第十二話 大切なのは最後まで笑顔で終わらせること
演奏自体は難なく終わった初ライブ。しかし、問題は演奏が終わった時に起こった。ほんの数秒前まで歌声をスペースの外にまで響かせていた中堂凛が、ステージから退場する前に倒れた。少し遅れて、彼の異変に気が付いた志之聡平によって彼は抱き留められ、転落は免れたが、後味がわるい終わり方になったことは間違いなかった。
ステージの裏側。頼りない垂れ幕一つで隔てただけのそこには、今しがた退場した新・ボランティア同好会の姿があった。
──先輩が急に倒れた。
倒れる予兆には全く気が付かなかった。何が目を離さないだ。いざ、演奏が始まったら自分のことしか考えられなくなった。フラッシュバックするのは、直前の映像。先輩がふらりと体勢を崩して倒れていく様だ。
「志之君! と、とりあえず、中堂先輩を寝かせようか」
「は、はい!」
田中の呼びかけによって、正気を取り戻した聡平はコンクリートの硬さを気にしつつ、抱えていた凛をそっとおろす。凜の上半身は聡平が背もたれになるように支える。それから、彼の名前を必死で叫んだ。意識はあるようで、彼は浅い呼吸を繰り返しながら、途切れ途切れに何かを伝えようとしていた。
「タケ! ミキサー、線が集合してる機械の横にある黒い鞄を取ってきて!」
「分かった……」
茸木がステージから取ってきた黒い鞄は凜がマイクを入れていた鞄であった。聡平の目当てはその中に入っていた酸素のスプレー缶だ。彼の鞄からマイクや機材を取り出した時に、鞄の中身を確認していたのが功を奏した。
聡平は缶の噴出口をマスクの穴に差し込み、凛の鼻と口へマスクをあてがう。それから、ボタンを押す。シュー……という音と共に缶から吐き出される酸素。
「凛くん……」
俺は体に先輩の重みを感じながら、顔を覗き込む。目を瞑って、マスクの中で呼吸をする先輩。いつもより、明らかに白い顔が缶を持つ俺の手を震わせる。その震えはよたよたと伸びてきた先輩の細い手によっておさまった。手から伝わる温度から、大丈夫だと言われているような気がする。
「Adagio」
先輩の耳元に向かってそっと呟いた。
それから程なくして、凜は酸素缶がなくても呼吸が出来るくらいに回復した。申し訳なさそうに体を起こしている。
「中堂くん、そろそろ回復したかな? 田中くんと茸木くんと、お客様が不安にならないように説明は済ませておいたから、こっちは大丈夫だよ」
鶴見が舞台裏へ様子を見に来た。聡平が凜に酸素スプレーをあてがっていた頃。鶴見に呼ばれた田中と茸木は一緒にステージで即興の出し物をやったらしい。
「……あれで、良かったのだろうか」
「無茶振りすぎたけどね!!」
「二人とも、助かったよ。あの終わり方じゃ、みんなの不安を煽っちゃうよね。鶴見さんもありがとうございました」
「いいってことよ! それより、しっかり後片付けはやってもらうからね」
「「「了解です!」」」
聡平と田中と茸木は、凛を残してスペースと舞台の片付けに向かった。聡平は舞台裏を離れる際に凛へ「まだ、本調子じゃないと思うから、ゆっくりしていて下さいね。後できっちり説明してもらいますから」と念を押す。鶴見はそれを見送ると、凛の側へしゃがみ込んだ。
「あの子たちと何かあったんでしょ。君がここに来なかった一年の間に」
「……はい」
「言及する気ないよ。だけど、何だか今日の歌は窮屈そうだった。まだ夢、変わってないんだったら、今からでも謝って───」
「今日の歌は最悪だったかもしれません。だけどメンバーのせいじゃない。ボクがまだまだ至らないだけです」
凛はそう吐き捨てると、舞台裏を後にしようと歩き出した。
「軽作業なら力になれると思うので、ボクも片付け参加しますね。今日はありがとうございました」
凛は振り返ると鶴見へ頭を下げた。
聡平、茸木、田中の三人が「ちびっこ工作教室」の撤収作業を始めた頃。聡平は例のごとく、折りたたんだ長机を両脇に軽々と抱えて、回収場所まで運び出している。別の催し物をしていた町内会のお年寄りのほとんどが、彼の怪力に目を丸くしていた。
そんな彼が「よいしょっ」と安全に机を下ろした所で名前を呼ばれた。姿を確認せずとも誰に呼ばれたのかはすぐに分かったようだ。
「え、佐藤さん⁉ ……って椅子持つよ!」
「う、うん。ありがとね」
彼は彼女が抱えていたパイプ椅子をひょいっと受け取ると、棚に差し込んでいく。それから、スペースへ帰るまでの道をともにすることになった。
「ライブ凄かったよ。音につられて見に行ったら、ステージにシノくんいて、ビックリしちゃったよ」
「聞きにきてくれてありがとうね。何だか恥ずかしいなぁ。それで佐藤さんはどうしてここに?」
「ほら、写真部の腕章。私たちの部もボランティアに来てたんだよね」
「そっか! 考えてみたら学校から近いし、俺たちだけが参加してる訳なかったね」
「それよりさ、急に倒れちゃったボーカルの子は大丈夫なの?」
「うん。今は休んでるけど意識はあるし、大事なことにはなってないよ」
さほど離れていない距離なので、挨拶程度の会話をしながら歩いているとすぐに聡平のボランティア先に着いた。
「じゃあ、また学校でね。ライブの写真も撮らせて貰ったから、使いたかったらいつでも声かけてね」
「ほんとう⁉ 助かるよー。じゃあね」
聡平が手を振って彼女のことを見送っていると、シャツを引っ張られたことに気が付く。
「楽しそうじゃん」
「りっ、凛くん⁉ も、もう具合はいいの? いや、いいはずないよね。俺が全部運ぶから休んでてよ」
「……倒れたの、悪いと思ってる。ごめん。──あの子、ライブを見てくれたの知ってるからさ、気になって。ボクのこと何か言ってた?」
先輩は俺から目を逸らした。口調が安定していないし、どこかしょんぼりとして見える。小さな体がより小さく見える。掴まれたシャツには力が込められている。俺はグッと握られた彼の拳に手を重ねる。
「大丈夫かなって心配していました」
「そうか……」
触れた手を通して、力が抜けていくのが分かった。先輩が何も言わずに倒れたから、先輩だけが悪いのか。そうじゃないと思う。もっと俺が彼を、たった一人のボーカリストのことをよく見れていたら、最悪の状況は避けれたはずだ。その予兆に早く気がついていたら、出来ることはたくさんあったはずだ。
「もうこんな不甲斐ないライブはしたくないです。俺、頭のどこかで凛くんは大丈夫って思ってたんです。それより二人を支えなきゃって。凛くんの歌に甘えきっていたんです。もっ────」
「ありがと。聡平はよく頑張ったよ。お前が少しでも遅れてたら、子どもたちのトラウマになったかもしれないんだからさ」
「だけど……」
まだまだ先輩に伝えたいことはあった。だけど、それを言い終わる前に先輩は片付けに戻ってしまった。
4人は撤収作業を終えて、他の催し物の片付けも手伝った後、鶴見に別れを告げるために先程までスペースがあった場所に集まった。
「「「「ありがとうございました!」」」」
「こちらこそ、今日はありがとうございました。君たちの何か助けになったかは分からないけど、私はとても助かりました。MVPは茸木くんかな。見かけによらず面倒見がいいところあるんだねぇ」
「……恥ずかしい。偶々折り紙があの子たちにハマっただけで……」
「いやいや、タケは凄かったよ。俺なんか逃げられちゃったし」
「二人とも暗いぞ! そういう所は一概に褒められないかな。あとバンド仲間ならもっと、自分のことは共有することはオススメするよ。特に中堂君ね」
凜は小さく返事をした。
「わかっていると思うけど、来てくれた人たちの不安感を煽るようなことは絶対にしちゃダメだからね。私は君たちのこと応援してるからね」
「「「はい!」」」
4人は鶴見へのお礼を済ませて商店街を後にする。最後尾の聡平は他の3人を先に行かせて、一人で鶴見に話しかけた。
「どうしたの? ……にしても凄い荷物だね。それで歩けるのが不思議だね」
「はい。それより鶴見さん。──すみませんでした。凛くんを見てろって忠告を受けたのに、俺全然ダメでした。言われた時思ったんです。目を逸らすわけないだろって……。でも演奏が始まったら、そんなこと考えられなくなってしまって。凜くんがああなること分かってたんですよね?」
「彼が君へ信頼を置いていることは、一目見てすぐに分かったからね。でも自分でも、少し意地悪だったと思う。ごめんね。こういう問題って他人からじゃなく、本人から聞きたいし、聞くものでしょ?」
「そうだと思います。だから、何で教えてくれなかったんだって、問い詰めたいわけじゃなくて。お礼を言いに来たんです。もうこんなことは絶対に起こしません。初ライブが鶴見さんの場所で本当に良かったです。ありがとうございました!」
聡平は鶴見からの返答を聞かずに、頭を下げる。今度こそ本当に別れを告げた。彼女は大荷物の彼を見送る。
「相変わらず、罪な子よねぇ……」
鶴見はそれだけ一つ零した。




