上の缶を倒し損なったわけだ。一投で倒すには全てにそれ相応の力を加わえなければならない。つまり真ん中に当てるしかなかったのだ。それでも、直撃した缶はベコベコに潰れ、周りの缶もへこんだ。


「もう一回やらせて下さい!」


 聡平は再度挑戦を申し出た。


「ああ、だよな。男ってのは引けねぇ時があるもんな。彼女がいるならもっと早くいえよ!」

「か、彼女!?」


 りんが群れから押し出される形で出てきた。


「俺らも応援するぞ。彼女さんのためにもいっちょ缶なんか吹き飛ばしちまえ!」


 群れの中の一人の声を皮切りにどっと歓声が上がった。


「「か、か彼女……!」」


 矢面に立たされた凛と聡平は二人して同じようなリアクションで恥ずかしがり、固まった。


 あれから三十分ほどが経過した。幾度もの挑戦の末、聡平そうへいはまだボールを投げていた。絶望的な運動神経の無さが彼の制球力を恐ろしいほどに狂わせていた。


周りにいた野次馬は蜂の子を散らしたようにどこかへいなくなり、ここに残っているのは、「にいちゃんを熱くさせた俺が間違ってた。もう景品をやるから勘弁してくれ」と呆れを通り越して泣きついている店主と、ほうけたように彼を眺めているりんだけだった。


 何度目かの挑戦により好機は訪れた。ボールは残す所一つ、缶は左下の二個だけ。どちらかの缶に当てさえすれば、景品獲得の機会だ。


 この奇跡的な状況。神にも祈るようにして店主と凛は聡平を静かに見守った。三人の願いは同じ。なんでもいいから当たってくれ。そんな願いが通じたのか、ボールは見事に缶へ吸い込まれるように飛んでいった。


「お客様……おめでと……」

「ありがとうございます……迷惑かけました……」


 疲れ切った店主による疲れ切った聡平への景品への受け渡しは無事に終わった。こうして聡平は大きなぬいぐるみを手にすることができた。


「はい、凛くん」

「ありがとね、ボクのために必死になってくれて。ちょっとこわいけど嬉しい」

「もっとスマートに渡すつもりが、とんでもなく泥試合に……」


 凛は大きな犬のぬいぐるみを抱きしめる。


「ごめん、もう一回やり直させて」

「え、何を?」


 聡平そうへいの問いかけには答えずに、りんは一度顔をぬいぐるみで隠す。そして、ぴょこっとぬいぐるみから顔を見せる。彼はかつてないほどに満面の笑みを浮かべるのだった。


「ありがと!」

「うん! こちらこそ、喜んでもらえて嬉しいよ」


 聡平そうへいも疲れを感じさせない最高の笑顔で返した。


 聡平そうへいが缶倒しとの泥試合を繰り広げ、ようやく手にできた大きなぬいぐるみを、りんは大切そうに抱えながら休憩スペースへと向かう。簡易的な椅子と机がズラリと並んでいて、屋台で買った食べ物を口にしている人たちがいる場所だ。凛はその一つに腰をかける。


ここからは境内中央に設置されている大きなやぐらがよく見える。紅白の幕と大きな太鼓。スピーカーからは心地の良い祭囃子の音が流れている。


「お前とボクを置いていくとは、ほんと罪な男だねー」


 りんは膝においた犬のぬいぐるみの手を動かしながら、語りかけるように呟いた。


 聡平そうへいは缶倒しの後、りんと別れた。大きな荷物を抱えることになった彼を気遣って、先に休憩所へ向かわせたのだ。聡平は何か食べ物を買ってから休憩所へ向かうという約束だ。


 ──ハクション!


 くしゃみが出た。今はりんご飴の出店に並んでいる最中だ。焼きそばとたこ焼きを買って、何か甘いものもあるといいなと探していた所、ド定番のりんご飴にたどり着いたのだ。何より今の浴衣姿の先輩に是非持たせたい、食べてほしい一品である。俺はりんご飴を一つ買って、手で持ちながら急ぎ足で休憩所を目指す。なぜだか胸がざわざわとするのだ。


「やっぱりシノくんじゃん!」


 聡平そうへいの前から三人組の浴衣姿の女子が歩いてくる。彼女たちは彼のクラスメイトである。彼はあれよという間に進行方向を塞がれてしまい立ち往生することになった。


「こんばんは。こんなとこで会うなんて偶然だね」

「まぁ学校から近いし、結構学校の子たちも来てるよ」

「そそ、さっきも──くんとか…………」


 最悪だ。こんなどうでもいい話に付き合わされるなんて思ってなかった。早く先輩の所へ行きたいんだけど……。


「ははは、そうなんだ。じゃあ俺もう行くね。また学校で」


 聡平そうへいは軽く手を振ると、彼女たちの間をすり抜けようと踏み出した。すると、今まで口を開いていなかった三人目が声を出した。


佐藤さとうさんと来てるって思ってたんだけど違うんだね。彼女にさ、やんわり断られたからてっきりそういうことだと思った」

「え?」

「そうだよー、あのおかっぱ頭の子。佐藤さんかと思ったら違ったからびっくりしたんだよ」

「あのお店すごい人だかりだったね。もしかして、彼女だったり?」


 足なんか止めなければ良かったなと思った。すごい面倒くさい。否定しなきゃいけないことも、言いたくないこともあった。何より彼女が待っていると思っている俺のことを、自分たちが引き留めているという事実に気づいていないのか、わざとなのか。どちらにせよ性格が良い人たちではないことは明らかだ。


「そうそう、彼女。だからもう行くよ。ほらりんご飴早く渡したいしさ」

「────」


 俺はすぐに歩き出した。彼女たちがその後になんと言ったかはわからない。先輩を彼女役にしちゃったのは申し訳ないけれど、今の先輩の姿を見たとしても、誰も分からないと思うので問題ないだろう。それより、早く向かわなければならない気がした。


 聡平そうへいが休憩所に着いた。それなりの人がいたが、りんが小柄だという点を除けば、彼の浴衣姿は聡平に強烈な印象を与えた。それに加えて、今の彼の元には大きなぬいぐるみがある。一点もののそれは目印としてはこれ以上ないぐらい頼りになるだろう。聡平はすぐに犬のぬいぐるみを見つけることができた。だが、ポツンと席に一人座っているだけだった。


 先輩がいない! 俺は犬を回収して、焦る気持ちを抑えながら周囲を探した。先輩が犬を残したということは、確かにあそこに居たということ。急いで先輩に連絡を入れる。あ、繋がった。


「もしもし凛くん! 今どこに?」

「ごめん、今向かうから休憩所戻ってて」

「え? 何があったの」

「大丈夫。自分の意思で離れただけから」


 電話は切れた。



 聡平そうへいが言われたか通りに休憩所で待っていると、数分ほどで凛は席にやって来た。それから彼は何があったかを聡平に話した。


「この前話した元軽音部の奴ら、ほら聡平は下駄箱で会ったでしょ。話があるってボクの所へやって来てさ。それであまりに頭くること言われたから表出ろって言っちゃった」

「そ、そうなんだ」


 俺は少し驚いた。そうだよね。この人見た目女の子みたいだけど、結構ガチガチに口悪い人なんだよね。絵面が容易に想像できてしまう。


 凛が元メンバーに言われたことは、ムジカデラーニモの校内選考が実施されることになったのは、自分たちも参加することになったからだということ。おそらく聡平たちのレベルでは自分たちに選考では勝てないこと。なので、今からでも自分たちのバンドに加入した方が賢い選択であるということだった。


「それで、先輩はさ……なんて答えたの?」


 俺は先輩から話の一部始終を聞いた後で真剣に問う。先輩は三年生。ムジカデラーニモの参加条件は十八歳以下の高校生。つまり今年がラストチャンス。よりを戻そうと向こうから提案して来るのであれば、先輩は提案にのるべきだ。


この歌声を無駄にしていいはずがない。もっと輝ける場所があるならば、そこで先輩は歌うべきなのだ。そうわかっているのに、なぜこんなにも胸が苦しいのだろうか。


 凛は心底おかしそうに笑い出した。


「何でそんなに悲しい顔するかな。まるでボクがあいつらとやるって言ったみたいじゃん」

「だって……」

「ボクがいつ聡平たちがあいつらより劣ってるって言った? ボクが同情や妥協で音楽をやるような人間に見えるわけ?」


 凛は椅子から身を乗り出して、向かい側に座る聡平へ近づく。そして彼が握っているりんご飴をひと舐めする。そして、目と口を閉じると舌から広がる甘さを自分の内に閉じ込めるように体を震わせた。


 俺は咄嗟のことに何も反応を返せなかった。ただただ幸せそうな顔をする先輩を見ていることしかできなかった。


「聡平、ボクは君を選んだんだ。ボクの最後のチャンスを賭けるべき人だと思ったから」


 凛は一切の照れも躊躇もなく堂々と言葉を口にした。


「もし、聡平そうへいが自分の音楽を最大限引き出せるのが田中や茸木なばきじゃなくあいつらだっていうんだったら、ボクは全然聡平と一緒に抜けるけどね。まぁそれはないか。だからひゃく────」


 独りよがりかもしれないけれど、俺についていくという言葉は何よりも嬉しいものだった。


「ごめん、もう大丈夫。俺の方が凛くんを信じれてなかった」

「そ、そう? なんか一際ナイーブだね。缶倒しの時と大違い。聡平こそ何かあったんじゃないの? もっと早く連絡来ると思ったんだけど」

「それは……」


 今度は聡平が凛へあったことを報告する。


「あーそんなことがあったんだね。お互い災難だったわけだ。そういえばサトちゃんね、ボクも誘ったんだけど来られないって断られちゃった」

「え! そうなの。じゃあ三人だったってこと」

「え、あ、そ、そう……なるのかな。はははー」


 先輩は明らかに何か隠しごとをしているようだった。しかし、それを問い詰める気にはなれなかった。精神的に疲れることが連続したせいだろうか。


「せっかく食べ物もいくつ買ってきたから食べよっか」

「ありがとね。りんご飴さっき舐めちゃったけどくれるの?」


 聡平そうへいはりんご飴をあどけなく微笑むりんへ手渡した。凛はそれを嬉しそうに受け取ると、幸せそうに舐め始めるのだった。


 りん聡平そうへいが休憩所で談笑を楽しんでいると、流れてくる音楽が変わって、やぐらの回りには人が集まり始めた。やぐらの上段からは勇ましく胸を打つ太鼓の音が聞こえている。


聡平そうへい見て見て、楽しそうだね」

「盆踊り、もう何年も参加してないなぁ。いつからか自分の体が上手く動かせないって知って、こうやって遠くで見てるのが関の山って感じ」

「そっか、体動かすの嫌いなんだもんね。じゃあここで雰囲気だけでも楽し──」

「いや、それは去年までの俺。今年は……そのー、まだ終わってないからさ」


 どうしてこんな風に言ったのか。自分でも分からなかった。正直言うと先輩からの誘われ待ちだった。


先輩はハッと目を見開いて俺のことを見ている。何を思っているのか、こちらから悟ることのできないガラスのような瞳。彼はそれを震わせると、突然悪戯っ子のような表情を浮かばせた。


「Mi concedi questo ballo?」

「なんて?」


 りんは戸惑う聡平そうへいを見るとさらに広角を上げ、にやついた。


 そもそも聞き取れていたかも怪しいし、俺が知っている言語の言葉でもない気がした。


da ballo(ダ・バッロ)


 りんは席から立ち上がると左手を胸に、右手を聡平そうへいの方へ差し出した。二つ目の言葉と何かへ誘うようなポーズ。あやふやだった言葉が今度はしっかりと理解できた。聡平も席から立ち上がると、凛の前に跪いて彼の手を取る。


 俺はこの誘い文句に対する回答を持ってはいなかった。だけど一つだけ、先輩になら通じる言葉を知っている。


「|Appassionatoアパッシオナート


 聡平そうへいの言葉を聞いた凛は、先程の顔が嘘のようにも思えるほど、満足そうな笑みを浮かべた。それから、二人はゆっくりとやぐらの回りにいる人々と合流した。


 やぐら下段の舞台には踊り手がお手本のような踊りを披露している。キレや上手さなど関係なしに、見よう見まねで楽しく体を動かせば、不思議と一体感が出てくる。


 先輩の後ろ姿を見ながら、同じように体を動かす。時折、後ろを振り向いて俺の様子を確認してくれる。俺が背中に背負った例のぬいぐるみがおかしいのか、ニヤニヤとした笑みを見せてくる。その顔からは嬉しさが滲み出ているようで、何だか俺まで嬉しくなってくる。


「どうかな、ちゃんとできてる?」

「凛くんは完璧だよ。お手本みたい」

「そ、そうかな? 聡平そうへいもいい感じだね。全然踊れてるよ」

「ほんと? でもね楽しいよ。誘ってくれてありがとう」

「ふーん、意外と余裕だね。まだまだ本番はこっからだよ。このままちゃんと踊れるかな?」

「大丈夫でしょ」


 聡平そうへいは踊りながら、少しおどけて見せた。曲のループ再生が終わると、明らかに先程と様子が違う音色が聞こえてくる。ドンドンと安定感のある頭拍を鳴らしていた太鼓はテンポを速めるだけではなく、ンドッンドッと裏拍を意識したフレーズを鳴らし始めた。聡平たちと一緒に踊っていた人たちは一斉に歓声を上げた。


「え! 何が始まるの」

「名物のポップス踊りだよ。もう今や盆踊りは伝統的な日本の音楽だけに留まらないんだよ!」

「そーなの!?」


 演奏される曲は俺もよく知っている有名なJ-POPだった。完全に出遅れたようで、次々とキレッキレの動きの人たちが俺たちの前を通過していく。


ふとお手本の踊り手を見ると、三人それぞれが違う、とても自由な動きをしていた。その振り付けはどれだけ見たところで真似できる気がしなかった。すると、手に少しかたい骨張った感触を覚えた。


「ほら、一緒に踊ろう。もうこうなったら何でもいいってことだよ」


 先輩に手を引かれて少しずつ進んでいく。先輩は空いた片方の手でひらひらとさせながら独特な動きをしている。ほら、真似してみてとでも言いたげな顔で見てくる。よく見ると曲のテンポにピッタリと合った気持ちの良い振りだった。


「1、2、3、4」


 先輩のカウントに合わせて手と腕を動かしてみる。不思議と気分は晴れてくる。先輩は俺が動き出したのを確認すると、今度は歌を口ずさみ始めた。踊りながら簡単に歌うものですら、この世界で一番綺麗な声だ。耳を傾けていると自然に体は動く。踊りも合わせ練習と同じだ。先輩の声に身を任せて、今表現したいものに俺自身が貪欲になるだけだと気がついた。


「お、ノッて来たね。ボクも負けないよ」

「勝ち負けあるの? それより、調子乗ってフルコーラス歌わないでください!」

「もし、倒れてもすぐ助けてくれるでしょ?」

「助けるけど! 絶対ダメ!」


 それから、二人は気がすむまで踊った。





 夏祭り的にはまだ終わりの時間でもなかったが、もうお後が良かったので二人は神社から出ることに決めた。彼らは鳥居をくぐって階段を降りる。聡平は上りと同じように凛の手を取らながらゆっくり一段一段降りていく。


「今日はどうだったかな、楽しかった?」

「うん。こんなに楽しい祭りは久しぶりだったよ」

「そっか、良かったよ。ほら、歌詞行き詰まってそうだったからさ。何か気分転換にでもなればなと思って。舞台がどうのって言ってたから夏祭りなんて最高のシチュエーションでしょ」


 階段を降りた凛は照れ隠しのように頭を掻いた。


「俺のためにって……もしかして、その浴衣も?」

「……うん。紛い物で申し訳ないけど、気分だけでも味わってもらえればいいなって。ほんとはさ、サ──」

「すごい似合っててドキドキしたし、紛い物なんかじゃないよ。一緒にこうやって過ごすのが凛くんでよかった、いや凛くんがよかった」


 食い気味で真っ直ぐで、眩しすぎる聡平の言葉にりんは耐えきれずに俯いた。


 先輩は固まったまま動かなかった。切り揃えられた前髪の下の表情は見ることができない。何かまずいことを言ってしまったのか。それとも、ただ思考を整理したいだけなのか。自分の音のうるささを感じていると、先輩が俯いたまま声を出した。


「……ねぇ、一つだけ言ってもいい?」

「な、なんでもどうぞ」


 りんは顔を上げると、くるりと回転して見せた。ひらりと袖が舞う。そして、聡平に笑いかける。


聡平そうへいと一緒に回れて、ボクもすっごく楽しかった!」


 胸がきゅっとなる。この気持ちの正体はまだ分からない。だけど、晴れやかにはにかむ先輩の姿は漫画かアニメのヒロインさながらにかわいいと思った。作詞の悩みなんて、凛くんとここで会った時にもう、どこへ吹き飛んでいたのかもしれない。


 こうして聡平と凛の夏祭りは幕を閉じるのであった。

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