<天の大守と愛の詩>
「主と決めたあなたを――世良様を愛おしく思った」
「……琅……」
どこまでも透き通る宝石のような、澄んだ瞳の中で、彼の紫色に染まった小さな自分が驚いた顔でこちらを見ている。
「実は、社に入ったのはこれで三回目です」
「え」
照れたような。悪戯がバレた子供のような笑顔での琅の告白。
「世良様が生まれ落ちた日。初めて大守の力を制御した日。そして、美しい姫に成られた、今日という日」
優しい琅の声が、世良の記念日を紡ぐ。
「私の“初めて”には、いつも琅が居てくれるのね」
世良の内側で、トクトクと響く甘い音。
「このまま先も、ずっと。必ず」
誓いの言葉の様に厳かに返され、歓喜が全身を淡く痺れで満たした。
「このまま祝言でもあげちゃう?」
「彼女たちのイタズラに乗って?」
それこそいたずらっ子の様な笑みで琅が笑うから、世良もつられてしまう。
「そうよ」
「良い提案ですね」
そうして、“初めての口づけ”を。
「琅、あなたとの未来を望んでも良いかしら」
響く温かい鼓動が、世良の頬をホワリと変えていく。
「お望みのままに」
優しい琅の微笑みが、こんなにも深い胸の奥へと染み渡って、更なる甘い痺れを起こす。
互いの瞳に映り、微笑み合えるのは、こんなにも幸せ。
世良は、それこそ初めて訪れた甘い時間に、どこか信じられない思いで揺蕩う。
しかし、その束の間の幸せな時間を引き裂く様に、バァン! と地を震わせる天からの雷鳴によって、二人は現実に引き戻された。
立て続けに怒り狂ったかのような雷が、ダンッ、ドダァン! と雷鳴を轟かせ、地を打ち付け震わせる。
余りの音と地響きに、社のあちらこちらから悲鳴が上がった。
「なにごとっ」
世良と琅は慌てて社の縁に出た。
社の上空には雷に寄せられるように、良宇羅の屋敷を覆っていた天からの邪気が集まり始めている。
「姫様っ」
「落ち着いて。結界を張ります。あなた達には傷一つ付けさせやしないから、安心して」
世良は翼を広げ頭上で合わせると、そのまま大きく振り下ろし円を描く。描いた円は瞬く間に空間を大きく広がり、社を包む球体となった。
その中で琅と世良は一声ずつ咆哮を上げる。咆哮は内側から三重の結界となり、より強固なものとなる。
「なぜ、こんな事に」
「確証はありませんが」と琅は前置きして、難しい顔のまま空を見上げる。
「天の怒りを買ったのかもしれません」
「私が?」
「いえ……――おそらく」
言いかけたまま今度は、清水湖の畔に視線を移す。
「キイラ様と、キイラ様が求める相手。私には見えませんが、居るのでしょう? キイラ様の近くに。ずっと」
言いながら琅は畔を指さした。
そこには数十人の衛兵を連れたキイラと、彼に寄り添う黒飛天が確かにいた。
よく見るとキイラは、ここに辿り着いた時の琅と同じくらいボロボロの姿になっている。
「良宇羅様もさすがに許せなかったのでしょう」
琅もそのキイラの姿に思うところがあったらしい。
雷は収まることを忘れたかのように酷くなっていく。そんな中に二人は立っていた。
「よく聞け、世良! 天が怒っている。お前という存在に! 天の力を持ち、地の最上の力を持つお前が存在していることにっ!」
社の中に世良を見つけたキイラが、勝手な言い分を叫んでいる。良宇羅の宮居で、世良に翼を与えたのは自分だと言ったはずだ。勝手に“世良”という存在を作っておいて、何を言っているのか。
「キイラ兄様」
世良が張った結界は良宇羅の張ったものとは違い、外界の音を通すようにした。本当ならこちらからの声も届けられる。
「この雷がその証拠だ。お前はいずれ世界を滅ぼす。それだけの力を持っている。そのことに天が恐れ、地の大守ごと滅ぼそうとしているのだ!」
「馬鹿なことを」
とうとう琅が毒づいた。
「琅、さっきの天の怒りを買ったってどういうこと」
「キイラ様の言葉など聞く必要などありません」
琅の慰めに、「違うの」と世良は首を振った。
「兄様たちが買った怒り」
琅は少し躊躇い、そして世良に教えてくれた。
「力です」
「力?」
「そう、飛天の血」
大守に“血の呪い”がある様に、それは天にも存在するのだという。
大守は固く、長が守り続けている為その方法を知るものはいないが、天の者にとっての血は、それだけで力になる。
『血に染まる。それこそが力』黒飛天の言葉が蘇った。
「言い伝えによると、天の者の血を手に入れられたならば、どれほど力の弱い大守でも、“血の呪い”と同じ様な術を使えるのだと聞いた事があります。人心ごと相手を操り。時には、翼を与え、天の者へと存在自体を変えてしまえる力を持つ者も居ると。だからこそ、天と大守は交わってはいけないのです」
そうして琅は痛ましそうに衛兵たちを見遣る。
天の者と、大守の者は交らない。その鉄則を二人は破り、互いの“力”を使い周囲を思い通りにしようとしたどころか、翼を持つ大守“世良”という存在まで生んでしまった。
「私もあの時同じだったのでしょう。血に捕まり、知らずと言えど、良宇羅様を捕らえる手を貸してしまった」
「解放する術は」
同じ立場の者達を助けられないことに苦悩しながら、静かに首を振る琅に、世良は「そう」と頷き、何かに引っかかる。
ふと、隣の彼を見上げると、真っ白な着物の合わせから、赤い首輪の痕が覗いていた。
「琅」
「はい」
「琅は……解放されているわ」
世良の一言に、琅が驚いた顔をする。
「世良様……」
「琅も同じだった。むしろ彼らよりも二重に首輪を嵌められていたわ」
「そうよ!」と世良は、いまだ呆然としている琅に頷いた。
「行きましょう、琅。皆を助けに」
世良は放心する琅の手を取った。
「あの首輪を断ち切れば良いの。手伝って」
言葉はなかった。ただ、強く握り返されただけ。けれど前を向く紫の瞳は強い光を放っていた。
「出るわ」
側で二人の話しを聞いていた社の者達が慌てている。
「姫様、危険過ぎますっ」
「でもこのままじゃ何も解決しない」
琅の手が緩み、世良を一緒に行かせるべきかと悩んでいるのが分かる。
「琅の優しいところが大好きよ」
世良はその手をしっかりと握り直す。できることがあるのに、一人置いて行かれるは嫌だった。
「あなたには敵いません、世良様」
温かい苦笑が琅の顔に広がる。
そうして大門の前に二人で立つ。
「絶対、何があってもここから出ないで」
社の者に厳命として言い置いて、とうとうその門を開いた。
外は、いまだ何本も雷が地に降り刺さっている。
琅は狼に変化し、世良は大きな羽を抜き取ると、良宇羅の時の様に力を送り込み剣へと変える。
「行きましょう」
琅の声と共に、二人で地を蹴った。
「奴らを仕留めろ!」
キイラの号令で一斉に銃口が向けられる中、世良と琅は降りしきる雷の間を縫い、銃口を避け、首元の輪を引き千切り、断ち切っていく。今まで強い力で縛られていた彼らは、途端に意識を失っていった。慌てて琅が心音を確認して、世良に頷いて見せる。
「気絶しているだけの様です。今まで狭い所に無理矢理押し込められていた意識が、突然の解放を受け飽和状態なのでしょう」
その言葉に安心して、世良は次の者へと向かう。
「世良っ」
いつの間にか良宇羅が加勢してくれていた。おそらく、屋敷を出立したキイラ一行の後を付けて来たのだろう。
「父様、みんなの首輪を切って!」
得たりと頷くと、良宇羅は勢いよく兵達に向かっていく。対処の方法さえわかれば、相手を最小限で攻め込める。
その時だった。
『きゃぁ!』
細い叫び声に振り向くと、倒れた兵を介抱しようとしていた飛天が、黒飛天に捕まっていた。
「飛天っ」
急いで飛天の元へ飛んで行き黒飛天から奪い返すと、世良はその腕に守る。無事かと気を取られた瞬間だった。
一際大きい雷が世良に降り注ぐ。
「世良様っ!」
遠くで琅の強張った叫びが聞こえる。
とっさに翼で身を隠し難を逃れたが、全身に雷が帯電して痛む。その痺れを振り払うように、翼を大きく振り払った途端、羽に溜まった大量の雷は、気の塊となって辺り一帯を薙ぎ払い、数人の兵と、黒飛天が吹き飛ばされてしまった。
助けようとしている者さえ吹き飛ばしてしまった自身の力。翼に力が溜まっているのが分かっていたのに、咄嗟の事に何も考えられず、そのまま翼を振ってしまった。
己のあまりの力に世良は呆然とする。
「姫様っっ!」
ずっと仕えてくれた彼女達の声。
「琅……皆……」
琅が世良の元へ駆け出し、共に戦っていた良宇羅は驚いた様にこちらを見ている。それぞれが視線をずらした隙に、一斉に銃口が向けられた。
我に返った世良は翼を大きく広げ、素早く雷が放電されているのを確認すると力の限りで羽ばたいた。
「撃て!」
兄の手が下ろされるのと共に、無数の銃弾が向かって来るのが見えた。
ゴオ! と濁音と共に清水湖の水を巻き上げ、一瞬で世良の前に水の壁を作る。それさえも通り抜けた鉄玉を、自身を包んだ翼で振り払った。
「化け物だ! なんという恐ろしい妖力だ! いま消さなければ、村は滅ぼされるぞ!」
誰かが叫んだと同時に、更に兵の銃弾が豪雨の様に世良に浴びせられる。
翼で払いのけながらも、いくつかの避けられなかった銃弾が、あちらこちらに赤い筋を付けていく。
「世良様っ!」
水壁の向こうで、一番近くから銃口を向ける者たちを解放している琅が呼ぶ声。
チリチリと痛むのは、傷口だろうか。胸の奥だろうか。
父、良宇羅が言っていたのはこう言う事だ。異端姿に脅威な力を持つ世良を、いずれ人はただ恐れ、恐れはありもしない敵への恐慌を生む。
そんなはずはないのに。今まで静かに暮らしていたのに。今まで存在すらも知らなかったでしょう。
なのに。
「世良様、ご無事ですか」
気が付けば琅の腕の中に居た。半人半狼の姿に戻った彼は、自分なんかよりもずっと、たくさん赤い傷がついている。
「また傷だらけじゃない」
「世良様がご無事なら、それで良いのです」
微笑む姿がどこか遠い。何かが自分中で増幅している。
それは琅を助け出した時と同じ感覚。
過去は変えられない。今ここに存在する自分も変えられない。それでも、未来は作られる。この手で。
諦めるなんて出来ない。望みがあるから。見たい未来があるから。
だからこそ、きっと。
天狼であり、翼を持った自分にしか出来ない事がある。
その時、再び雷が天から降って来る。世良は琅ごと翼で包み込んだ。
「……琅が居るのに……」
自分の側に居るからという理由だけで、大切なこの人に、これ以上傷なんてつけさせない。
周囲を見渡せば、まだ自分が薙ぎ払った者達が倒れていた。
「地にある天の力が罪というのなら、それを地の大守に数多振りかざす天も大罪!」
強い思いに呼応するかのように、世良の中が蠢きだす。
「天の力が罪だというのなら、全てお返しするわ!」
増幅する力のままに羽を伸ばすと、メキメキと軋みながら大きくなっていく翼に、背中に激痛が走った。
「つぅっ!」
様子の変わった世良に気付いた琅が、慌てて抱きしめてくれるけれど、その感覚さえもどこか皮膜一枚、向こう側で。
「世良様、それ以上は止めてください」
近くに居るはずの琅の声も遠くなっている。
「暴走してしまいます! 世良様っ」
バキッと太い枝が折れるような音が背中から響く。同時に天空を稲光が走り、なおも雷を降らせようとする天を、世良は睨んだ。
「私は禁忌の子。そして、この世の全てを統べる天狼!!」
そう周囲を見回しながら、朗々と宣言するその背中には、三枚の対翼。
そうして稲光を走らせる漆黒の空に向かって、そこに居る誰も見た事がないほどの強大な咆哮を上げる。咆哮は太い光の大槍となり、天空を貫いた。
それは確かに“天狼”の力。
「世良様っ」
次の世良の行動にいち早く気付いた琅が、世良のその手を握る。
「……琅、大好きよ」
そう言って琅に口づけると、呆然とするキイラと黒飛天に向けて嫣然と微笑んだ。
「私の力が欲しかったのでしょう? 受け取りなさい――っっ!」
それは一瞬の出来事だった。
「世良っ」
「つっ!」
琅が名前を呼んでくれる。“主”ではない、ただの“世良”として。その歓喜がどれほどのものか。だからこそ、この力を全て出し切ってでもあなたを守りたい。あなたの存在するこの地ごと。
琅に抱きしめられながら、世良は自身が持つ全ての力を翼に放出する。一気に噴き出したエネルギーは、純白の羽を無数に散らし、辺り一面を光で白く染めあげた。その真っ白に染まる地に、世良の傷口から赤い飛沫が飛んだ。
――そうして訪れた、果ての無い静寂。
黒く染まった天に、ぽっかりと穴が開き、そこから光の梯子が下りてくる。
清水湖までをも世良の純白の羽が舞い降り、辺り一面を雪景色の様に変えてしまう。
『夜明けとともに
黄金の光が昇り世を照らす
黄金の瞳をたずさえし白銀の狼は
この地の全てを統べる
すなわち――天狼――となる』
「世良っ」
自身の腕の中で意識を失っている世良に、琅は必死で呼びかける。それでも、世良はピクリとも動かない。
琅はぎゅっと世良を抱きしめた。
美しい世良を汚してしまいそうなほど、自身も傷だらけだけれど。
少しでも緩めてしまえば、彼女がどこかへ飛び立ってしまいそうで。このままその綺麗な瞳を見せてくれないような気がして。
「愛おしい、世良」
囁くようにその唇に口づけた。少し鉄の味がする。
傷だらけの二人、どちらの味だったのかは分からない。
どこまでも沈黙は続く。
良宇羅も、キイラも、世良の羽の力を受け目覚めた兵達も。
そうして、社からすすり泣く声だけが聴こえてくる。
「琅」
重い良宇羅の声がその真実を告げていた。
「良宇羅様……申し訳ございません」
そう頭を下げた時だった。
「ろ……う……――?」
ふわりと、金色と青の瞳がこちらを向いた。
あの日の様に。
「世、良」
今は自分の腕の中で、左右別の美しい瞳を周囲に向けている。
「良かったわ、みんな無事ね。あら、せっかく増えた翼が、また元通り」
背負う翼をパタリと動かし、自身の変化にゆっくりと上半身を起こしながら微笑む世良を、琅は助け起こしながら溜息を吐いた。
「あなたが一番、無事ではありません」
そこに怒りを込める琅に、世良は素直に「ごめんなさい」と謝り、甘えたように抱き付いた。
「でも琅が一緒なら、大丈夫な気がしたの」
「大丈夫ではなかったから彼女達は泣いているのでは?」
そう言って琅が指さす社の方では、顔をぐちゃぐちゃに泣き腫らした者達がこちらを見守っていた。
「あは、また皆にお小言を食らうわね」
「笑いごとではありませんっ!」
お説教のような琅の怒声に「あはははは」と豪快な笑い声が重なる。
「とんだじゃじゃ馬に育ったようだな、世良」
「大切な家族の様に接してくれた彼女達のおかげよ。社の皆にお礼を言って」
明るく笑う良宇羅に、世良は真っ直ぐに言った。良宇羅は「そうだな」と神妙に深く頷いて返事をくれた。
「皆ボロボロ、社に戻りましょう」
世良は兵達にも声を掛ける。兵達は憑き物が落ちた為か、または世良を認めた為か。素直に誘いに乗って来た。笑顔で礼を述べてくる者までいる。
「認められるのも時間の問題ですね」
そう言って隣で笑う琅に「まだまだよ」と言って、世良は少し遠くでポツリと佇んでいたキイラに視線を向ける。
その隣には、世良の羽によって等しく目覚めた黒飛天も寄り添っていた。
「一緒にいらしたら? お兄様」
そう誘う世良を、琅が優しい瞳で見守っていてくれる。
それだけで、自分も優しくなれる気がした。
そうして社に入った途端、そこに居た誰もがキョトンと、顔を見合わせた。
世良だけがその理由に気が付いてない。
「お前……」
呆然と良宇羅が自身の隣を見遣っている。
「良宇羅様」
その隣に寄り添っていたのは、今にも泣きだしそうな飛天。二人は恐る恐る、互いへと手を伸ばす。
「もしかして、見えているの」
確かめる様に琅を振り向くと、彼も半ば信じられないといった風に頷いた。
「世良の結界の中だからか」
良宇羅が飛天を抱きしめながら感嘆の声音を零す。
「ミヤ……」
その声に振り向くと、キイラが声にならずに泣く黒飛天を抱きしめていた。
「天狼でいて、天の力を持った者の結界だからこそ、両者が共に姿を映しあえる」
琅が眩しそうにこちらを見ている。その瞳の中に、小さな世良を映して。
これこそが世良の見たかった未来だった。
「これからもっと、知らなければいけないことがある。忙しくなるわ」
「世良様をお守りするのは骨が折れそうです」
「様?」
せっかく呼び方の距離が無くなったと思ったのに、もう戻ってしまっている。
「立場上、皆の前で呼び捨ては」
困惑する琅の手を引き世良は笑う。
「皆の前であれだけ呼び捨てて、口づけまでしたのに? 私は、琅に名前だけを呼んでもらえる方が嬉しいわ」
そう言ってその腕の中に納まった。
「守られるだけは嫌なの。傍に居てくれるだけでもいい。でも、気を付けるわ。これ以上、琅に傷をつけたくないもの」
いまだに残る、世良を庇った時にできた無数の傷跡を、世良は少し後悔した顔で撫でる。
そんな世良を、琅は力の限り抱きしめてくれた。
「愛しています、世良。ずっと。この命の尽きるまで」
「琅――ずっと。命の限り傍に居て――愛しい人」
最終回です。
最後までお読み頂いた方、チラリとでも覗きにきてくださった方。
本当に有難うございました。




