第十九話 誰が為の音楽か
「新・ボランティア同好会」は夏休み期間に入ってから幾度かの活動を終えた。夏季休業日だからといって合宿があったり、活動時間が増えたりするわけでもない。ふらっと集まって、少し個人練をした後に、合わせ練習で実践的な演奏をして解散。
変わったことといえば、ギター担当の茸木が活動の後、家にエレキギターを持ち帰るようになったことと、同好会の名前を変えたことである。
ボランティア部からの名前かぶりという正当な苦情を受けて、新しく決めた名前は……。
「『軽音楽探求会〜全曲不歌唱体質者のための〜』です!」
聡平は自身が部室の黒板に書いた文字を読み上げる。とめ、はね、はらいがしっかりとした几帳面な字である。
「は?」
「へ?」
「……全部聞き取れたのにぃ!」
教卓の一番近い席に座っている凛、田中、茸木は一斉に疑問符を頭に浮かべる。
「あれ? おかしいな、もっと同調してくれると思ってた。俺結構考えたんだけどな」
「時間かければ良いもんが作れるわけじゃねぇのは、お前が一番分かってんだろ」
「そうだけどさー」
「よく見たら前半部分は分かるか。軽音部ってことだよな──これ以降さえ分かれば!……」
「いや、せっかく考えてくれた候補を捨てるの早くない? その前に言葉を分解して一つずつ説明してよ」
田中からの助け舟によって、聡平には今一度説明の機会が与えられた。彼は聞きなれない言葉の意味と採用理由について話始めた。
軽音楽探求会というのはいわゆる軽音部と名前こそ違うが、活動内容は変わらない。ただ、扱う楽器の種類が軽音部と比べると多い場合がある。
問題は波線から先だろう。全曲不歌唱体質とは、聡平が考えた造語であった。凛の一曲を一番と二番を通して歌うことのできない体質を表した言葉だ。
「ざっくりまとめると、凛くんが歌える曲を探し求めて、ステージで披露することを目標にした会ってことかな。これなら、俺が作る曲がそのまま会の活動として提出できるし、軽音部とは少し違うっていうことも主張できるかもって考えたんだよね」
聡平の目に迷いはなかった。彼は至って真面目にこの名前を提案していた。幾度も考えた上で、これが最適であると判断したのだ。その気持ちを無碍にする人はこの部室にはいなかった。
「やっと名前として認識できるようになったよ。ただ、苦情を受けて渋々変えた名前がこれって大丈夫かな? 少々奇天烈というか、これを提出することを考えると胃が痛いというか、気が重いっていうか」
「お前の胃一つでどうにかなる問題なら及第点だろ。あいつが一生懸命に考えたもんだ、それ以上のもん出す気概があるなら出してみろよ」
「先輩は僕に厳しくて、志之君に甘いよね!」
「オレは良いと思う。どうせならカッコつけないとな……」
説明を終えてやんわりと採用の雰囲気が漂う。聡平は胸を撫で下ろしたようで、ホッと一息吐いた。
「志之、考えてくれてありがとな。この名前で決まりだ」
「ほんと? こちらこそ気に入ってくれて嬉しいよ。二人もいいの?」
「ああ」
「うん、これでいいよ。ダメって弾き返されたら、また考えればいいからね」
凛が賛成した時点で、二人はこちらに言い分がないことを理解したようだ。結局のところ聡平にはみんなが甘い。
「よし、今日から『軽音楽探求会〜全曲不歌唱体質者のための〜』略して音探。みんなよろしくね!」
聡平は嬉しそうに拳を突き上げる。それに他の三人は遅れて反応をする。ぞろぞろと拳が上がる。
「「「略称があるならサブタイトルいらねぇだろ!!!」」」
こうして、新・ボランティア同好会は『軽音楽探求会〜全曲不歌唱体質者のための〜』に改名することになった。
部の名前を今日改めたのには理由があった。新しいスタートを切るに相応しい発表ごとがあるからだ。
満場一致で新しい名前が決まったが、聡平はまだ黒板の前に居た。教卓の上にノートパソコンを用意して、あらかじめ用意しておいたミキサーと接続する。パソコンの音をスピーカーで出力するためだ。凜は聡平の準備が整ったことを確認すると、みんなの注目を集める。
「バンド名も決まって、同好会の名前も決まったわけだ。そしたら、次にやることは一つ。────オリジナル曲だ」
凛は悪役みたいな笑みを浮かべながら、勿体ぶるように宣言した。いつも以上に芝居がかった動きは、彼が相当楽しみだということを表しているようだった。
「じゃあ、ついに志之君が作った曲が完成したってこと?」
「……中堂先輩が惚れ込んだ音楽、楽しみだ」
「もーう。再生しづらくなるから、あんまりハードル上げないでよ。変な凜くんもだし、二人もね」
俺は唾を飲み込む。その嚥下の音すら部屋に響くような静けさ。先輩のおかげで楽曲発表の場が再度引き締まったことには変わりなかった。だけど、マウスカーソルを動かす手は嫌でも震える。教卓の両脇に置かれた机の上にはスピーカーがある。それらの音量つまみがOFFを指していることを確認してから、電源を入れる。それから、つまみをほんの少しだけ回す。
「じゃあ再生します」
二つの箱からは聡平が作った音楽が流れ始めた。曲の原型は凛に初めて聞かせたものだが、あの時とは違うアレンジが施されているので、聞こえてくる音はバンドで演奏できる範囲内の音数と音色であった。
「止めろ」
凛は聡平が再生した途端、低い声で停止の指示を出した。聡平はほぼ反射的に音楽の再生を停止する。茸木と田中は何が起こったか、理解ができていないようで二人のやり取りを静かに見守っている。
「志之、恥ずかしいのか自信がねぇのか何なのか知らねぇが、そんな小さな音でボクたちに聴かせるつもりなのか?」
凛は聡平をじっと見る。決して彼から目線を逸らさない。獲物を見つけたハンターのように。
「何か言えよ。あの小せえ音量で聞かせることが、お前の大事な音楽のためになるんだって、本気で思ってんなら続けろよ。そうじゃねえなら早くつまみを回せ」
分かってる。自分が愚かなことをしていたこと。一番良く自分がこの曲の魅力を分かっているということ。細かな音量にだって勿論こだわった。全ての音が耳に届いた時に最適なバランスで混ざり合って届くようにいくつも試した。それなのに、恥ずかしさや自信のなさばかりが先行して、俺は作品にとっても自分にとっても、何の得にもならないことをした。
彼らにしっかりと聞いてもらわずに、誰に聞いてもらう音楽だというのだ。
「ごめん」
「謝んな。ボクたちにはお前の曲を全部受け止める権利があんだ。それが損なわれそうになったから指摘しただけだ。志之の心まで否定したつもりはない」
「凛くん……」
眩しいほどの真っ直ぐな言葉が飛んできた。先輩は俺が間違えると、それを見逃さずにしっかりと指摘してくれる。言葉は厳しいけれど、それ以上の温かさがある。先輩はすでに俺から目線を外して、そっぽを向いている。俺はすぐにスピーカーのつまみを回して、音楽を最初から再生した。
ピコピコと簡素な電子音で奏でられるメロディは凛のパート。少しおもちゃ味を感じるギターと響きの薄いドラムは、茸木と田中のパートで、ベースとそれ以外が聡平のパートという想定だった。
背中から始まったゾクゾクとした悪寒はやがて体全身を走る。胸の鼓動は流れている曲以上に速くなる。体が熱くなっていることに気がつくよりも先に、胸のうるささで頭はどうにかなりそうだった。先輩一人に聞かせた時とは違う、異質な緊張を感じる。
アラームの固定パターン1以上に聞き込んだ挙句に、音色をバンド編成用にするため、さらに聞いて擦り減ったような曲だった。なのに、どうしてこんなに胸が高鳴るのを抑えられないんだ!
どこか殻にこもりたくなる気持ちを抑えて、みんなの顔を見る。こんな曲そんなに真剣に聞いちゃってさ。これ、俺のアラーム音みたいもんなんだよ。
先輩の顔はここからじゃ見えない。首も体もだらんとして、ちょうど机に頭から突っ伏す形だ。多分、全神経を集中させているんだと思う。
聡平が音楽の再生中にどこを見ていたらいいのか分からない様子でキョロキョロとしていると、再生は終わった。凛は最後の一音を聞き終えてから顔をあげる。
「──どうだったかな?」
聡平の声は少し震えていた。
「初めからデカい音で聞かせろよ。ちゃんと仕上げてきてんじゃねぇか、馬鹿」
罵倒とは裏腹に凛はにこやかだった。
「うん。悪く言える立場じゃないけど良いと思う。体が自然と動いた」
「ありがとう、嬉しいよ。タナショーの体がノッたのなら安心だよ」
「……オレ、これ弾くのか。できるのか? 曲は最高だよ」
「ありがとう。絶対弾けるはず。タケの得意な所は分かってるはずだから」
メンバーだからかもしれない。先輩がOKを出したからかもしれない。そうだとしても、自分の曲を聞いてもらえて、そこから生まれた言葉を聞けることは何よりも嬉しいことだった。
「よし。志之、譜面をくれ。さっさと確認して合わせるぞ」
「う、うん。歌詞はどうするか相談したかったから、凛くんはメロディだけ。二人は俺が一応分かりやすいように纏めたから」
聡平はそれぞれにお手製の譜面を渡す。
「なんか新鮮だね。ずっと同じ曲やってきたから」
「楽譜読めないけど、これならオレにも分かるぞ……」
「分からなかったら、なんでも聞いてよ。だけど、自分で勝手に変えてもいいから。慣れてきたら自由に演奏してほしいんだよね」
二人は配られた譜面を楽しそうに覗いている。凛は譜面を見ながら鼻歌を口ずさみ始める。
「志之、これお前が作詞もやれば?」
「え?」
「曲作るときに載せた感情とかメッセージとかあるだろ。ボクはそういう気持ちをストレートに歌いたい。言っとくけど拒否権はないから」
先輩の眼差しは柔らかい。多分俺が断らないことを分かっているんだと思う。そうだよ、今度は迷う理由なんかなかった。焦がれて止まない声が俺の詞を求めている。それだけで十分だった。
「うん、やってみる。厳しかったら手伝ってね」
「ああ」
こうして今日からはひたすらオリジナル曲の練習に取り組むことになった。やることは基本的には最初の曲と同じ。無茶でも全員で合わせて、自分の音、仲間の音、凛の声を体に刻む。そして、少しずつ形にしていくのだ。
「もういいだろ、早く準備しろ。ボクに歌わせろ!」
「「「早いって!」」」
凛の無茶振りに三人は必死に抵抗する。
外の暑さに負けないくらい、部室の中には熱い音が響いていた。




